気持ちがいいほどに晴れた秋空に、今日も乾いた花火が打ちあがったのは朝のこと。
屋台のざわめきやソースの匂い、客寄せの喧騒はもう聞こえてこない。
昨日は生徒たちで賑わっていた校舎も、今日はしんと静まり返っていた。
文化祭二日目の夕方に、校内の片付けはあらかた終了している。グラウンドに集う生徒たちはもうすっかりと気持ちも切り替え、体育祭の表情である。
各々の眼差しに宿る闘志らしきは、半分が体育祭への意気込み。半分がフェスティバルハイ。あとの半分が早く帰って寝たいハイである。溢れた。
学年ごと、そしてクラスごとに分かれた生徒の山から、唸りとも掛け声ともとれない声が響いてくる。
「優勝したら……表彰状……!」
「学食の割引券もあるってよ……?」
「学年優勝で先生がクラス全員にハーデンダッツ買ってくれるって言ってた……!」
――高校生とは、時に現金な原動力で全力を出し切れるもの。
クラスメイトに肩を組まれた羽玖も、昨日までのちょっと情緒的な気分は一旦家に置いてきた。今はただ、割引券と高級アイスのために円陣を組んでいる次第だ。
長ったらしい校長の挨拶ののち、生徒たちの声も高らかに、体育祭が始まる。
ちなみにこちらの高校は、県内でも有数の進学校――、まあ頭のよろしい学校だ。
けれど偏差値が高かろうがなんだろうが、ハイになった生徒たち、そしてとびっきりの見せ場である運動部員にとってはもう、関係なかった。
目玉はもちろんリレーや大繩、障害物競走など。
騎馬戦のようなアグレッシブな競技は、たとえ自クラスと関係がなくとも、自然と皆が身を乗り出してしまう。
あちこちから野次にも似た歓声があがり、騎馬が崩れるたびにどよめきが起きる。晴天の砂埃の中では、誰が味方で誰が敵なのかもわかったものじゃない。観客席や応援席からは、笑い声まで上がっていた。
部活対抗リレーなども、これまた大層盛り上がる。パッと見で、なんの部活に所属しているのかがわからなければ意味がない。
陸上部は当然のように軽装で、野球部はユニフォーム姿。バスケ部はボールを抱え、剣道部は面を被っていた。
「剣道部転んだら顧問に怒られそうだな」
「ラグビー部ボール持ってる!くそ早そう~!」
けらけらと笑いを誘う対象は、文化部でも。
美術部はバトン代わりに見たこともない太い筆を持ち、軽音部はギターケースを背負っている。中にはぽつりと、制服に通学鞄を持った生徒もいた。
「あれ何部?」
「……帰宅部?」
「わははいいぞー!!」
スタート前からざわつく観客席。高く合図が鳴れば、速さよりも見た目の騒がしさが盛り上がった。
早々にギターケースを脱ぎ捨てた軽音部。バトン代わりのボールを胸に、バトンタッチの際に次の走者にタックルをかますラグビー部。
一番軽快な帰宅部はコースを外れて一直線に校門へ爆走していき、ボールを蹴りながらのサッカー部はコーナーで器用にトリックを決めていた。
県内でも有数の進学校である。
「帰宅部の次走者も帰ったー!!」
「うわははは戻れぇー!」
「あれギター中身入ってねぇんだよな!?えっ!?」
「サッカー部進まねぇな!」
観客席も含め、皆の関心はもう勝敗には向いていない。
頭のいい奴らは、おふざけまで全力でできてこその優等生……なのかもしれなかった。
「おっ、五藤!五藤!次の次に塩野先輩走るぞ!」
「ええ?」
学年の二人三脚を終え、クラス席に戻ってそうそう、羽玖はそんな声をかけられていた。
グラウンドに目を向ければ、二年生の二百メートル走のよう。並んだ走者の中に、確かに王子然とした立ち姿があった。
「爽やかァ……」
「まじプリンス……」
「五藤くん従兄弟で羨ましいなぁ」
女子生徒たちが、どこかうっとりとした表情で口々にそんなことを言ってくる。
……とは言われても、羽玖にとってはほぼ兄。自慢の従兄弟ではあるものの、あれを見て憧れとかああなりたいとかは別にない。
「塩野先輩って足早い?」
「うん……?負けず嫌いではあるけど……」
「まあ主席だし運動神経は別にな」
「遅くてもハオ~」
パァン、と高い音が鳴り、第一陣が目の前のトラックを通り過ぎていく。
わぁっ、と歓声も通り過ぎていく中で、次の走者としてスタート地点に並ぶ瑛汰を見て、はた、と羽玖が気づいた。
瑛汰と誠斗は、同じクラスである。
――ということは、瑛汰が勝てば誠斗のクラスに点数が入るということ。
途端に険しくなった羽玖の顔に、クラスメイトがどよめく。スタート地点には、足首を回している瑛汰。――が、遠目に羽玖を見つけてひらりと手を振り、笑顔を一つ。
きゃあ、と周囲の女子から黄色い声があがったのも束の間、瑛汰の視線の先にいた羽玖が、親指をくい、とゴール地点へと向けた。
――ガチ全力ね。
――あっはい。
ぴし、となにやら直立で頷いた瑛汰が、開始の合図とともに走り出す。
負けず嫌いを体現するようなその速さは、文武両道を地で行くようなスピードだ。
ぎゃああ、と女子の悲鳴が響く中、先頭でゴールを踏んだ瑛汰が羽玖を振り返り、わざとらしく敬礼のような仕草をしてみせた。
うむ、と腕を組んで頷いた羽玖に、――クラスメイトがはわわと視線を向けていた。
「どれよ」
「まじ無理ガチほんと無理」
「無理なことないでしょ、どこよマコトサン」
――昼休み、"お弁当取りに来てね"と母親から来ていたメッセに釣られて羽玖が母の元へ行けば、にっこりとした母と伯母が待っていた。
瑛汰の母親である伯母と、羽玖の母親は姉妹。二人で弁当を作ってきてくれたらしく、それを届けてくれたのは大変いい。ありがてぇ。
けれども母が、中二から羽玖が転がり散らかしている"マコトサン"を見ると言ってきかない。
「あのね、背もおっきくて男前でね、カッコいい子よぉ」
「あらぁ」
伯母による追加情報に、母が楽しそうに笑う。
羽玖が掴んだ弁当の包みには、まだ母の手がかかっている。……離してくれそうになかった。
(会わせられるか……!!!)
周囲にきょろきょろと視線を飛ばしながら、羽玖も必死である。
母は数年前からの羽玖の誠斗猛推しを知っている。伯母もこの学校に進学するために、伯母宅で猛勉強をしていたのを知っている。
しかも誠斗と瑛汰が幼なじみということもあり、伯母は普通に誠斗と面識がある。もうどこに箝口令を敷けばいいのか全然わからん。
「あらっほら、まこちゃーん!」
「……っ、マッ!?」
伯母が手を上げてあまりにも和やかな声を出し――ほんの一瞬判断が遅れたが、それでも羽玖が振り返った動きはとんでもなく早かった。
がやがやと昼飯に向かう生徒たちの波を縫って、誠斗と瑛汰、由之が並んで歩いてくる。
「――っ、ッッ!!」
(来ちゃったァ……!!)
母に縋りつく羽玖を見て、わずかに眉をぴくりとさせた誠斗も、……すぐに瑛汰の母に小さく目礼をした。
「ッス」
「ゆりさんからお弁当預かってたわ。あとでまこちゃんの写メも送っとくわね」
「……いらなくね?」
「いるわよぉ我が子の写真はァ」
ゆり――とは、本日仕事で観覧に来れなかった誠斗の母。
差し出された弁当を受け取り、誠斗がちらりと羽玖のほうへ顔を向けた。……そのまま隣の羽玖母へ視線を向け、こちらにもぺこり。
羽玖の母も、ぺこりだ。
「ほら、瑛汰もお弁当」
「サンキュー」
「由之くんも見てたわよ~!お弁当多めに作ったから、瑛汰のぶんから食べていいからね」
「え、いいんですか、ありがとうございます」
「…………」
「…………」
「…………」
和やかに弁当の話に花開く瑛汰サイドと――、
――謎の沈黙に支配される羽玖サイド。
……もぎっ、と母の手から弁当をもぎ取った羽玖が、母に向かって指を一本立てた。"まじ頼むから余計なこと言わないでお母様"――である。
隠しきれないにやけを口の端に浮かべたまま、母もこくりと頷く。……それを見て、羽玖が手のひらを母に向け、誠斗に視線をやった。
「……母です……」
「……ああ、おう……どうも」
からの、くるりと向きを変え、母に視線をやる。手のひらは誠斗に。
「……まっ……、L&Aペアの高遠先輩です……」
「ええ……はい……」
「かっ、解散――!!」
耐えきれなくなり、ガシッ、と誠斗の腕を引っ掴んで走り去っていく羽玖。ここに誠斗を残して余計なことを吹き込まれては、たまったもんじゃなかった。
「おいっ」
誠斗の声も、瑛汰の笑い声も、もう羽玖の耳には聞こえない。
それでも背中に、可笑しそうに見送る母たちの声が聞こえていた気がした。
この日の生徒たちは、基本的に昼飯を教室や食堂、中庭などで済ませる。
ぐいぐいと誠斗の腕を引いて渡り廊下を横断していた羽玖も、中庭につく頃にはもうにっちもさっちもいかなくなっていた。
あの場から離れなければと思って、咄嗟に誠斗の腕を掴んで、一方的に引っ張ってきてしまった。一緒に昼飯を食うと言っていたクラスメイトからだろうか、さっきからスマホにメッセがきているっぽい。
なにより絶対に振り払えるはずなのに、腕を掴まれた誠斗は何も言わずについてきてくれている。
……だからか、腕を放すタイミングも、後ろを振り返るタイミングもわからなかった。
「…………」
「…………」
(……、……?)
今これどういう状況……?という疑問は、誰よりも羽玖が抱いていた。中庭では数人の生徒が昼食をとっていて、……あんまり入り込むと人目に付きそうな気もして、端の方で足を止める。
大体にして、"母に余計なことを言われたくないので逃げました"など、どう説明したものか。
もし仮に、余計なことってなんだ、不都合があったのかと言われたら申し開きもない。不都合しかない。
(……てか、なんで怒んないの……?)
――勝手に、連れて来たのに。
様子を窺うように羽玖がそろりと振り向けば、眉を寄せてこちらを見下ろすいつもの顔があった。
やはり、腕を振りほどくような気配はない。
「……ンだ、もう逃げんのはいいのか」
「えっ、あ、……はい」
……つい、頭を下げる。というか、視線が下がった。何も説明できないし、ましてやじゃあ飯一緒に食いませんか、なんてのも……言えない。
自分はクラスの連中と飯を食う約束があって、きっと誠斗にも瑛汰や由之たちとそういう約束があって。
掴んでいた腕をゆっくりと緩めれば、……静かに離れる手。
「っ……うちの母親、喋り出すとめちゃ長いんでッ」
「あ?……ああ」
「あれぐらいっ、強制的に離脱しないと、……離れらんないんで」
「へぇ」
しどろもどろになんとか言い訳を重ねる羽玖に、誠斗からは端的な返事が返ってくるだけ。
俯くつむじを見ていた誠斗が、ふ、と一つだけ息をついて、目の前の頭をむんずと掴んだ。そのまま顔を寄せ、つむじに話しかける。
「なんだ、"はーくん"にはお世話になってますって言おうとしたのに」
「ンッッ!?」
羽玖の頭に降ってきたその声はわずかに笑んでいて、――羽玖が顔をあげようとしたが、手のひらに負けてそれは叶わなかった。
ブブ、と誠斗のスマホが鳴って、手首に弁当をぶら下げたまま、誠斗がジャージのポケットからスマホを取り出し、耳に当てる。
「――おう」
(ちょ……もっ、頭とれない……!)
「ああ、いや、今行く」
羽玖の頭を掴んだまま、誠斗が通話を切る。相変わらず羽玖の視線は靴の先だったが、それでもやっと大きな手のひらが、ぺん、と離れた。
「じゃな」
「んっあ、はいっ」
答えながら羽玖が顔をあげれば、誠斗はもう踵を返していくところ。後ろ姿、学校指定のえんじ色のジャージが、妙にださい。のに、妙にくそかっこいい。
(……ちくしょう……)
「……まっ、まこちゃんって呼ばれてたくせに……!」
苦し紛れの噛みつきに、ざく、と誠斗の脚が止まって、ゆっくりと羽玖を振り返った。睨みと凄みと笑みと照れが混じったような、なんとも複雑で威圧的な表情が、羽玖を見る。
「……てンめ、覚えとけよドベ」
「っ、は!?」
「あ゙?」
中庭で平和に昼飯を食べていた生徒たちが、――またやってるよ、なんて目でふたりを見ていた。



