こじらせ羽玖くん、こちらです


そうして午前中を過ごし、昼は図書館に併設のカフェで、四人で軽く昼食をとった。

丸テーブルを囲うように座り、空気はすっかりとのんびりしている。
サンドイッチのトマトが水っぽいだとか、ナポリタンのピーマンが苦いだとか。
体育祭のL&A生向け競技は毎年内容が変わるらしいとか、そんな話をぽつぽつと。

初めのうちは夏休みのことや課題のことに向いていた会話も、その流れの中で、件の"羽玖への付きまとい"に流れた。

「えっアレまだいたの?」
「高遠に睨まれて、懲りてなかったんだ……?」

――きょとん、と目を丸くしたのは、他でもない羽玖である。
前から気づいていたらしき誠斗どころか、瑛汰や由之にも知られていたその存在。誠斗、由之、瑛汰、そして誠斗、と視線をあちこちにやった羽玖が、……結局由之へと行きついて首を傾ぐ。

「えっ、なんっ、みんな知ってたんすか?」
「うん、高遠に『なんかいるぞ』って言われてね」

――ええ……?

羽玖がじわりと左隣の誠斗を見れば、誠斗は正面の由之を睨みつけている。……余計なことを、とでもいうような眼差しである。
その隣りにいた瑛汰が、カフェオレのカップを手に、テーブルに肘をついた。

「へぇ~。なんか時間の無駄だな」
「そうだねぇ」
「自分のアテンドがそんなことしてたらがっかりするな。頭よろしくないのかしら」

すっとぼけたように言う瑛汰に、誠斗の視線がスライドしていく。誠斗の視野外になったのをいいことに、羽玖も瑛汰にうんうんうんと頷いた。
もう、まったく同意見。僕もおんなじ考えだよ瑛汰くん!というような猛頷きである。

「……でも、塩野の最寄り駅にいたってことは、わりと塩野と生活圏も近かったりして……?」


……ぽつりん……と落とされた由之の呟きに、全員の動きが停止した。
あからさまに眉根を寄せる羽玖と誠斗。瑛汰も、臭いものでも嗅いだかのようにむぎゅ、と顎を引いていた。

「ヤダぁ……あたしコワイわヨシノ……」
「……どこが……?」
「夏休み中、由之んちに泊まり込もうかな」
「ええ……?部屋がないよ」

ぐいぐいと物理的に距離を詰めてくる瑛汰に、由之が小さく肩を引く。
それを眺める誠斗も、"またはじまった"とでも言わんばかりに椅子に背を預け――きょろりと瑛汰らを見る羽玖に、ちらと視線を向けた。

片眉を上げてそちらを顎で示す誠斗は、さながら「見ろよあれ」、のような呆れたような表情で。

そんなアイコンタクトを受け取ってしまった羽玖もまた、片眉を上げて「やれやれ」のように口を曲げてみせた。

――心拍数は、ちょっとやばかった。





夕方、図書館の前で、じゃあ、と手を振りあう。

由之は本屋を覗きに行きたかったらしく、瑛汰のほうに。
羽玖と誠斗は、駅へと踵を返していた。

試験対策は、正直これでもかというほどに捗った。
現国と英語の得意な由之。理数に強い誠斗。全教科満遍なく網羅している瑛汰。

(最強カードだった……)

残念ながら羽玖は皆の力にはなれなかったが、聞けば何でも返ってきた。誠斗でさえ教えてくれていた。

(……全回答が「あ゙?」から入ったけど……)

ちろ、と隣を歩く誠斗を、羽玖が見やる。白いトートを肩から下げて、ポケットに両手を突っ込んで歩く、ややガラの悪い男。

(…………)

でも……付きまといも、瑛汰くんや由之先輩に共有してくれてたんだって、……なんて、思う。
自分でさえ気づいていなかったのに、だ。

じゃあ、『校門で待ってる』の誤送信の時、由之が『一緒に帰ろう』とメッセをくれたのも、――もしかして誠斗が由之にそう頼んだ、と……そういうことだったんだろうか。
由之に送り返したと思っていたその返信に、誠斗が文句も言わずに校門で待ってくれていたのも、……そういうことだったんだろうか。

何で来てくれたんだろうとは思っていた。呼ばれたから来ただけかと。

(……なん……なんか僕めっちゃ守られてない……?)

「おい」
「あっ!?はいっ」

駅の建物も見えてきた辺りで、前を歩いていた誠斗が振り返ったのは、その時だった。
唐突な声に、羽玖も弾けるように顔を上げる。
肩越しにこちらを見ていた誠斗が、……そのままわずかに歩幅を緩めたので、自然と肩が並んだ。

羽玖が疑問符を浮かべたような顔をしていれば、しばしの沈黙のあとに、誠斗が小さく舌打ちをする。

「……なんかよ」
「……はい……」
「……知り合いか、お前と瑛汰」
「ッ――いやぁ~~……?」

緩く落ちた羽玖の歩みに、誠斗もぴたりと足を止めた。
半身を返して見下ろしてくる視線は、やはり眉間に皺も寄っていて、けれど険しくはない。

「なん、で、ですか」
「……言ってること一緒だぞ」
「言っ……」
「そんでお前、瑛汰のアテンド志望してたわりには、妙に避けてたな」
「……そっ……れはぁ……」

――従兄弟バレすると思ったのでぇ~……。

羽玖が、頬を引きつらせたように苦笑いを浮かべ、黙り込む。けれどその沈黙を肯定と取ったのか、誠斗が肩ごとため息をついた。

……まずい、と思った。
このままでは妙な解釈をされかねない、と。

でも、一つ漏らしたら全部零れてしまいそうだ。
でも、何も言わないで変に誤解されるのはもっと無理だ。
たとえば、憧れてる瑛汰のそばに行きたくて高校に受験した、とか。


「っ――いと、こ!!」

ぎゅう、と両手を握りしめた羽玖の叫びが、駅前の広場にちょっとだけ響く。

「……はあ?」
「瑛汰くん、従兄弟……!」
「……、……はぁあ?」

まるきり口を歪めていそうなその声に、羽玖がきつく口を結ぶ。
情報開示はここまでだ。これ以上を言ったら余計なことまで出てきそう。

けれどそのまま黙り込んでいた誠斗が、しっかりたっぷり沈黙を取ったのちに、何やら得心したように腕を組む。

「……ああ……お前"はーくん"か」
「ぁえ゙ッッ!?!?」
「瑛汰がガキんころよく聞かされたわ。従兄弟のはーくん」

そっ――


――れはもう幼稚園以来呼ばれてない家族間の愛称ですぅ……と羽玖、沈没。

幼児期のあだ名が推しの声帯から発せられる運命にあるとは思わず、それから家に帰るまでの羽玖の記憶は――もうほぼなかった。尊死。







茶色と白のふわふわの塊を、なでる。
ぺちゃんこの鼻と真っ黒いつぶらな瞳が、横並びにそれを見下ろす羽玖と瑛汰を見つめる。
生まれてひと月ほどのその毛玉は、ころころもてもてと転がるようにして、羽玖と瑛汰を囲んでいた。

「くっそかわ……」
「六匹くらい連れて帰ってもバレねぇだろこれ……」
「それ全部なんすわ瑛汰くん……」

田舎のばあちゃんちで、飼い犬のチョビとその子犬たちに囲まれ、羽玖と瑛汰はもう顔面が溶けていた。
墓参りは午前中に行ってきた。大人たちは茶の間で早い晩酌を始めながら高校野球を見ている。
田舎のお盆は都会よりもちょっとだけ涼しくて、喧騒は少ないのに蝉の声はうるさい。

「羽玖ちゃん名前つけてくれたんだってか~?」

茶の間の方から、祖母の朗らかな声が聞こえてきた。うん、と頷いた羽玖と瑛汰が、子犬をそれぞれ持ち上げて掲げる。
自信ありげに、ふん、と鼻息。

「ヤキ、ニク、ヒヤシ、チューカ」
「スシ、ラーメン」
「あんたたち……成績いいっていうの嘘ね……?」
「瑛汰ホントに主席なのか……?」

眉根を寄せた大人たちに、羽玖も瑛汰と顔を見合わせて笑った。すごくしょうもなくて、けれどすごく今だけの時間。
ヤキとニクを抱えてしゃがみ込んでいた羽玖の腕に、瑛汰が追加でスシとラーメンを乗せる。
膝の上で、もこもこと暴れる毛玉生命体。

「う、わ、ははは重っ」
「待って羽玖写真撮るから」
「早く撮ってぇ~~」

かしょ、かしょ、とスマホのシャッターを切りながら、瑛汰が残りの子犬を羽玖の頭や肩に乗せていく。
さては祭りかと飛びかかるようにしてチョビもやってくれば、もう毛玉による未曾有の大災害である。

「うぎゃあー!チョビー!」
「なはははは!」


……ぷちりと茶の間で枝豆を飛ばす親族たちが、あれが進学校の生徒か……?と、皆で笑みを交わした田舎の盆。


カキーン――と、テレビでは抜けるようなホームランと歓声の音。


テレビの前、傍らで震えたスマホを、――誠斗が手に取っていた。

「…………」

瑛汰からのメッセの通知をタップすれば、画像が数枚。

なんだかまんまるな毛玉の塊。その塊が数匹集まってさらに塊になった画像。
それらに呑み込まれるようにして笑っているドベの画像。

――に、動画ファイルが追加される。

「……。……」

指先で、三角のマークを押すなどしてみる。


『わははは!ねぇえ助けて瑛汰くん!』
『なはははは!』
『チョビちょっとたんま!スシ!スシ爪がいたたた!』
『ちょっとぉー!あんたたちうるさいわよー!』

「あら、なぁに?」

ソファの後ろから覗き込んできた母親に、誠斗が顔を上げた。
再生していたスマホの画面をそちらへ傾ける。

「……瑛汰のばあちゃんちの犬だと」
「あら瑛汰くんちの!かわいいわねぇ~」
「んん」

台所へ夕飯の支度をしに行った背中を見やり、誠斗が再度スマホへ視線を落とす。動画は再生が終わっていて、再びトーク画面に戻っていた。

送られた数枚の画像の中で、あんまり見たことのない顔で笑っている、彼。

「あんまりかわいいわんちゃんの写真見ると、うちも欲しくなっちゃうわね~」
「……誰が散歩行くんだよ」
「お母さんが行くわよぉ」

ふん、と鼻を鳴らしながら、誠斗が画像をじっと見下ろした。

「……、……まあ……かわいいな」
「でしょ~?お父さんに言ってみようかしら」

冷蔵庫の開閉の音や、テレビからの実況の声。
どこかの家から、風鈴の涼しげな音色もする。バイクが通り過ぎていく排気音も。

スマホを伏せ、誠斗がソファに頭を預ける。

「そうだ誠斗、お盆明け病院よ」
「んー」

包丁がまな板に当たる音がしても、野球の実況と解説が興奮していても、耳の奥の方に、明るい笑い声が残っている気がしていた。