そうして迎えた前学期最終日は、クラスもどこか浮足立っていた。
朝のHRを終え、羽玖にだけ手渡されたのは、後学期のL&A生向けの予定表。
学力テストと説明会、資料作成などで終わった前学期と比べ、後学期には体育祭や文化祭、職業講話から礼法実習まで、実に……。
「多……」
「すげぇな五藤……」
「L&A生って大変なんだね……」
近くの席のクラスメイト達が、首を伸ばしてそれを覗き込んでくる。こくり、と頷いた羽玖も、どこか神妙な顔をしていた。
夏休み明けのL&A課題がすごく多いのはいい。それだけ、誠斗と一緒に活動できる理由があるということだ。
だが、今一番の大問題は"夏休みに誠斗さんと会えない"である。
「なぁ、皆夏祭り行くよな」
「あ、あれ今年花火大会の日付変わったんだよね」
「らしいな。八月なる前にすんだって」
周囲の皆が和やかに雑談を繰り広げる。当然、羽玖の耳には入っていない。
瑛汰を使って誠斗を召喚しようか。いや、従兄弟だということを隠している上に、建前上は「本当は瑛汰が本命でした」である。
仮にでも瑛汰から「羽玖と遊ぶけど誠斗もどう」だなんて連絡が行こうものなら、誠斗にしてみれば「どうして俺のアテンドがお前と遊ぶんだ問題」だ。
(……。……ならないか……)
ならないかもしれない。ならないかもしれないが、けれどもやっぱりここに瑛汰を絡めたくはない。
「電車乗って海行かね?後期始まる前くらいにさ」
「え、クラゲ出ない?だったら夏休み入ってすぐのがいいっしょ」
「俺昔刺されたことあるわ~。あれまっじ痛ェのな」
瑛汰には頼めない――とくれば、じゃあ由之に協力を仰いでもらおうか。
……いやしかし、真面目な由之のことだ、それこそ夏期講習や受験勉強などで忙しいかもしれない。
ただでさえこっちの勝手な秘密を守ってもらっているんだ、由之に迷惑はかけたくない。
「なぁ、夜にさ、集まって花火しようぜ。あそこ、河川敷で」
「河川敷怒られるよ。公園は?」
「公園も去年怒られた。花火できる場所ない」
「だる~~」
であればやっぱり直接誠斗に声をかけるしかないのか。
(……なん、なんて言って……?)
――遊びませんか……?三つも年上の人に……?
――夏祭りとか……?いやそこまで仲良くもない……。
――会いたいです……?…………。
「……。っいや、それは無理……」
「お、おお……?五藤無理か、おん、忙しいよな……」
「L&Aって大変なんだなぁ……」
何やら頷いてくれたクラスメイトたちが、かわるがわる羽玖の肩を叩いていく。
やはり全校上位に入るほどの成績を持つ者たちは、一年時の夏休みから油断などできないのだ……という眼差し。やや尊敬の混じった眼差しであった。
「がんばれよ、五藤……」
「え、うん……?ありがとう……」
はた、と周りを見渡し、羽玖も一つ、頷いてみせた。
その日は昼過ぎには学校も終わって、帰り道をゆく学生たちは、より一層浮かれ切っていた。
校門脇の石柱の影には、飴色の通学鞄が見える。それに気づいた羽玖が駆け寄っていき、笑顔でそちらを覗き込めば、誠斗――ではなく、由之である。
「先輩!待ちましたか!」
「ん、待ってないよ。帰ろうか」
「はい!」
どこか嬉しそうな羽玖の足取りは、周囲に馴染んで弾むようだ。
なんだかんだ言っても夏休みである。浮かれない学生がどこにいるというのか。
人波に乗るようにして並んで歩きだせば、蝉の声すらも嬉しそうに聞こえてくる。
「由之先輩は、夏休み中はやっぱり夏期講習とか行くんですか?塾とか」
「うん、でも前半だけね。どうせ来年は遊ぶ暇もないだろうから、今年の夏休みの後半は自由に過ごすよ」
「うわ計画的ィ。全部勉強して過ごすのかと思ってました」
言いながら肩を寄せた羽玖に、まさか、と由之が笑った。
「あ、じゃあ夏祭りとかも行くんすか?」
「ああ、瑛汰には誘われてたけど……羽玖くんも一緒に行く?」
「いやぁ、さすがにお盆の帰省も――ッ……」
はっ……と、羽玖が咄嗟に口を閉じる。同校の学生だらけのこの下校時に、「お盆の帰省も瑛汰と一緒で……」などと口にしようものなら、前学期の隠ぺい工作が水の泡だ。
すでに今の会話の"夏祭り"、"瑛汰"、"誘われて"……で、ちょっと人の目が集まっている。
「――……お盆の帰省でばあちゃんち行かなきゃなんで、夏祭りはぁ~……」
「あ、ああそうだね、ごめん、……ちゃんとお墓参り行って偉いね」
あはは――と二人で乾いた笑いを交わす。いつものメッセージアプリのノリで、そっくりそのまま喋ってしまうところであった。前に向き直り、互いに小さく咳ばらいを一つ。
「今度、……"友人"の家で、夏休み明けの期末テストの勉強をするけど、羽玖くんもよかったらどうだい」
やけに"友人"を強調して言う由之に、羽玖がぱちりと瞬きをする。……ははぁ、人目を気にして"瑛汰"というワードを煙に巻いたのか、という納得顔が一つ。
「いいんすか?僕学年違ってあれですけど」
「いいじゃない、僕らも教えてあげられるし。おばあさんのおうちへの帰省はいつ?」
「やった、あざす!帰省は多分八月の~……」
がやがやとした人波の中、そうして夏休みへと向かっていく学生たち。
海、夏祭り、花火――なんてものは今のところ羽玖には遠かったが、それでもこの長い一か月。
どこかでばったりと、推しに会えそうな気もしていた――。
――いや、会うわけないんだ、だって生活圏が違うもの……!!
夏休みも一週間を過ぎ、羽玖は家のソファでだらだらと沈んでいた。
夏休み直前は、推しに会えそうな気は確かにしていた。何故ならあの時は、これから夏休みが始まるぞ!という謎の無敵感があったため。
だが蓋を開けてみれば、別に誠斗と会う約束をしていたわけでもないし、いやーバイト先被っちゃいましたねーなんていうご都合展開もない。
(……僕アルバイト申請すらしてないし……)
むす、と羽玖がソファに埋まっていれば、台所で野菜を茹でていた母親が、カウンターの向こうから顔を覗かせてくる。
「羽玖、アンタ今年は瑛汰くんち行かないの?」
「……今年は隠密してるから……」
「はぁ?……なに、瑛汰くんと喧嘩したの?」
「してない。昨日も瑛汰くんと一緒にばあちゃんちのチョビの赤ちゃんに名前付けた」
「ええ?」
笑うような母親の声は、すぐにキッチンカウンターの向こうへと引っ込んでいく。
だが、母のその心配ももっともだな、とも……羽玖は思った。
去年までは、毎日のように瑛汰の家に遊びに行っていた。なのに今年のこの有様は、家族から見ればまるで喧嘩したようにでも見えるだろう。
けれど、しかし、瑛汰の家に入り浸れたのは、そりゃもう去年までの話。今年からはもう、どこで同じ学校の奴らに見られているかわかったもんじゃない。
(……はぁ……)
去年まではよかった。電車を乗り継いで朝から遊びに行って、そのまま向こうの家で昼を食べたり夜を食べたり、勉強しながら泊まったり。
ただ、もちろん羽玖だってそればっかりではなかった。当時の友達と遊んでみたり、図書館の自習室で涼みながら受験勉強をしてみたりもしていた。一応人並みには。
羽玖や瑛汰、そして誠斗が通う高校は、この辺では有名な偏差値の高い学校。
去年は明確に――"受からなければ"という目標があった。誠斗のいる学校へ行かなければ、L&A制度とやらに所属できる成績にならなければ、と。
……それが達成され、無事に誠斗のアテンドにもなれて、そんでもって何故今自分は暇を持て余しているのか……。
「母さん……」
「なによ」
「成績がイイって暇なんだね」
「なにばかなこと言ってんのよ」
呆れたような母の声に、やれやれ、これだから仔細を知らない人間は……と羽玖が大仰に首を振る。
ソファにふんぞり返ってテレビをつければ、地元のニュースが流れていた。
今日の気温は今年に入って最高だとか、商店街によく知らないタレントが来ているとか、夏の甲子園がどうたらとか。
台風が沖縄の随分下の方を通り過ぎていったこととか、来週はもっと暑くなりそうなこととか、あれやこれやそれや。
「今年の花火大会、夏祭りの日程が変わって月末にやるらしいわよ」
「んー」
「んーて。華の高校生が」
「だって電車めっちゃ混むじゃん……鬼混みだよ……?」
「それはお母さんも嫌いだけど……」
ソファにぐだぐだと沈んでいく羽玖を見て、キッチンカウンターの向こうで母親がため息をついた。
IHから鍋の湯が沸いた音がして、そうめんの束をまとめていた紙を、ぷち、ぷちりと外していく。
「……あんたが『カッコイイカッコイイ』大騒ぎしてた"マコトサン"、この休みで連れてきてくれると思ってたんだけどねぇ」
――ゴチンッ、となにやらが響いたのは、……羽玖がソファから落ちて、床に頭をぶつけたらしき音だった。



