元ヤンの血が騒ぐのは鈍感な先輩のせい

 今日は10時からシーン5の撮影を大学で行うことになっている。

 9時だというのにまだ布団から出ることができない。
 昨日の夜からひたすら泉水と梅浦君のことを考えていた。

 自分は恋愛経験が少なすぎる。
 同時に二人から好意を抱かれた時に、どうすればいいのか全く分からない。

 考えても仕方ないけれど、そろそろ布団を出ないと他の人に迷惑をかけてしまう。
 重い体をゆっくり起こし、布団を無造作に放り投げる。

 夏休みに入ってから起床ルーティーンは崩れてしまい、いつもなら布団を畳むのに整える気力が出なかった。

 グラノーラに牛乳を入れ、雑に混ぜて口に放り込む。
 ときどき、牛乳をしみ込み切れなかった硬いオートミールが歯茎にぶつかり痛みを感じる。

 腫れた歯茎に固い歯ブラシをこすり、突然の痛みにしばらく苦しんでいた。

 服を着て、適当に髪を整えて急いで家を出る。

 寮の門を潜り抜け、歩き始めると背後から「小栗ー」と無駄に大きな声が聞こえた。

 振り返らなくても誰の声だか判断できる。
 花びらが風に舞うように軽やかに隣に着地して、彼女は満面の笑みを浮かべて「おっはよう」と言った。

 泉水天音、この人は俺のことが好きらしい。

「おはよ」
「ねねね、また今度恋愛映画のリベンジしない? 次は感想文を書いてもらいたい」
「そこまでしたくないよ、意味分からなかったし」
「いいじゃんいいじゃん、夏撮影のためにもさー」

 彼女のテンションは昼夜関係なくいつも高い。
 明るくていつも笑っていて、誰とでも話せるムードメーカー。

 今日話していても思ったけど、本当に俺のことが好きなのだろうか。
 梅浦君のようにキスなんかしてこないし、俺に対して他の人と同じような接し方をしている気がする。

 まさかあれは、藤門の嘘だったりするのか……
 いやでも、嘘をつく理由も意味が分からない。

 俺は藤門と言う人をあまり知らない。たくさんの噂でできあがった人だと勝手に感じていた。

 そういえば泉水と藤門は仲がいいのだろうか。

 サークル外で一緒にいるところを全く見たことがない。

「泉水ってさ、藤門さんと仲いい?」
「え、仲いいけど」
「そっか」
「どしたの急に、仲悪く見えた?」

 泉水は俺を怪訝そうに見つめて、明らかに俺の質問に違和感を抱いたようだ。

 いつもの俺なら他人にそこまで興味がないから、人に対する質問をあまりしない。基本的に噂話にも全く興味がないことを泉水走っている。

「なにかよからぬ噂でも?」
「いや、そういうのはなくて。梅浦君のことで……」

 そこまで言いかけて口を閉ざす。
 勝手に人の恋愛話をばらすのは絶対に良くない。

 でも、藤門の言動の真意が全く理解ができないから、なにか手掛かりになるものが欲しい。

「梅浦君と藤門って主人公とヒロインなのに、あんまり仲良さそうじゃないでしょ。あの二人をどうにかしたくて、でも藤門が嫌われることってあんまり考えられないからさ、いろいろ原因を考えてみて、俺って藤門のこと何にも知らないなって気がついて」

 適当にそれっぽいことを言ってみたつもりだが、泉水の表情は少し暗くなっていた。

「桜子が心配?」
「まぁ」

 ここは嘘でもYesと言わなければ分かってもらえない。
 本当は藤門という人間性を知らないだけだというのはなんだか恥ずかしい。

 他人のことを質問すると、無駄に緊張するのはどうしてだろうか。

「桜子は強いから大丈夫だよ」
「でも……」
「そんなに桜子が心配ー?」

 明るい声なのに、どこか強がっているように見えた。無理に笑っているというか、ときどき泉水はこういう表情をする。本音を必死に隠そうとしているけれど、周りから見たらばればれなこのぎこちない笑顔。

 大学に入ってから何度か見た。
 おそらく性格の明るい彼女でも、人には言えない悩みや葛藤があるのだろうと決めつけていた。しかし、どうして今この表情をするのだろうか。

「桜子は梅浦君に冷たく扱われても全然気にしていないよ。あの人メンタル強いもん」

 わざとらしく笑って本音を隠している。
 このままだと完全にこの話題が終わってしまう。そうはいかせない。

 頭の中で泉水が必死に食いつきそうな話題を思い浮かべ、一つの答えができあがる。

「俺、恋バナしたいんだ!」

 犬の散歩をしていた通行人のお姉さんが足を止めてしまう。
 さっきまでうるさく鳴いていたカラスが突然鳴くのをやめてしまう。

 少し前を歩いていた泉水はゆっくりこちらに振り向いて、目を輝かせて一気に俺に近づいてきた。

「……え、えええええ!! どうしたの! 好きな人できたの!! 小栗の口から恋バナがしたいって!」
「いや、好きな人ができたとかではなく……」

 興味のある話題に素直に食いついてきてくれて、本当にありがとうと感謝しかない。

 しかしここから藤門の話題に結び付けるのは難しい……
 まずは泉水が気分が良くなるまで、適当にこの話題を広げてそのあとに聞いてみるか。

「じゃあ、告白された?」

 ドクンと心臓が大きく跳ね上がった。

 泉水がすっと顔を近づけて、俺の顔を覗き込んだ。
 彼女の黒くて大きな瞳の中に俺が映っていた。

 梅浦君の瞳は茶色だった、とぼんやり思い浮かぶ。

「……否定してよ」

 彼女はそっぽを向いて歩きだしてしまった。
 俺は慌てて彼女の後を追った。

 否定できなかった。いや、だって本当の事だから、体が嘘つくのを拒んでいる。

「どんな子に告白されたの?」

 彼女の声は静かだった。さっきの高まった興奮の気配が一瞬にして消えてしまった。
 告白された、と聞けば彼女ならもっと喜んではしゃぐのかと思っていたけれど、案外そうじゃないのかもしれない。

 ……いや、藤門の言うことが本当なら、泉水は俺のことが好きなんだ!

 待って、今の俺は泉水に恋愛相談を持ち掛けていたのか。それって彼女からしたら一体どうなんだ! 
 絶対何か間違っている、けれどここまできて変更できる話題も持っていない。

 自分の鈍感というか、馬鹿さが本当に嫌になる。
 もっと彼女のことを考慮して発言しろよ……

「小栗?」
「あ、なんだっけ」
「だから、どんな子に告白されたの?」

 どんな子、と言われて梅浦君を一言で表すのは相当難しい気がした。
 とりあえず最初に思い付いた彼の性格を口に出す。


「たまに切れる子」
「え、大丈夫? 告白の返事は断ったの?」
「いや、保留」
「すぐに断っちゃえばいいのに。切れる子と一緒にいて楽しいの?」

 梅浦君といて楽しいかと聞かれたら、楽しいに決まっている。
 けれど、楽しいから好きと言うのも俺にはしっくりこなかった。サークルの中で関わり、徐々に彼のことが分かってきたと思えば、すぐに彼のことを自分は何も理解してないんじゃないかと不安になる。

 まだ俺は、彼のことをあまり知らない。

「楽しいよ。でも、まだ告白の返事を決められない」
「そう……」

 泉水は小さくそう言うだけで、追加で何も言わなかった。
 彼女に恋愛話を持ち出してしまったのはミスだと思う。

 なんだか最近、自分が何か失礼なことを言ったり、相手の意図を汲みとれない時は『鈍感だから』と言い訳をしてきていたが、徐々にそれで片づけるのはよくないと気づかされる。

 鈍感なんてよくないだろう、ちゃんと藤門も、梅浦君のことも理解しないと前に進めない。


 ***


『玲、何を持っていたの……? それ、包丁よね。彼を殺そうとしたの?』
『ちがっ、違うよ成美。もう一度考え直してほしくて、あんなやつより俺の方がさ、成美を想ってるよ。どんなに遠いところにいてもさぁ』
『玲は、死んでるの! 私とあなたはもう、関わっちゃダメなの!』

 成美の拒絶で玲の精神はすり減り、もう追いかける気力すら残されていない。
 彼はようやく幽霊になり、成美に付きまとうのを諦める。


「いったんお昼休憩入りまーす。14時から始めるからそれまでにここに来てね」

 泉水がいつも通り仕切って、他の人たちが各々休憩していく。

 今日の俺は昼ごはんのおにぎりを忘れてきてしまったから、大学内のコンビニに行く。
 しかし、この社会学部等からコンビニのある経済学部は徒歩10分はかかってしまう。

 田舎の土地に作られた大きい大学だから距離があるのは仕方ない。

 財布をもって歩いていると、静かに梅浦君がとなりを歩いていた。

「梅浦君?」
「コンビニっすか。俺も行きます」
「そっか」

 昨日も会ったというのに、昨晩は藤門、登校は泉水と話していたからか随分久しぶりな気がする。

「梅浦君の演技は今日もすごかったねー、玲の辛い感情がこっちにちゃんと伝わってきたよ」
「あざっす。昨日緋色さんがいなくなったあと、ちゃんと練習したんで」
「自主練偉いよ。ほんと梅浦君が主人公やってくれて助かったよ」
「最初はやっぱり不安でしたけど、緋色さんと一緒にいる時間が増えたんで、結果的に良かったっす」

 笑顔で彼はそう言う。

 そういえば、彼は俺のどこが好きなのだろう。
 俺が彼と初めて会ったのは新入生歓迎会のときだと思っていたが、彼はそう思っていなかった。
 その時に一体なにがあって、彼は俺のことを好きになっていったのだろう。

「梅浦君ってさ、俺のどこが好きなの?」
「鈍感なところ」

 そう言われ、俺は思わず足を止めた。

「それって欠点でしょ」

 人が考えていることを察するのが本当に苦手で、たまにその人を怒らせてしまう。
 梅浦君だって、何度もイラついていたじゃないか。

「かっこいいとか、優しいとか、そういうものを好きになるんじゃない? 鈍感って、ダサすぎるよ」

 もっと自分にはいいものがあるのかと期待していたのが馬鹿みたいだ。
 一番気にしている欠点が好きだとか、俺をからかっているのか……

「人って、誰しも欠点があるじゃないですか。仮に優しくてかっこいい人を好きになったとします。幸せなことに付き合っても、徐々にその人は時間にルーズなことが発覚したりします。その瞬間、冷めてしまったらその人との関係は終わります。人を好きになるって、欠点も愛せるかどうかがすごく重要だと思います」

 梅浦君はそう言って、俺の手をゆっくり握った。
 あんなに長いキスをされて恥ずかしいことはもうないと思っていたのに、優しく手を繋いだだけで俺の鼓動は加速していた。

「俺は、初めて緋色さんに会ったとき、あなたの鈍感さをかわいいと思って、そこから目が離せないんです。たまに鈍感すぎて腹立つときはありますよ。でもそれ以上に愛おしく思えるんです」

 彼は一つ一つの単語を噛みしめるように丁寧に伝えてくれる。

 俺は梅浦君の手を見て、今朝の泉水との会話を思い出す。
 泉水が俺を好きなのかは結局分からない。藤門が嘘を言った可能性もあるけれど、彼女からあの話を聞いてしまえば泉水を意識せずにはいられない。

 なんとなく、途中から泉水の会話のテンションが下がっていたのを感じた。
 彼女の変化に気が付いただけ成長したかもしれないが、なぜ変化したかの理由はやっぱり分からない。

 鈍感な自分が嫌だ、初めて自分のことを不快に感じてしまった。

「気持ちを察してもらわないと苛立たない?」
「全部を察するのは難しいと思いますよ」
「でも、俺は本当に察するのが苦手なんだよ。正直、梅浦君が考えていること何も分からない。何に怒っていたのかとか全然分からないんだよ。多分、愛おしくなんか……」

 今の自分が自分らしくない。
 今までさんざん鈍感と言われてきて、気にしてはいたけどそこまで本気で悩んではいなかった。

 それなのに今は、鈍感な自分が許せない。

 彼に嫌われたくない……今は良くても幻滅されたくない……

「緋色さん、撮影が終わったら俺とデートしてください」
「え、デート?」
「来週の金曜日には撮り終えますよね。そのあと、俺とどっか遠出しましょ」
「全然いいけど」
「俺、泉水さんの恋愛映画を見て反省したんです。好きって想いを伝える一番最強のやり方がキスだと思っていたんすけど、多分間違ってました。憧れの先輩がやってるのを見てマネしてて、でも緋色さんからしたらやばいことやってましたよね」

 梅浦君はまっすぐ俺を見て

「緋色さんから告白されるまで、俺はキスしません。もっと行動と言動で好きにさせます」

 はっきりと芯のこもった声で言われた。

 キスのこととか、ツッコミたいことがたくさんあるのにその気力すら今の俺には湧いてこない。

 自分の行動を省みて、ちゃんと次にやることを決めてそれを宣言できるのがかっこいい。
 それにくらべて俺は……

 こんな後輩に好かれてもよいのだろうか……