死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

彩はそう叫ぶと懐から小刀を取り出した。
鈍く光るそれを見た花那は、反射的に小さく唾を飲み込んでしまう。
このまま刺される。
死に戻り前に胸から鮮血が溢れた記憶を思い出し、体を強張らせた花那だったが、彩は予想外の事をした。
取り出した小刀を自らの掌に滑らせたのだ。
ぽたりぽたりと地面に赤い染みが落ちる。
その異様な光景に目を逸らせずにいる花那の背筋がぞわりと震えた。

(何か……嫌なものが来る……)

そう思ったのと同時に、彩が血を吐き出すような声で叫んだ。

「あの女を殺して!」

恨みを込めた彩の叫びに呼応するように、血の滲んだ地面から黒い物が現われた。
ゆらりと姿を現したのは三人の男だった。
白い死に装束を纏った男や、継ぎはぎだらけの絣の着物を着た男、そして生成りのシャツにズボンを履いた洋装の男。
だが驚いたのはそれだけではない。
皆、土気色の顔をしており、目は濁っていて虚ろだ。
そしてそして顔の半分を覆うように、ぶよぶよとした灰色の生き物が取り憑いていた。

――禍牛だ。
頭の倍ほどに膨れ上がり、魚のようなぎょろぎょろとした目が歪についており、赤子のような手が無数に蠢いていた。

「な、なんですか? あの化け物」

松代が花那の隣で悲鳴に近い声を上げた。
恐怖で男達を見る目は、単なる暴漢に向けられるようなものではなく、得体の知れない空恐ろしい物を見るような目だった。

「もしかして……松代さんにも視えるのですか!?」

禍牛は本来ならば人には見えないものだ。
だが、あまりにも強力な禍牛は常人にも見えるということなのだろう。

「あああっ! ば、化け物です! 殺される!」

そう言って松代は腰を抜かして花那の隣に倒れてしまった。
ガタガタと震えて立ち上がることもできないようで、ただ禍牛に取り憑かれた男たちを見て震えている。

(このまま松代さんを置いて逃げれない!)

花那は反射的に松代を後ろに庇い、男達を見据えた。
その時彩が再び怒鳴り声を上げた。

「早く、この女を殺しなさい!」

彩の声を合図とばかりに、それまで緩慢な動きをしていた男が、突然花那に襲って来た。
速度(スピード)を上げて襲い来る禍牛の男は、ヒュルヒュルと異様な声を上げて襲い掛かかり、そのまま小さな手を触手のように伸ばす。
花那は反射的に松代を後ろに庇うと、禍牛の前に立ちはだかって叫んだ。

(あめ)切る、()切る、は八方(はっぽう)切る、(あめ)八違(やたがい)(つち)(とお)文字(ふみ)、ふっ切って放つ、さんびらり」

その声に呼応するように、花那の周囲から無数の光の刃が現われ、ヒュンヒュンという風を斬る音を響かせながら、取り憑かれた男諸共禍牛を引き割いた。
花那にはもう迷いはなかった。
例え恐れられても、気味悪がられても、嫌悪されても。
もう二度とあの陽だまりのような温かい笑顔を向けられなくとも、松代を失うわけにはいかない。

「花那……様……」

後ろで松代が息を伸び、震える声で花那の名前を呼んだ。
その声には動揺が含まれており、同時に花那に対する恐れのようなものが含まれていた。
花那からは見えないが、恐怖に怯える目は、花那にも向けられているのだろう。
松代を庇うように立ちながら、花那は禍牛に取り憑かれた男達を見据えた。

花那の異能の力が禍牛を切り裂き、男達の袈裟懸けに切られた場所からは血が溢れる。
顔に取り憑いていた禍牛もまた抉られ、その傷口から黒い靄が溢れて空気に溶けている。
それでも、瞬時に禍牛はその身体を復元し、無数に伸びた小さな手が更に男たちの体を侵食している。

『ウガァアアアアア』

人ならざる声が大気を震わせる。
そして地面を蹴ると、口から涎を出した洋装の男が花那に迫って来た。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

そう言って花那が柏手を一つ叩くと、花那の回りから青白い光の刃が現われ、まるでかまいたちの様に禍牛を斬る。
洋装の男が倒れたかと思うと、今度は左から死に装束を着た男が迫る。
手を大きく振り上げ花那を殴り飛ばそうとするのを見て、花那は体を左に避けて反射的にそれを躱した。
行き場を失った男の腕が地面を叩き、その場所にはこぶし大の穴が開いている。
花那は転げるように一回転した後、すぐに体勢を起こして死に装束の男に向き直った。
すぐさま柏手を打つ。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

再び青白い刃が放たれ、禍牛の一部を切り裂いた。

『ギャアアアアア』

ぶよぶよとした禍牛の手が切り落とされ、男が甲高い悲鳴を上げた。
だが、切り落とされた一部が、松代の元へと這いながら向かっていくのが見えた。
祓詞《はらえことば》を唱える間もない。

「速日!」

花那は速日の名を呼ぶと同時に、速日が音もなく現れた。
水色の狩衣の裾がふわりと揺れたかと思うと、速日の体が青白く光り輝き、その光に触れた禍牛の一部が黒い靄となって霧散した。
それを認識する間もなく、死に装束の男は花那へと触手のような手を伸ばしながら向かってくる。
だが、花那へと接触することなくそれは光の壁によって弾かれた。

速日の力だ。
彼の持つ竜の眷属の力が花那を守ったのだ。
死に装束の男が怯んだ隙をついて、花那はもう一度祓詞と共に柏手を打つ。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

放たれた無数の光の刃は、ヒュンヒュンという鋭い音と共に、死に装束の男と禍牛を切り裂いた。
花那を守護する速日の力により先程よりも強い威力を持ったそれは、今度こそ禍牛を切り刻み、禍牛を黒い靄へと帰した。
禍牛が靄になった途端、まるで操り人形の糸が切れたかのように死に装束の男が倒れ、そのまま動かなくなった。

「速日、松代さんをお願い!」
「任せておけ!」

彩の狙いは花那だ。
花那は速日にそう言うと、二人から距離を取るために走り出した。

『グオオオオオ』
『キャキャキャキャ』

最後に残った絣の着物の男は野獣のような野太い声を上げた。
同時に全身に大小さまざまな大きさの目を持った禍牛が甲高い声を上げて、花那の後を追って来る。

(やっぱり私が狙いなんだわ)

背中を向けては祓うことはできない。
どこかで迎え撃たなければならないだろう。
もっと二人から距離を取りたかったが、花那の走る速度の倍以上で迫って来る着物の男がその距離を縮めているのが伝わってきた。
不意を突くしかないだろう。
花那はそう判断し、くるりと踵を返すと同時に花那は禍牛と再び対峙する。
そして振り向く勢いをそのままに祓詞と唱えた。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

花那の突然の行動に不意を突かれた禍牛の男は、白刃のような鋭い光をよけきれず、そのまま切り裂かれた。

『ガアアアアア』

禍牛が断末魔の叫びをあげて倒れたが、藻掻きながらも尚も起き上がろうとしていた。
それを見た花那が、すうと息を吸ってから再び柏手を打つと、最後にビクンと震えて禍牛は地面に溶けるように消えていった。
花那の息が上がり、心臓がバクバクと動いている。
汗が流れて立っているのが精一杯だ。

「話が違うわ! 私の血は特別だって言っていたのにどういうこと!?」

その声に花那が顔を向けると、そこには驚愕の表情を浮かべている彩の姿があった。
だが花那と目が合った途端、彩は再び憎々し気にこちらを見たかと思うともう一度自分の掌に刃を滑らせた。

「絶対に許さないから! 今度こそ呪い殺してやる」

そう言った彩は手を横に一振りした。
掌から鮮血が飛び散る様を花那が息を呑んで見ていると、突然彩が背を向けて走り出した。

「彩!」

状況は分からないが、彩が禍牛を呼び出したことは理解できた。
このまま彩を逃がしてはいけないと花那はその背中を追おうとした。
その時、彩の血が飛び散った地面から今度は白装束の女が現われた。
先ほどの男達同様に、顔の半分と右半身が禍牛に覆われている。
どろどろとした禍牛を纏った女は四つん這いになったかと思うと、髪を振り乱しながらまるで蜘蛛のように這ってこちらに向かって来た。

「天切る、地切る、八方切る、天に八違、地に十の文字、ふっ切って放つ、さんびらり」

花那は驚きつつも柏手を打ったと同時に、青白い刃が禍牛を切り裂き、霧散していった。
先程と同じように禍牛が祓われた女は、その場で倒れて動かなくなっていた。
それを見届けたと同時に花那は顔を上げたが、そこには既に彩の姿はなかった。

(彩が禍牛を操った? でもどうして? どうやって?)

花那の頭にはいくつもの疑問が浮べながら、呼吸を整えるように安堵のため息をついた。
そしてその時ハッと我に返り、松代の身の安全を確かめようと振り返った先にいたのは、目を瞠ったまま立つ豪の姿だった。

「豪……様……」

花那もまた驚きで目を瞠ったまま豪を見返した。
それは一瞬の事だ。
だがまるで時が止まったようだった。
花那の心臓が凍ったようにギュッと縮み、足元の地面が崩れて奈落に堕ちていくような感覚に襲われる。
花那が異能の持ち主であることを、豪に知られてしまった。

「……っ!」

そう思った瞬間、花那は踵を返して走り出していた。
足は勝手に動くが頭が働かずまっ白のままだ。

見られた。
見られた。
見られた。
見られてしまった。

脳裏に驚愕の表情を浮かべた豪の姿が蘇る。
異能の力を知った豪はどう思っただろう。
この色無しの異様な容姿だけではなく、常人の使わない異能の力を目の当たりにして、気味悪いと思っただろうか?
恐ろしいと思っただろうか?
それとも異能を隠していたことに怒りを覚えるだろうか?
軽蔑するだろうか?
そう考えると胸が張り裂けそうで悲鳴を上げた。

しかし怖いのはそれだけではなかった。
なによりも怖いのは異能を持つ花那が豪の傍にいることで、豪が死ぬ未来が再び訪れることだ。
だから逃げなくてはならない。
そう思って必死に走る花那の背中に、豪の鋭い声が迫る。

「待ってくれ!」

後ろから追って来た豪が花那の手首を掴んだ。
振り払おうとしても振り払えない手の力は、絶対に逃さないという豪の強い意志のように思えた。

「離してください!」
「離さない!」
「これ以上豪様を巻き込みたくないんです……もう、私のせいで豪様が死ぬのは見たくないんです! だから、離してください」

豪から逃れようとした花那だったが、気づけば豪の腕の中にいて抱きしめられていた。

「っ!」
「頼む。俺から逃げないでほしい。もし少しでも俺に恩義を感じているのなら、逃げないでくれ」

そこまで言われてしまっては、もう花那は抵抗できなかった。
全てを諦めるように、花那は豪の腕の中でゆっくり目を閉じた。
豪と共に過ごした夢のような時間が終わりを向かえたのだと、花那は悟った。