こじらせ羽玖くん、こちらです


(よくよく考えたらさ……)

夜、自室にて、まだちょっと痛む頭を手のひらでなでつけながら……羽玖は、デスクの上のスマホスタンドをじっと見つめていた。
そこに置かれたスマホの画面には、誠斗とのトーク履歴。最後のやり取りは、『帰りに校門にいる』という、あの由之への誤送信である。なお既読無視。

(……無視、ではないか……)

訂正、既読無視ではない。
返信はなし。現物が来た。その画面を、見つめる。

こうやって何の脈絡もなく突然呼び出すような文面を送り付けたにも係わらず、文句もなく、あの時は本人が来た。

(……ってことはだよ……?)

誘えば普通に来てくれんじゃね……?とは、推しが枯渇し始めたゆえの迷走である。
羽玖が、スマホに両手をかけた。

たとえば、ゲーセン行きませんかとか。
たとえば、映画好きっすかとか。
……たとえば、服買いに行きたくて、とか……。

考えれば考えるほど、『なんで俺が』と返ってきそうな誘い文句しか出てこない。
あと適温の文面がわからない。友達には『飯いこ』の低予算メッセができるのに。

「…………」

――……。

(いや……むり……)

ぱたりん……と、羽玖がデスクに両手もろともスマホを投げ出す。
恋する乙女じゃあるまいし、何をどうしてこんなにもド緊張することがあるのか。

(――そうだ、そうそう、瑛汰くんみたいな王子様じゃないんだから……!)

す、ともう一度手を持ち上げ、羽玖はスマホの画面を眼前に持ってきた。
なお羽玖自身、瑛汰を王子と思っているわけではない。これは一般論である。

(――いや、僕的には誠斗さんの方が王子……、……王子の顔ではねぇな、あれはなんか……ガラ悪騎士団長)

なおこれは一般論ではなく羽玖論である。
眼前に持ってきたスマホに、羽玖がごちりと額を当てた。
人類の叡智の結晶よ。世界を揺るがさなくていいので僕になんか適度な知恵を授けてください――なデコ。

しかめた眉の向こうで画面が暗転し、―呼び出し中―の表示が出た。

「……んっ!?」

ビクッ!と跳ね散らかした羽玖の手元が、スマホを吹っ飛ばした。デスクにワンバウンドした人類の叡智の結晶は敢えなく床へ落下していき、羽玖も慌ててそのあとを追う。
伏せられたスマホを急いで拾えば、誠斗に通話をかけていた。

「――ッッ!!」

(……ぼっ!)

僕のデコーー!!



ごちりと軽く額を当てたつもりが、どうやらピンポイントで押されていた通話ボタン。
賢い頭はすぐさま原因を突き止める。突き止めるがしかし世界は進んでいく。

切っ――と指先が赤いほうに伸びかけるが、いやでももうかけてしまってるのにここで切ったら変に不在着信だけ残してしまうのでは――!?と羽玖の脳内に謎の警告も入った。

ならばしらばっくれてこのまま適当なところで切って、『あっ由乃先輩と間違えましたすみません〜』とかメッセを送ってなんとかし――

『――はい』
「っ……」

――出ちゃった……!!


そりゃそうだ切らなかったんだもの……!!


「っあ!っと、……いえ、……こ、こんばんは」
『……なに』
「な、に……つーことないんですが……」

なにっつーことなくなどない。
こ、声が直ーー!とは、羽玖による今世紀最大のそりゃそうだ案件である。
耳に誠斗の声が直。低い。やばい。シブい。語彙。

『用ねぇんなら電話よこすなや』
「そっ……いや、……あ、あんまり会えないと高遠先輩僕のこと忘れちゃいそうだし?」
『あ゙?うざ』
「は?でた。ねぇほんと、他の人にそれやったらマジビビられますからね」
『…………』

チッ、とスマホの向こうから、小さく舌打ちが聞こえてくる。
その声も久々。「あ゙?」も久々。舌打ちも久々。
夏休みが始まって一週間しか経っていないのに、もうこんなにも足んない。――なのに、

(……喋る内容尽きた……)

――話題は容赦なく尽きる。ほぼ事故により通話をかけたようなものだ、それはそうであった。

「…………」
『…………』

カタ、と通話の向こうで、なにかの物音がする。
――ああ、切ったりされる訳じゃないんだな、と……思った。

トン、トン、トン、と階段を移動しているような音もする。喧騒はなくて……多分家かな、とも思った。

『……何お前、外いんの』

ぽつ、と低く切り出してきたのは、誠斗の方で。
ドキリと肩を揺らした羽玖が、誰もいないのにそれとなく前髪を整える。

「えっ、いや、……家……です」
『へぇ。……ならさっさと寝ろや』
「……やー、今日だいぶ昼寝しちゃってぇ〜」
『知るかよ』

向こうで、カチャ――パタン、なんて音もする。
どこかへ腰掛けた気配と、ため息が一つ。再び沈黙。


――……通話とは、推しの生活音を聴けるとんでもない機能だったのでしょうか……と、羽玖がデスクに埋まった。
これも音声通話だからこそ出来ること。対面やビデオ通話だったら死んでも我慢する。いやビデオ通話は是非したいが。

(……今の僕のレベルでは無理だ……)

羽玖、概念としてのステータス画面を脳内に表示する。多分レベル9くらい。相手は鬼つよ力量不明。

『…………』
「っ……」
『……用事ねぇんなら切るぞ』
「アッ、っ――あるあるあります、えっと――」

……えっと……?

スマホを耳に当てたまま、羽玖はゆっくりとデスクに視線を落とした。
用事、よ……用事……!?
誠斗を正当に引き止められる用事など思いつかない。全校二十位の優等生なのに。

(う、うちの母親が会いたがってましたとか……!?)

アホである。推し活が家族バレしていることを推し本人に言うなどどんな天罰だ。

(商店街によく知らんタレント来るらしいっすよとか……!)

「は?」と言われて終了の未来しか見えない。未来予知もできる僕ってすごいワネ、なんておどけてる場合でもない。

スマホの向こうは相変わらず無音で、急かすような声もなくて、……けど静かに待ってくれている気配はして。
――しゅん、と羽玖の脳内のすったもんだが引いていく。自分は何をそんな、バカみたいに一人相撲をしているのか。

「……えと……」
『…………』
「……あの、飯、……食いに、行きませんか……今度」
『……、……なんで俺が』
「で、ですよね」

はは……なんて乾いた笑いが、羽玖の口から零れる。思った通りの反応が返ってきて、頭の中では机を叩いて笑っている。
なのになんでか鼻の奥がつんとして、じわりと涙が出てきてしまった。

(あ、あれ……)

――あれ、なんで僕泣いてんだ。
誠斗さんにつれなくされるのなんていつものことで、今に始まったことじゃない。
でも、喧嘩腰でも勢いでもなくまっすぐに言うのって、こんなしんどかったっけか。

じわじわと視界は滲む。ぽた、とデスクに雫が一つ。
本当に、なんでこんなことで涙腺が。

「――、……」

ぐす、と鼻をすすりそうになって、ぐっと喉の奥に力を入れた。
音声通話でほんとによかった。ビデオ通話だったら死んでた。いやビデオ通話はやっぱり是非したいが。

『はぁ……』
(う、わ……)

重めのため息が聞こえて、咄嗟に羽玖が口元を手で覆った。まさかなんか聞こえていただろうか。慌てて近くのティッシュペーパーを掴み、数枚を手に取って顔面に押し付ける。

いらんいらんいらん。「突然通話かけてきて一方的に飯誘ってきて勝手に泣いてる後輩」なんて判定だけは絶対にいらん。
けれど立て直そうにも鼻はすすれないので、やけに深い深呼吸のふりなどをしてみる。

『奢りジョイプルな』
「ッ――?」

やけに深い深呼吸が緊急停止、羽玖はティッシュのかたまりに顔を押し付けた状態でびたりと止まった。
手のひらからゆっくりと顔を上げ、目の前の虚空を見つめる。ちっちゃい置時計やミニサイズのサボテン的なものが目に入る。
頭は疑問符でいっぱいだった。

「っ、……は、後輩にたかるんすか」
『マック奢ったろうが』
「ぅ……」

"は?"といつもの調子で返しそうになり、羽玖は口を一文字に引き結んだ。

(――違う、そうじゃない。)

素直に突っかかるって決めたじゃないか。いや決めてないか。あれは無理判定だったんだった。
ごし、と目元を拭う。勝手に通話かけて、一人で泣いて、僕ってまじガキだ。
じゃあ、ガキならガキらしくするのも一つじゃない?

「……仕方ないから、奢ってあげます」
『いつ』
「いっ、つ――えっと、……明日?」
『……十一時に南駅な』


……え、えええ~~~~、と羽玖、天を仰いでからの横転からの床へと落下。ガタタンと椅子がひっくり返った音がした。

『おいなんだ』
「っ、……っ……窓から虫入ってきて……!」
『は?ださ』
「は?うざ」

そのまま羽玖は、フローリングにうずくまった。どこかを痛めたわけではない。けれど心臓が過負荷。
今日はもうサメの抱き枕にたどり着けないかもしれない。僕はこのまま床で息絶える運命なんだ。涙は秒で引っ込んでいた。

『……んじゃ』
「あっ待っ」
『ンだよしつけぇな』

通話が切れそうになり、羽玖が思わず声を出したのは、やっぱり反射的なもので。
待ってほしいのは本当。けれどもう用事などない。のそりと床から上体を起こし、……ちょっとの沈黙を経た。

「……あ、あざ、す……」
『…………』

チッと返ってきた舌打ちは過去最高に小さいもので、羽玖はやっぱりこの日、サメにはたどり着けなかった。