軍本部の執務室で報告書を読み終えた豪は、それを机に置いて深くため息をついた。
頭の中で花那の言葉が思い浮かぶ。
『やっぱり、禍牛憑依事件は彩が犯人だったのでしょうか?』
花那の指摘通り、確かにこの事件には不可解なことが多く残されていたが、豪は花那を安心させるために事件解決を伝えた。
それは嘘ではない。
軍内でも表向きは犯人である彩が死亡したことで、被疑者死亡で処理されているし、花那に恨みを持つ彩が死んだことで花那を狙う者はいなくなったと考えていいだろう。
だがそれに対し、花那は口にこそ出していないが納得のいかない様子だった。
それは豪も同じ考えである。
それ故、遠峯参謀総長に提出した事件報告書には事件は解決したという報告を上げている。一方で、まだ豪は独自に調査をしているのだ。
だからこれまで各部隊から上げられている事件の報告書をもう一度机に並べて一つ一つ目を通していたのだった。
まず、花那が襲われた件に対しての犯人は彩で間違いないだろう。
動機もあるし、何よりも豪達の目の前で禍牛を操って花那と豪を襲った。
しかし、それ以前から禍牛憑依事件は起きている。
豪は事件で禍牛化した死体の身元一覧を手に取ってもう一度内容を確認した。
彼らの身元からは彩との接点はない。
つまり禍牛憑依事件には、彩とは別の人物が関与している可能性が高い。
それが彩の共犯者、あるいは事件の首謀者だとしても、問題は〝どうやって死体を禍牛にして、それらを操ったか〟という点である。
そう思った豪は再び彩との闘いを思い返した。そしてふとあることに気づいた。
(彩は禍牛化する直前、薬を飲んでいたな……)
彩は豪達に対抗するために最後に薬を服用し、その直後に彩は禍牛と化した。
事件現場の調査結果を見ると、やはり彩の死体の傍らに彼女が服用した薄緑色の薬紙が落ちていたことが報告されている。
(もしかして、あの薬が興津彩を禍牛化したのか?)
そうならば、動く死体となった者も、生前薬を服用していた可能性がある。
その観点から、豪は再び事件で禍牛化した死体の身元一覧を確認することにした。
すると一つの事に気づいた。
動く死体となった人間達は彩との接点は確かにないが、ある共通点があった。
それは彼らに治療中の病歴があったことだ。
つまり何らかの薬を服用していたことになる。
豪は更に禍牛憑依事件が発生した場所の現場報告書を読むと、その所持品に薄緑の薬紙を所持していた事が判明した。
(もしかして、この薬が原因で禍牛化したのか?)
だが、彩は服薬後すぐに禍牛化したのに対し、動く死体はまさしく死者が禍牛化して動いていた。
つまり時間差があるのだ。その説明がつかない。
しかし、彩と動く死体の共通点は薄緑の薬包みであることは明白だ。
思案を続ける豪は、今度は動く死体となった人物達の身元調査書を一人一人丁寧に読んだ。
氏名、住所、家族構成、死亡原因、そして死亡診断書。
一枚目の人物の死亡診断書を確認した豪は、それを診断した医師の名前が自分が良く知る人物であることに気づき、目を留めた。
(鬼道翔也医師?)
これまで動く死体となった人間達については、死体の検死は事件を担当する軍医によって行われてきた。
つまり翔也も動く死体の検死を行っているはずで、その証拠に身元報告書の作成者には翔也の名前がある。
しかし、彼は自分が死亡診断書を書いた人物が動く死体になっていることについて報告していなかったことになる。
余りにも不自然だ。
豪は自分の中で芽生えた違和感の正体を追うべく、二枚目、三枚目の身元調査書を確認した。
その結果に豪は目を瞠り、そして書類を置いて深く息を吐いた。
死亡診断書を書いたのは、全て翔也だったからだ。
(どういうことだ? 何故あいつはそれを報告しなかった?)
禍牛化した彩
彼女が服用した薬
その薬包と同じ物を持つ動く死体
死亡診断書に書かれた共通の名前
これを線で結ぶと、疑惑はますます膨らむ。
信じられない。
いや、信じたくない。
豪は手を組み、それに額をつけた。
ぐるぐると良くない想像が膨らんでいく。
その時、コンコンというドアのノックする音がして、豪は思考を中断させた。
「失礼します」
そう言って入って来たのは、加藤中尉だった。
切れ長の目は理知的で、細長いフレームの眼鏡をかけている。
少し長めの髪を整髪料で後ろに流している様子は、身だしなみに隙がない一方で、僅かに神経質にも思える男だった。
「本日の巡回報告書をお持ちしました」
「あぁ、今日は君の班が巡回担当だったな。ご苦労」
そう言って豪は加藤から報告書を受け取ると、ふと先日の事が思い出されて尋ねた。
「そう言えば風邪はもう治ったのか?」
先日、興津屋敷で彩の襲撃を受けた日、加藤が風邪を引いたために応援として大輝が巡回に向かった。
花那の護衛は翔也に任せて駅に向かった大輝だったが、彩の襲撃の報を受けて駆け付けたという話を翔也から聞いている。
大輝も風邪気味だと言っていたし、隊内に風邪が流行しているのか。
そう思って豪は尋ねたのだったが、加藤は訝しげな表情を浮かべながら首を傾げると、逆に質問を返してきた。
「申し訳ありませんが、仰っている意味が分かりません。私は風邪などひいておりませんが」
「風邪をひいた君の代わりに大輝に巡回に参加してほしいという伝言を、翔也が大輝を伝えたと聞いたが」
「そんなはずはありません。帝国軍人たる者、常に鍛えておりますし、健康管理はしっかりしております。もう10年以上、風邪などひいておりません。もしお疑いになるのなら、班の部下達にも確認してください」
加藤の言葉に豪の眉間に皺が寄り、胸中には困惑が広がる。
(どういうことだ?)
豪が怪訝な顔をしていると、加藤が不思議そうに首を傾げて尋ねた。
「どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。もう行っていい」
「では、失礼します」
加藤は敬礼すると執務室を出て行った。
パタンというドアの閉まる音を聞いた豪は、顎に手を置きながら加藤が言っていた言葉を反芻する。
確かにあの時、翔也は加藤が風邪をひいたと伝えに来たと言った。
だが加藤は風邪などひいていないと言う。
となると、考えられるのは〝加藤が大輝を応援に呼んでいた〟という翔也の言葉が嘘だったことになる。
何故翔也は嘘をついたのか。
目的は何なのか。
豪は机の上に並べた報告書に再び目をやる。
今分かっていることを繋ぎ合わせると、全てが翔也に帰着していく。
(そういうことか!)
これで明確になった。
彩の後ろで糸を引き、禍牛憑依事件を引き起こしているのは翔也に間違いない。
そう確信した時だった。
俄かに廊下が騒がしくなったかと思うと、執務室のドアが激しくノックされ、すぐに荒々しくドアが開いた。
「どうしたんだ?」
先程出て行った加藤が息を切らし、切羽詰まった表情で叫ぶように言った。
「隊長、入電です!」
「どうした?」
「禍牛が現われました」
禍牛が現われるなど、日常茶飯事の事だ。
だが、次続く言葉は豪の予想外の物だった。
「場所は隊長の屋敷。興津花那殿が禍牛に連れ去られたとのことです」
「なんだって! 斎藤は何をしているんだ!」
彩が死亡して花那はもう狙われることはないと思っていたが、それでも念のため大輝を警備に就かせていたのだ。
大輝は精鋭隊の副隊長だ。簡単に禍牛にやられるとは思えない。
驚きと焦りで立ち上がった豪に、加藤の報告は更なる混乱をもたらした。
「花那殿を連れ去ったのがその斎藤です。斎藤が禍牛に変貌して花那殿を連れ去ったとのことでした」
「大輝が禍牛? それで、大輝はどこに向かったのか分かっているのか?」
「現状、斎藤の所在が分かっていません。部下を至急隊長の屋敷に向かわせました」
加藤の言葉の後半は、豪の耳には届かなかった。
その代わり、豪の中で目まぐるしく考えが巡る。
大輝が禍牛になった。
そして大輝は翔也の風邪薬を服用していた。
豪の推測が正しいのであれば、大輝は翔也の薬によって禍牛になり、花那を連れ去った。
(もしかして、翔也の指示か? 少なくともあいつは何かを知っているはずだ)
それは直感だった。
禍牛憑依事件の真相を知る翔也が花那の誘拐にも関わっているはずだ。
ならば大輝が行く場所は翔也の元かもしれない。
そう考えた豪は勢いよく立ち上ると、机に立てかけていた大嶽丸を腰に刷いた。
豪は加藤を押し退けるように執務室から飛び出した。
(花那、無事でいてくれ!)
そう祈りながら、豪は翔也がいる帝国軍研究所へと、全速力で走った。
頭の中で花那の言葉が思い浮かぶ。
『やっぱり、禍牛憑依事件は彩が犯人だったのでしょうか?』
花那の指摘通り、確かにこの事件には不可解なことが多く残されていたが、豪は花那を安心させるために事件解決を伝えた。
それは嘘ではない。
軍内でも表向きは犯人である彩が死亡したことで、被疑者死亡で処理されているし、花那に恨みを持つ彩が死んだことで花那を狙う者はいなくなったと考えていいだろう。
だがそれに対し、花那は口にこそ出していないが納得のいかない様子だった。
それは豪も同じ考えである。
それ故、遠峯参謀総長に提出した事件報告書には事件は解決したという報告を上げている。一方で、まだ豪は独自に調査をしているのだ。
だからこれまで各部隊から上げられている事件の報告書をもう一度机に並べて一つ一つ目を通していたのだった。
まず、花那が襲われた件に対しての犯人は彩で間違いないだろう。
動機もあるし、何よりも豪達の目の前で禍牛を操って花那と豪を襲った。
しかし、それ以前から禍牛憑依事件は起きている。
豪は事件で禍牛化した死体の身元一覧を手に取ってもう一度内容を確認した。
彼らの身元からは彩との接点はない。
つまり禍牛憑依事件には、彩とは別の人物が関与している可能性が高い。
それが彩の共犯者、あるいは事件の首謀者だとしても、問題は〝どうやって死体を禍牛にして、それらを操ったか〟という点である。
そう思った豪は再び彩との闘いを思い返した。そしてふとあることに気づいた。
(彩は禍牛化する直前、薬を飲んでいたな……)
彩は豪達に対抗するために最後に薬を服用し、その直後に彩は禍牛と化した。
事件現場の調査結果を見ると、やはり彩の死体の傍らに彼女が服用した薄緑色の薬紙が落ちていたことが報告されている。
(もしかして、あの薬が興津彩を禍牛化したのか?)
そうならば、動く死体となった者も、生前薬を服用していた可能性がある。
その観点から、豪は再び事件で禍牛化した死体の身元一覧を確認することにした。
すると一つの事に気づいた。
動く死体となった人間達は彩との接点は確かにないが、ある共通点があった。
それは彼らに治療中の病歴があったことだ。
つまり何らかの薬を服用していたことになる。
豪は更に禍牛憑依事件が発生した場所の現場報告書を読むと、その所持品に薄緑の薬紙を所持していた事が判明した。
(もしかして、この薬が原因で禍牛化したのか?)
だが、彩は服薬後すぐに禍牛化したのに対し、動く死体はまさしく死者が禍牛化して動いていた。
つまり時間差があるのだ。その説明がつかない。
しかし、彩と動く死体の共通点は薄緑の薬包みであることは明白だ。
思案を続ける豪は、今度は動く死体となった人物達の身元調査書を一人一人丁寧に読んだ。
氏名、住所、家族構成、死亡原因、そして死亡診断書。
一枚目の人物の死亡診断書を確認した豪は、それを診断した医師の名前が自分が良く知る人物であることに気づき、目を留めた。
(鬼道翔也医師?)
これまで動く死体となった人間達については、死体の検死は事件を担当する軍医によって行われてきた。
つまり翔也も動く死体の検死を行っているはずで、その証拠に身元報告書の作成者には翔也の名前がある。
しかし、彼は自分が死亡診断書を書いた人物が動く死体になっていることについて報告していなかったことになる。
余りにも不自然だ。
豪は自分の中で芽生えた違和感の正体を追うべく、二枚目、三枚目の身元調査書を確認した。
その結果に豪は目を瞠り、そして書類を置いて深く息を吐いた。
死亡診断書を書いたのは、全て翔也だったからだ。
(どういうことだ? 何故あいつはそれを報告しなかった?)
禍牛化した彩
彼女が服用した薬
その薬包と同じ物を持つ動く死体
死亡診断書に書かれた共通の名前
これを線で結ぶと、疑惑はますます膨らむ。
信じられない。
いや、信じたくない。
豪は手を組み、それに額をつけた。
ぐるぐると良くない想像が膨らんでいく。
その時、コンコンというドアのノックする音がして、豪は思考を中断させた。
「失礼します」
そう言って入って来たのは、加藤中尉だった。
切れ長の目は理知的で、細長いフレームの眼鏡をかけている。
少し長めの髪を整髪料で後ろに流している様子は、身だしなみに隙がない一方で、僅かに神経質にも思える男だった。
「本日の巡回報告書をお持ちしました」
「あぁ、今日は君の班が巡回担当だったな。ご苦労」
そう言って豪は加藤から報告書を受け取ると、ふと先日の事が思い出されて尋ねた。
「そう言えば風邪はもう治ったのか?」
先日、興津屋敷で彩の襲撃を受けた日、加藤が風邪を引いたために応援として大輝が巡回に向かった。
花那の護衛は翔也に任せて駅に向かった大輝だったが、彩の襲撃の報を受けて駆け付けたという話を翔也から聞いている。
大輝も風邪気味だと言っていたし、隊内に風邪が流行しているのか。
そう思って豪は尋ねたのだったが、加藤は訝しげな表情を浮かべながら首を傾げると、逆に質問を返してきた。
「申し訳ありませんが、仰っている意味が分かりません。私は風邪などひいておりませんが」
「風邪をひいた君の代わりに大輝に巡回に参加してほしいという伝言を、翔也が大輝を伝えたと聞いたが」
「そんなはずはありません。帝国軍人たる者、常に鍛えておりますし、健康管理はしっかりしております。もう10年以上、風邪などひいておりません。もしお疑いになるのなら、班の部下達にも確認してください」
加藤の言葉に豪の眉間に皺が寄り、胸中には困惑が広がる。
(どういうことだ?)
豪が怪訝な顔をしていると、加藤が不思議そうに首を傾げて尋ねた。
「どうかされましたか?」
「いや、なんでもない。もう行っていい」
「では、失礼します」
加藤は敬礼すると執務室を出て行った。
パタンというドアの閉まる音を聞いた豪は、顎に手を置きながら加藤が言っていた言葉を反芻する。
確かにあの時、翔也は加藤が風邪をひいたと伝えに来たと言った。
だが加藤は風邪などひいていないと言う。
となると、考えられるのは〝加藤が大輝を応援に呼んでいた〟という翔也の言葉が嘘だったことになる。
何故翔也は嘘をついたのか。
目的は何なのか。
豪は机の上に並べた報告書に再び目をやる。
今分かっていることを繋ぎ合わせると、全てが翔也に帰着していく。
(そういうことか!)
これで明確になった。
彩の後ろで糸を引き、禍牛憑依事件を引き起こしているのは翔也に間違いない。
そう確信した時だった。
俄かに廊下が騒がしくなったかと思うと、執務室のドアが激しくノックされ、すぐに荒々しくドアが開いた。
「どうしたんだ?」
先程出て行った加藤が息を切らし、切羽詰まった表情で叫ぶように言った。
「隊長、入電です!」
「どうした?」
「禍牛が現われました」
禍牛が現われるなど、日常茶飯事の事だ。
だが、次続く言葉は豪の予想外の物だった。
「場所は隊長の屋敷。興津花那殿が禍牛に連れ去られたとのことです」
「なんだって! 斎藤は何をしているんだ!」
彩が死亡して花那はもう狙われることはないと思っていたが、それでも念のため大輝を警備に就かせていたのだ。
大輝は精鋭隊の副隊長だ。簡単に禍牛にやられるとは思えない。
驚きと焦りで立ち上がった豪に、加藤の報告は更なる混乱をもたらした。
「花那殿を連れ去ったのがその斎藤です。斎藤が禍牛に変貌して花那殿を連れ去ったとのことでした」
「大輝が禍牛? それで、大輝はどこに向かったのか分かっているのか?」
「現状、斎藤の所在が分かっていません。部下を至急隊長の屋敷に向かわせました」
加藤の言葉の後半は、豪の耳には届かなかった。
その代わり、豪の中で目まぐるしく考えが巡る。
大輝が禍牛になった。
そして大輝は翔也の風邪薬を服用していた。
豪の推測が正しいのであれば、大輝は翔也の薬によって禍牛になり、花那を連れ去った。
(もしかして、翔也の指示か? 少なくともあいつは何かを知っているはずだ)
それは直感だった。
禍牛憑依事件の真相を知る翔也が花那の誘拐にも関わっているはずだ。
ならば大輝が行く場所は翔也の元かもしれない。
そう考えた豪は勢いよく立ち上ると、机に立てかけていた大嶽丸を腰に刷いた。
豪は加藤を押し退けるように執務室から飛び出した。
(花那、無事でいてくれ!)
そう祈りながら、豪は翔也がいる帝国軍研究所へと、全速力で走った。



