全てがキミだった


綾は、本当にお母さんには何も言わないまま、何事もなかったかのように帰っていった。

彼氏は同じ職場の先輩で、23歳の、高橋文哉似のイケメンなんだとか。
昨日の帰りに二人で立ち寄った喫茶店で、氷の浮いたアイスティーをストローでクルクルと意味もなく混ぜながら、綾らしくもなく熱っぽく恋愛について語ってい。

「どこに惹かれたの?」と尋ねた時の返答は、「もちろん顔!」という潔い即答だった。

でも、本当に一番惹かれたのは、彼の内面だったらしい。

「普段、仕事にめちゃくちゃ集中してる時の横顔はさ、本物の高橋文哉よりカッコイイんだから」

そう熱弁を振るう綾。
なんでも、仕事が終わった瞬間に急におちゃらけ始めて、一気に職場のムードメーカーに変身するのだという。

「そのギャップにやられちゃってさ……」と、珍しくくすぐったそうに、嬉しそうに照れ笑いを浮かべながら話してくれたのだ。


家に戻ると、変わらない日常の空気に包まれる。

「……綾が帰ると、急に静かになったわねぇ」

相変わらずリビングのソファーにだらしなく寝転がっている私に向かって、ラフな短パンとTシャツ姿のお母さんが、パタパタとスリッパを鳴らしながら言った。

「……そうだね」

私は生返事のように、素っ気なく言葉を返す。

慣れ親しんだはずの自分の家なのに、どうしてか胸の奥がソワソワとして、どこか居心地が悪かった。
妹が誰かと新しい未来を歩み始めていることを知ったせいか、それとも、自分の中にある「あの日の記憶」と向き合う決意をしたからなのか。
ソファーに深く沈み込みながら、私はポケットの中のスマホの冷たい感触に、そっと指先を滑らせていた。