放課後、校門を出て駅へ向かう途中で、羽玖はスマホを取り出していた。
少し先には同じ制服の生徒が何人も歩いている。友達同士で横に並んでいる人たちを避けながら歩道の端へ寄り、瑛汰とのトーク画面を開いた。
『L&Aのことで相談があるんだけど』
短くそれだけを打って、指先が紙飛行機のマークを押す。
歩き出せば、数分もしないうちにポケットの中でスマホが震えた。
『まことのこと?』
「なんでわかるの……」
ぼやくような声は、思わず出ていた。
すれ違った会社員らしき人がちらりと羽玖を見たので、何でもない顔をして前を向く。
『そうです』
『だよね~』
だよね~て。僕は真剣に悩んでいるのに。
……ちょっと腹が立ったので、むん、と口を尖らせたまま、羽玖が今日考えたことをそのまま送る。
自分は表向き、瑛汰を指名する。でも選考で落ちる。そのあと、アテンドが決まっていない誠斗のところへ、瑛汰に直々に送り込んでもらう。
その理由は何でもいい。「羽玖が制度での学内評価が欲しいから」とかなんとかもう適当で。
それらを三つくらいに分けて送れば、しばらく返事は返ってこなかった。……既読はついている。
何かおかしいだろうか、と羽玖がスマホを眺めていれば、ぽしゅ、という音と共に画面が上へ流れる。
『ハクさ』
すぐに続けてもう一つ。
『普通にまことを指名した方が早くない?』
「……それはそうなんだけど……」
わかってない。全ッ然わかってないね瑛汰くん!
両手でスマホを持った羽玖が、親指二本づかいで怒涛の抗議である。
『無理!』
『なんでよ』
『今日いらねって言われた!』
『言ってたね』
『僕から指名してまたいらねって言われたら無理!』
羽玖が立ち止まって返信を打っている間にも、駅へ向かう生徒たちが何人か横を通り過ぎていく。邪魔にならないように街路樹の脇へ寄って、もう一度画面を見た。
『んもう~しょうがないなぁ~』
甘やかすような瑛汰の文面は、さながら幼稚園の弟でも相手にしているかのようだ。
ほっと胸をなでおろした羽玖が、にっこりとしたスタンプを添えて、すぐさま返事を打つ。
『さすがっす瑛汰パイセン!』
『マックな』
そうして、二年生にたかられる一年生爆誕の瞬間である。なぜだ。
けれどまたすぐにスマホが震えて、
『まことは今年もたぶん余るし』
と来た。
――むむ、と羽玖の眉間に皺。
『余るって言い方やめて~』
『事実なんすわ』
……そ、そうだけど。
そうだけど、なんか嫌だ!
羽玖が、ぐぬぬぬと返す言葉に迷っているうちに、またメッセージが増える。
『推薦はするけど、まことが嫌がっても俺助けないよ~』
『え~~~~~』
大量の波線を打ちながら、羽玖は先ほどの、廊下で盛大に舌打ちをして去っていった誠斗を思い出していた。
たぶん、というか、絶対に嫌がられそうだ。だって名前も知らない一年のアテンドだ。
あんな仏頂面をして。こちらの顔も見たくなくて。
「…………」
でも、でもさ?と、思う。
アテンドになってしまえば、少なくとも今日みたいに一言で追い返されて終わりにはならないはずじゃん?
制度として一対一で組むんだから、僕のことを見ないまま過ごすなんて無理だよ。絶対無理。
――まず顔を覚えてもらおう。
次に名前を覚えてもらおう。
それから普通に話せるようにさ。
(仲良くなるのはそのあとでいい)
駅前の信号が青に変わった。
羽玖はスマホを鞄へしまうと、横断歩道を渡りながら、さっき目の前で見た誠斗の顔を、もう一度思い出していた。
「…………」
……やっぱり、格好よかったよなぁ~~~……で、ある。
あのちょっとイカつい良さがわからないなんて、皆どうかしてる。
あれと一緒にいられるなら、二十位まで勉強した甲斐は十分ある。……まあ、まだアテンドになれると決まったわけじゃないけど。
浮かれた鼻歌混じりで駅のホームに滑り込んでいく背中は、やっぱりどうしても楽しげで。
まるで、恋でもしているかのようだった。
柔らかな栗色の髪。爽やかな笑顔と甘い眼差し。男女問わず囲まれるその人は、人垣の向こうから羽玖にちらりと視線を寄越す。瑛汰である。
手を振られるとか、声をかけられるとか、ましてや笑顔を向けられるようなことはない。何故なら羽玖が『絶対こっち来ないで』とメッセを送り済みのため。
『ねえ!昨日言ったの忘れないでね!誠斗さんに取り次いでね!!』
『デカマックな』
返って来た文面では報酬がレベルアップしていて、けれどデカマックくらいで誠斗への直通列車に乗れるなら、デカだろうがメガだろうが羽玖はいくらでも買う。
人垣の向こうで瑛汰が、やれやれとため息を一つついているのが見えた。
L&A制度のペアは、補佐生であるアテンド側から先導生であるリードを指名することによって成る。
この日、羽玖の手には、瑛汰を第一志望にした申請用紙――ではなく、もちろん誠斗を第一志望にしてある紙が握られていた。
これは学校にそのまま提出するものであるため、リード側に見られることもない。
こうして用紙だけでもきちんと書いておけば、間違っても"学校側の処理で瑛汰のアテンドになっちゃった!"という事故もない。
ちなみに、瑛汰はすでに誰をアテンドにするかは決めているらしかった。
羽玖もこっそり教えてもらったが、これは瑛汰の隣のクラスの、真面目そうでシゴデキな感じの先輩。
その人から指名があるかどうかは、瑛汰自身わかっていないらしい。けれど、瑛汰のプリンスっぷりにも一切動揺しない冷静な人だという。
(やっぱりほら、アテンドはね、リードがどんな人間でも私情を挟まずきちんと補佐ができないとだもんね……)
今世紀最大の誰が言ってんだ問題はさておき、羽玖もいそいそと申請用紙を折りたたむ。
(大丈夫……基本的にリード側から指名は断れないはず……)
ぶつぶつと自分に言い聞かせる。瑛汰の手も借りるんだ、誠斗に断るすべはない。ふはは、は……。
(……いや……。断られちゃったら……)
――……どうしよ……。急に、羽玖の背にほんのりと不安が重なってきた。
そしたら、たくさん勉強したのが水の泡だな。
そしたら、普通の後輩として近づいてみればいいのかな。
そしたら、そしたらさ……。
ムムンッ、とスマホが震える。メッセは瑛汰から。
よっぽどこちらの顔がうじうじとしていたのか、馬鹿にしたような顔のついたうんちのスタンプが来ていた。羽玖が噴き出す。ぶはっ、あんにゃろう!
二日後には職員室前の掲示板にそれが張り出されていて、廊下は結果を見に行ったL&A所属生や野次馬で、それはそれはごった返していた。
確認に来ているのは申請を出したアテンド側が圧倒的で、瑛汰や誠斗の姿はない。
「あちゃー、第三志望になっちゃったかぁ」
「第一通った!」
「やだ、私の志望全部だめなの?えー、残ってるリード誰?」
周りのアテンドたちが拳を握ったり頭を抱えたりしている横で、羽玖もさっと紙面に目を通す。
一位の瑛汰の横には、例の先輩の名前。
おっ、指名されたんだ、よかったね……と思いながら、羽玖がそのまま視線を横に滑らせていく。二位、三位……。
■ 四位 高遠誠斗 先導生
二十位 五藤羽玖 補佐生
「――ッ……」
――はい大勝利です……!
むぎゅう、と羽玖が、頬の内側のお肉を噛む。ニヤケ防止。大声防止。浮かれた顔防止。何故なら自分は、瑛汰から指名落ちして誠斗に、いやもうそれはこの際どうでもいい。大勝利である。
(みっ、見た!?瑛汰くんみた……!?っていうか誠斗さんこれ知ってる!?!?)
ひとまずどこかご乱心できそうな所へ行きたくて、羽玖は群衆の中からそうっと踵を返した。周囲では、浮かれた声や残念がるようがあちらこちらから。
そのほとんどが野次馬による雑音で、でもL&A制度に興味ある野次馬と言えば、恐らく成績が足りなくて所属できなかった野次馬たちで。
「くそ、修了評価欲しかったんだけどな」
「……チッ」
……そんな声も、聞こえてきたりする。自分のように私利私欲のために制度入りするのではなく、きちんとした未来のビジョンを持って所属を目指していた人たちだ。
「……おい、高遠にアテンドついてるぞ」
「はぁ?……うわ、しかも二十位かよ……評価のためなら誰でもいいのかコイツ」
「くっそ、高遠今回もアテンドなしだったら制度抜けろって言ってやろうかと思ってたのにな……」
背後に置いてきた掲示板前から、そんなぼやきと嘲笑が聞こえてくる。
あれは、こちらに言ったのではない。いや"僕"には言ってるのだろうけれど、直接羽玖を認識して言ってるわけではない。
(……ばかじゃねーの。誰でもよくねーよ)
(志望だって誠斗さんしか書いてねーし)
(…………)
我ながら不純な動機だということはわかっている。
あそこで悔しがっている彼らが、制度での活動実績や修了評価、推薦やら何やら、そういったものが将来のために欲しかったんだろうなってことも、わかっている。
わかっているけれど、それとこれとは別。
だぁってあなたたちはそんな僕に学力で及ばなかったってことだもんね~~~と若干の浮足で羽玖がその場を立ち去る。
(えっ、罪悪感?ありませんねぇ~!)
優越感なら少々ありますね、なんて廊下を進んで行けば、羽玖の制服のポッケで――ムッとスマホが震えた。取り出して画面を傾ければ、瑛汰からだった。
『中庭横の自販来れる?』
自販……??
ご乱心場所を探していた足先も、瑛汰にそう言われれば自然とそちらへ舵を切った。何故なら隠れ蓑にさせていただいた一位様なので。もう羽玖としては、あちらこちらで『塩野瑛汰先輩を指名してて~』と大豪語していたので。
校内で瑛汰に会うのは極力避けたかったけど、ご指定の場所はあまり人も来ない場所だ。
なぜか秘密の取引にでも向かうようにきょろきょろとしながら、羽玖は中庭へと向かっていった。


