死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

気が付けば日差しは和らぎ、空が薄っすらと茜色に染まり始めた。
まだ宵闇が迫るには早い時間であるが、街灯には灯りが灯り始め、人々は長い影を追うように家路に着き始めている。
花那たちもまた同様に帝都散策を終えて帰路へと就いた。

今日一日の事を思い返すと、まるで夢のような一日だった。
デパートに行き、洋食を食べ、本屋に行き、凌雲閣にも行った。
花那の知らない世界がそこにあり、初めて見る世界はまるで別の国のようにも感じられた。
ふわふわと夢見心地でいると、並んで歩いていた豪が気遣う声を花那に掛けた。

「今日は色々連れ回してすまなかったな。疲れたんじゃないか?」

豪を見上げると少しだけ眉を下げて申し訳なさそうな表情を浮かべている。
どうやら花那が無言でいたために、疲労で黙り込んでしまったのだと勘違いしているようだ。
花那は慌てて豪に向き直ると、手を振ってその言葉を否定した。

「とんでもありません! まったく疲れていません。……本当に、夢のような一日で、少し現実味がなくて」
「そうか。ならば良かった」
「お忙しいのに帝都を案内してくださって、本当にありがとうございます」
「気分転換になったか?」
「はい、もちろんです」

花那は大きく頷いた後、自分が豪のために何かできることはないかと考えた。
ここまで世話になり、花那の事を気遣って帝都まで連れて来てもらったのに、花那には返せるものは無い。
花那が出来ることは限られている。
興津家で過ごしていたように家事や雑用をするくらいしか思いつかないのだ。

「あの、豪様。豪様には本当に良くしていただいています。今私が差し出せるお礼などありませんが、何か私で出来ることはないでしょうか? 豪様のためなら、何でもいたします」

花那の言葉に豪は虚を突かれたように目を瞠ったかと思うと、一転して苦笑した。

「お礼ならもう貰った。君の笑顔が今日の礼だ」
「え?」

自分の笑顔など、まったく価値はない。それがどうして礼になるのか分からず、花那は困惑しつつ首を傾げてしまった。
豪は足を止めるとそんな花那を真っ直ぐに見つめた。

「そうだな、もしどうしても礼をしたいと言うのなら、屋敷では自由に過ごして欲しい。興津家で暮らしていたように部屋に閉じこもる必要もない」

ゆっくりとした豪の言葉は、まるで花那を納得させるかのように真っ直ぐに紡がれており、花那は豪の目を見つめ返すことしかできなかった。
何も答えられずにいる花那に、豪はいつもの煌めく笑顔や力強い空気を和らげると、沈みゆく夕陽に視線を移してからゆっくりと話始めた。

「意味が分からないというようだな。そうだな……俺もどう表現していいのか分からないが、君を見ていると昔の自分を思い出す」

一旦言葉を区切った豪は、自分の中の思い出を辿るように言葉を続けた。

「少し表現が難しいんだが、鬼道家の次期当主として、俺は普通の子供とは違った少し特別な訓練や教育を施されたんだ」
「特別な訓練、ですか?」
「あぁ。俺は少し特殊な体質を持っていることもあって、育った環境が少し複雑でな。普通の子供のように自由に遊びまわることができなかった。それが嫌ではなかったんだが……興津家にいる君を見ていたら、少し自分の境遇に重ねてしまった」

それは花那が初めて耳にする豪の過去だった。
何も知らないと思っている花那に、豪は言葉を濁していたが、〝少し特殊な体質〟という言葉の意味が花那には分かった。
隠しているが豪は大嶽丸という鬼の力を持つ刀の持ち主であり、それ故豪自身も異能を有している。
きっとそのことを言っているのだろう。

(そうか、豪様は私を憐れんでいたのね)

これで豪の行動の全ての合点がいった。
無理に興津家から連れ出してくれたことも、こうやって帝都に連れ出してくれたことも。
豪は花那の心情が理解できたからこそのことで、それが同情心からくるのだと分かった。
たぶん死に戻り前に花那を帝都から連れ出そうとしてくれたのも、同じ気持ちからだったのだろう。

「だから、君には俺の分まで自由に生きてほしいと思ってしまうのかもしれないな。俺の……自分勝手な押しつけかもしれないが」

そう言って小さく笑った豪だったが、今度は空気を改めるかのように一拍呼吸を置くと、いつもの自信に満ちた表情で花那を見た。

「まぁ、そういうことだから屋敷で自由に過ごして欲しいんだ。というわけで、俺の事は気にしなくていい」
「……ありがとうございます」

花那はそう答える以外、言葉が見つからなかった。
豪の過去を考えると、かなり複雑な事情があり、豪の厚意を否定することは彼自身の過去も否定するように思えたからだ。
だからせめて花那が豪の願いを受け止め、豪の過去の願いを叶えよう。
花那はそう思って深く礼をした。
その時だった。

「あれ? 隊長!?」

突然明るい声が二人に掛けられ、その言葉に反応した豪が振り向いた。
花那もつられるようにそちらを見ると、ちょうど二人連れの青年の姿があった。
一人は濃紺の着物に白い羽織りを着た青年だった。
艶のある長い髪を後ろで緩く結んでおり、眼鏡をかけている30代くらいの男性だ。
眼鏡の奥の瞳には知的な色が光り、口の端に柔らかい微笑を浮かべながら歩く足取りには、品のようなものを感じた。
物腰が柔らかそうな空気を纏い、ゆっくりとこちらに向かってくる着物の青年の脇から、軍服の青年が腕をブンブンと振りながら足早に駆けて来た。

「こんなところで奇遇ですね!」

襟足を短く切った短髪の青年は、向日葵のような満面の笑顔を浮かべている。
だが、駆け寄って来た軍服の青年を見た花那は小さく息を呑んだ。

「っ!」

彼には見覚えがある。

(斎藤大輝様だわ)

そう忘れもしない。
彼は死に戻り前、花那に銃を突きつけ、そして命を奪った人物だ。
人懐っこく闊達な青年で、花那にも優しく接してくれていた。
しかしあの時は、軍の監視下を抜け出したために大輝は仕方なく花那の命を奪ったのだと理解している。
そして今、花那の目の前にいる大輝も名前に相応しい、輝くような笑顔を浮かべていた。

「隊長、もしかしてデエトですか? 珍しく休暇を取ったと思ったら、こういうことだったんですねぇ」
「はぁ……デエトではない。彼女に帝都を案内していただけだ」
「それって十分デエトじゃないですか! 羨ましいです!」

豪は花那に向ける表情とは異なり、威厳に満ちつつも気さくな様子で大輝と会話している。
その会話は何気ないもので、特段変わったことを話しているわけではない。
だが死に戻り前の記憶が蘇り、二人の会話などまるで頭に入ってこなかった。
緊張で顔を強張らせていると、突然大輝が花那の方を向いてその距離を詰めた。

「いやー本当、鬼道隊長が隠したいと思う程の美人さんですね!」

大輝にとって今の花那は初対面だ。
だから屈託のない笑顔の裏には、少しも後ろ暗いことなどない純粋な笑顔なのだろう。
それでもどうしても死に戻り前の事を思い出し、花那は身を固くして反射的に胸元をギュッと握った。
青ざめて半歩下がった花那を、豪は振り返って怪訝な顔をした。

「どうした?」
「い、いえ……」

花那は掠れた声でそう答えるのが精一杯だった。
しかしここで取り乱しては不審に思われてしまう。
小さく深呼吸して息を整えた花那は、なんとか笑顔を張り付けて背中をスッと伸ばした。

「すみません。ちょっと、驚いてしまって」
「あっ、こっちこそすみません! 突然声を掛けたら驚きますよね。俺は斎藤大輝です! 鬼道隊長と同じ隊に所属しています!」
「興津花那と申します」

花那がそう言って名前を名乗ると、これまで柔和な表情で会話を聞いていた着物姿の青年も口を開いた。

「私は鬼道翔也と言います。軍医をしています」

その名前を聞いて花那は思わず、その言葉を復唱していた。

「鬼道?」

確か豪には兄弟はいないと記憶しているが、鬼道名乗るということは、彼と血縁があるのだろうか。
その疑問が顔に表れていたのだろう。
豪がその疑問の答えを口にした。

「あぁ、翔也は俺の従兄になる」
「はい、ウチは鬼道家の分家なんですよ。私には商才もありませんし、軍人には向かないので軍医になったんです。ちょっと変わり者で驚きましたか?」

翔也はそう言って少し苦笑しながら、自分を卑下するような口ぶりでそう言った。
確かに鬼道家は五大華族で財閥の一つだ。
豪以外の人間が商売をしているのは事実で、財閥の人間として商売に携わらないのは珍しいもかもしれないが、変わり者と言う程おかしなことではない。
だから翔也がそんな風に言うことに違和感を覚えた。

「全然驚きません。軍医なんて素晴らしいお仕事ですね」
「ははは、そう言ってもらえると嬉しいですね。体調が悪かったら言ってください。私は町医者もしていますから、具合が悪い時には診療所に来てください」
「ありがとうございます」

ニコニコと笑う翔也の顔には先ほどの陰りのようなものは全くない。
もしかして見間違いだったのかもしれない。
そんな会話をしていると、豪は大輝と翔也の顔を交互に見た後に首を傾げた。

「それにしても珍しい組み合わせじゃないか」
「あぁ実は、ちょっと風邪気味で翔也さんに診てもらったんですよ。俺はこれから巡回で、翔也さんこれから帰るっていうんで一緒に本部から出て来たんです」
「なるほどな」
「いやーでも、巡回面倒だなぁって思ってたんですけど、花那さんを見れてラッキーでした!」

そう説明した大輝は再び花那に顔を向けると、またずずずいっと距離を縮め、花那の顔を興味津々に見つめた。
大輝に気圧されるように花那が思わず一歩下がると、それを見た豪は眉を潜めながら目を細め、地の底から湧き出るような低い声を上げた。

「……ということは、お前は仕事中だな。これ以上巡回をさぼるなら、追加で仕事を増やしてもいいんだぞ」
「おっと、じゃあ俺はこれで! 花那さんもまたお会いしましょう!」

おどけた様にそう言った大輝は、来た時と同様に手をブンブンと振りながら、今度は逃げるように去っていった。
慌ただしく立ち去った大輝の後ろ姿を見送りながら、豪は呆れた表情を浮かべ、翔也は口元に手をやってくすりと笑った。

「おやおや、脱兎の如くとはこういうことを言うんですね。では、私も失礼しますよ」

落ちついた声でそう言った翔也は、小さく頭を下げてから、ふわりと長い髪を靡かせて去っていった。
春風のように柔らかい印象の翔也はともかく、キラキラとした夏の雰囲気の大輝がいなくなると、まさしく嵐が過ぎ去ったように思える。
二人が視界から消えた途端、花那の体から一気に力が抜け、思わず小さく安堵の息をついてしまった。

「騒がしい奴ですまないな」

緊張のあまりずっと胸の前でぎゅっと手を握っていた花那が、その手を緩く下ろしたのを見た豪は、その様子を違う意味で捉えたようだ。
困ったように謝罪する豪の言葉に、花那は両手を振ってそれを否定した。

「いえ。とても明るくて本当はいい方なんだなって思いました」

それは本心だった。
死に戻りの記憶がなければ、花那は大輝の明るさも屈託のなさも素直に受け取れただろう。

「疲れただろう。タクシーを拾って屋敷に帰るとするか」
「はい、そうですね」

先程まで茜色だった空は、既に菫色に変わっていた。
花那はふと視線を下げて、自分の足元見た。
いつも草履である足元は、真新しい白色の靴だ。
初めての洋装は花那を違う人間に変えてくれた魔法のようだった。
だが、魔法はいつか解けるものでもある。
大輝との出会いは花那を現実に引き戻すと同時に、花那への警告の様にも感じられた。
自分の選択が豪の命を危険に晒してしまうかもしれないという現実を忘れるなというように。

(きっと、早めに豪様と離れるべきなんだわ)

花那は自分に言い聞かせるように、そう強く思った。
足を止めた花那に、先を行く豪が振り返って尋ねた。

「どうした?」
「いえ、なんでもありません」

花那は何でもないように装うと、豪の後を追って歩き始めた。