羽玖は上履きのまま、中庭にある年季の入った自販機の前に立っていた。
赤い筐体はよく見る百円自販機で、今日もよくわからないメーカーのジュースが並んでいる。
「五藤くん」
自販機の横からそう声をかけられて顔を向ければ、瑛汰だ。……いや塩野先輩モードか。
他に人もいないのにナンデ……?と羽玖がそちらへ回り込めば、もンのすごい仏頂面で腕を組む誠斗が物陰に立っていた。
「――ッッ!!」
「ほら誠斗、彼だよ。こないだ紹介したじゃん」
「…………」
突然の推しの出現に、思わず羽玖の喉もひくりとする。な、なるほど、誠斗さんがいたから"他人のふり"で……とわずかに顎も引いた。
もう少しでこちらから「どうしたの瑛汰くん」なんて言っちゃうところだった。
「俺を指名してくれてたんだけど、俺は由之と組みたかったし、」
「…………」
「全員と話してみたけど、彼なら誠斗とうまくやれそうだよ」
「…………」
ちなみに由之とは、瑛汰のアテンドになった二年生である。
どうやら誠斗の知り合いでもあるらしく、『俺は由之と組みたかった』の辺りでは小さく頷くような反応はあった。が、それ以外は本当にもう、"無"。
でも、今、初めて目が合っている。
「…………」
「……あ、あの……」
唇が、ちょっと震える。誠斗の隣で、瑛汰が『がんばれ!』のような顔をしている。
――ずっと見てて?
――いや、瑛汰くんのアテンドになれなくて?
――いや、誠斗さんのことまじかっこいいと思ってて?
羽玖の口から、言葉は何にも出てこない。舌が縫い付けられたように動かなくて、喉がからりと渇いた。
『……評価のためなら誰でもいいのかコイツ』
「――っ高遠先輩も、L&Aの評価ほしいですよね!?」
「……あ?」
ッ、……まっ間違えた……!
「瑛――ッ、塩野先輩のアテンドになれないくらいなら、もうっ、高遠先輩が協力してください!!」
「…………」
羽玖の視界に、額を抱えている瑛汰が見えた。違うんだ、待ってわかる、僕も頭抱えたい――!
でも掲示板前で聞いた余計な野次が、ことのほか耳の奥に残っていたらしかった。
あからさまに面倒くさそうな顔をした誠斗が、横目でちらりと瑛汰を見やる。
「なんだこいつ」
「――っうん、あの、一所懸命な子なんだ……!」
「図々しい上に図太くて、一所懸命もくそもあっかよ」
「……っ……!」
う、うわぁぁごもっともーー!!
表情はわりと平静。しかし羽玖の内面は、もうひっくり返らんばかりだった。
まぁまぁと宥めるような瑛汰の手振りを無視して、誠斗はぐるりとこちらに振り返った。ずん、ずん、と近づいてきて、羽玖の頭をむんずと掴む。
ぴぇっ。
「――今年こそ辞退しようとしてたのに、面倒なことしやがって」
「……ッ……ッ!」
硬直する羽玖を見て、瑛汰が口元を手で覆っていた。羽玖からもそれが見えてはいるが、視線は誠斗から離せない。おいそこ見えているぞ。笑ってないで助けて。あっでも助けないで。
「ペアになんのは勝手だがな、俺は瑛汰じゃねぇ。わかったかドベ」
「――ドッ……」
ドベ……!?
ドベってあーた、僕全校二十位の頭ヨシ男なんですけど――!?!?
ぱくぱくと口を空回らせる羽玖に、ふん、と一つ鼻を鳴らした誠斗は、大きな手のひらを乱暴に離して去っていった。
頭に両手を置いたまま、呆然とその背中を見送る羽玖。
そして、そんな羽玖を見つめる瑛汰。
「…………」
「……はっ、羽玖、だいじょぶ……?」
優しい従兄弟の優しい声に、咄嗟の返事が出てこない。
……ほど、メンタル弱くもない。
「……ち、力つよ……すき……」
「アッだいじょぶだね??」
ヨロヨロと瑛汰に近づいていった羽玖は、そのまま瑛汰の背中側に回り込んだ。
周りに人影がないことを確認し、そのベージュ色のカーディガンに顔を埋め、――めいっぱい叫ぶ。
「僕の推しが雄メロいィィ!!」
「やめて!?」
「てか『アテンドいいぜ♡』って言われたぁぁ!!!」
「だいぶ脚色したな!!」
羽玖の、ややくぐもった魂のご乱心は、無事に瑛汰のカーディガンに吸われて消えていく。
近くのスズメは――逃げてった。
「羽玖です。ハク。五藤羽玖」
「知らね」
「全校四位のくせに自分のアテンドの名前も覚えらんないんですか?」
後日、放課後に空き教室で行われた、リード&アテンド向けの説明会。
それが終わった直後、大変かったるそうに帰り支度をする誠斗を見つけ、羽玖はもう逃すものかという勢いで横についていた。
口は素直ではない。しかし心臓はばくばくである。
「覚えてください、これから一緒に行動することも増えるんですから!」
「うるせぇ」
にべもない誠斗の返事に、わずかに羽玖が口元を尖らせた。表面はむっとしているが、内側は相変わらずそうでもない。『誠斗が自分と会話をしている』――ただそれだけで、頬がにやけそうになるほど。
けれど名前を覚えてもらいたいのは本当。もちろん苗字でも嬉しいが、下の名前で呼んでほしいからそっちを強調するなどしてみる。
ちなみに『自分のアテンド』の"自分の"部分で、ちょっと語気を強めたりもしてみる。
なんていじらしくて健気なんでしょう、僕……とは、じとりと誠斗を睨み……いや見つめ――いやなんとか睨み上げている羽玖の心の声である。
誠斗から、ぎろりと睨みは飛んでくる。それでもこの説明会に参加している時点で、この関係を認めたようなもの。
現に、「うぜぇ」「来んな」「消えろ」とでも言いだしそうな顔をしておいて、それらが言葉として出てくることはなかった。
「誠斗、五藤くん」
声がしてふたりが振り向けば、瑛汰が"先輩モード"で手を振っていた。隣には、瑛汰とペアになった由之。ぺこ、と羽玖が頭を下げてみせれば、由之も同じように軽く返してくれた。
……ちら、とそちらへ視線をやる誠斗に、瑛汰が笑いながら歩み寄ってくる。
「よかった、誠斗説明会来ないかと思った。教室からいなくなるんだもん」
「高遠、去年も逃げていたもんね」
「……チッ……」
瑛汰と由之に囲まれ、舌打ちを飛ばしながら誠斗も足を止めた。
親しげな距離で顔を突き合わせる二年生三名と、その中にぽつりと佇む一年生の羽玖。――ひそりと、耳に誰かの囁き声が聞こえてきた。
「あの五藤って一年……塩野のアテンドなれなくて高遠かよ」
「あそこが仲いいからってこと?おいおい……」
「私だって塩野くんに……でもだからって高遠さんは無理でしょ……」
――おっとこれはこれは……と、羽玖は思った。
制度入りできなかった野次馬連中の陰口ならまだしも、同じ所属生からもそれが飛ぶか。ましてや、この制度内での順位に関しては、羽玖は制度入りすれすれの二十位。
そんな二十位の分際で一位の補佐を狙って、それで選考落ちして一位の幼なじみへと流れたとあれば、そりゃあ飛び出て当然の陰口である。
(……まぁ、正直想定の範囲内だけどね)
とはいえ、"誠斗のアテンドになる"という羽玖の大目標は達成されている。有象無象の外野の言葉など取るに足らないし、気にしている暇もない。
僕は誠斗さんと交流を深めなければならないもんね、といった具合である。
よって大して気にすることもなく、羽玖が目の前の三人を見上げれば、何故か会話は途切れていて、全員もれなくムッとした顔をしていた。
(……あ、あれ……)
不機嫌面の誠斗はいつものこととして、瑛汰の表情も無で、由之に至っては声のしたほうに静かな視線を投げている。
――そうか、三人とも陰口なんて好まないのかも……!と羽玖が口を開きかけたところで、
「……じゃっ、帰ろっか誠斗!由之も五藤くんもまたね!」
「……オイ」
「うん、じゃあね塩野、高遠」
挨拶もそこそこに、やけにハキハキとした声で、眉間に皺を寄せる誠斗を引きずるようにして、瑛汰は教室を出ていった。
咄嗟に頷きを返す程度しかできず、ぽかんとそれを見送っていた羽玖に、……こちらもやけにはっきりとした、――けれど穏やかな声が落ちる。
「五藤くん、僕に塩野のアテンド譲ってくれて助かったよ」
「……えっ」
「アテンドについて聞きたいんだったね?帰りながら話そう」
「っ……」
はて――?
……、……はっ!これはもしや庇っていただいてますね……!?
ピキーンと閃いた羽玖が、それならそうと早く言ってよとばかりににっこりと笑みを浮かべ、由之の横に並んで歩き出した。
「ホントですか、助かります!」
「羽玖くんって呼んでもいい?高遠にさっき大声で言ってるの聞こえてたよ」
(――ふむ、なるほど、この先輩側から歩み寄って周囲へ競合相手ではないアピールか……!)
(ということは、さっきの瑛汰くんは由之先輩のそれを見越して僕を任せていったっていうこと……?何その無言の連携、かっこよ!)
言外の意図をくみ取った羽玖が、さも嬉しそうに、けれど媚びすぎない程度に頷きを数度。
「もちろんっす!由之先輩はなんて苗字なんですか?」
「佐々木だけど、たくさんいるから由之でいいよ」
「うっす!いやもうさっきの高遠先輩見ました!?僕の名前覚えてくれる気あると思います!?」
「あはは、手ごわそうだね」
そしてすかさず、誠斗の話題だ。瑛汰には触れもしない。由之も、視線と眼差しだけで頷いてきて、あとはさっさと教室を後にした。
背後からはもう、囁くような声は聞こえてこなかった。
帰り道、そのまま会話を続けてみれば、由之は大変に話の分かる人物だった。
瑛汰を特別扱いもしていなければ、誠斗のことも特別扱いしていない。
誠斗とは一年の時に同じクラスだったらしく、瑛汰を通じて仲良くなったんだそう。
「えっ、じゃあ羽玖くんは最初っから高遠狙いだったってこと?」
「しー!ダメっす、しー!」
口元に人差し指を当て、盛大に息を漏らしながら、羽玖は思わず由之に詰め寄っていった。たったそれだけで色々な事情をくみ取ったのか、由之もこくこくと頷く。細い黒髪が、さらりと揺れていた。
「っていうことは、塩野には協力してもらったってこと?……知り合いか何か?」
「えっとその、従兄弟で……ただこれ、あの、バレたくないんすよ!ほら、モテるじゃないですか、ヤツ!」
「ああ……女子が来ちゃうね」
「そっそうそうそう!」
――なるほど、とまたもや小さく頷いた由之は、慌てる羽玖に合わせて声を潜めてくれていた。
けれど、こうして人に説明をすることによって、より自分が何をしているのかが俯瞰で見えてしまう。
羽玖が、駅までの歩道を歩きながら、視線を足先に落とした。
(……何してんだろ、僕)
言ってしまったのは、正直なところ由之の口が堅そうだと思ったからだ。けれどこんなもの、真面目な由之に、L&A制度を不純な動機で使っていますと自白したも同然。怒られても当然だった。
「……うん、じゃあ、黙っとくよ」
「すみません!――えっ」
「えっ」
素っ頓狂な羽玖の声に、カバンからスマホを取り出していた由之が、目を丸くして振り返ってきた。
「おこっ、怒らないんですか!?」
「僕が……?どうして?」
「だっ、て……僕別に学内評価とかいらない……誠斗さんと仲良くなりたいだけで」
「でもそれで二十位になるまで勉強を頑張ったのは、他でもない羽玖くんだろう」
――それは……。
そうですが……。
真正面から褒められ、やや鎮火する羽玖。
褒められ慣れていないわけじゃない。ただ、誠斗のアテンドになるということに夢中で、あの猛烈に勉強を頑張った日々がどこか遠くに行っていた。
「羽玖くんの中では"誠斗さん"って呼んでるんだね」
「アッそれも内緒で……!ハズい……!」
「はいはい」
そんな風に笑い混じりで、なにやらむいむいとスマホをいじっていた由之が、くる、とスマホの画面を羽玖の方へと向けてきた。……画面には、メッセージアプリのQRコード。
「これ僕の連絡先ね。アテンド同士、なんかあったら連絡しよう」
「あっはい、ありがとうございます……」
「高遠の連絡先も教えようか?」
「え゙っ――」
……いいの……!?
棚からゴロリと降ってきた牡丹餅に、……"欲しい"が思いっきり羽玖の顔に出ていたのか、スマホの画面を掲げていた由之は小さく噴き出していた。
慌てて羽玖も首を振る。それは、それはだめだ。瑛汰にもそれは頼んでいない。ゲームで言えばショートカット。通学路で言えば近道。いやどっちも一緒か。
「ッ、ぐっ……、ぐ、ぐぎぎ……」
「あ、あはは、ちょ、つらそう……」
「それは……自分で……手に入れます……!!」
「あはははっ」
可笑しそうに肩を揺らす由之と、その隣りで苦悶の表情を浮かべる羽玖。
周囲を歩く学生や会社員が、怪訝そうに二人を見ていた。


