死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

興津家が破産し、宏次朗が死亡、そして多額の借金を背負い彩達も離散したと豪から聞いてから、花那は心が塞ぐようだった。
それは自分勝手な都合で興津の屋敷から出てきてしまったことや、その結果一家を破滅へと導いてしまった罪悪感がどうしても拭えなかったからだ。
速日は気にするなと言うが、あれも花那の一つの選択の結果だ。
その選択の結果が周囲の人間に影響を及ぼすことを痛感した。同時に、花那の選択により、死に戻り前のように豪を死なせてしまうのではないかという漠然とした不安と恐怖が、花那の中で渦巻いていた。

(私の選択が人の人生を狂わせてしまうことが怖いわ……またあんな風に豪様を巻き込んで死なせてしまったら……)

脳裏に血だまりに倒れた豪の姿が蘇る。
恐怖からギュッと目を閉じてしまっていた時だった。

「花那様? 花那様、どうされました?」

名前を呼ばれて花那は現実に引き戻され、肩を震わせてしまった。
同時にぐちゃっという卵が潰れた音がして花那は我に返ると、目の前には床に割れた卵が無残な姿で広がっていた。

「あっ!」

小さく声を上げて慌ててしゃがみ込んだものの、割れた卵は元に戻るわけでも無い。

「も、申し訳ありません」
「いえいえ、大丈夫ですよ」

優しく声を掛けながら花那の隣にしゃがみ込んだのは松代だった。
コトコトという鍋が煮える音と、出しっぱなしの水道の音で、台所で夕食の仕込みをしていたことに気づいた。
どうやら料理中に考え事をしてぼうっとしてしまっていたようだ。
なんという失態を犯してしまったのだろう。

「大変申し訳ありません。私なんてことを……」

状況を理解した花那は立ち上がって深く頭を下げた。
興津家の屋敷で同じことをしてしまえば、頬を叩かれるだけではすまない。2日は食事抜きにさせられるだろう。
そのことを思い出し、花那は身を縮こまらせた。
すっと血の気が引き青ざめた顔で謝罪する花那を、松代は責める素振りもなく、いつもの調子で耳に心地よい声音で語り掛けた。

「気になさらないでください」

松代は微笑みながら、嫌な顔一つせず割れた卵を片付けている。
花那もそれに倣うように殻を一つ一つ銀色のボウルに入れた後、丁寧に床を拭いた。

「少しぼんやりしてましたけど、どうかしました?」

俯く花那の顔を覗き込むように首を傾けながら、松代がそう尋ねてきたのだが、説明する言葉が見つからない。
考え事をして手元がおろそかになってしまったなど、言い訳にはならない。
興津家で口答えや言い訳などしようものなら、彩や宏次朗の逆鱗に触れ、返って怒鳴られるのが常だった。
松代がそのようなことをするとは思えないが、体にそれが染みついてしまって、何と答えていいか分からず、花那は口を噤んだ。
ようやく出たのは、謝罪の言葉だけだった。

「……本当に申し訳ありません」

俯いたまま震える声でそう言った花那を見た松代が、小さく苦笑を漏らしたのが分かった。

「いえいえ、責めているわけではないのよ。ただ悩み事があるのかしらと思ってね」

気遣ってくれているのは分かるの。
しかし、興津家が離散したのは花那の異能が原因だと考えて罪悪感に駆られていることなど口が裂けても言えなかった。

「いえ……特には」

それだけ言って口を噤んだ花那を、松代は心配そうな表情で見つめつつ、次の言葉を待ってくれた。
だが、これ以上待っても花那は話をしないと考えたのだろう。
松代は5秒ほど経ってから不意に壁掛け時計を見上げた。

「今なら坊ちゃんが帰ってくるまでに買いに行って戻ってこれそうね」
「え?」

突然話題が変わったことに驚いていると、松代は割烹着を半分脱ぎながら調理台に視線をやった。

「今日は茶碗蒸しでしょ? 卵がないと作れないから、ちょっと買ってきますね」
「えっ! そんな! 私のせいで松代さんを買い出しになんて行かせられません!」

そこまで言ってから花那は自分の言葉にハッと息を呑み、思わず髪に手を当てた。
卵をダメにしたのは花那の責任であり、その責任は花那自身が取らなければならない。だが、〝色無し〟の花那が買い出しに行けるわけもないのが現実だ。
以前帝都に遊びに行った時のように黒髪に染めるのには、時間も足りない。

(でも私の失態なのだし、私が責任を取らなくちゃ……)

気味悪がられるのは覚悟の上だ。そう思って意を決し、花那は顔を上げたと同時に、松代はにっこりと笑った。

「そう? じゃあ、一緒に行ってくれるかしら? この時間ですし帽子を被れば分かりませんよ。確か以前坊ちゃんが贈られた帽子の中に大きな唾付き帽子がありましたよね。それを被ったらどうかしら」

松代の提案に花那は窓の外を見た。
夏なのでまだ陽は出ているが、太陽がまぶしいほどの輝きを放っているわけではなく、ぼんやりと西の空を照らしている程度だ。
確かに帽子を被ればつばの影と、光の角度で髪色は分かりにくいかもしれない。

「気分転換になると思うし、どうかしら?」
その言葉に松代の本当の目的が分かった。

たぶん思い悩んでいる花那を連れ出して、気分転換をさせるのが真の狙いなのだろう。
目尻を下げてニコニコと笑う松代の表情から、この提案は花那に強制するようなものではなく、あくまで花那の意志を尊重するということが伝わってくる。
今までそのように花那は気遣われたことがなかった。だから松代の気遣いに、花那の胸がほんのり温かくなった。

「はい、行ってみます。松代さん、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「ふふふ、もう謝らないでくださいまし。じゃあ、さっそく行きましょうか」

胸の前で手をパチンと合わせた松代は、そう言って嬉しそうに笑った。



鬼道家の屋敷から最寄りの市場までは徒歩で30分程のところにあった。
本当は卵を買うだけで良かったのだが、松代はついでだと言っていくつかの野菜と甘味を買った。
野菜はともかく、甘味は花那への気遣いであることが察せられた。
というのも花那が興津家では嗜好品の類を食べたことがないと聞いた途端、松代は「ここの葛切りはオススメなの」と言って店に立ち寄ったからだ。

何気なく気遣ってくれる松代の厚意にも、忙しい中帝都を案内してくれた豪の厚意にも、花那は感謝の念が堪えない。
彼らの優しさに触れると、自然と塞いでいた気持ちが解けていくようだった。
少しだけ。
屋敷を出るまでの少しだけの時間、夢を見ていたい。
きっと優しく輝くような幸福な日々の思い出があれば、屋敷を出た後に辛い境遇にあっても耐えられるだろう。

(今だけ……)
花那は自分に言い訳をするようにそう思いながら、葛切りと卵の入った紙袋を胸に抱いて歩いた。

「連れ回してごめんなさいね。荷物まで持ってもらってしまって」
「とんでもありません。今日は……本当にありがとうございました」

そう言って花那は隣を歩く松代に顔を向けて小さく頭を下げた。

「気にしないで頂戴な。さぁ、すっかり遅くなってしまったわね。坊ちゃんが帰ってくる前に茶碗蒸しを蒸さないといけないし、少し急ぎましょうか」
「はい」

松代の言う通り、周囲は薄暗くなり始めていた。
日の傾き加減からも、そろそろ豪が帰宅する時間になるだろう。
花那と松代は屋敷へと続く道を少しだけ歩を速めて歩き、緩やかな傾斜の道を進んだ。
屋敷はこの丘を登り切ったところにあり、あと数分もあれば辿り着けるだろう。

そう思って松代と歩いている時だった。
道の真ん中に一人の女性が立っている姿が見えた。
帝都の一等地にある鬼道家の周辺は住宅地から離れており、人通りもない。
だからこの女性が佇んでいることに、花那は違和感を覚えた。
その時風が吹いて路の左右に生えている林の木々を騒めかせ、花那は一瞬だけ目を細めてから女性の姿を改めて見て息を呑んだ。

「彩……どうしてここに……?」

花那が最後に会った時よりもやつれた顔をしているが、紛れもない従妹の彩だ。
どうしてこんな薄暗い道に立っているのか状況が分からず、花那は彩を食い入るように見つめたままそう呟いた。
花那の言葉に反応するように、彩はゆっくりと花那に視線を向けるがその所作はまるで幽鬼の様に緩慢で、纏う空気も以前の華やかで傲慢なほどの自信が微塵も感じられなかった。

そんな彩は、花那を認めた瞬間突然目をカッと見開いた。
痩せこけて青い顔色なはずなのに、花那を射抜く目は鋭、ぎらぎらとしたもので、そのアンバランスさに花那は驚きの余り息を呑んだ。
その気迫に押され、花那は思わず半歩後ろに下がってしまう。

(何か様子が変だわ)

動揺を押し止めつつ彩を見つめていると、彩が花那を見据えたままジリジリと距離を詰めながら掠れた声で何かを呟いている。

「どうして……どうしてお前が……」
「え?」

何を言っているのかははっきりとは聞こえない。
花那が戸惑いの声を上げると、突然彩の顔が憤怒に歪んだ。

「どうしてお前がそんな幸せそうなの! そんな綺麗な着物を着て、幸せそうに笑って! お前が私の家を呪ったせいだ!」

髪を振り乱しながら彩は大声で叫ぶ。
憎しみを込めた目を向けながら、彩は一気に捲し立てるように言葉を続ける。

「知ってるんでしょ? お父様が亡くなって、借金だけ残されて、私がどんな目に遭っているのかを! それなのに……それもこれもお前が家に出て行ってから起こったのよ。お前が私達に呪いをかけたせいでしょ! そうに決まってるわ!」

激昂した彩は突然その歩みを止め、ふっと口を歪めて笑ったかと思うと、今度は急に静かな声で言葉を続けた。

「だから……私、決めたのよ。……お前を呪い殺そうってね!」