私は、ただ頷く。
「あの頃の匂いがする」
公平は、ボールを鼻に近づけ目を閉じた。
土と革と、あの日々の熱気が混ざり合った匂い。
その瞼の裏には、誰が一番初めに浮かんだのだろう。
ミサキのこと?
それとも、あの頃の眩しいグラウンドの風景?
どんな事を思い出しているのだろう。
「体育祭でさ、もう一度おまえにこれ渡した時、正直俺、泣きそうだったんだ」
静かに公平が言った。
「なんでかよくわかんねぇけど、なんか泣けてきた」
『まぁ、今なら少しわかるけど』
公平の声は、私達の頬を撫でる風と共に、ふわりと何処かへ消えていった。
「……なんで?」
消え入るような声で尋ねるのが精一杯だった。
胸の奥がキュッと締め付けられる。
あの体育祭の日、私にボールを手渡した公平の真意も、私が密かに告げた『さようなら』の重みも、すべて風の中に溶けていくようだった。
公平は目を閉じたたまま、手の中のボールをぎゅっと握りしめている。
23歳になった私たち。
あの日止まったままだったふたりの時間が、かすかに動き出す音が聞こえた気がした。


