『まことそんとまっくきてふ』
『え?なに?』
『まって』『みす』『マックきてる』『まことさわと』
――視界の端、テーブルの下で、左手の親指のみでスマホのメッセを打つのはこんなにも難易度が高いのか――。
そんな世界の叡智を見つけたような心持ちで、羽玖はちょっとしなったポテトを口に運んでいた。
視線はテーブル上に全集中。
意識は正面に座る誠斗へ全集中。
ファストフード店のちっちゃいテーブルってこんなにも小さかったっけか。
無造作に広げられた誠斗の両足が羽玖の脚の右と左を囲っており、気持ちはもうすっかり猛獣の檻の中である。なお、この檻には望んで入った。
「…………」
「…………」
真正面で、がさ、とバーガーの包み紙を広げる手元が目に入る。ちなみに二個目で、さっきはチーズバーガー。今開けられようとしてるのは玉子とチーズのバーガー。
「……チーズ好きなんすか」
「…………」
羽玖の問いに返事はない。けれど否定もない。
――だから?とでも言ってそうな眼差しに、……頬が緩みそうになるのを懸命に堪える。
ムムン、と震えたスマホに、先ほどから密かにやり取りをしている瑛汰からのメッセが届いた。
『あ、なに、誠斗とマック行ってんの? よかったじゃーん』
「…………」
(――うん......!!)
よかったなんてもんじゃない羽玖、早く帰って通話をかけたい気分である。
でも全然早く帰りたくない。
バーガーを頬張りながら、誠斗が窓の外に顔を向ける瞬間なんかもうとんでもないガン見タイム。
自分ももぐりとてりやきバーガーにかぶりつきながら、それでも味なんてわかったもんじゃない。
(……次からは僕もチーズにしよ)
ちら、と羽玖が正面に視線を……いやもはやガン見する。
鼻筋が通ってる。眉間の皺が取れてるのは食べもん食べてるからかな。
結局奢ってくれたな。めちゃ舌打ちしてたけど。めちゃ睨まれたけど。
……もぐり、バンズを食む。
「…………」
「…………」
「……次はジョイプルがいっす」
「は?次はお前の奢りだぞ」
「は?後輩にたかるんすか?」
「あ゙?」
「は?」
『むりえいたくん』『つぎぼくのおごりだっていわるた』『やばい』
『うんうん、ヤバいね〜』
……やはりぐぎゅ、と眉間に皺を寄せた羽玖は、てりやきバーガーをとてもゆっくりと完食したらしかった。
そうして店を出れば、すっかり夜である。
羽玖が『先輩とマック寄って帰る』と連絡をしていた母親からは、両手で丸をしたスタンプだけ返ってきていた。
店から駅までは、目の前――というほどでもないが、遠くもない。
「……ごちそうさまっした」
ぺこり、と羽玖が頭を下げれば、道の向こうに視線をやっていた誠斗がついと顔をこちらへ向けた。
小さく顎を引くような仕草は、……恐らく頷きか。
「……お前さ、」
「はい」
ふと落ちた低い声に、羽玖が顔をあげる。わずかに口を開けた誠斗が、何事かを言おうとして、渋い顔をして口を閉じた。
「……なんすか」
「……、……口の端にてりやきついてんぞダッセェ」
「え!」
咄嗟に羽玖が口元を手で覆うと同時に、誠斗が一歩、眼前へ寄ってくる。
呆気に取られて羽玖が見上げれば、誠斗は店のペーパーか何かでぐい、と口の端を拭いてきた。ぴゃっ。
「……ドベお前、一緒に帰る約束してた奴いたか」
「んっえっ、は!?」
「今日、誰かと帰るんだったかって」
――ぷ、ぷるぷるぷると羽玖が首を振る。さらに険しくなる誠斗の眉間。
また舌打ちが一つと、ため息も一つ。むんずと頭を掴まれ、ぐるりと駅方面へ身体の向きを変えられる羽玖。
「おら、行くぞ」
「ちょっ、押さな、どこに!?」
「駅だよ、るせぇな……」
頭をわし掴みにされた大きな手と、迫る壁のように押し出してくる身体が、遠慮なく羽玖の背中に圧をかける。
一体全体なにごとなのか、もしやここの駅から乗って帰るのだろうか。
それともこれは額面通り、自分を駅まで送ろうとしているということでいいのだろうか。
羽玖はもはや頭から湯気が出そうで、誠斗が自分の背後にいて本当に助かったとすら思っていた。だって絶対顔赤い。
ロマンチックなわけではない。会話はないし、頭はまるで荷物のように掴まれているし、……てかこれ体温あっついの気づかれてないかな、なんて思うし。
けれど駅の改札が見える横断歩道で、周りには会社員や大学生、仕事帰りの人々の姿も増えてきて、その手は外れてしまった。
赤信号で羽玖が足を止めれば、そのすぐ斜め後ろで足を止める誠斗の身体。
肩にその体温を感じ、……ちょっと羽玖の耳が火照っていく。
「…………」
「…………」
「……じゃ」
「えっあっハイ!?」
びくりと肩を揺らして返事をすれば、それと同時に信号が青に変わった。ぴよ、ぴよ、と交差点に機械的な音が響いて、羽玖が歩き出す。
夕方を過ぎた駅の正面は人混みに溢れていて、耳にはぴよぴよピポピポと機械音が充満していて、雑踏の音や街のざわめきも聞こえているはずなのに、意識は背中側から帰ってこれない。
改札の入り口で定期を取り出して、肩越しにわずかばかり振り返る。ちょうど横断歩道の向こう側に立っていた誠斗が、半身を返して歩き出すところだった。
(……え、僕が改札に来るまで見てた……?)
――なんて、……自分に都合のいいことを考えてしまう。
思わずその場にしゃがみ込み……たくなったが、あまりに人通りが多いため、すんでのところでそれは回避できた。大人しく、改札に定期をかざす。サメにぶつけよう。サメの抱き枕に。
(…………)
一緒にマック食っちゃったな……と、再び羽玖の頬が緩む。
チーズが好きってことでいいのかな。二個もバーガー食うってことは結構いっぱい食うのかな。僕がゆっくり食べてても、急かされなかったな。
(……口拭かれたし……)
……妙に距離も近かったし。なんか、仲良しみたいな距離だったし。
(頭掴まれてたけど……)
ポケットに入れたままのスマホには、瑛汰からの『たのしんでね』のメッセが、未読のまま残されている。
噛みしめることが尽きない羽玖は、家に帰るまでスマホの存在を忘れていた。
一方、横断歩道から踵を返した誠斗も、来た道を戻り始めていた。
眉間には相変わらず険がある。すれ違う人並みの中で、鋭い舌打ちを一つ。
「チッ」
「……ッ!」
そばで肩を跳ねさせた学生を睨みつけ、誠斗は家路についていた。
翌週、朝のホームルーム。
クラスの担任からの連絡事項に、羽玖は魂が抜けかけていた。
前方では、来週からの夏休み期間の日数が、赤いチョークで黒板に書かれていく。
・夏季休暇
7月21日~8月25日
・夏期講習、アルバイトは申請
「夏期講習受けたい奴は週末までに先生に希望出してくれー」
「受けねぇ~」
「申請すればバイトしていいんですかぁ?」
がやがやとした教室の声も、今は羽玖の耳に入ってこない。視線は、赤チョークの日付だけに向いていた。
「……っ……」
(い、一か月も誠斗さんと会えない……!?!?)
いますぐ机に突っ伏したくなる気持ちを、ぐっと堪える。何故なら全校二十位。このクラスで一番頭のいい男であるため。
妙に神妙にした表情は、クラスの喧騒にうんざりしているように見えなくもない。
どこか面倒そうにしていた担任が、そんな羽玖に気づいてわずかに眉を上げた。
「おおっ、ほらお前らが騒ぐから五藤が怒ってんぞー」
「やっべ」
「L&A怒らした」
笑い混じりの喧騒も、やっぱり羽玖の耳には入ってこない。黒板を睨みつけるような表情はぴくりとも動かないし、机の上で組んだ両手も不動である。
「…………」
「…………」
「……っじゃ、じゃあ、HR終わりな~……」
どこか気まずげに出席名簿を手にした担任と、こちらも気まずそうに座り直すクラスメイトたち。
「誠斗さん、夏休み、会えない、しぬ」が渦巻いた羽玖の脳内など、誰一人知る由もないのかもしれなかった。
『夏休み?確かなにもなかったよ』
――とは、HRが終わってすぐに、羽玖が由之に送った『夏休みってなんかエルエーの課題あります!?』という悲鳴への返信である。
行間休みにそのメッセを受け取り、羽玖はとうとう机に突っ伏していた。
(……おわった……)
――終わった。せっかく最近ちょっとマック行ったりできてたのに。
L&Aの用事がなければ、誠斗にメッセを送る理由もない。偶然を装って話しかけに行こうにも、二年生の学年棟は校舎の反対側でしかも上階。物理的にもとても遠くて、偶然は装えない。
誠斗が夏期講習に来るとも思えない。なぜなら全校四位の成績。むしろ教える側である。
「…………」
……勉、強、教えてくれないかな……などと、思う。
(……いや絶対教えてくれないな……)
即納得。羽玖は別に盲目な乙女ではない。現実は見えている。まだなんとか。
頭を抱えて机に突っ伏す羽玖を、クラスメイト達が遠巻きに見守る。……やはりL&A制度に所属するような頭のいい奴らは、夏休みだからと浮かれたりはしないんだな……という視線である。
もそ……とスマホに目をやった羽玖が、トーク履歴から誠斗を選んで、ルームを開いた。
最後のやり取りは、先週のあのマック行った日。
『家着きました。ごちそうさまでした』
既読。
(……既読スルーしやがって……誠斗さんめ……)
もう一度、腕の中に顔面を埋める。あの夜は駅まで送ってくれたのに、マックもついてきてくれたのに、家に着いた報告は無視か、と。
ムムン、とスマホが震えて、むくりと羽玖が顔をあげれば、画面の上の方に通知のポップアップが出ていた。
幅の短いそこには、由之からの『羽玖くん、今日一緒に帰――』までが見えている。
「…………」
……もそ、とまた、羽玖が自分の腕に埋まる。
神かな。もしかして、また話聞いてくれるのかな。
夏休みも誠斗さんに会いたい話とか、普通の連絡ってどうすればいいのかとか、ちょっと聞いてみようかな。
由之先輩だって誠斗さんと仲がいいし、何より学校では瑛汰くんより会いやすい。
――うん、お願いしよう、と……再び顔を上げた羽玖が、画面に文字を打ち込んでいく。
『じゃあ、帰りに校門のとこいますね』
と同時に予鈴。
ざわめきと共に教室に戻ってくるクラスメイト達に、羽玖も机から顔を上げてスマホをしまった。
頭の中ではやっぱり、「誠斗さん、夏休み、会えない、しんだ」が回り続けていた。



