体育祭の午後の部は、応援合戦から始まっていった。
クラスごと、そして学年ごとにまとまっていた応援席から、一斉に声が上がる。
手拍子が揃い、旗が振られ、前列に立った応援係の動きに合わせて腕も上がる。
片方の組が声をあげれば、向かい側も負けじと声を返す。
太鼓の音は腹に響き、掛け声は校舎の壁まで跳ね返っていた。
「腹いっぱいで声出すのしんど~」
「今ので喉しんだわ」
まだ太鼓の振動が腹に残っているような気もする中、生徒たちが席へと戻っていく。
羽玖も、次の種目の準備をしながらクラスメイトと笑い合っていた。
――そんな自分に、まさか体育祭のどベタな事件が降りかかってくるなど、誰が予想できただろうか。
借り物競争のくじを引いてめくった小さな紙片には、"好きな人"の文字である。
(……っ……)
いや無理だが――???
ガチリ、と羽玖が硬直……するが、すぐさま踵を返す。なんてったって全校成績二十位の男、L&A制度所属生、ありとあらゆる災難に即応できなければいけない。そんな規則ないが。
走者たちがそれぞれの借り物目指して走る中、羽玖も猛ダッシュで二年の応援席へ。もちろん誠斗のクラス――ではなく、隣の由之のクラス目がけて。
「由之先輩きて!!」
「おっ、高遠のアテンド」
「佐々木ー!呼んでるぞー!」
応援席の後ろの方に座っていた由之に、二年のクラスメイトが声をかけてくれる。その隣にいた先輩の女子が、笑いながら羽玖の手元の紙を覗き込んできた。
「お題なぁに、アテンドくん」
「"アテンドトップ"とか?」
「"好きな人"っす!由之先輩きてー!」
どわっ、と二年席から笑いが起きて、由之も笑い混じりに駆け出てきてくれた。
遠く隣のクラスのほうで、瑛汰が「こらー!」と笑っている声もする。その横で腕を組み、口の端に笑みを浮かべているような誠斗の姿も。
「羽玖くん、僕じゃなくない!?」
「ちょまじ先輩お願い死んじゃう!!」
いけいけー!と囃し立てる二年生の応援を背に、由之をレンタルしていった羽玖は二位でゴールイン。
一部の女生徒が、黄色い歓声を上げていた。
「あ、戻って来た」
「佐々木先輩とゴールインした五藤だ」
「ゴールインおめでとうございます」
自クラスの席に戻れば、そんなおふざけのエアーマイクに囲まれる。とはいえ二位でゴールもできて、羽玖もわりかしほくほくである。
やあやあ、どうもどうもと大仰な身振り手振りで席へと戻り、へとりと椅子に座り込む。なんだかんだいって昨日から走ってばっかりだ。疲れた。
「あ~……アイス食いてぇ……」
「それな~~~」
「五藤くんL&Aのやつもなんかあるんでしょ?」
「そうじゃん。五藤ファイト~」
ゆるゆるとした応援に囲まれて、へらりと羽玖が肩を揺らした午後だった。
L&A制度とは、生徒はもちろん、保護者や来賓もよく知るこの高校独自の制度である。
とはいえぶっちゃけてしまえば、実際に所属している生徒以外にとっては、「なんか頭いい奴らが入れる制度だろ」といった認知度。保護者もその通り。
だが、この体育祭においては、その注目を一挙に集めることもあった。
『お待たせしました!続いては本校独自の制度、L&A所属生によるペア競技です!』
きぃん、と放送席から響いたアナウンスに、歓声が上がる。
グラウンドにはコーンや担架、教師たちの姿。そして十組のペアがそれぞれに集まっていた。
『成績上位者から選ばれたリードとアテンドが、日頃培った判断力や連携力を競います!今年の種目は――、人命救助模擬、小児誘導、そして宝探し!』
グラウンドのあちらこちらに散っていった教師陣が、倒れ込んで重傷者となり果てる。
観客席の保護者から協力を仰いだのか、未就学児を三人ほど連れてきた実行委員の姿も。
応援席や観客席からは、やはり歓声と、どよめきも上がっていた。
『そして三年生も無関係ではありません!各クラスが二組ずつ指名した"応援ペア"が得点すれば、三年生のクラスにも得点が入ります!』
途端に三年の応援席からは雄たけびに近い声も上がり、L&A生の数名が小さく肩を落とす。案の定、手は抜けなさそうであった。
『それではL&A競技――まもなくスタートです!』
拍手と、応援と、雄たけびは各所から。
マイクは担当教師に引き継がれ、ペアごとに種目が割り振られていく。
『人命救助模擬――伊藤ペア、真田ペア、阪田ペア、中野ペア。重傷者を保護したのちにゴールの避難所まで連れてくること。搬送中に悪化させるなよォ』
重傷者の教師達が、ひら、と手を挙げて合図をする。どよりと笑いが起きた。
『小児誘導が塩野ペア、田中ペア、赤坂ペア。観客席から無作為にご協力いただいたお子さんがスタート地点に、その親御さんがゴール地点にいらっしゃる』
『リードはスタート地点で"知らない人の話は聞かないように"説明。アテンドは不審者として、ゴールへ向かうチビちゃんたちを全力で誘惑。「お母さんが病院に〜」でもなんでも可。リードがどれほど正確に説明できるかを見るぞー』
こちらはどよめきが主だった。
――ということは由乃が不審者役を……?と、羽玖が背中をそわりとさせる。できれば、シンプルに観客として見てみたかったのが残念なところ。
『宝探しは高遠ペア、桜井ペア、北田ペア。校内の二階エリアに教員の私物が隠されてる。校長先生のネクタイ、養護教諭の腕時計と、僕のサングラス。目印のタグ付けてあるからな、どれか一つでも見つけてゴールに持ってきたら得点だー』
にわかにざわめくグラウンド。どこが宝だ……?と笑う声があちこちで。
競技は一斉に始まるようで、合図を構える教師に羽玖たちの視線が集まった。三年生の檄も飛び、すでに勝ち負けを賭け始めるような笑いも満ちていく。
さざめく歓声の中、合図の音が高く空に響いた。
「あっ、あははは先輩見て!由乃先輩がチビちゃん連れ去ってる!」
「…………」
校舎の二階、教室の窓に張り付いて、羽玖はそんな笑い声を上げていた。グラウンドでは歓声や野次、悲鳴が上がっているが、今はそれもどこか遠い。
教卓の陰を覗き込んでいた誠斗も、ちらりと窓の外へ視線を向ける。
スタート地点で腹を抱えている瑛汰。由乃と手を繋いであらぬ方向へ歩いていく幼い少女。
人命救助組も担架に教師を乗せたり肩を貸したりしながら、転がってグズる教師陣に説得らしきをしている。
「わははは!上田先生でっかいから運べてない!」
「…………」
――ガタンと机を鳴らしながら、誠斗もそばまでやってきた。同じように窓からグラウンドを眺め、……ふ、と小さく笑みを零したようだった。
そののち、ふと思い出したように横合いの羽玖を見下ろす。
「……オイ」
「あっはい。すんません、宝さがしますか」
「てめぇさっき由乃連れてったな」
「…………」
――なんッッ……のことでしょうか、と――羽玖が誠斗を見上げたまま固まった。
もちろんなんのことを言っているのかは、当然わかりきっている。借り物競争のアレではある。のだろうけれども。
まさか誠斗から、そのことについて言及があるとは一ミリも考えていなかった。
「そっ、そうですけ、ど……!」
「……あれのせいで、俺ァクラスの連中から"捨てられた"扱いだ」
「えっ!?えっ、あはははなんで!?」
どわっ、とグラウンドの方から、笑い声が跳ねる。教師の重さに耐えきれず、担架ごと重傷者を落っことした声だった。
それと同じくして――トン、と羽玖の背中が窓に当たったのは、睨みと、かすかに笑みの混じった顔に詰め寄られたから。
「ドベの分際で浮気しやがる」
「なっ」
「ボケ」
べち、と額にビンタを食らい、そのまま誠斗を真上に見上げるような角度、に――……羽玖、しゃがみ込み避難。
なぜなら背中側に窓。めっちゃ外から見える。あとくそ近い。
「――だ、だっ、て!!由乃先輩のことも好きだし!!」
「……へぇ、"も"」
「も゙ッッあっ……!?」
遥か足元で赤くなったり青くなったりと忙しい羽玖に、窓枠に手をついたまま、誠斗もそれを見下ろしていた。
脚で羽玖の両サイドを挟み、ゆっくりとしゃがみ込んでいく。はたから見れば、一年坊主をガラ悪く壁際に追い詰める二年生。なお当該一年坊主はほぼ石化状態にあった。
「……クソガキ」
「クっ……先輩だって、ま、"まこちゃん"のくせに……!」
「…………」
眉間に深く皺を寄せた誠斗が、片方の眉をぴくりとさせた。その口が開いて、すぐ閉じる。
けれど視線をわずかに逸らしたのち、ちらりと羽玖に向き直り、ごちんと額を当ててきた。ほぼほぼ頭突き。
「いっ……!」
「"誠斗さん"だろが」
「ッ……ッッ……!?!?」
混乱極まる羽玖の首元に大きな手が伸び――けれど廊下から聞こえた足音で、その動きがピタリと止まった。
しれっとした顔でのそりと立ち上がる誠斗と、赤くなった額で呆然とそれを見上げる羽玖。
教室のドアから覗き込んできた別ペアが、「げっ」と小さく声をあげた。
「高遠ペアじゃん!お宝あった!?」
「……ねェな」
「だよな!?うわまじどこ隠したー!?」
バタバタと遠ざかっていく足音と、静かになる教室。思い出したかのように、また聞こえてくるグラウンドの喧騒。
わずかに開けた窓から吹き込んだ風がパタパタとカーテンを煽っていて、その音がなんだか妙にクリアで、……教室が静寂なんだと気づいた。
「…………」
「…………」
緩く羽玖を振り向いた誠斗が、手に握っていた腕時計をこれ見よがしに羽玖にかざす。オレンジのタグがついており"お宝"と書かれていた。
「……戻るぞ」
「――えっあったの!?」
「そこの教卓にあった」
踵を返してさっさと歩き出す誠斗を、ふらりと立ち上がった羽玖が慌てて追いかける。
何がなにやら目眩がして、もう担架で運んで欲しいくらい今にもぶっ倒れそうだったが、……その背を追うことだけは、多分誰よりも早かった。
また、後ろを駆けてくる足音を耳に、誠斗もまた、自分の手のひらを見下ろしていた。
(……。……何するとこだった、俺)
「…………」
わずかに眉をしかめ、手のひらを握りしめる。
ひどく真っ赤になっていたあの顔が、やけにまぶたの裏に焼き付いている気がした。



