『夏休み前は外部講師の対人対応とかがあるよ』
――ほうほう、なるほど。
『最初は配布資料の準備とか、事務仕事が多いかも』
――ふむふむ、ほうほう……と。
由之からの通知に目を通しながら、羽玖はベッドに寝転がっていた。
このL&A制度、学校側の基本方針としては、実務に近い課題を通して、統率、補佐、対人対応、協調性などを学ぶ。
校内実習や学校行事への参加を通した実践形式で、リードとアテンドの関係は従属的なものではなく、きちんとそれぞれの役割を担う。
学校運営そのものを生徒へ任せる制度――というわけでもなく、教員や事務員が責任を持って行う業務の一部を、教育目的で安全な範囲に切り出して体験させるもの。
『誠斗さんは、去年は評価的にはどうだったんですか……?』
丁寧に教えてくれる由之に、羽玖もつい、ずっと気になっていたことを聞いてみたくなる。
既読はすぐについて、ちょっとの間のあとに、返信もすぐに来た。
『評価は個人的なとこだし、公開されるわけじゃないからわからないけど』
「あっ……そりゃそうか……」
『ただ、リードとしての個人評価は普通にあったんじゃないかな。ペアがいなかったから、ペア連携の加点はないと思う』
「…………」
……ぷく、と羽玖の頬が膨らむ。拗ねや怒りではない。あんなおっかない一匹狼みたいな人でも、成績は一応全校四位なのだ。
課題遂行、A。判断能力、A。補佐生との連携、評価不能。
そんな幻覚が見えてしまって、無意識に頬が膨らんだ次第である。
(……対人対応Cで協調性Dとかだったらうける……)
……大変うける。ぷすー、と頬の空気が抜け、やっぱりちょっと羽玖の口元が緩んでしまう。
そうだよ、そうじゃん、そもそも瑛汰くんに「協調性を学ばせるため」とかで制度入りさせられたんじゃん。――羽玖が、スマホを手にしたままころりと寝返りを打った。そばにあったサメの抱き枕を、もっそりと抱え込む。
親指を滑らせ、すいすいと画面に文字を打ち込んでいく。
『エルエーの評価が、進学とかに結構でかくてだいじなのはわかってんですけど……』
『うん』
『シンプル誠斗さんと仲良くなりたいっす』
『本人に言えばいいのに』
――そっ……
「……それはそうなんだけど……!!」
わかってない。全ッ然わかってないです由之先輩!なんだこの既視感!
両手でスマホを持った羽玖が、ぐぅ、と唸るようにして、サメに顔を埋めた。
「……ッ、……」
『無理っす!』
『どうして?』
『僕いらねって言われたことあるんで!』
『ああ、高遠は言いそうだね』
『あと誠斗さんの前行くと普通に喋れない!!』
自分で文字を打ちながら、どんどん羽玖の眉間に皺が寄っていく。
そう、結局はそこなのだ。誠斗の前に出ると、何をどうしてもツンケンとしてしまう。
きっと羽玖自身、自分を守っているのだと思う。
素の自分で交流を試みて邪険にされてしまったら、もうにべもない。
ならば、多少印象が……悪くとも、まずは生意気にでもテリトリーに入って行って、その後にゆっくり交流を――
――ピロンッ
その時メッセージアプリの通知音が鳴って、はたと羽玖が画面を傾ければ、瑛汰からだった。
なんだろう、と思いつつ、羽玖がポップアップを開く。
『おつー 羽玖の連絡先聞かれたから誠斗に教えておいたよ~』
「は……?」
『は……???』
『あっ、従兄弟だってことは言ってないよ アテンド志望で喋ったことあんなら知ってんだろって言われたからー』
はい――……?
『待って???』
指が勝手に瑛汰にその返信をした直後、また別の通知が一つピロンッ。
『高遠。登録しとけドベ』
待っ――たっ、まっ、ドッ――
『は?先輩を「ドベ」で登録しろってことですか?』
『は?うざ』
『僕の名前覚えてます?はくですはく』『ごとうはく!!』
『うっせドベ』
――からのスクショで即由之にメッセ――。誠斗との一連のやり取りを撮った画像を送り付ける羽玖の動きは、早かった。
『由之先輩ぼくもう無理です』
『え?なに?なんでそうなっちゃうの……?』
『誠斗さんが僕の連絡先知りたかったんだって……!』
『あ、そっちなんだ』
五藤羽玖、サメを下敷きにベッドにて五体投地。
誠斗の連絡先はゲットした。学校生活における味方も一名追加。やや不服ながらも、"ドベ"という愛称――愛称?いや愛称もゲット判定である。
「うわぁぁ……夢みてぇ~~……」
"仲良し"には程遠い……かもしれなかったが、羽玖はこの日、いつもより少しだけいい夢を見た。
無駄な会話もない、空き教室。
この日、担当教員から指示のあった数組のL&A所属生が、紙の音とホチキスの音に包まれていた。
無駄な会話がないのは、皆それぞれに手元の作業に集中しているため……ではなく、教室の後方に仏頂面をした誠斗が鎮座しているため。
舌打ちなどはない。机を蹴るような横暴もない。
けれど、黙々と作業を進めるその二年生が――妙に圧を放っていた。
ぺら、かさ、パチン、パチン、と静かな教室に無機質な音が響く。
作業の内容としては、なんのことはない、外部講師を招いての講演に伴う配布資料の準備。
大学の入試課の職員を招き、学部や学科一覧の簡易資料を用いながら、それぞれがどんな進路に繋がるのかを話す……まぁ、人によっては大変に眠たくなりそうな講演だ。
レジュメの作成、学部一覧や入試方式の説明資料の作成、オープンキャンパスの案内の部数確認……。
「……なんかさ、地味じゃない……?」
「L&Aってもっとこう……リーダーシップを育てる、みたいなさ」
「意味あんの?これ……」
ぽそぽそと、各所から囁かれる愚痴にも近い小声。
ほぼ雑用の単調な作業は、どうしてもその手元をおざなりにさせた。
ちら、と羽玖の視線が、その小言のほうへと流れる。
(……その"愚痴"で評価が下がるかもとか考えないのかな……)
すぐさま自分の手元に視線を戻し、手は止めない。ページ番号が振られた紙を上から順にまとめていき、一部にする。一部にしたものを互い違いに置き、隣へ流す。
隣は――誠斗である。
「おい、カドずれてんぞ」
「先輩が手に取る時にずれてんじゃないですか」
「……チッ」
誠斗の鋭い舌打ちで、向こうの机が静かになった。紙の角を指先で弾くようにして枚数を数えるその手元を、羽玖が横目で盗み見る。
この人ほんとに一個上かな。手がごつごつしててちょっと大人っぽいよな。……そんな眼差しであった。
「高遠先輩、その舌打ちやめてもらっていいすか」
「生意気な奴が横にいるんでな」
「奇遇ですね。僕もめっちゃ口悪い人が横にいるんですよ」
「…………」
まるで火花でも飛んでいそうなその空間は、けれども書類捌きが他より早い。そしてカドやホチキスの位置まで妙に整っていた。
指定された各ペアごとに割り振られた書類は数も決まっており、それさえ終われば帰れる。
よってこれらは、早く帰りたい誠斗とそれを追っかけたい羽玖による、異様に精度の高い書類仕事の賜物であった。
「先輩、腹減ったんで帰りマックおごってください」
「は?黙れ」
「誰の補佐で紙仕事めっちゃ進んでると思ってんすか?僕のこと見えてます?」
「なんでお前と帰んなきゃなんねぇ」
ぐぎゅ……と、羽玖の眉間に皺が寄る。
傍から見れば袖にされて不服極まりないアテンド。
蓋を開けば。誠斗による「お前と帰る」に被弾している五藤羽玖である。
「っ……由之先輩に言ってやろ。『高遠先輩にいじめられました』って」
「知るかよ、勝手にしろ」
ぎりり、と睨み合いながら、段ボールに整え終わった資料をしまい込んでいく大小のコンビ。
やりとりの喧嘩っぷりと綺麗に収められた講演資料の辻褄が合わず、視線を戸惑わせる周囲の所属生たち。……そして、
(――っぼく今誠斗さんと見つめ合ってない……!?!?)
と、ひとり胸中で大運動会を繰り広げる羽玖。
なんとも静かで地味なL&Aの初課題は、このようにしてこなされていくのである――のかもしれない。
そんなこんなの、カバンを抱えた昇降口。
世間は七月の初めで夏に差し掛かっているとはいえ、さすがに放課後もある程度を過ぎれば日も暮れてくる。
夕焼けと藍色の二色に染まった昇降口で、羽玖は口を尖らせ、むすくれたような表情で靴を履き替えていた。
(……ちくしょう、逃げられた……)
ぷくりと頬も膨らんでくる。――もちろん、誠斗に逃げられたのである。
先ほど空き教室で作業を終え、書類の入った段ボールを、誠斗が無言で教師に提出した。
その横で羽玖が所要時間や処理部数、備品の在庫などを報告している間に、誠斗が流れるように退室。
それに気づいて教師に挨拶をし、羽玖も慌てて廊下へ出たが、もう姿もなく。
「…………」
なにも、別に、そんな、マック食いたかったとかじゃないし……とは、羽玖の心の声である。
――誠斗さんは帰る校門逆だし?
仲良くなりたいの僕だけだろうし?
てかだいぶ鬱陶しがられてるし?
(……だって生意気言っちゃうし……?)
ぽてぽてと、羽玖が校門までの道を歩く。
踏みしめられた土の道は、夏の暑さをちょっとだけ溜め込んでいて……ああ、これからまだ暑くなるんだろうな、と……現実逃避をした。
(……大体さ、もうちょっと歩み寄ってくれてもいいじゃんさ)
――そりゃあ、態度悪いのは僕かもしれないけど。
(別にニコニコ甘やかせっつってんじゃないんだからさ)
……でも結局あのちょっと怖いのがかっこいいんだよなぁ……。
はぁ、とため息をつきつつ、校門横の石柱を曲がる。羽玖の帰り道は、瑛汰や誠斗とは逆方向。
瑛汰の親戚とはバレたくないので、これは地味に助かって――……、いる……。
校門横に、誠斗が、いる。
(ッッ――!?)
「ッう、わ……びっくりした、何してんですか高遠先輩」
羽玖、すんでのところで絶叫を呑み込む。口から心臓が飛び出そう、を実際に体験することになるとは、思ってもみなかった。
腰高の石塀に尻を預け、黒い鉄柵にもたれかかっていた誠斗が、ぎろ、と羽玖を睨む。
「…………」
「…………」
両者、睨み合いである。なお片方は見つめ合いに変換されている。
やがてため息を一つつき、誠斗がのそりと腰を上げた。チッ、と特大の舌打ちも一つ。
大変面倒そうに肩を掻き、羽玖の帰り道に顔を向け、一方的に歩きだす背中。
「…………」
「……、え、もしかしてマック行くんすか?」
「るっせえ」
「そっ……せ、先輩校門あっちじゃないんすか?」
「……関係ねぇだろ」
――……羽玖が、少々失礼してその場で屈み込んだ。
今すぐ瑛汰か由之に通話を掛けたい。誠斗が自分の帰り道にいると。
しかもどうやら多分恐らく一緒にマック行ってくれそうな感じで。
さらにはこの様子を見るに自分を待っていてくれたみたいで。
「……ッ!!」
無理である。帰り道に推しがいる可能性は一ミリも想定していなかった。なのにこのせいで今後恒常的に可能性入りしてしまった。
急に静かになった羽玖に、前方を歩いていた誠斗が怪訝そうに振り返り、……ギョッとする。
歩道の隅でうずくまり、しん――と石ころのようになっている後輩。
眉の片方を釣り上げながら、誠斗が音もなく羽玖の正面に屈み込んだ。
自分の膝を抱え込んだその肩に指先を乗せ、
「……オイ、具合わ」
「エッ!?」
――具合悪いのか、と言い切るよりも先に、跳ね上がるように羽玖が膝から顔を上げ、まるきり驚いた表情で誠斗を見た。
頬も目尻もじわりと赤く、わずかに八の字になった下がり眉。
きょと、と目を丸くした誠斗の顔面が目の前にあり、……何一つ耐えきれず、羽玖がその場から飛び退く。
「――ッッちっか!!」
「あ゙?」
「だっだいじょぶですすんません!マック早く連れてって!!」
「……はあ?」
膝に手を置いてゆっくりと立ち上がる誠斗は、やはり不機嫌そうに眉根を寄せており。
何故か怒ったように足音を立てて去っていく羽玖を、舌打ち混じりに追いかけていた。



