元ヤンの血が騒ぐのは鈍感な先輩のせい

「今日はシーン1とシーン6を撮り終えることができましたー! みんなお疲れ様ー」

 泉水が深々とお辞儀をすると、周りから温かい拍手が生まれる。

 時刻はすでに19:00を過ぎていた。

 シーン6は幽霊の玲が成美に会って再びお別れをするシーンだった。
 この成美という女性は遠距離恋愛に自信がなく、玲と別れる決断をするがすぐに寂しくなり、言い寄ってきた他の男性とすぐに交際をしてしまった。

 玲と再会したときに、成美は別の彼氏がいることを隠していた。
 しかし、玲の目の前に彼氏が現れて、彼は深い傷を心に負う。

『さっき見てわかったと思う。蓮が今の彼氏なの。だから、あたしにもう関わらないで』
『いや、なんで……? 早すぎない? 俺と付き合ってた時に彼をキープしてたの?』
『違う、でも、好きだとは言われてた。私は、一人で生きていけない。誰かがそばにいないと生きられないの!』

 成美はそう言って涙を流す。

 一応目薬を用意していたが藤門は難なく涙を流して見せた。

 このシーンの梅浦君も本当に素晴らしかった。
 苦しくて整理できない感情を必死に抑える姿が、誰もが玲のものだと錯覚した。

 泉水も感極まって「素晴らしい」と連呼していた。

「明後日は成美の彼氏役の今井君がくるので、シーン5の成美と彼氏がイチャコラするのを玲が遠くから見つめて彼氏を傷つけようとする場面しまーす。みんな脚本は読んでおいてねー。ということで今日は解散!」

 各自駅へ向かっていく。

 その中から梅浦君がまっすぐこちらへやってくる。

「緋色さん、明日暇っすか」
「あー、午後にバイトあるから午前なら暇かな」
「練習付き合ってください」
「おっけー」

 彼は一礼をして、他の一年生と合流して帰っていく。
 ちゃんと練習するなんて真面目だなー。

「梅浦君になんでそんなに好かれてるの?」

 背後から藤門が聞いてくる。

 俺が好かれてるわけないだろって言いたいけれど、一応告白はされているから好かれているのは事実だろう。
 なんで、理由を考えたことがなかった。

「わかんない」
「小栗はそこらへん疎いよねー」

 泉水がからかうような調子で聞いてくる。
 それをさらにからかうような調子で藤門が重ねる。

「疎いせいで人からの好意を全く気付かないで、振り回される子もたくさんいるから罪な奴だよね」

 その瞬間、泉水が藤門の方を向いてポコポコと彼女の体をたたいている。

「何してんの泉水……?」
「なんでもないよ!」

 わざとらしく大きな声で笑う泉水を、優しく見つめる藤門。
 泉水が妹で藤門がお姉さんみたい。

「そうだ小栗、明日空いてたりする?」
「あー、なんか会議とか必要な感じ?」
「いや、明日見たい映画があってさー、よかったら見に行かない?」

 明日はさっき梅浦君に誘われちゃったからなー。

「ごめん、明日は予定があっていけない」
「そっかー……全然いいよ! 急でごめんね」

 申し訳なさそうに謝る泉水、彼女は何も悪くないのにどうしてしんどいのを我慢するような表情をしているのだろう。
 俺の予定が空いていないのが悪いだろう。

「……梅浦君」

 藤門がポツリとそう言った。

 え、さっきの話を聞いていた?
 藤門はやっぱり穏やかに笑っている。

 それなのに笑顔の裏に隠されたものがあるような気がする。

 そこまで深く捉えない方がいいのだろうか。

「梅浦君と予定があるの?」

 泉水にそう言われて、俺はさっきの梅浦君を思い出しながら伝えた。

「そうなんだよね。演技の練習に付き合ってほしいって」
「梅浦君熱心だね」
「天音が二人と一緒に練習に付き合っちゃえば? 監督の指示があると彼のためになるんじゃないかな」

 藤門が提案すると、泉水は首を横に振って断った。

「さすがに邪魔できないよ」
「でも、泉水来てくれたらありがたいかも! 俺さ、次のシーンのところに感情移入できなくて困ってたからさ、監督にいてもらった方が梅浦君の演技良くなると思う!」

 これは本音だ。
 脚本を何回読んでみても、玲が成美の彼氏に手を出すところがどうしても理解できなかった。
 
 もう気がないと分かったのならさっさと離れたほうが成美のためになると思う。
 それなのにいつまでも執着しているのはカッコ悪いなと感じてしまった。

 でもこれは俺の感想であり、監督である泉水の考えとは異なるはずだ。
 ここは監督にいてもらった方が絶対に良いものになるに決まっている。

 泉水は複雑そうな表情で俺をじーっと見ている。
 隣の藤門は愉快そうに笑っている。

「どうしたの?」
「いや、なんでもない」

 泉水と藤門は目を合わせて、彼女たちにしか分からない会話をしている。
 女子ってよく目だけで会話できるよなー。

「小栗、じゃあ明日行くから、どこに何時集合?」
「それはまだ決めてないから、決まったら連絡する」
「分かった。じゃあ、今日は帰ろう」
「はーい」
 

 *** 


 次の日の朝、泉水と待ち合わせをしてから梅浦君の家へ向かう。

 俺らの寮から梅浦君の自宅までは徒歩で40分はある。歩けないことはないが、ちょうどいいバスがあるのでそれに乗っていくことになった。

 昨日の夜に泉水が来ることを伝えたが、既読が付いただけで返答が来なかった。

 しかし今日の朝スマホを開くと『了解です』と送られてきていた。

 そして不思議なことに、そのメッセージの前に四つの削除されたメッセージが残っている。
 了解ですと打つだけなのにこんなに誤字をすることがあるのだろうか。

 消されたメッセージの意味を深く考えずに俺は泉水と合流した。

 バスに揺られて約20分、すぐに梅浦君の自宅へ到着した。

 家の前には梅浦君が立って待っていた。

「こんちわ」
「やっほー、急に来ちゃってごめんね。これお菓子でーす」

 すぐに差し入れを出す泉水、それを遠慮せずに受け取る梅浦君。

「あざっす。これ、なんですか?」
「饅頭だよ! 偏見だけど洋菓子よりも和菓子のほうが好きそうだなって思って」
「よくわかりましたね。俺和菓子ばっかり食べます」
「やった嬉しい!」

 二人が楽しそうに話しているのを後ろから遠目で見ていた。

 梅浦君、泉水とは普通に話せるのにどうして藤門はダメなんだろう。
 初対面の印象は一番よさそうに思えるけれど、実はそんなことなかったりするのかもしれない。

 部屋に案内されて、今日は床に座るように促される。

 ちゃぶ台に俺と泉水が隣に座り、梅浦君と向き合う形になった。

「泉水さんは今日どうしてうちに来たんすか?」

 梅浦君が水を運びながらそう言うと、泉水はびっくりした様子で俺の方を見つめてくる。

「え、言ってないの?」
「言ってない」
「……小栗が、脚本を理解できないから監督に来てほしかったんだって!」

 大きい声でそう言うと、梅浦君は首を傾けた。

「理解できないってどういうことっすか」
「成美の彼氏が憎くて包丁を持って会いに行く場面があるでしょ。そこが理解できないんだって」
「え、どういうことっすか」

 珍しく梅浦君が動揺している。
 そんなに変なのかな俺が……

「だって、別れようって言われてるんだから言うこと聞けばいいじゃん。なんで彼氏を消そうとするのか意味分からない。さっさと引けばいいじゃん」

 どうせ幽霊なんだし、生きている人に危害を与えるなんてちょっとおかしくないか……?
 それに幽霊が触ったものは一時的に幽霊化する。だから包丁で人を切ってもスルッと包丁がすり抜けてしまう。

 結局その現場を成美に見られてさらに二人の仲は険悪なものになってしまう。

 どうしてそこまで彼氏を憎むんだろう。

「先輩って、まっじで恋愛分からないんですね」

 引き気味に梅浦君がそう言う。
 蔑むような目つきにさすがに俺もショックを受ける。

「よし、今日は恋愛映画をみんなで見よう!」

 泉水が張りきった様子で鞄からDVDを三枚くらい取り出してきた。

「え、なんで」
「副監督の小栗がそんなんじゃ絶対にダメ。私と梅浦君が解説するから恋愛を学ぼう!」

 なんでそうなるんだよ。
 恋愛映画も漫画も全く見たことないって……

「すみません、俺の家にテレビないっす」
「え、がちじゃん! ならDVDプレイヤー持ってるから家から持ってくるよ!」
「そこまでして見なくてもよくない?」

 今日は梅浦君の演技の練習のはずだったのに、どうして恋愛を見なきゃいけないんだよ。
 絶対に梅浦君嫌がってって……

 意外と目を輝かせて乗り気な雰囲気を出している。
 嘘だろ、この中で恋愛映画に興味ないの俺だけ?

「うるさい小栗、あんたのためにやるのよ! 梅浦君もこのあと練習するなら、小栗に恋愛のこと理解してもらわなきゃ困るよね」
「そっすね。泉水さん、お願いします」
「分かった! すぐ戻ってくる!」

 そう言って嵐のように部屋から出て行った。

 嵐が過ぎ去った天気は静かになるというが、まさしくこの状況がそうだった。

 二人きりになった状況が久々な気がして、そわそわしてかゆくもないのに頭をかいてしまう。

「緋色さんって、玲の行動を何も理解してないですか?」

 ポツリと言ったその言葉に冷やかしとかそういったものは一切なく、純粋に疑問に思っているようだった。
 俺は少しの間、脚本を思い出しながら自分が感じたものを言語化していく。

「人を好きになったことがないから、好きになるとどんな感じとか、何を考えているのか、ピンとこないんだよね。好きな人の彼氏を殺そうと思うくらい好きになるなんて、正直考えられないな」
「まぁ、人を殺すってのは現代だとあまりメジャーじゃないんで、そこは勘違いしないでほしいっすけど、人を好きになると狂いますよ」

 狂う、その言葉が恋と結びつかない。
 人がおかしくなるって、いったいどんな感じなのだろう。

 俺は梅浦君をまじまじと見つめる。
 この子は俺が好きだというが、狂っているようには見えない。
 狂うまで好きではないこと……?

「緋色さん、何考えてるんすか」

 梅浦君が不思議そうにこちらを見ている。

 俺は考えていたことを素直に言葉に出す。

「梅浦君は俺が好きとか言っていたけど、別に狂っているように全く見えないから、あんまりしっくりこなくて」
「……あ、そう」

 今まで聞いたことないくらい低く震えた声だった。
 梅浦君はゆっくり立ち上がり、ベッドに腰掛ける。そして彼の隣のスペースに手をポンポンと叩いて招いてくれる。

 俺も立ち上がって躊躇なく彼の左側に隣に座る。

「俺、今結構怒ってるんす」
「え、なんで?」

 むしろ今日はテンションが高いように感じていたけど、そんなことなかったのか。
 どこで怒らせてしまったのだろう。

「俺は、演技の練習をしたいんじゃなくて、緋色さんと二人きりになりたいんです」

 梅浦君は俺の右肩を強くつかんで彼の方へ引っ張られる。
 驚いて声を出そうとする前に、彼の唇を強く押し込まれた。

 またキス……?

 それにこれ、いつまで続くの? 前はすぐに離れてくれたのに、このキスはなんだかじれったい。

 離れたくないと強く訴えるみたいに何度も唇を押し付ける。
 逃げようとしてもどんどん追いかけてきて、いろんな角度から彼の唇と触れる。

 やっぱり唇って柔らかい、とぼんやり考えてしまう。

 不意に目を開く、すると目の前には至近距離でまっすぐ俺を見つめる梅浦君がいる。
 茶色くて鋭い目、彼はにこりともせずに黙って見つめてくるだけだった。

 彼と目が離せない、目が逃げるなっと強く俺の体に訴えている。
 鼓動がものすごい速度で大きくなっていく。胸の奥が鼓動のせいでじんじんと痛む。

 長いよ、長すぎる。

 俺はついに我慢ができなくなって彼の肩に手を置いて、自分から引き離すとする。
 しかし、彼の力の強さが俺以上にあって、後ろに倒れることなくむしろ前かがみになって俺のことを強く抱きしめてきた。

 そこでやっとキスは途切れた。

 なくなりかけていた肺の中の酸素を必死に取り戻すように大きく息を吸う。
 そうすると俺の肩を優しくぽんぽんと撫でてくれる。

「俺ってすでに狂ってるんですよ。あまりに狂ってると緋色さんに引かれてしまいそうなので、抑えてるんです。だから覚えておいてください。俺は狂ってるけど隠しているんですよ」
「そ、なんだ」
「俺が誘った意図を汲みとってくれなくて腹立ちますよ。直接泉水さんが来ること言われていたら、多分発狂して殴ってたかもしれないっす」
「え……」
「ちゃんと緋色さんのこと大好きなので、安心してください。その代わり、今は二人なので緋色さんをもっと感じたいです。緋色さんがいいならさっきの続きしますけど、どうします?」
「も、大丈夫、分かったから」

 まだ呼吸が整っていなくて、歯切れの悪い言い方になってしまう。
 それでも梅浦君は馬鹿にすることなく、優しく俺のことを抱きしめている。

「緋色さん可愛い」
「……可愛くないだろ」
「いや、可愛い」
「可愛いって言葉を俺に使うのは間違ってる」

 そう言うと、梅浦君が「うっさいうっさい」と言いながら強く抱きしめてきた。

「痛いって、なにしてんの」
「俺が可愛いっつったら、あんたは可愛いんだよ。静かにしとけ」

 乱暴にそう言いながら徐々に力を抜いて、抱きしめてくれる。

 この子もちゃんと狂っていたんだ。
 俺にキスするとか、ふざけては絶対にできないだろう。
 ちゃんと彼は俺が好きなんだ。

 ……でも俺は?

 ドキドキするのは事実だ。
 でもこれは、突然キスをされたからなのかもしれない。

 別に他の人にされても同じ風になってしまう気がする。
 彼を好きだ、という確証がまだ持てない。

 この感情に名前を付けられる日はやってくるのだろうか。

「これから、他の奴を呼ばないでください。断ってください。またあったら、まじで殴ります」
「え、呼ばないよ」
「殴るのは冗談」

 そう言って彼は甘いキスを頬にしてくる。

 やっぱり彼には敵わないかもしれない。

 怒ると怖いと思うけど、俺に甘えてくる姿はとてもかわいらしく見える。

 これはもう、恋と決めつけるべきなのだろうか……