元ヤンの血が騒ぐのは鈍感な先輩のせい

 その後は泉水の持ってきたDVDプレイヤーで恋愛映画を一つ見終えて、俺はバイトがあるため梅浦君の家を出る。

 キスをしたといういのに、彼は何もなかったかのように接してきて、俺だけ変に意識してしまっていた。

 恋愛映画でキスシーンが流れ、俺は反射的に梅浦君を盗み見した。
 彼はまっすぐテレビを見ていて、俺の視線には全く気付いてくれなかった。

 初めてしっかり恋愛映画を見たというのに、俺の頭の中には梅浦君とのキスのことだらけで、泉水から感想を求められた際は何も出てこなくて彼女を怒らせてしまう。
 強いていうなら、最期のキスシーンくらいだろうか。

 そんなことを泉水に言ったらさすがに殴られると直感的に理解した。

 梅浦君との別れ際、泉水が彼に背中を向けた隙をついて、彼は自分の唇にそっと指を添えてにやりと微笑みながら俺を見つめてきた。

 何度も梅浦君の唇の感触が今も鮮明に思い出せる。
 絶対に変な顔をしているから泉水に気づかれないよう、いつも通りを必死に演じて何とか乗り切ることに成功した。

 一度家に帰り、バイトの荷物をまとめる。
 俺は大学近くのファストフード店でバイトをしている。一人暮らしで親からの仕送りもあるから、多くのものを求めなければ自分で働かなくても生活をすることはできる。

 大学一年生のときは働かずに過ごしていたが、長期休みの間は予定がないと本当に暇でホームシックになりかけてしまった。それならバイトをして、何か作業をしていようと決めて今年の3月からバイトをしている。

 寮から徒歩10分という近い場所に位置しているため、知り合いが来ることも珍しくない。

 そして今日は珍しい同級生と遭遇した。

「小栗君じゃん。ここで働いていたんだ」
「そーだよ。藤門さんはなんでここに? 実家からかなり遠くない?」

 彼女はたしか大学まで電車に一時間乗ってきていると言っていた。
 他にサークルも入っていないと聞いていたが、実は他の委員会などに入って授業のない日も大学に来ていたのだろうか。

「遠いよ。今日はね、小栗君に会いに来た」
「え、なんで」

 彼女はいつものように朗らかに笑わずに真剣な目で俺を見ていた。

「相談、があるの」

 彼女の相談とは一体何だろう。それにわざわざ電車に一時間も乗って俺に会いに来たということは、他の人がいるところでは話せないものなのだろうか。

「バイトが終わるまで二回の席に座ってるね。何時に終わる?」
「夜の八時だよ。あと四時間もあるけど大丈夫?」
「全然平気だよ。注文していい?」

 彼女はエビアボカドバーガーセットにブラックの珈琲を注文してきた。
 藤門さんってブラックコーヒー飲めるんだ、上品だから紅茶とかのイメージだったけど見た目で判断できないものだなとどうでもいいことを考えていた。

 カウンターで彼女にバーガーを渡して、階段に上っていく彼女をぼんやり目で追いかける。

「なぁなぁ、あのかわいい子誰だよ!」

 彼女の姿が完全に見えなくなったところで、同僚の鈴木君が食い気味に尋ねてきた。周りの人もじりじりと俺に距離を詰めてくる。

 このバイトは女子が多めなのだが、昼過ぎの時間だと男子が占める割合が高くなる。
 俺はいつもその時間帯を狙ってシフトを出していて、男子の中でも一番話せるのがこの鈴木という男だ。

 彼の家はここから歩いてすぐらしく、近いという理由だけで選んだらしい。
 俺とは大学は別で、会うのはバイトの時以外はない。

「同じサークルの女子だよ」
「彼女かなんだ? 相談って、なんだよ! 付き合ってるのか! いや、まだ友達か! 今いい感じなのか!」

 勝手な憶測が荒れた天気の川のようにどんどん流れてくる。
 ちょっと面倒くさいなと顔に出たのか、彼はハッとして黙りだす。そして焦った様子で「ごめん、つっこみすぎた」とすぐに謝ってくれる。

 こういう素直なところが、鈴木と一緒にいても楽な理由だと思う。
 うるさいけれど、人の話はちゃんと聞くときは聞くし、人の顔をみて様子を察するのも上手だ。ただ、うるさいだけだ。

「本当にサークルの人。友達って言うほど親しくもない、だから相談って言われてこっちが戸惑ってる」

 藤門の相談とは一体何だろう。
 俺と藤門のつながりはサークルしかない、ってことは夏撮影のはずだ。

 一つ思い当たるものがあるとすれば、梅浦君のことだろう。
 他のメンバーとゆっくりと話せるようになる梅浦君だったが、藤門桜子に対してはずっと雑で冷たい対応のままだった。

 一体なぜ彼はそこまで彼女を嫌がるのか、俺にはよく分からない。
 泉水に聞いてみても、彼女も分からないと答えた。

 これは俺が鈍感だからという理由ではなさそうで少し安心してしまった。
 しかし、これは夏撮影が順調に問題なく進むためにも、できれば解決したいものだ。

「たしかに、あんなかわいい子と小栗が付き合ってるの想像できないわ。他に彼氏いそうだな」
 鈴木はそう言って厨房の中に行ってしまった。

 今日の藤門は一体何を相談するのだろう。
 平日の昼過ぎで駅から近くもないファストフード店には客が全く来ない。

 来たとしても熱い外から逃げたくて、飲み物だけ注文して長時間おしゃべりをするおばさん達ばかりだ。

 調味料の補充をしても客が来なければ全く減らず、やることがだんだんなくなっていく。
 時計を何度も確認するが、その度に進むのは数分程度。

 やることがない、暇だ。

 時間が早く進んでほしいと思うのに、今日のバイトはいつもより長く感じられた。


 ***


「お待たせ」

 バイトが終わり、急いでロッカールームから二階に駆け上がり藤門の姿を探した。
 彼女は窓際の席で文庫本を読んでいた。

 俺に気が付くと静かに本を閉じて鞄の中に閉まっている。

「わざわざありがとうね」
「いや全然、それより相談って?」

 長かったバイトから解放されて、俺は急かすように彼女に質問をしてしまった。
 すぐにしまったっと反省するが、彼女は嫌な顔を全くせずに微笑んでいた。

「まずは座ったら?」

 たしかに俺は立ったままだった。
 促されるままに席に座り、呼吸を整えて再度問いかける。

「なにかあったの?」
「……私、好きな人がいるの」

 彼女は頬をリンゴみたいに赤くして、もじもじしながらそう言った。

一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
 聞き間違い? 彼女はまっすぐした目で俺を見ていた。
 これは冗談ではなく本気だ。

 まさか実家からここまできて俺に恋愛相談? やっぱり理解しがたい。
 彼女と恋バナをするほど親しくもないし、そもそもこの人とサークルの話しかしたことない。

 一体なぜ……?

 頭上にとめどなく?マークが作り続け、なんとか言葉を出そうと思うのに、この場に適した言葉が何も出てこない。
 よくよく考えてみれば、人生の中で人と恋バナをしたことが全くない。

 小学生の修学旅行のときに、初めて夜に「好きな人を教えて」と聞かれて言葉の意味を全く理解できなかった人間だ。
 中学生、高校生も恋バナというものに一切触れずに生活をしてみせた。

 恋愛というネタがなくても人生は楽しいと証明できる自信がある。
 恋愛映画以外のエンタメを俺はいくらでも語ることができる。

 しかし今、女子の恋愛相談に直面してしまった。
 今日初めて恋愛映画を見て、内容を梅浦君のキスのせいで全く覚えていない自分が役に立つだろうか。
 否、役に立つわけがない!

 彼女の人選ミスすぎる。もっと藤門は賢い人だと思っていたのに、どうして一番はずれの俺を引いてしまったのだろう。

「私ね、梅浦君と付き合いたいんだー」
「……え」

 たくさん考えていたことが、彼女の一言だけですっと消えた。
 俺の思考回路を一瞬で消してしまうくらい、彼女の言葉の衝撃が大きすぎた。

 今、梅浦君って言った? 誰だろうとまだ考えていなかったけど、仮に考えても彼は一瞬で除外される人だ。
 どうして? あの冷たくて常に藤門を睨むような彼のことを好きになるのだ?

 恋愛に興味がない俺に理解できないだけなのだろうか、泉水が聞いていたら彼女は一体どんな反応をするのだろうか。
「なんで梅浦君!」と騒ぐに決まっている。俺だって騒ぎたい、のに藤門の恥ずかしそうに俯く姿を見ていたら、そんな態度は失礼だと思う。

 彼女の気持ちを否定はできない、けれど違和感が強すぎる。
 どうして梅浦君なんだ?

 それに、梅浦君は俺のことが……

「梅浦君と仲良くなりたいから、協力してくれない?」
「協力って、何をするの?」
「できるだけ二人きりにしてほしいの」
「二人きりって、失礼なことかもしれないけど、藤門さんって彼からよく思われてないこと、さすがに気が付いてるよね?」

 最初ははっきりと伝えていたのに、後半は尻すぼみになってしまった。
 かなり失礼なことを言った自覚はある。

 しかしあんなに冷たい対応をされ続けた藤門が、快く思われていないことに気が付けないのはさすがに信じられなかった。

 彼女はしばらく考えてから、上目遣いで俺と目をしっかりと合わせた。

「私、追うのが好きなんだよね」
「追う?」
「好きな人を追いかけて、好きにさせるのが好きなの」

 ほほー、そういう人がいるのか。
 たしかに梅浦君は彼女に対して気は全くない。そんな彼を好きにさせたいと、ふーん。

「それって難しくない?」
「うん、だから協力してほしいの」
 なるほど、俺に相談してきたというのはそういうことか。

 おそらくサークルの中で梅浦君と一番話しているのは俺の自信がある。
 彼は他の一年生と話せるが、気が付けばいつも俺の隣に立っている。

 鈍感な俺でも、彼がわざわざ一年生の輪を抜けて俺の方へ来ていることくらい理解できた。
 それを藤門はちゃんと見ていたのだろう。

 藤門に協力をするということは、梅浦君の気持ちを断るということになる。
 こんな、藤門という人間が入ってきただけで、彼の気持ちに応えるかどうかを判断するのは間違っている。

「……ごめん。俺って恋愛のことよく分からないから協力できない。多分役に立たないよ」
「えー、そっか。まあそうだよね。じゃあいいこと教えてあげる」

 彼女はそう言って、ゆっくりと頬を動かして不敵な笑みを浮かべた。
 初めて、彼女の本心が見えたような気分だった。
 腹の内をさらして、もう何も隠す必要がないとはっきりと線引きをしているようだ。

「天音、君のこと好きだよ」

 悪魔のような囁き声で彼女はそう言った。

 戸惑いという言葉がしっくり来た。
 どうして今、泉水の名前が出てくるんだ? いいことってどういうことだ。

 俺は頭の中がぐちゃぐちゃで混乱しているのに、藤門は楽しそうにキャッキャと声を弾ませて言う。
 
「絶対に二人は両思いだと思っていたんだけど、小栗君てきに天音はどうなの? やっぱり特別?」

 俺てきにって、なんだよそれ……
 なんで勝手に盛り上がってるんだ。俺の考えはまだなにもまとまっていない。
 梅浦君だけじゃなくて泉水の名前を出さないでくれ。

 彼女は確かに接しやすいし、仲良く話せて一緒にいるのは楽しい。
 それを『好きな人』と定義するのは簡単にできない。適当じゃダメに決まっている。

それなのにこの女は一人で盛り上げて話の収集がつかないところまで持っていこうとしている。

「めっちゃ二人いいと思う。お似合いだよ。あんなに可愛くて明るい女の子に好かれるなんて、小栗君は幸せ者だよ」

 可愛くて明るい女の子……
 人から好意を抱いてもらうのは嫌ではない。
 可愛くて明るいなんて、男子なら好かれて嬉しい条件だということはさすがに分かる。

 俺が普通に恋する人ならきっと喜んでいただろう。

 でも、それなら梅浦君は?

 彼に好意を抱かれて、俺はどう思ったんだ?
 可愛くて明るくもない梅浦君に好かれる俺は幸せ者ではないのか?

 そんなこと、ないに決まっている。

 彼の気持ちに応えるかは別として、彼に告白されたあとでも、一緒にいることは楽しかった。演技の練習の合間に雑談するのも本当に楽しい。嫌悪感なんて一切ない。

 彼のせいで不幸になんかなっていない。

 俺は感情に名前を付けるのが苦手だ。
 ぼんやりとしたものに名前を付けてしまえば、それが正解だと決めつけてそこから逃げられないような気がする。

 恋する感情は俺が考える限りぼんやりとしたものだと思っている。

 好きって自覚するのは難しいと思う。
 真剣に考えないといけない、のに……

 どうして泉水の名前が出てきてしまったんだ。

「二人がうまくいくように願っているね」

 藤門はそれだけ言って、俺を残して席から離れた。

 窓の外では雨が降っていて、夜の店内は恐ろしいほど静かだった。

 俺は脱力して机に頭を伏せる。
 梅浦君と泉水の顔を思い浮かべては、頭が痛くなりどちらも消してしまう。

 俺は、どうすればいいんだろう……