翌日から本格的に授業が始まった。試しに色々な講義に出てみて、どれを履修登録するかじっくり決めたい。
まず一限の心理学に出席することにした。なんか頭良さそうという浅い理由だけど。
昨日は黒川くんのせいで心を乱されてしまったけれど、彼にばかり気を取られてもいられない。俺は過去の自分と決別して、友達をたくさん作ったり、彼女を作ったりしてみたいのだ。
広い講義室には一人で座っている人も数多くいた。よし、誰かに話しかけてみよう。
意を決して一歩踏み出そうとした時。
「おーい、拓夢!」
「ひえっ……」
後ろの隅の席で、黒川くんがこちらに手を振っていた。思い切り目が合ってしまい、気づかないふりをするタイミングを完全に逃した。
「こっち来いよ」
「う、うん……」
作戦失敗。俺は仕方なく黒川くんの隣に座った。座るしかなかった。ていうか講義被ってるのかよ。なんでだよ。
「一限って起きるのキツいよな。俺一人暮らしだから、寝坊しても起こしてくれる人いなくて」
「うん」
「飯も自分で用意しなきゃなんないしさ。実家のありがたみ分かるわ」
「うん」
黒川くんは取り留めもない話を振ってきた。俺はどんな反応をすればいいのか分からず、適当な相槌しか打てない。
「そういや拓夢も一人暮らし?」
「うん……ていうか、なんで名前呼び?」
「いいだろ、別に」
答えになっていない。距離の詰め方おかしくないか? 一軍ってみんなこうなの? だとしたら俺には真似できそうにない。
「名前が嫌なら名字に戻してもいいけど、間違えてアッチの名前で呼んじゃうかも」
「や、やめてよ……!」
頭を横にぶんぶんと振ると、黒川くんは含み笑いをした。あー、ほんと、嫌な人に目つけられちゃったな……。
「黒川くんってなんでこの大学にしたの? 他にもいっぱいあるのに」
「お前、迷惑そうに言うなよ」
「迷惑ってわけじゃ……」
なくもない。しかしそれは言わないでおこう。
「ここって留学制度が充実してるだろ。一人暮らしもしてみたかったし、ちょうどいいと思って」
「黒川くん、留学希望なんだ」
「そのつもり。行き先はまだ決めてないけどな」
「……」
黒川くんはきちんと目標を立てている。地元を出ることが一番の目的だった俺とは違う。俺は痩せてようやくスタートラインに立てたのに、彼はその遥か先を歩いているのだと思った。
講義中も絡まれたらどうしようかとヒヤヒヤしていたが、黒川くんは真面目に講義を受けていた。居眠りもせず、スマホもいじらないで前を向いている。こっそり盗み見た横顔は鼻が高く、顎のラインがシャープで、記憶の中の中学時代よりだいぶ大人びて見えた。
俺も元からこんなイケメンに生まれていたら、大学デビューを目指さなくても良かったのかな。
どうやったら、自分に自信を持てるようになるんだろう。
二限は必修で逃げ場がなく、またもや黒川くんの隣に座らされた。そして流れで今日も昼食を一緒にとる羽目になってしまった。
「拓夢、それだけで足りんの?」
黒川くんは俺のトレーを覗き込んできた。今日はしっかりとメニューを確認し、十穀米と豆腐ハンバーグの定食にした。
一方、彼の目の前にある唐揚げ丼からは香ばしい匂いが漂っている。いいなあ、肉……おいしそう。いやいや、豆腐ハンバーグだっておいしいけど。
「ヘルシーだけどボリュームあるんだよ」
「唐揚げも鶏肉だからヘルシーだろ」
「揚げ物は週に一回って決めてるんだ」
話しながら、食事の内容を健康管理アプリに入力する。すると黒川くんは珍しい生き物を見るかのような目を向けてきた。
「もしかして食事記録してんの?」
「うん。カロリー計算しないと」
「なんかめんどくさそうだな」
「もう慣れたし、逆に入れないと落ち着かないよ」
今は目標体重をクリアしているが、太りやすい体質には変わりない。油断してリバウンドしてしまったら今までの努力が水の泡になる。
昼食に加えて夕食の予定まで入れたところで、今日の点数は九十点。まずまずだ。
「昔は給食のおかわり担当だったのにな」
「……あの頃とは違うから」
欠席者が出た時の給食の残りは、俺に優先的に回ってきた。クラスメイトはよくお菓子の新情報を教えてくれたり、万年ビリの持久走で温かい声援を送ってくれたりした。
そんな優しさを受け取るたび、ありがたいと思いつつも、俺は人より太っているのだと痛感させられた。
俺はもう「かわいいおもちくん」には戻りたくない。「かっこいい持田くん」でいたいのだ。
いただきます、と手を合わせて、まずは味噌汁を啜る。食べる順番も大事だ。
ゆっくりよく噛んで食べていると、不意に視線を感じた。顔を上げれば、切れ長の黒い双眸がこちらを見ていた。
「な、なに……?」
今日は頬に食べ物を詰めていないはずだけど……。また何か言われるかと警戒していると、黒川くんは「何でもない」とだけ答えて手元に視線を落とした。
「お前、運動もすんの?」
「うん、まあ……軽い筋トレとか、ウォーキングとか」
「ふーん……」
質問しておきながら、黒川くんの反応は薄かった。それ以上会話は続かず、どこかよそよそしい雰囲気のまま食事を進めた。
授業開始からすでに一週間、最初は探り探りでコミュニケーションを取っていた学科内でも何となくグループができ始めていた。
しかし俺は相変わらず黒川くんにばかり絡まれている。彼曰く、俺のリアクションが面白いらしい。何をもって面白いと言っているのかは分からないけど。そもそも俺はウケ狙いの行動なんてひとつもしていない。
今日もまた笑われたり、からかわれたりするんだろうな……憂鬱な気持ちで講義室のドアを開けると、黒川くんが前の席の人と話している様子が見えた。俺相手の時と違い、意地悪さは鳴りを潜めて明るい笑顔を見せている。
……なんだよ、自分だけ友達作っちゃってさ。俺はきみのせいで友達づくりもままならないっていうのに。
何となく腑に落ちない。すっきりしない気持ちで離れた席に座ろうとしたが、黒川くんは今日も目ざとく俺を見つけた。
「拓夢ー、おはよ。……なんか暗くね?」
「別に」
素っ気なく返しながら荷物を下ろすと、先程まで黒川くんと話していた男子が「あっ」と声を上げた。
「それ、『メロウカラー』の新作?」
「えっ……うん」
彼は俺が着ているTシャツを指差した。痩せたら着てみたいと長年憧れていたブランドの服だ。
「俺、色違い持ってるよ。かっこよくて好きなんだよな」
「ほ、ほんとに!? 俺も好き!」
「シンプルなデザインだけど、それが逆にいいよね」
「そうそう! 何にでも合わせやすいし、さりげないロゴがオシャレだよね。ブランド感出しすぎてないところがかっこいいっていうか」
「それな、分かるわ」
彼はファッションが好きらしく、他にもおすすめのブランドを教えてくれた。俺もついテンションが上がり、熱く語ってしまった。
モテたい一心で必死にファッションの勉強をしたりトレンドを追ったりした成果がこんなところに出るなんて……!
「良かったらアカウント教えてよ」
「う、うん! ぜひ!」
慌ただしくスマホを取り出し、連絡先を交換し合う。俺の友達リストには、黒川くんに次いで二人目の名前、浅野くんが追加された。
黒川くんは友達としてカウントしていないので、俺にとっては大学初の友達ができたということだ。嬉しい……! 俺が求めてたのはこういうのなんだよ!
俺たちのやりとりを黙って見ていた黒川くんは、連絡先交換が終わると「へえ」と関心したように呟いた。
「拓夢って普通に喋れるんだな」
「なにそれ……そりゃそうだよ」
「いやなんか、いっつもおどおどしてるイメージだったから」
誰のせいだよ、という言葉を呑み込み、俺は「そうかな」と曖昧に返事をした。
まず一限の心理学に出席することにした。なんか頭良さそうという浅い理由だけど。
昨日は黒川くんのせいで心を乱されてしまったけれど、彼にばかり気を取られてもいられない。俺は過去の自分と決別して、友達をたくさん作ったり、彼女を作ったりしてみたいのだ。
広い講義室には一人で座っている人も数多くいた。よし、誰かに話しかけてみよう。
意を決して一歩踏み出そうとした時。
「おーい、拓夢!」
「ひえっ……」
後ろの隅の席で、黒川くんがこちらに手を振っていた。思い切り目が合ってしまい、気づかないふりをするタイミングを完全に逃した。
「こっち来いよ」
「う、うん……」
作戦失敗。俺は仕方なく黒川くんの隣に座った。座るしかなかった。ていうか講義被ってるのかよ。なんでだよ。
「一限って起きるのキツいよな。俺一人暮らしだから、寝坊しても起こしてくれる人いなくて」
「うん」
「飯も自分で用意しなきゃなんないしさ。実家のありがたみ分かるわ」
「うん」
黒川くんは取り留めもない話を振ってきた。俺はどんな反応をすればいいのか分からず、適当な相槌しか打てない。
「そういや拓夢も一人暮らし?」
「うん……ていうか、なんで名前呼び?」
「いいだろ、別に」
答えになっていない。距離の詰め方おかしくないか? 一軍ってみんなこうなの? だとしたら俺には真似できそうにない。
「名前が嫌なら名字に戻してもいいけど、間違えてアッチの名前で呼んじゃうかも」
「や、やめてよ……!」
頭を横にぶんぶんと振ると、黒川くんは含み笑いをした。あー、ほんと、嫌な人に目つけられちゃったな……。
「黒川くんってなんでこの大学にしたの? 他にもいっぱいあるのに」
「お前、迷惑そうに言うなよ」
「迷惑ってわけじゃ……」
なくもない。しかしそれは言わないでおこう。
「ここって留学制度が充実してるだろ。一人暮らしもしてみたかったし、ちょうどいいと思って」
「黒川くん、留学希望なんだ」
「そのつもり。行き先はまだ決めてないけどな」
「……」
黒川くんはきちんと目標を立てている。地元を出ることが一番の目的だった俺とは違う。俺は痩せてようやくスタートラインに立てたのに、彼はその遥か先を歩いているのだと思った。
講義中も絡まれたらどうしようかとヒヤヒヤしていたが、黒川くんは真面目に講義を受けていた。居眠りもせず、スマホもいじらないで前を向いている。こっそり盗み見た横顔は鼻が高く、顎のラインがシャープで、記憶の中の中学時代よりだいぶ大人びて見えた。
俺も元からこんなイケメンに生まれていたら、大学デビューを目指さなくても良かったのかな。
どうやったら、自分に自信を持てるようになるんだろう。
二限は必修で逃げ場がなく、またもや黒川くんの隣に座らされた。そして流れで今日も昼食を一緒にとる羽目になってしまった。
「拓夢、それだけで足りんの?」
黒川くんは俺のトレーを覗き込んできた。今日はしっかりとメニューを確認し、十穀米と豆腐ハンバーグの定食にした。
一方、彼の目の前にある唐揚げ丼からは香ばしい匂いが漂っている。いいなあ、肉……おいしそう。いやいや、豆腐ハンバーグだっておいしいけど。
「ヘルシーだけどボリュームあるんだよ」
「唐揚げも鶏肉だからヘルシーだろ」
「揚げ物は週に一回って決めてるんだ」
話しながら、食事の内容を健康管理アプリに入力する。すると黒川くんは珍しい生き物を見るかのような目を向けてきた。
「もしかして食事記録してんの?」
「うん。カロリー計算しないと」
「なんかめんどくさそうだな」
「もう慣れたし、逆に入れないと落ち着かないよ」
今は目標体重をクリアしているが、太りやすい体質には変わりない。油断してリバウンドしてしまったら今までの努力が水の泡になる。
昼食に加えて夕食の予定まで入れたところで、今日の点数は九十点。まずまずだ。
「昔は給食のおかわり担当だったのにな」
「……あの頃とは違うから」
欠席者が出た時の給食の残りは、俺に優先的に回ってきた。クラスメイトはよくお菓子の新情報を教えてくれたり、万年ビリの持久走で温かい声援を送ってくれたりした。
そんな優しさを受け取るたび、ありがたいと思いつつも、俺は人より太っているのだと痛感させられた。
俺はもう「かわいいおもちくん」には戻りたくない。「かっこいい持田くん」でいたいのだ。
いただきます、と手を合わせて、まずは味噌汁を啜る。食べる順番も大事だ。
ゆっくりよく噛んで食べていると、不意に視線を感じた。顔を上げれば、切れ長の黒い双眸がこちらを見ていた。
「な、なに……?」
今日は頬に食べ物を詰めていないはずだけど……。また何か言われるかと警戒していると、黒川くんは「何でもない」とだけ答えて手元に視線を落とした。
「お前、運動もすんの?」
「うん、まあ……軽い筋トレとか、ウォーキングとか」
「ふーん……」
質問しておきながら、黒川くんの反応は薄かった。それ以上会話は続かず、どこかよそよそしい雰囲気のまま食事を進めた。
授業開始からすでに一週間、最初は探り探りでコミュニケーションを取っていた学科内でも何となくグループができ始めていた。
しかし俺は相変わらず黒川くんにばかり絡まれている。彼曰く、俺のリアクションが面白いらしい。何をもって面白いと言っているのかは分からないけど。そもそも俺はウケ狙いの行動なんてひとつもしていない。
今日もまた笑われたり、からかわれたりするんだろうな……憂鬱な気持ちで講義室のドアを開けると、黒川くんが前の席の人と話している様子が見えた。俺相手の時と違い、意地悪さは鳴りを潜めて明るい笑顔を見せている。
……なんだよ、自分だけ友達作っちゃってさ。俺はきみのせいで友達づくりもままならないっていうのに。
何となく腑に落ちない。すっきりしない気持ちで離れた席に座ろうとしたが、黒川くんは今日も目ざとく俺を見つけた。
「拓夢ー、おはよ。……なんか暗くね?」
「別に」
素っ気なく返しながら荷物を下ろすと、先程まで黒川くんと話していた男子が「あっ」と声を上げた。
「それ、『メロウカラー』の新作?」
「えっ……うん」
彼は俺が着ているTシャツを指差した。痩せたら着てみたいと長年憧れていたブランドの服だ。
「俺、色違い持ってるよ。かっこよくて好きなんだよな」
「ほ、ほんとに!? 俺も好き!」
「シンプルなデザインだけど、それが逆にいいよね」
「そうそう! 何にでも合わせやすいし、さりげないロゴがオシャレだよね。ブランド感出しすぎてないところがかっこいいっていうか」
「それな、分かるわ」
彼はファッションが好きらしく、他にもおすすめのブランドを教えてくれた。俺もついテンションが上がり、熱く語ってしまった。
モテたい一心で必死にファッションの勉強をしたりトレンドを追ったりした成果がこんなところに出るなんて……!
「良かったらアカウント教えてよ」
「う、うん! ぜひ!」
慌ただしくスマホを取り出し、連絡先を交換し合う。俺の友達リストには、黒川くんに次いで二人目の名前、浅野くんが追加された。
黒川くんは友達としてカウントしていないので、俺にとっては大学初の友達ができたということだ。嬉しい……! 俺が求めてたのはこういうのなんだよ!
俺たちのやりとりを黙って見ていた黒川くんは、連絡先交換が終わると「へえ」と関心したように呟いた。
「拓夢って普通に喋れるんだな」
「なにそれ……そりゃそうだよ」
「いやなんか、いっつもおどおどしてるイメージだったから」
誰のせいだよ、という言葉を呑み込み、俺は「そうかな」と曖昧に返事をした。



