小鳥遊くんの心の声は、存外騒がしい

「ただいま」

 玄関で靴を脱いでいたら、パタパタと忍が駆けてきた。

「おかえり、凛音。お疲れ様!」

 明るい笑顔を前に、こちらも自然と笑みが溢れた。

「忍も、お疲れ様。これ、頼まれてた洗剤」

「ありがとう、助かるよ」

『でもこれ、いつも使ってるメーカーのじゃな……』

「え、まじで!? ……ごめん」

 でもさっきの心の声は、意図してのものではなかったのだろう。忍は少し慌てた様子で、早口で答えた。

「ううん、大丈夫! CMで見て、これも気になってたし!」

 一緒に暮らすようになってから、基本的に家では俺も忍も、心の鍵を開いたまま過ごしている。
 そのため、時々こういうことが起きる。
 顔を見合わせて、ほぼ同時にプッと噴き出した。

「今日はね、カレーを作っておいたよ。温かいうちに、一緒に食べちゃおう」

 どちらか先に帰った方が、夕飯の準備をする。
 これも、ふたりで暮らすようになって生まれたルールのひとつだ。
 とはいえ俺も忍も働いているから、疲れている時は無理をせず、外食やお弁当を選ぶようにしている。

「ありがと、忍。忍の作ってくれるカレー、すげぇ好き」

「そう言ってくれて、嬉しいよ。……とはいえそろそろ、もう少しレパートリーは増やしたいところだけれど」

 ちょっと、苦笑する忍。だけど俺としては、そこにあまりこだわりはない。
 食いたいものがあれば食べに行くか、自分で作れば済むわけだし。

 そしてこの心の声も、彼にはしっかり聞こえていたのだろう。
 フフッと、可憐に笑う忍。もうひとつの袋を手渡すと、その笑顔はさらに明るいものへと変わった。

「わぁ、これって凛音の職場の近くにある洋菓子店のだよね!?」

「うん。まだ店が開いてたから、ショートケーキ買ってきた。あとで、食べるよな?」

 これは甘いものに目がない忍の、最近一番のお気に入り。ブンと大きく、頷く忍。彼の大きな瞳が、キラキラと輝く。
 愛しさで胸がいっぱいになり、その頭に手を伸ばしてわしわしと撫でた。

***

 忍が用意してくれたカレーを食べながら、何気なく見ていたテレビ。
 今日は珍しい名字の特集をしていたのだが、それを見てふと気付いた。

「そういえば『小鳥遊』も、かなり珍しい名字じゃね?」

 すると忍は少し考えるような素振りを見せて、それから答えた。

「うん、そうだねぇ。親戚以外では、まだ遭遇したことがないかも。大昔にご先祖様が、偉いお殿様から賜ったらしいよ」

 かなりざっくりとした情報ではあるが、実はそれってかなりすごいことなのでは?

 小鳥遊。たかなし。……鷹、なし。
 領地に侵入しようとする危険な鷹、つまり敵を最初に察知して、人知れず排除する存在!?

 その仮説に考え至り、戦慄する俺。

「……なんか俺、お前のルーツを見たような気がするわ」

 でも忍はいつものように、フフッと可憐に笑った。

『まぁそれに関しては、諸説あるみたいだけどねぇ』

 カレーを頬張りながら心の中で答え、それから彼は福神漬を追加で皿に装った。

***

 夕飯を終え、デザートのショートケーキを食べ終わると、時刻はもう9時近くなっていた。

「あ! ヤバ、そろそろログインしなくちゃ!」

 それだけ言うと忍は、パソコンの電源を入れた。
 俺もそれに続いて、慌ててノートパソコンを立ち上げる。

 高校生の頃からふたりしてドハマりしている、パズバトのゲーム。それはつい最近大幅にリニューアルされて、再び世界的大ブームを巻き起こしている。

 そして始まった、いつもの領地争奪戦。するとその数分後、天野がログインしてきた。

『ごめ、遅くなった!』

「遅い! 勝利、さっさと配置について!」

 相変わらず、忍の天野へのあたりは強い。

『了解であります! ってこれ、結構接戦な感じ?』

「そうだよ、勝利。君が、遅刻してきたおかげでね」

 ゲーム中の忍は、かなり攻撃的だ。思わずゴクリと、唾を飲み込む。
 するとその矛先は、突如俺へと向けられた。

「凛音も、ボサッとしないでよ! まったく……」

 慌てて前線へ出る、俺と天野。その結果俺達は、あっさりやられてしまった。

「ちょっと、ふたりとも!! ちゃんとやってよね!!」

『「……ごめん」』

 俺と天野の情けない声が、無駄に綺麗にハモる。しかしそれを全く気にすることなく、ひとり前に出る忍。
 その後見事な立ち回りを見せた忍の大活躍もあり、我が軍は辛勝した。

「やったぁ! 凛音、いぇーい!」

 ハイタッチを求められ、クスクスと笑いながらそれに応えた。

***

「おはよう、忍。おら、さっさと起きろ! お前今日たしか合唱大会の引率で、日曜だけどそろそろ出ないと駄目なんじゃねぇの?」

 布団を引っ剥がし、軽く体を揺する。すると彼は、心の声で答えた。

『ん……。なぁに、凛音?』

 駄目だ、こりゃ。……まだ、寝ぼけてる。

 一緒に暮らし始めてから知ったことだが、忍は朝に弱い。そのため俺が先に起きて朝食の準備を済ませ、それから起こすというのが朝のルーティンとなっている。

「おい、忍。ちゃんと、目を開けろ。それからまずは、顔洗ってこい!」

 ノソノソと、ベッドから起き上がる忍。その後ろ姿を見送ってから、再びキッチンへと向かう。

 俺には、ブラックコーヒー。忍には、ハチミツをたっぷり入れたホットミルク。
 それをお揃いのマグカップに注ぎ、寝ぼけ眼の忍の前に置いた。

 するとようやく少し覚醒してきたのか、彼はマグカップを手に取り、ひとくち口に含んだ。

「いつもありがと、凛音。あ、そうだ。今日は僕、ちょっと帰りが遅くなるかも。だから夕飯は、ひとりで食べておいてくれる?」

「そっか。了解! んじゃ俺は、今夜は実家に帰ろうかな」

「フフッ、いいと思う。おじさん、きっと喜ぶよ」

 ふたりで朝食を終えると忍はスーツに着替え、バタバタと準備を済ませて玄関へと向かった。
 俺もリュックを手に取り、その後に続く。

「……愛してるよ、凛音」

 当たり前みたいにそう言って、彼の唇が俺の唇に触れた。
 ……かなりふたりでの生活には慣れてきたはずだが、こればっかりはいつまで経っても慣れることが出来ない。

「ん……。てか忍、ほんとこういうの照れずによくやれるよな!?」

『相手が、凛音だからだよ』

「それに心の声が聞こえるからこそ、ちゃんとこういうことは口で伝えたいしね。……って、ヤバ! そろそろ出ないと」

 ……こういうところ、本当にスパダリ過ぎんだろ。

 ふたりで玄関を出てエレベーターを降り、マンションのエントランスを抜ける。

「じゃあね、凛音。行ってきます!」

「おぅ。じゃあな、忍。また夜に!」

 笑顔で別れ、それぞれの職場に向かい歩き出す。

『はぁ……、部活だりぃ。ねっむ……』

『わぁ、あの犬可愛い! 朝から、癒された……』

『げ! 先輩、今日休み!? ……デートの約束してたのに、残業確定じゃん』

 今日も世界は、やっぱり騒がしい。でも俺は、この騒がしい世界で生きていく。

 ……愛する忍と共に。

                  【了】