死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

興津家にいた時の習慣で、花那の朝は早い。
朝日と共に起きるのが通常で、目覚めても部屋は真っ暗だ。
だが、今朝はうっすらと瞼を上げると、部屋の中はほんのりと明るくなっている。
雀がチチチチと鳴く声を聞こえ、カーテンの隙間からは白色の光の筋が差し込んでいるのを見た花那は、驚いて起き上がった。

(もしかして寝坊してしまった!?)

慌ててカーテンを開けると、東の空にはすっかり太陽が昇っている。
時計を見るとまだ6時ちょっと前で、そろそろ松代が朝食の準備を始める頃だったので寝坊とまではいかないものの、いつもよりも遅い起床だったことは間違いない。

(早く準備をして松代さんを手伝わなくちゃ)

花那はそう思いながらいつも着ている水色の着物に着替えると、準備を始めた。
階段を下り、赤絨毯の廊下を歩きながら花那は割烹着に袖を通した。
廊下に差し込む朝日を辿るように窓を見ると、昨夜まで吹き荒れていた風は穏やかなものになっており、庭の楠の葉を柔らかく揺らすだけだ。
穏やかな朝だった。

(久しぶりにこんなに熟睡したかもしれないわ)

死に戻りをしてから、花那はずっと気を張り詰めて生活していた。
死に戻ったことなど誰にも話すことができず、叔父達には異能を知られないように息を潜めて生活していた。
色無しの花那はただでさえ叔父達には目障りな存在だ。少しでも隙を見せればすぐに軍に引き渡される可能性もあった。
だから毎日が緊張の連続で、少しも気を抜けることができなかった。
しかし昨夜、豪に全てを打ち明けたことで、心の澱が全て無くなった気がする。

花那の秘密を知った豪が花那の全てを受け入れてくれたこともまた、肩の荷が下りた原因の一つだ。
頼っていいと、ここにいていいと、そばにいていいと。
そんな言葉を今まで言われたことがなかった。
そのことが一人で秘密を抱えていた花那にとって、何よりも嬉しいことだった。
抱きしめられた時に感じた豪の温もりが不意に思い出された。
あの時は力強い豪の言葉が嬉しくて、初めて受け入れられたことに感極まって号泣してしまったが、思い返すとはしたなかったのではないだろうか?
思い返すとじわじわと羞恥心が込み上げてくる。

(豪様の顔が見れるかしら?)

顔に血が集まって赤くなった顔をパタパタと仰ぎながら台所に足を踏み入れると、そこには既に松代の姿があった。
小柄で華奢な後ろ姿を見た花那は、思わず立ち止まってしまう。
昨夜、松代は禍牛の姿を目にして「化け物」と叫び、花那は禍牛を倒すために彼女の前で異能を使ってしまった。
常識では考えられない光景を目の当たりにし、衝撃を受けたことは想像に難くない。
同時に、それを倒した花那の姿を見て、松代は花那を畏怖したり忌避したりすることも予想された。

一瞬の戸惑いから入口で立ち止まっていると、その気配を感じた松代がゆっくりとこちらを振り返った。
松代の反応が怖く、身を強張らせていた花那の予想に反して、松代は花那の姿を認めると、いつものように目尻を下げて柔らかく微笑んだ。

「あら花那様、おはようございます。今日も早いですね」

ネギを切っていた包丁の手を止めた松代にそう声を掛けられたのだが、あまりにもいつも通りの態度なので、花那はすぐに答えを返せなかった。
すると、松代はまな板に包丁を置いて花那に向き直ると、首を傾げて尋ねた。

「どうかしました?」
「ええと……」

どう言葉を続けていいのか分からず、自然と組んでしまった両手を見つつ、花那は恐る恐る口を開いた。

「松代さんは、私のことが怖くはないんですか?」
「え?」
「こんな見た目な上に、あんな人ならざる異能の力を持つ女など……気持ち悪いですよね?」
「ふふふ、気持ち悪くなんてありませんよ」

そう言いながら松代はゆっくりと花那へと歩み寄ってきた。
思いがけない言葉に花那は驚いて顔を上げると、松代は花那の目を真っ直ぐに見つめ、語り掛けた。

「花那様のお陰で私は救われました。確かに驚きはしましたが、花那様の力が私を守ったのです。異能の力は特別な力ですもの、もっと自信をもって誇ってくださいまし」
「特別な力だからこそ、怖くはないのですか?」

「全然そんな風には思いませんよ。それに、私は長らく鬼道家にお仕えしています。だから坊ちゃんが不思議な力を持っていることも、異能の力が存在していることも存じております。ですから花那様がその力を否定してしまっては、私は坊ちゃんも否定することになってしまいます」

確かにその言い分は正しい。
以前、松代は豪の生い立ちを話してくれたが、その時に豪に人ならざる力があることを知っているようだった。
だから松代にとっては、異能の力は忌避するものではないのかもしれない。
そして豪を幼少期から面倒を見ていた松代の言葉は本心なのだろう。
豪だけではなく、松代にも受け入れられたことに、花那は涙が込み上げてきた。
今まで忌避され続けてきた自分を、一晩にして二人の人間が受け入てくれたことは、花那にとって奇跡にも似た想いを抱かせた。
こんなに幸福を感じたことが今まであっただろうか?

「ありがとうございます」

この感謝と幸福をどう伝えていいのか分からず、花那がなんとか紡げたのはこの言葉だけだった。
万感の思いを込めて言った言葉を、松代は陽だまりのような笑顔を浮かべて受け止めてくれた。

「いえいえ。さ、早く朝食の準備をしてしまいましょうか」
「はい!」

花那は晴れ晴れとした気持ちで頷くと、松代と共に台所に立った。



今日の朝食は鮭の焼き物となめこの味噌汁、きんぴらごぼう、里芋の煮物と、香の物としてきゅうりの糠漬けという献立だった。
洋風のテーブルにそれらが並ぶのはなんとなくチグハグにも感じられるが、これが鬼道家の日常だ。
食堂に入ると、豪が既にテーブルについており、新聞に目を通しているところだった。
しかし花那が入ると同時に顔を上げ、口元を小さく綻ばせながら花那を迎えた。

「おはよう」
「おはようございます

豪に笑顔を向けられて、花那もまた真っ直ぐに笑顔を返せることが嬉しくなる。
もう豪に隠し事はなく、後ろめたい思いを持つ必要はないのだ。
その時、不意に昨夜の事が思い出された。
あの時豪に抱きしめられた腕の強さと、服越しに伝わる体温。そして耳元で囁かれた言葉。

『傍にいて、君を守りたいんだ』

そのことを思い出した時、花那の胸が甘く痺れたように震えた。
あの言葉がまるで恋人に向けられたように、特別な存在に向けられたように思えたからだ。

(豪様は優しいから言ってくれただけで、私に特別な感情を抱いているわけではないわ)

異端の容姿を持ち、そして異能を有している花那は、初めて人に受け入れられたことで、気持ちが浮ついてしまっているのだろう。
豪が好意を寄せてくれているなどという、分不相応な感情を抱きそうになるのを、花那は首を振って振り払った。

「どうした? 座らないのか?」
「あ、はい。申し訳ありません」
「今日も美味そうだな。いただくとしよう」

豪は手を合わせた後、まずは味噌汁に手を伸ばし、ゆっくりと口をつけた。
口角が少し上がったところを見ると、どうやら今日の食事も豪の口に合ったようだ。
その一連の様子を見てから、花那もまた食事に箸をつけた。
暫く食事を進め、豪の皿に料理が無くなるところで、豪は徐に口を開いた。

「昨日の件だが、異能を持つ君なら、昨日の禍牛がいつものものとは違うと分かるはずだ」

切り出された言葉に、花那は表情を引き締めて答えた。

「はい。あんな強力に厄災を持った禍牛は初めてでしたし、飲み込まれるように取り憑かれた人たちも初めて見ました。それに、他にもいくつかいつもとは違いました」

まず禍牛が現われた時の状況だ。
彩が流した血の所から、まるで湧くように禍牛に取り憑かれた人間が現われた。
それに禍牛に取り憑かれた人も、禍牛を祓った時には絶命していた。
大輝が「遺体の収容は終わった」と告げていたことから、あの時点で取り憑かれた人は死んでいたのだろう。
ただ、禍牛は人の欲を糧に増殖しているため、禍牛が死人に取り憑くなど聞いたことはないし、原理的にも違和感を覚える。
花那がそのことを告げると豪は静かに頷いた。

「あぁ。君は死に戻りの前の記憶があるということは、俺が精鋭部隊であることを知っているな。そしてその意味も分かるな」
「はい」

精鋭部隊というのは軍の中で異能を持つ軍組織の一部隊で、対禍牛に特化した部隊でもある。
表向きは一部のエリートがなれると思われている部隊だが、精鋭部隊がどう言った組織であるのかを死に戻りの記憶で知っている花那は、小さく頷いて答えた。

「実は俺たちはある事件を追っている」
「事件?」
「俺たちは禍牛憑依事件と呼んでいるんだが、禍牛が死者に取り憑き犯罪を犯しているんだ。あくまで噂ではあるが、一部の人間では動く死体だと騒いでいる人間もいる」

その言葉で花那はハッと気づいた。
興津家にいた時、女中たちが「泥人形のような化け物が出る」「死んだ人間が墓から出て来た」「唸り声を上げて襲ってくる」と噂しているのを耳にした。
きっとこのことを言っていたのだろう。

「ただ、どうやって死体を禍牛にしているのかまだ分からない。興津彩が何かの事情を知っていると踏んで、これから彼女を捜索してみるつもりだ。ただ君が興津彩に狙われているのは間違いないだろう。見回りを強化するように参謀総長には進言するつもりだが、気を付けてくれ」
「はい、分かりました」

彩が恨みを抱いている自分を狙うのは構わないが、松代やこの屋敷の人間を巻き込むわけにはいかない。
速日にも禍牛が現われていないか監視を強化してもらい、発見し次第祓うように対処しよう。
この異能は人を守る力になるのだ。だから何があっても花那は周りの人間を守ろう。
花那はそう思って深く頷いた。