死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

花那は自室の窓辺にある椅子に座りながら、読書をするのが最近の日課だ。
以前豪が言っていたように、鬼道家の屋敷には書庫があり、かなりの蔵書だった。
花那が興味があると言った異国の本や、経営学といった専門書もあり、収蔵されている種類は多岐に渡っている。

最初は簡単な文字しか読めなかった花那だったが、小説程度であれば難なく読みこなせるようになっていた。
だが最近読んでいるのはそう言った娯楽小説ではなく、異能やそれに伴う伝承、民俗学や帝都の結界についてなど、鬼道家にのみ伝わる古文書の類だ。
先日の一件から、花那が彩に襲われたことと豪が追っている禍牛憑依事は、死体に禍牛が取り憑いて人を襲うという共通点があることが分かっている。
豪の話だとどうやって死体を禍牛にしているのかは分かっていないらしい。
となると、鍵を握るのは彩になる。

(彩はどうやって死体を禍牛にしたのかしら?)

豪は花那がこの件に関わって欲しくないようだったが、彩が関わっている以上花那も無関係ではない。
だから少しでも豪の力になりたかった。
そう思った花那は、自分の出来ることが何なのかを考え、異能に関わる古文書を読み、その手がかりを探ることにしたのだ。
それ故花那は今日もまた異能についての本を読んでいた。
和紙で出来た閉じ本はすでに筆が掠れている場所があり、頁の端はボロボロで、部分的に虫が喰っているものだったが、花那はそれを一頁ずつ丁寧に捲りながら文字を追った。

そこに書かれていたのは、異能の力は血によるものだという記述だった。
確かに興津家には竜の眷属の血が流れており、花那は異能の力を有している。
ただ、叔父宏次朗にも彩にもその片鱗はなかったし、彼ら自身、興津家に伝わる竜の眷属の話は知らないようだった。
だから、花那は異能を持つのは自分だけだと思っていたが、異能の力が血によるものだとするならば、彩が異能を持つことも辻褄はあう。
しかし異能の力が血脈に由来していることと、今回の禍牛憑依事件の関連性があるのかと言うと、そこまで明確には分からない。

(もし彩が禍牛を操れるのは興津家の血筋だからなら、私もそれができるということかしら? でもそんな方法はやっぱり分からないわ)

あの時、彩が自らの掌を斬り、溢れた血が地面に落ちた場所から禍牛が現われた。
そのことを考えると、花那も血を流せば禍牛を呼び出すことができるのだろうか?
しかし、花那はすぐにその考えを否定した。
それならば今まで花那が怪我をした時に、禍牛が現われるはずだ。

「ねぇ速日、いる?」
「ん? なんだ?」

花那の求めに応じて音もなく姿を現した速日に、このことを尋ねてみることにした。
もしかして、花那が知らないだけで禍牛の呼び出し方を知っているかもしれない。

「一つ聞きたいことがあるのだけど、彩が禍牛を操ったのは興津の血筋だからかしら?」

花那の疑問を聞いた速日は、腕を組みながら眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、首を振って答えた。

「それは俺も何とも言えないな。興津が持つ異能は禍牛を祓うことができるが、それを操れるなんて聞いたことない」
「そう……」
「ただ、彩が禍牛を操っているという事実があるんだ。俺が知らないだけで、彩はその方法を何らかの手段で知ったんだろうな」

速日からは明確な答えが得られず、花那の調査も手詰まりの状態だ。
圧倒的に情報が足りない。
速日が言う〝何らかの手段〟で彩が禍牛を生み出す方法を知ったとなると、人から聞いたか、何かを読んだかという可能性が高い。
その時、花那の中でふと一つの考えが浮かんだ。

(そう言えば興津家には蔵があって、色々な本がしまわれていたわ)

地元の名士であった興津家には蔵があり、様々なものが収納されていた。
もしかするとその書物の中に、興津家の異能について詳細が書かれたものがあるかもしれない。
彩がそれを見て、禍牛の操り方を知った可能性もある。

(興津家に行って、調べられないかしら? それとももう蔵も無くなってしまったかしら?)

考え込んでいると、ノックの音が部屋に響き、同時にドアの外から声がかけられた。

「斎藤です! 見回りが終わりましたのでご報告に参りました!」

快活な大輝の声と共に、速日が姿を消した。
先日、豪が花那が彩に襲撃されたことを参謀総長に報告した結果、暫くの間花那の護衛と鬼道家の警備をすべきだと判断された。
そこで大輝がを警備を務めることになり、今日も護衛に来た大輝が顔を出してくれたのだろう。

「大輝様、おはようございます。お疲れ様です」

花那はそう言いながらドアを開けると、ピシッと背筋を伸ばしつつ、溌剌とした笑顔を浮かべる大輝の姿があった。
豪の腹心でもある大輝は、花那の容姿を見ても特段驚くことはなく、むしろ「素敵な髪ですね。人形みたいだ」と褒めてくれるほどだ。
そのことがありがたかった。

「巡回しましたが、禍牛の気配も怪しい人物もいませんでしたので、ご安心ください」
「ありがとうございます」

大輝の言葉に小さく頭を下げた花那だったが、不意に先ほど速日と話したことを思い出し、大輝に尋ねてみることにした。

「あの、実は一つお聞きしたいことがあって……」
「なんでしょうか?」
「豪様から、興津家は離散したと聞きましたが、屋敷はどうなっていますでしょうか?」

「ええと確か、興津宏次朗が死んで一家は離散しましたが、ほぼ夜逃げ状態だったと聞きます。それに、破産して家長が原因不明の病で亡くなっているということもあって、屋敷の買い手もいないみたいです。なんで、屋敷は手付かずのままだって聞いてます」
「そうなんですね」

それならば蔵の中の蔵書もそのままあるはずだ。
今は少しでも手がかりが欲しい。
まだ陽は高いし、今から興津家の屋敷に行けば夕方には戻ってこれるだろう。

「あの、少し調べたいことがあって屋敷に戻りたいのですが、よろしいでしょうか? 夕方には戻って参りますので」
「花那さんを一人で行かせるわけにはいきません! 俺も一緒に行きます」

花那の言葉を聞いた大輝は、突然の申し出に驚いた表情を見せたが、すぐにキリリとした面持ちになってそう言った。
使命感から申し出てくれているのはありがたいが、花那の我儘で大輝に手間をかけるのも申し訳ない。

「でも、お仕事が……」
「俺の仕事は花那さんの護衛ですから、問題ありません! それに、花那さんを一人で外出させたなんて隊長に知られた日には、大目玉食らっちゃいますから」

悪戯っぽくそう言う大輝だったが、あくまで花那に気を使わせまいとする気遣いだろう。
大輝の申し出に甘えるのも気が引けるが、手がかりを得るためには興津家に戻りたい。
花那は逡巡した後、大輝に小さく頭を下げた。

「では、お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
「じゃあ、念のため隊長に連絡しておきます! では!」
大きく首を振って了承の意を示した大輝は、そう言って豪に連絡を取りに電話をかけに行った。



大輝が豪に連絡を取ったところ、豪も屋敷に同行してくれることになり、屋敷の前で合流ことになったのだが、待ち合わせ場所にはまだ豪の姿はなかった。

「あれ? 隊長まだ来てないですね。ちょっと早く着いちゃいましたね」
「そのようですね」
「少し待ちましょうか」
「はい」

興津家の屋敷は宏次朗に一部が洋館に建て替えられてしまっているが、元々の和風の屋敷が残っている。
円柱の太い木製で出来た門柱はその名残だ。
そこから敷地を覗くと、既に人の住んでいないことを証明するかのように草木が茂っており、玄関まで続く飛び石は所々が草に覆われていた。
この屋敷は宏次朗や彩からの仕打ちに耐えていた辛い思い出があるが、同時に両親に愛されていた幼少期の思い出もある場所だ。そこが荒れ始めてしまっていることに、花那の胸に寂寥感がよぎった。

(でも、もうこの屋敷に戻ることはないのね)

豪から差し出された手を取り、この屋敷を出た時点で、花那が帰る場所はここではなくなったのだ。
それは自分の選んだことで、ここで過ごした過去も思い出もこの屋敷に置いて出る決意をした。
だから後悔はない。
花那がそう思って屋敷を見つめていると、隣に立っていた大輝がふうと大きな息を吐いた。

「それにしても、あっついですね。夏って感じがします」

軍服の立ち襟を少し緩めるような仕草をしながら、大輝が顔をパタパタと仰ぐ。
花那が屋敷を出たのは2月の頃。
桜の花が咲く前だったが、いつしか季節は移ろい、薄桃色の花が咲き、それが散り、今は青々とした葉が生い茂っている。
敷地にある桜の大木からは蝉が存在を主張するように高らかに鳴いていた。

「勝手を言って大輝様にご迷惑をかけてしまって、申し訳ありません」
「あ! いえいえ、先ほども言ったように、仕事ですから!」

汗を拭っていた手を止めて、大輝が慌てたようにそう言った。
向日葵のような笑顔を向けられたものの、花那としてはこんな炎天下の中で立たせていることに恐縮してしまう。
その時花那は、自分が日傘を持っていることに気づいた。
最初は着慣れなかったが今ではすっかり洋装にも慣れ、今日は薄手の白いワンピースを身に着け、白銀の髪を隠すために帽子を被っている。
その上で、更に日傘を差しているのだ。

「あ……良ければお使いになりますか? 私は帽子もありますので」
「えっ!? いやいや、帝国軍人たるもの、そんなことはできません!」
「そう、ですね」

深く考えずに提案したものの、確かに男性が女物の日傘を使うわけにはいかないだろう。
確かに短慮だった。

「では、少し日陰に参りましょう。屋敷のすぐ入ったところに桜の木がありますから、そちらで待てば豪様が来た時にも気づきますでしょうし」
「じゃあ、そうさせてください」

そう言って一緒に門柱を潜ろうとした時だった。
遠くから大輝を呼ぶ声が聞こえて来てそちらを振り向くと、すらりと背の高い長髪の男性の姿が見えた。

「あぁ、大輝君、ここにいたんだ。探したよ」

口元が小さく弧を描くような笑みを浮かべ、優雅な足取りでやって来たのは豪の従兄である翔也だ。
一度豪と帝都に行った時に会ったので覚えている。
確か軍医をしていると言っていたのだが、何故翔也がここにやって来たのだろうか。
花那が疑問に思っていると、同じことを考えた大輝が驚きの声で尋ねた。

「あれ? 翔也さん、こんなところでどうしたんですか?」
「実は、今日の巡回班の加藤班長が風邪を引いて倒れてしまったんだよ。それで、私がちょうど往診でこの近くに来る予定だったから、彼から大輝君に交代要員として班に合流するように伝えてほしいって頼まれたんだよ」
「そうなんですか!」
「うん。最近禍牛も多くなっているし、人手が欲しいみたいだ。早く行ってあげるといいよ」
「でも……」

翔也の言葉を聞いた大輝は、そう言い淀んで花那の方をちらりと見た。
どうやら班長の指名なら断ることができない一方で、花那の護衛という任務もあるためどうしていいのか判断できないのだろう。
その様子を見た翔也は、状況を理解したようだ。

「豪君も間もなく来るんだろう? それまで私が花那さんと一緒にいるよ」

もし花那を狙うのが普通の人間であれば、大輝の代わりに花那を護衛できるかもしれないが、相手は禍牛なのだ。
翔也はそんな化け物と対峙できるのだろうか?
その考えが花那の顔にも大輝の顔にも出ていたのだろう。
翔也はすくりと小さく笑って答えた。

「僕も鬼道家の出身だって忘れてないかい? 豪君ほどじゃなくても、少しだけ異能はあるんだ」

異能は血に宿る。
そう考えれば、分家であっても鬼道家の血筋の翔也が異能を持っていても不思議ではない。

「そうですね……。ええと、花那さんはどうですか?」

逡巡した大輝は、今度は花那に向き直ってそう尋ねた。
大輝の元々の任務は精鋭部隊として帝都を守ることだ。
今は特例として花那の護衛をしているだけで、その本分を邪魔するわけにはいかない。

「はい、私は大丈夫です」

花那がそう答えると、大輝は申し訳なさそうに眉を下げ、翔也に礼をした。

「じゃあ、お願いしていいですか?」
「あぁ、任せてくれ」
「では、失礼します!」

もう一度深く礼をした大輝は、そう言って駅の方向へと歩き出した。その後ろ姿を見送ると、その場には翔也と花那が残された。

「この間は大変な目に遭ったようだね」
「え?」

板の壁を背にしながら隣に立った翔也は、気遣うような口調でそう尋ねてきたのだが、花那は一瞬何のことを言われているのか分からず、思わず首を傾げてしまった。

「突然、あんな化け物を見て驚いたんじゃないかな?」

豪は花那の異能のことを軍には報告しておらず、先日の彩の襲撃に関しても豪が倒したと報告していると聞いた。
だから、翔也は花那が禍牛を視えることを知らないのだろう。
下手に真実を言うことが憚られ、花那は曖昧に頷いた。

「そう、ですね」
「興津彩は君を狙っているんだろう? 逆恨みだと聞いたけど」

逆恨みと言われればそうかもしれないが、逆恨みだと完全に否定もできない。
というのも、花那が屋敷を出たため屋敷は禍牛を祓うものがいなくなり、それ故禍牛のもたらす厄災によって悲惨な末路を辿ったからだ。
彩がどこまでそのことを知っているかは分からないが、恨まれても仕方のないことだった。
花那が言葉に詰まって思わず俯くと、翔也は花那の様子が先日襲われたことを思い出したのだと勘違いしたようだ。

「すまないね。恐ろしいことを思い出させてしまったかな。気遣いが足りなかったね。でも大丈夫だよ。豪君や軍が君を守るはずだ。安心するといい」
「はい、そうですね」
「ちなみに一つ聞いてもいいかい?」
「なんでしょうか?」
「興津家には異能があるのかい?」

翔也の突然の問いに、花那は息を呑んだ。
一瞬頭が真っ白になる。
どうしてそんなことを聞かれたのか。翔也は花那が異能を持っているのを知っているのだろうか?
様々な可能性が頭を巡る。

(落ち着いて。豪様は私の異能のことは秘密にしてくれると言っていたわ。翔也様も私に異能があるのかではなく、興津家に異能があるのかと聞いている。きっと私に異能があると確信を持って聞いているわけではないわ)

そう冷静に考えた後、花那は動揺を気取られないように呼吸を整え、首を振って答えた。

「……分かりません」
「そうなんだ」
「どうしてそう思われたんですか?」

翔也が突然そのような質問をしてくることに疑問を持った花那はそう尋ねた。

「興津彩が禍牛を操れるということは、異能を持っていると思うんだよ。だから興津家直系の花那さんは何か知っているかなと思って」

顎に手をやって考え込むような仕草をしながら、翔也はそこまで言って言葉を切った。
花那の不安を孕んだ視線に気づいた翔也は、花那に向き直ると苦笑した。

「変なことを言ってすまないね。あの事件で花那さんは初めて禍牛を視たんだし、知らないのも当然かな」

翔也は自分の考えに納得したように頷く一方で、花那は何と答えていいのか分からず口を噤んでしまった。
一瞬の沈黙が場を支配する。
夏の熱気を纏った風が花那の白いスカートを揺らし、翔也の艶やかな黒髪を撫でるように吹き抜けた。
すると、ふと思いついたように翔也が口を開いた。

「そう言えば、花那さんは豪君の婚約者なのかい?」

翔也が気遣って話題を変えてくれたのは分かるが、予想外の話題となり、花那はすぐに答えを返すことができなかった。
そして一拍遅れて翔也の質問の意味を理解し、慌てて答えた。

「い、いえ! 私のような者が豪様の婚約者であるわけないではありませんか」
「そうなのかい? 以前帝都で会った時には随分親密そうに見えたものだから」
「私は、事情があって豪様に助けていただいたんです。この間も屋敷から出ない私を気にかけて帝都を案内してくださっただけで……」

「でも、私はあんなに優しそうに微笑む豪君を見たことが無かったし、豪君にとって花那さんは特別な存在だと思ったんだけどね。花那さんの方も豪君に好意があるように見えたから、私はてっきり相思相愛なのかと思っていたよ」
「わ、私、豪様に好意を持っているような態度を取っていましたか?」

驚きの声を上げた花那は、思わず両頬に手を当ててしまった。
自分では意識していなかったが、豪に恋心を持っているというような態度だったのかと思うと、羞恥で顔が赤くなってしまう。

「少なくとも、私にはそう見えたけど。花那さんは豪君の事が好きなんじゃないのかい?」
「好き……?」

確かに豪の事は恩人だと思っているし、好意がないわけではない。
それが恋なのかと言われると、花那には断言することはできなかった。
もし、花那が抱く豪への気持ちが恋心だとしても、自分のような〝色無し〟の女が想いを寄せるなど、どんな女性も振り向くような美丈夫な豪にとっては迷惑でしかないだろう。

「それは……豪様はとても素敵な男性ですから、女性ならば好意を抱く方は多いでしょう。でも、私のような人間が豪様に恋心を抱くなど恐れ多いです」
「そうかな? 花那さんは豪君と似合いだと思うけどね。でも豪君が羨ましいなぁ」

翔也の言葉の意味が分からず花那が首を傾げると、僅かな自嘲を滲ませた笑顔で翔也は言葉を続けた。

「豪君は一介の軍医である私とは違って精鋭部隊の隊長で、将来も有望。いずれは軍の上層部に行くようなエリートで、鬼道家本家も華族で財閥の一角を成す家柄だ。それに加えて花那さんのような素敵な女性に想われるなんて、羨ましい限りだよ」

そう言って笑った翔也が、不意に花那の後方にチラリと視線を向けたように見えた。
かと思うと、翔也がすぐに花那の顔を覗き込んだので、花那は驚いて目を見開いた。

「どうなさったんですか」
「あ、ちょっと目を閉じてもらえかな? 睫毛に何かついているみたいだ。目に入ったら大変だよ」
「は、はい」

翔也の言葉に花那は慌てて目を閉じると、翔也の手がそっと伸ばされる気配がした。その時だった。

「何をしてるんだ!」

突然、激しい怒りの籠った大声が響き渡った。