死に戻りした色無しの娘は鬼神の愛で花開く~帝都純愛物語~

人生は選択の連続だ。
その連続の積み重ねが人を形成し、そして人生という名の道となる。
もし、一つでも選択を誤れば、結果も未来も大きく変わってしまう。
そして、今選んだこの選択が果たして正解なのか、花那には分からなかった。

答えなど出ないまま、花那はひたすらに帝都を走り続けた。
風がどうっと吹き、木々のざわめきが夜空を震わせる。
今まで空を厚く覆っていた雲はいつしか消え失せ、隠されていた月が現れた。
月は静かに帝都を走る花那と、花那の手を引いて前を走る豪の姿を照らし出し、寝静まった夜の帝都を、二人の息遣いが響く。
後ろを複数人の男たちの足音が追いかけ、二人の掠れた呼吸音を慌ただしい足音がかき消した。

「待て!」

背後を追って来ている軍服の男の一人が、鋭い声を花那たちに投げかけた。
それを無視して、さらに足を加速させた花那たちだったが、橋を渡った先に、その行く手を阻むかのように軍服の男たちが現われた。
それを認めた瞬間、豪は足を止めた。
後ろからは軍の小隊が迫り、そして前もまた小隊が立ち塞がる。
挟み撃ちをされてしまった。

花那たちの周りを、軍服の男たちが取り囲むと、豪は背に庇うように花那の前に出た。
すると、一人の青年がゆっくりと前に進み出た。
まだ年若い青年は、左腕に副隊長を示す階級章を身に着けている。

花那が知るこの青年は、いつも太陽のような溌剌とした笑顔を浮かべていたのだが、今はそんなことを微塵も感じさせない、暗く沈痛な面持ちで豪と花那を見据えた。

「鬼道隊長、今ならまだ間に合います! 彼女を引き渡しさえしてくれれば、今回の事は不問にすると、参謀総長も仰っておりました」
「大輝……すまない。それはできない」

その言葉に大輝は一瞬だけ目を閉じた後、吹っ切るように豪を見ると、静かに銃を構えた。

「残念です」

そう言った大輝の言葉を合図にするかのように、周囲を囲んでいた軍人たちも一斉に銃口を向ける。
恐怖で息を呑んだ花那に対し、豪は悠然とそれを見つめると腰からするりと日本刀を抜いた。
それを意味することを花那は察した。
同時に、大輝もまた豪がしようとすることを理解したようだ。

「全員、伏せるんだ!」
大嶽丸(おおたけまる)よ、吠えろ!」

大輝の声に重なるように豪がそう叫ぶと、目の前に落雷が落ちた。
轟音と共に、土埃が舞う。

何人かが雷に打たれ、その場に崩れ落ちる。
土埃で視界が霞んでいる中、豪が花那に鋭い声を投げかけた。

「走るぞ!」

花那は豪の声に弾かれるようにして駆け出した。
倒れている男たちの脇をすり抜け、土埃が肺に入り思わず咽そうになる。
口元を覆いながらなんとかその場を脱出し、ようやく霞んだ視界が正常に戻るという時だった。
夜空に破裂音が響き、同時に豪の呻き声が聞こえた。

「うっ……」

豪が倒れていく姿が、やけにゆっくりと見えた。

(嘘……)

花那の思考回路が全て停止し、息を止めてその様を見つめていた。
ドサリという鈍い音を聞いて、初めて豪が倒れたことを認識した。
豪の胸から流れ出た鮮血は、あっと言う間に地面へと広がっていく。
その血はゆっくりと蛇のようにうねりながら花那の足元へと辿り着き、じっとりと白い足袋を濡らす。
月明かりに照らされた豪の姿を見て、ようやく状況に理解が追い付いた。

「い、いや……豪様! 豪様!」

反射的に体に縋りつき、何度も豪の名前を呼ぶが、目は固く閉じられ、体はピクリとも動かなかった。
睫毛の先さえも震えることはない。
その時、花那の視界が急に暗くなった。
見上げると、そこには月光を背にした大輝の姿があった。
年若い彼は、沈痛な面持ちで、だが冷ややかな色を湛えた瞳で花那を捕らえ、そしてゆっくりと銃口を突きつけた。

それは一瞬の事。
夜空を切り裂くような破裂音が花那の鼓膜を震わせ、同時に視界に舞い散る赤い花びらが見えた。
いや、これは血だ。
打たれたのだと認識するのに、数秒かかった。

操り人形の糸が切れたように、体が動かなくなり、そのまま地面へと倒れ込む。
花那の流す血と豪の体から溢れた血が溶け合い、そして地面へと吸い込まれていく。

(私の何の選択が間違っていたのかしら?)

薄れゆく意識の中、花那はぼんやりとそんなことを思った。

異能の力を使ってしまったこと?
逃げるという選択をしたこと?
それとも、豪に惹かれてしまったこと?

胸に広がるのは、自分が命を落とすことになった結果よりも、豪を巻き込んでしまった後悔の念だった。
一つ分かるのは選択を間違えたのだと、それだけを悟って花那は絶命した。




花那の視界が白に覆われ、雀の愛らしい鳴き声が耳に届いた。
ふっと意識を浮上させると、視界に入った天井は、雨漏りの跡が残る薄汚れたものだった。

(夢……じゃないわね)

体を起こした花那は、ぼんやりとそう思った。
目を瞑ると豪から流れ出た鮮血の色が思い出されるが、あれは夢ではないことを花那は知っている。
ゆっくりと起き上がった花那は部屋の片隅にある、小さな和箪笥の引き出しをそっと開けた。
そこには淡い桃色の美しい着物が仕舞ってあった。

着物の全体に桜の花びらが散りばめられ、赤紫の牡丹や、大ぶりの菊が描かれた美しい着物だった。
だが、その胸元には、どす黒く変色した血の跡が残されている。
これこそが、花那の夢が夢ではない証なのだ。

(あの時、私はどこで選択を誤ったのかしら?)

もう何度目かになる疑問を、花那は自らに問うた。
花那が豪と帝都から逃げ出そうとした時――正確には軍から逃げようとした時、花那は確かに死んだのだ。
そして目を覚ました時に、気づけば時が戻っていた。
そう、豪と出会う前、興津家の屋敷に暮らしていた時に――。

「おはよう、花那。目覚めは……あまり良いようじゃないな」

そう声を掛けられ、振り返って声の主を見ると、一人の少年が立っていた。
白髪の長い髪は絹のように繊細で、身に着けているのは大正の世では見かけない狩衣のような格好だ。
切れ長の涼やかな目元に、小さな笑みを浮かべた瞳は菫色をしている。
一見すると14歳くらいにも見えるが、纏う空気は円熟した大人のようだ。

速日(はやみ)、おはよう」
「その様子だと、昔のことを夢に見たって感じだな」

花那は少年――速日にそう挨拶すると、彼は苦笑しながら返事をした。

そう、彼は人ではない。
曰く、竜の眷属で、花那の守護者でもある。
そして、彼こそが花那を死に戻りさせた張本人である。

花那もまた普通の人間ではない。
花那の血筋、つまり興津家には竜の眷属の血が流れており、それ故異能と呼ばれる人ならざる力を持つのだ。
死に戻り前、花那はその異能を使ったことで、金になると踏んだ叔父によって軍に売り渡された。
異能の力に興味を持った軍によって、実験体となった花那を助けてくれたのが鬼道豪である。

そしてあの日、花那は豪の助力によって軍から逃げ出し、帝都を出ようとしたところで絶命した。
その時、自分の選択を悔いた花那の強い願いにより、速日が力を与えて死に戻りをさせてくれたのだと彼から聞いた。

「それにしても禍牛(かぎゅう)が多いわね」

帝都トウキョウの下には魑魅魍魎を封じる結界があるが、低級なものが滲み出てしまう。
そう言った妖の総称を禍牛と言っているのだ。
禍牛は黒や灰色、茶色と言ったくすんだ色をしていて、ウミウシのように這って動いたり、時に人に取り憑き禍をもたらす。

花那は人には常人には見えない禍牛の姿が見える。
今も、花那の部屋の隅に禍牛が蠢いているのが見えた。
花那の言葉に、速日がパチリと指を鳴らすと、白刃が闇夜を切り裂くように現れ、禍牛を消し去った。

「あの業突く張り(叔父)から、醜悪な欲望が湧き出るからだろ。花那も、こんな家を出ればいいのに」
「でも、そうしたら私は行く場所を失ってしまうもの……」

この家には禍牛が多い。
しかし、ここを離れてしまえば今の比ではない程の禍牛が目を覚まし、この家を飲み込むだろう。
そうしたら花那は路頭に迷ってしまう。
だから、花那は人知れず異能の力で禍牛を払っているのだが、それを叔父に知られるわけにはいかない。
異能を使えば軍に引き渡される未来が待っているからだ。
花那が伏し目がちにそう言うと、速日は小さくため息をついた後、まるで幼子を諭すような口調で語り掛けた。

「花那、未来は変えられるものなんだぞ。俺はお前が幸せになって欲しくて死に戻りさせたんだ」

興津家直系の守護者である速日が、花那を想う気持ちが分かる。
だからこそ、花那は異能であることをひた隠すのだ。

(絶対に、異能があることを知られてはいけないわ)

そうすれば軍に引き渡されることも無いし、豪を巻き込むことも無い。

「そろそろ、準備をしなくちゃ」

早く朝食の準備をしなくては、また食事抜きにされてしまうだろう。
花那は気持ちを切り替えるようにそう言うと、古く所々が擦り切れた着物に腕を通し、身支度を始めた。