「平田くんっ……!!」
頭の奥でくすぶっていた痛みが少し和らいだ放課後。
夕暮れ色の光が差し込む静まり返った廊下で、私はひとり歩く公平の背中を見つけた。
部活へ向かう途中なのか、それとも帰宅途中なのか。
ほとんどの生徒が下校しつくした校舎は息をのむほど静まり返っていて、だからこそ、私が絞り出した声は薄暗い廊下の壁という壁に幾重にも反射し、予想以上に大きく響き渡った。
ふいに背後から名前を呼ばれた公平は、少し驚いたように足を止め、くるりとこちらへ振り向いた。
橙色の夕日が、彼のシルエットを眩しいくらいに縁取っている。
そのあまりの眩しさと胸の動悸に、私は正面から彼の顔を見ることができず、とっさに彼の制服の胸元あたりへと視線を落とした。
「あぁ……もう平気なの?」
少し低くて、どこか耳に心地よく響く声。
今思えば、これが二人きりで交わした、初めての会話だった。
「あ……うん」
「そっか。ならよかった」
安心したように息を吐く彼の気配を感じて、私はぎこちなく結んだ拳にギュッと力を込めた。
「あ、あの……ありがと。その、保健室まで運んでくれて……。香織から、聞いた」
俯いた視線の先で、彼の白いシャツの胸元がかすかに揺れる。
渡り廊下の窓から吹き抜けてきた甘い春の風が、ふたりの間をそっと通り抜けていった。
小さく刻まれた感謝の言葉が、夕闇に溶け込んでいく。
その瞬間、私と公平を隔てていた透明な壁が、音を立ててすっと消えていくような気がした。


