死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

・2話:色無しの娘
大正十八年 卯月——
その日は風が強い日だった。
空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうだ。

(一雨くるかしら)

縁側の長い廊下を歩く足を止め、窓から空を見上げた花那はそう思った。
雨は嫌いだ。
両親が死んだ日を思い出すから。
花那は両親が死んだ日のことを思い出して、ぼんやりとお盆に乗ったティーカップを見つめた。

琥珀色の紅茶には物憂げな自分の顔が映っている。
黒い瞳は虚ろで、対照的にうっすらと水色がかった白い髪の色が、妙なコントラストを描いていた。
正確に言うと銀色に近いかもしれない。
その髪は絹のようなサラサラな髪ではあるが、すでに艶はなく、パサついている。

花那の容姿は異端だ。
人ならざる者の血が色濃く残っている。
それは竜の眷属の血を受け継ぐ花那特有のものなのだが、直系ではない叔父一家は自らの血に竜の血が流れていることを知らず、それゆえ花那の異質な容姿を嫌悪している。
もちろん花那が異能を持つことなど、想像もしていないのだ。

(だからこそ、異能があることを隠さなくちゃ)

今朝の夢を思い出し、自然と身震いしていた。
暗闇の中で自分と豪の鮮血の色がまざまざと思い出される。
その時、二階から降りて来た二人の女中の姦しい声が聞こえてきて、花那はハッと我に返った。

「はぁ、こんな綺麗な着物のどこが気に入らないのかしらね」
「最近は、上流階級では洋装が多いのだそうよ。帝都に行くのだから洋装がいいのかもしれないわね」

そう言った女中達の手には大振りの牡丹が描かれた緋色の着物や、最近流行だというリボンの髪留めを手にしている。
たぶん従妹の彩が、気に入らないから下げろと言ったものだろう。

「それにしてもお嬢様の我儘にも困ったものね。2時間も明日着る服を試着しているじゃない。早く夕食の下拵えをしないと間に合わないのに」
「しっ! そんなことお嬢様の耳に入ったらどうするの? 〝色無しの娘〟みたいに折檻されちゃうわよ」
「そ、そうね。気をつけるわ」

花那はこの家で〝色無しの娘〟と呼ばれている。自分の話題が出たことで、花那は思わず足を止めてしまった。

「そういえば、聞いてる? 近所の森に例の化け物が出たらしいわよ」
「化け物って、泥人形みたいな化け物が出るって噂の?」
「そうそう。死んだ人間が墓から出てきたみたいに皮膚が灰色でどろどろして、低い唸り声で襲ってくるんですって」

背の高い女中は声を潜ませてそう言うと、大げさに怯えたような表情をした。
しかしその声はわざとらしく震え、半分は揶揄いの色が滲んでいる。
お化けのように手首を折り曲げ、それを震わせるのを見て、背の低い女中が青ざめた。

「や、止めてよ。大正時代になって、街にはガス灯が当たり前にあるし、この屋敷にだって電気も電話もあるのよ? そんなのは……単なる噂よ」

強がりを口にした背の低い女中だったが、怯えた表情になる。
その様子を見せたことで満足したのか、背の高い女中は表情を一転させ、明るい口調でカラリと笑った。

「ははは、それもそうね」
「もう、怖がらせないで。ほら、早く仕事しましょう」

話は終わりとばかりにそう言うと、二人は廊下の奥へと消えていった。
その後ろ姿を見送った花那は、先程の女中たちの会話を反芻していた。

彼女達が話していた化け物とは、禍牛のことだろうか。
禍牛の噂は大正の世でもまことしやかに囁かれているものの、普通の人間ならば見ることはなく、あくまで噂話に過ぎない。
だからああいう発言になるのだろう。

「あ、早くお茶を持って行かなきゃ」

ふと我に返った花那は、再び赤絨毯が敷かれた廊下を進み、階段をゆっくりと上った。
女中達は黒の落ち着いたロングスカートのお着せを支給されているが、花那には与えられず、何年も着古した着物で過ごしている。
だから着物姿で階段を登るのは難儀で、こうやって紅茶を運ぶ時には溢さぬように神経を使うのだ。

ようやく辿り着いた彩の部屋のドアをノックすると、女中の声が返ってきたので、ゆっくりとドアを開けて部屋に入った。
洋風に改装された部屋は彩の自室は広く、花那の部屋の倍以上の広さがある。
ふかふかのベッドの脇にはチューダー様式の模様が彫られた丸テーブルがあり、その上にはステンドガラスのランプが置かれていた。
薄紅色のワンピースを身につけた彩は、姿見の前でくるりと回った。
そして鏡の中の自分を確かめるように見た後、上機嫌な声で女中に問いかけた。

「ふふふ、どうかしら? 正一郎様は可愛いって言ってくれるかしら?」

だが、ドアの前で所在なく立っている花那の姿を鏡越しに見つけた途端、一気に顔を曇らせた。

「遅いわよ。紅茶を持ってくるだけでなんでこんなに時間かかるのよ!」
「申し訳ありません」

怒鳴られた花那は、その荒々しい言葉にびくりと肩を震わせた後、テーブルの上にティーカップをゆっくりと置いた。

「まったく、あなたって本当に使えないわね」

そう言って苛立ったため息をついた彩に、花那は頭を下げた。
ふと何気なく彩の髪に目をやった花那は、驚きのあまり息を呑んだ。
桜の花を模した摘まみ細工でできた髪飾りが、彩の艶のある美しい濡れ羽色の髪を彩っていたからだ。
その髪飾りは、花那のよく知る物だった。

「やっぱり髪飾りが無いと少し寂しいと思っていたのよね。ほら、この洋装にぴったり」

彩は摘まみ細工の髪飾りを平然と自分の髪に挿し、満足そうに頷いた。
普段はなるべく息を潜めるようにして過ごしていた花那だったが、その髪飾りを見た瞬間思わず声を上げていた。

「それは私の髪飾りです。部屋にあるはずなのにどうしてここに……?」

その髪飾りは花那が母親から譲り受けた品だった。
両親が亡くなり、叔父一家がこの家を相続した際、花那の私物のほとんどは取り上げられてしまい、形見という形見は手元に残っていない。
唯一手元に残った母の髪飾りが、何故彩の手元にあるのだろう。

「『どうして』って、この間あなたが持っているのを見て、気に入ったんだもの」
「気に入ったって……私の部屋に置いてあったはずです。私の部屋に入ったのですか?」
「ええ、そうよ。何か問題でもある? この家の家主は私達。つまりあなたの部屋は私の部屋も同然。家主の私がどうして部屋に入ってはいけないの?」

彩はわざとらしく小首を傾げると、さも当然というように笑いながら答えた。
その答えに衝撃を受け、花那は驚きと困惑を隠せなかった。
まさか私室にまで入られるとは思わなかったからだ。
言葉を発せずにいる花那に、彩はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、ゆっくりと歩み寄って来た。

「この髪飾り、返してほしい?」
「もちろんです……。それはお母様の形見ですから」

花那は懇願するように答えた。
何があってもこの髪飾りだけは返してほしい。

「でもこの洋装にこの髪飾りがぴったりなの。でもそうねぇ、この代わりがあれば返してあげてもいいわ」
「え……」

代わりと言われても、花那には髪飾り一つ持っていないのだ。
差し出したくても差し出せるものは無い。
答えられずに黙り込んでしまった花那を尻目に、彩は言葉を続けた。

「実は代わりの髪飾りはお父様に買ってもらっているの。今日店に取りに行く予定だったけど、忙しくて取りに行けなかったのよ。だから、あなたが取りに行って」
「今から、ですか?」
「もちろん。だって明日のデエトに着けていくんだもの。当然でしょ?」

そう言って彩は腕を組んで悠然と花那を見下ろした。
まるで悪意を滲ませていないように笑う彩だったが、その瞳には花那に対する嘲りの色が見える。
それが悔しくて思わず言い返したくなるのを、花那はぐっと奥歯を噛んで堪えた。

花那だとて自らの容姿がこのようでなければ、簡単に店に行ける。
だが、彩が馴染みにしている店は帝都の外れに位置するものの、日中のこの時間であれば人の往来は激しい。
そんな中で異端の容姿を持つ花那が姿を見せれば、奇異の目に晒されるのは火を見るよりも明らかだ。
今までも白い目で見られ、下手をすると公然と石を投げられたこともあるし、警察を呼ばれたこともあった。
花那が躊躇っていると、とうとう彩が痺れを切らし、苛立ちを押さえるように指でトントンと腕を叩いた。

「ほら、行くの行かないの? 行くならさっさと行きなさいよ!」
「……分かりました」

唯一の形見である髪飾りだけは失いたくない。
花那は俯いて自分のつま先を見つめながら、小さくそう答えた。