南駅から瑛汰の最寄り駅までは、五分ほどで着くことができる。
目的の駅で無事に降り立ち、フォン――……と遠ざかっていく電車を見送り、がやがやとしたホーム。
羽玖は、……隣に立つ誠斗に目を向けることができなかった。
「…………」
「…………」
――なん……でこの人はこの駅で降りたのでしょうか……と思うが、怖くてとてもじゃないが聞くことができない。
誠斗が怖いわけじゃない。この駅で降りた理由が怖い。
まままさかとは思うが、今日の勉強会に誠斗さんも――!?等と目を泳がせたあたりで、羽玖のスマホが小さく震えた。咄嗟にスマホを隠すようにして画面を持ち上げれば、瑛汰からのメッセであった。
『おはー 羽玖、よしのに誘われてた?』『俺まこと誘っちゃった』『どうする?』
「っ――!!」
どうするもこうするもない、もう横にいる。なんだったら電車で囲われていた。
(あの人たち参加メンツ把握してなかったのか……!)
羽玖が、わなわなとスマホを握りしめた。
なんてこった。とんでもねぇや。なぜなら瑛汰の家は羽玖にとっては伯母の家。
もし仮に『うわぁ~塩野先輩のおうち初めて行きます~』といった顔をして行っても、そこに伯母がいれば「あら羽玖ちゃん!今日は泊まんの?」なんて大事故に繋がりかねない。
この勉強会に参加するのは正直問題ないとは思う。由之先輩に誘われたら塩野先輩もいた!のテンションで行けばいいのだ。
だが親戚の家は隠密の難易度が……!!
「……じゃな」
「アッ、はい……!」
低い声に思わず羽玖も返事をすれば、誠斗は駅の出口へ向かって歩いて行った。
――すぐさま、瑛汰にメッセを送る。
『もう会っちゃった!!誠斗さん先にそっち行った!!』
『あー』『うーん』『まだ言ってないの?』
「なっ……」
『なにを!?従兄弟だって!?』
『全部』
『言ってない!!!』
だかだかと親指を二本使って文字を打つ。全部言うって、全部言うって、そんなんもう、二年前から推してます、仲良くなりたくて受験頑張りました、瑛汰くんとは従兄弟で、はじめっから誠斗さんしか指名してなくてッて――??
(ッッ言えるかー!!)
こちとら、こないだやっとふたりで飯に行ったところである。RPGで言えば旅立って次の村くらいか。いやわからん。さっき囲われてたし。
うろうろと、羽玖が駅の構内で右往左往する。
気持ちはもうすっかり、こないだのジョイプルを聞いてもらう気満々できた。もうすでに脳内で三回は瑛汰たちに語りつくしている。なのに本番がおじゃんになりそうだ。
(――ってか、逆にこれ行けば誠斗さんと勉強会……!?)
羽玖の脳内で、瑛汰と由之の存在がどこかへ吹っ飛ぶ。
気持ちはもうすっかり、想像上の誠斗の部屋で隣り合わせに座って勉強を教えてもらう自分だ。なお妄想。
ぐぎぎ……と構内の隅でうずくまって唸っていれば、ムム、ムムン、とスマホが二回震えた。
「えっなに……」
手に持っていたスマホを持ち上げれば、瑛汰と由之からである。
『なんかまことからちょっと遅れるって連絡来たけど』
「え、そう……」
『羽玖くん、ごめんね。瑛汰の家じゃなくて図書館にしようか』
「ちょまじ由之パイセン神……!!」
羽玖は、思わずスマホの画面を奉りそうになるところだった。正確には、由之とのトーク画面を、である。
図書館!そうだよ図書館!そこ行けばいいんじゃん!
図書館なら瑛汰の家にはいかない。親戚との「あら羽玖ちゃん!」もない。
「あれっ、僕も由之先輩と約束で~」を平然と言える。「あれっ、高遠先輩も勉強会だったんですか~!」も。
(天才だ……)
天才である。救いの神ヨシノ。
よしよし、じゃあ僕はここから図書館に、と羽玖が立ち上がろうとしたところで、
「――おいっ」
……そんな声と共に、駅の出口の方から誠斗が戻ってきていた。
中途半端に腰を上げた姿勢で、羽玖ががちりと硬直する。
「なんだ、やっぱ人酔いしたか」
「……っぇ、や、え、どしたんすか先輩……」
「……は、……てめ、くっそ紛らわしいなボケがよ」
「は?喧嘩売りに戻って来た?」
「あ゙?おめぇだろうがドベ」
口ごたえをしながらも、羽玖は、目じりがじわじわと熱くなっていくのを感じていた。
まずい、顔が赤い気がする。だって、なんだかもう、まるで誠斗が心配してたみたいに言うもんだから。
……ぐ、と半ば乱暴に前髪を直すふりをして、顔などを隠してみる。
「……なんっ、なんか予定あったんじゃないんすか」
「……、……まぁ、……チッ、お前は」
「は、はあ……?」
舌打ち混じりの誠斗に、羽玖もそろりと顔を上げた。
どこぞを睨んで顔をしかめていた誠斗が、ちら、と目の端で羽玖を見下ろしてくる。
「……、遊ぶ奴いて来たのか」
「ぼく、は……、……よ、由之先輩と」
「は……?」
「図書館、で、勉強するからおいでって言われて……」
何とかそちらのシナリオを言い切った羽玖に、――しばしの沈黙。
じっとこちらを見下ろしていた誠斗が、やや視線を流した後、かすかに頷きながら苦々しく唸った。
「……ああ、なら俺もだ」
「え、あっ、そーー……なんすね、わーキグウ……」
「……んじゃ、誰かと遊ぶとかじゃねぇんだな」
……なにが?と羽玖が誠斗を見上げれば、誠斗はやはり、不機嫌そうにそっぽを向いていた。
(――あれ、)
と、思う。
そういえば、こういうのしょっちゅうなかったっけか。
一緒に帰る約束してた奴いたか、とか。
今日、誰かと帰るんだったか、とか。
改札入るまで見ててくれたりとか。
……じわ、と羽玖も、誠斗が向いている――駅の出口の方へ、視界の端で目を向ける。
そういえば、しょっちゅうあったよな。
一緒に帰る奴いねぇの、とか。
そう言う時っていっつもどっか見てたりとか。
――由之と帰れとか。
視界の端、駅の出口、人混みの向こうに、多分同じアテンドの生徒がいた。
こっちは見てない。多分スマホを見てる。けど、その手元が動いてなかった。
(……、……スマホ見てるふりだ……)
その上で、その生徒を、誠斗がぎろりと睨みつけている。
(……ぼ、僕……に……?)
御用がおありで……??
しん、と静かになった羽玖に、誠斗がちらりと視線を向け、鋭く一つだけ、舌打ち。
むんずと頭をわし掴みにされた。
「……瑛汰を指名して選考落ちしてんの、お前だけじゃねぇんだ」
「……は、はい……」
「そん中で俺んとこにきて瑛汰の近くにいて、お前そいつらからだいぶ反感かってるぞ」
「――えっ!?」
バッと弾けるように顔を上げた羽玖は、それは丸きり想定外でした、とでも言わんばかりの表情。目を丸くして、理解しがたいことを聞いた顔だった。
「なんで!?僕誠斗さんのアテンドなのに!?」
「そっ……よ、しのと仲いいのも、あれだろ」
「由っ……待っ、ええっ、時間の無駄すぎる!!」
「っおい」
べちん、と誠斗に額を叩かれ、羽玖が小さく首をすくめた。
いやわかる、相手を刺激するようなこと言うなということなんだろう。だが何をどう考えても時間の無駄だ。
たとえば、同じように誠斗を狙っていた連中からの逆恨みなら大納得できる。
L&A制度に入れなかった外野による瑛汰関連の逆恨みでも、まぁぎりぎり納得できる。
だが制度にも入れていて、そっちはそっちで評価を稼がなきゃいけないだろうに、自分に嫌がらせをする機会を虎視眈々と狙っているのか……?
「……いやどう考えても頭わるぅ……!」
「おいって」
ぺちん、と再び額を叩かれる。今度はやや力も抜けていて、"そこまで"、のような手のひらだった。
むぐ、と羽玖が口を閉じれば、軽く肩を落とした誠斗が、まるでやれやれとでも言うかのように片眉をあげている。
「……なんだお前、こういうの気にしねぇタイプか」
「……無駄な時間の使い方してるなぁとしか思えないっすね……」
「そういや図太いんだったなお前」
「は?褒めてます?」
「馬鹿にしてるだろが」
「ねえまじもう!」
けんけんと言い合いながら、羽玖が誠斗を追って出口へと歩き出した。視界の端で、例の生徒はそそくさと物陰へと隠れていく。
もちろん理解しようとは思わない。しょうもないことに付き合っている暇もない。
だが――ということはそうか、ならばあの生徒のおかげで、あの誠斗さんがいちいち僕についてきてくれていたということだ……!と、そこへ行きつき、羽玖は思わず礼すら言いたくなったほど。
(死んでも言わねぇけどな!)
ふふん、という足取りはさっきより軽い。何故ならこれからその"塩野先輩"と勉強会である。由之もいるし誠斗もいる。
名前も知らないその生徒には、到底たどり着けないところにいるのだ、僕は!
「大体、こういうのって高遠先輩が僕にもっと優しくしてくれればいいと思うんすよね!」
出口のゲートをくぐりながら羽玖が笑えば、横合いを歩いていた誠斗が一瞬眉をしかめて、ぐっと顔を寄せてきた。
「あ゙?"誠斗さん"じゃねぇの」
「――はっ……?」
「あ?」
――……ッッ!?
僕"そっち"言っちゃってたぁぁーー!?!?……という声にならない羽玖の悲鳴と赤面は、
……真夏の太陽の熱が隠してくれた。……多分。
羽玖と誠斗が図書館へと着けば、すでに到着していた瑛汰と由之が、自習スペースの一角をとってくれていた。
「由之先輩、お待たせしました!」
「ううん、急に誘ってごめんね、羽玖くん」
あたかも昨日今日突然誘いました――のような由之のその言い草は、羽玖ではなく隣の誠斗へのシナリオだ。
――ぺこ、からのニコ……と瑛汰に向いた羽玖の笑顔には、"くれぐれもやらかさないでよね"といったような圧が見える。
自習スペースの大きめのデスクで、椅子は四脚。瑛汰と由之が向かい合わせに座っていたため、羽玖もるんるんと由之の横に腰を下ろした。誠斗は瑛汰の隣に。
リュックからぱたぱたとタブレットやノートを取り出しながら、羽玖が由之に肩を寄せて声をひそめる。
「ね、ね、先輩、数Aと生物わかりますか」
「うん?数学はまぁ……生物と化学はちょっと苦手かな」
「由之は現国とか英論だよ、五藤くん」
デスクの向こうから飛んできた瑛汰の声に、羽玖がちらりと視線を返す。
正直そこに誠斗がいる手前、あんまり話しかけてほしくはないが……うっす、なんて顎で返事をするようにしてノートを広げ、タブレットで教材を開き、ふう、と一つ息をついた。
「…………」
「…………」
「……、……」
ぱさ、ぺら、カツ、……なんて、静かな自習の音が満ちる。
もちろん、他にも自習スペースを利用している客がいる。個室でもなければ、羽玖たちだけではない。
蔵書エリアのほうに訪れている小学生キッズたちの話し声は聞こえてくるものの、距離もあってこちら側は静かだ。
……きゅ、と、羽玖が唇を引き結んだ。
(……しゃ、……喋りてぇ……)
――そう、喋りてぇ。そもそも元はと言えば、瑛汰の家へ行ってめっちゃ喋りながら勉強する気であった。
こないだ誠斗さんとふたりで飯行って。
ってか今日の電車めっちゃやばくて。
由之先輩、ばあちゃんちの子犬の写真見ませんか、と。
そんなこんなを瑛汰と由之に喋り倒す気満々で来たのに。
……ちら、と、正面へ視線も向ける。
当の本人がこうしてこの場にいては、なんも喋れねぇ。推しの前で推し活するなど意味わからん。
そんでもって目の前には目を伏せて、デスクに肘をついてぺらりと参考書をめくる、誠斗――。
「…………」
(――……え無理ィ……)
羽玖、無理である。ビジュアルが無理。いやそりゃわかっていた。全校成績四位ということは勉強ができるということ。
だが実際にこう、この、強面の見た目のくせして静かに本を読む様を目撃したらもう無理。さながらインテリ付属の不良。不良ではないのか、それは見た目問題か。
「羽玖くん、電車混んでた?」
「はっ、えっ、」
隣からぽそりと囁かれた由之の声に、羽玖が思わず肩を揺らした。正面からも、誠斗と瑛汰の視線がこちらへ向く。
「あっ、そう、そうそうめっちゃ混んでたっす。あれでしょ、なんとかフライデー」
「みたいだね。僕が来る時もわりとすごかったから」
「まじすか。てか聞いて先輩、僕の前に来たリーマンがもうすんげぇ臭気纏ってて」
「ええ?」
くす、と肩を震わせる由之に、羽玖も可笑しそうに顔を寄せて笑う。
自習スペースではお静かに、を守るように潜められた声は、ぽそぽそとこのデスクにしか聞こえていない。
正面の瑛汰も、隣の誠斗に"そんな混んでた?"のような顎のしゃくりを送っていた。
「じゃあ災難だったね。具合悪くならなかった?」
「いやもうウエ~と思ってましたけど、まこっ……」
――と……、……と、由之を向いた笑顔のまま、羽玖が止まる。息と思考も一瞬止まったが、……思考はすぐさま動き出した。
あぶねぇ、誠斗さんに助けてもらって!と出るとこだった。
いや、それは別にいいのか、助けてもらったのは本当だ。
出力を、"推し"出力を下げればいいだけだ、と。
「……めっちゃ顔怖い男に確保されて」
「おい」
由之から一ミリも目を逸らさずに言い切った羽玖に、正面から低い声が飛んできた。腕を組んだ瑛汰が、天井を仰いで笑いを堪えているのが見える。
由之もまた、"なるほど……?"といった様子で、やや笑いを耐えて頷いてくれた。
「それなら……帰りも守ってもらえるね……?」
「おい」
「ングッ、俺ちょっとトイレ……!」
笑いそうになりながらも駆け足で離席していく瑛汰と、仏頂面の誠斗。
でしょう?とかすかににやける由之に囲まれ、……羽玖は、"それはずるいっす由之パイセン……!"と頭を抱えていた。



