元ヤンの血が騒ぐのは鈍感な先輩のせい

「ということで『幽霊になっても君が好き』の監督を務めます、泉水天音(せんすいあまね)です! そして助監督を務めてくれるのはー」
「小栗緋色です。よろしくお願いします」

 会議室が拍手に包まれる。

 今日は夏休み撮影の最初の会議。
 ここでは脚本の泉水があらすじを伝え、訂正したいことがあれば聞くし、逆に意見を聞く場でもある。

 集まったのは17人のメンバー。
 やっぱり二年生が圧倒的に少ない……

 二年生で着てくれたのはヒロインを務めることになった藤門桜子と俺と泉水の三人だ。
 逆に一年生は六人来てくれた。ちゃんと中には梅浦君の姿もある。
 やっぱり嫌だとか言われたらどうしようとか考えていたけど、この場に来てくれたということは本当に大丈夫なのだろう。

「じゃあさっそく演者を発表したいと思います。まずは主人公の花田玲役の梅浦朱里君でーす! ありがとー!」

 梅浦君はペコっとお辞儀をする。
 泉水は「本当にありがとー」と人一倍大きな拍手をする。

 泉水のテンションがいつもの倍高い……
 梅浦君が少しだけ引いた顔をしているのに気が付かないのか?
 
 まぁ、恋愛映画を撮れるのが本当にうれしいんだ。
 今までさんざんサスペンスに突き合わせてきたことが申し訳ない。
 今更になって罪悪感がじわじわとやってくる。

「続きまして、ヒロインの葉上成美役は藤門桜子(ふじかどさくらこ)でーす、ありがとー!」
「よろしくお願いします」

 上品に微笑んで綺麗な礼をする。
 藤門桜子は、おそらくこのサークルで一番容姿が整っているといっても過言ではない。
 整った顔に丁寧な所作から気品を感じられる。

 まぁそういうことだから、恋人がいない時期はほとんどないという噂が出回っている。
 これは噂だから真偽は不明だ。

 まぁ一番ヒロインにぴったりな藤門がやってくれることが泉水には嬉しくてたまらないのだろう。
 最初はどうなることか心配していたが、無事何とかなりそうでほっと息をついた。

 会議が終わり、各々部屋から出ていく。

 俺は泉水と今後の予定を相談していると、座ったままの梅浦君に藤門が近づいていた。

「藤門桜子です、桜子さんって呼んでいいよ。これからよろしくね」
「……っす」

 短っ……なんだよ最初の間は! 声ちっさ……

 小さい部屋だから、会話がもろに聞こえる。
 泉水も俺と全く同じ表情をしている。

 態度がちょっと不愛想すぎる。
 いや、藤門は綺麗な人だから、ただ単に緊張しているだけの可能性もある。

 藤門は全く表情を変えずにそのまま話を続けた。

「梅浦君って演技初めて?」
「……っす」
「私も大学生になるまで経験なかったの。一緒だね」
「……っす」
「恋愛映画で難しいところとかあるから一緒に練習しようね」
「結構です」
「「え?」」

 藤門と泉水の声が重なる。
 泉水は焦ったようにすぐに俺の背中に隠れてしまった。

 バレバレすぎんだろ、隠すの下手かよ。

 さすがの藤門も少し困った様子でおろおろしている。

「ごめん、急だったね。これから梅浦君と仲良くなりたいと思っていただけなの」
「平気っす。演技の練習は緋色さんに手伝ってもらうことになっているので」
「……ん?」

 藤門がゆっくりこちらを振り向いた。
 藤門は笑顔のままなのに、背後のオーラがどこか不気味な気がする。

「なんで小栗が演技の練習することになってんのー?」
 後ろから泉水が大きい声で突っ込んだ。

 部屋に残った人の視線が俺に集まる。
 突然向けられた人の目にさすがに俺も動揺する。

 何か変なことをしてしまっただろうか。
 いや、変か。

 俺って演者じゃないし、藤門とやった方が絶対にいいはず。
 あの時は、梅浦君に言われてなんとも思わなかったけど、藤門に練習を誘われて断るのは少し違ってくる気がする。

「たしかに、練習に付き合うとは言ったけど、藤門とやる方が本番に近くていいんじゃないかな?」
「……俺、あれなんす」

 梅浦君は小さな声でぼそぼそと何かを言う。

 うまく聞き取れなくて、少し距離を詰めて「もう一回」と伝える。

 梅浦君は、俺の顔をまっすぐ見ながらはっきりと言った。


「藤門さんが綺麗で緊張しちゃうので、本番一発で決めようと思ってます。完璧にするために緋色さんと練習したいです」


 少し棒読みなのが気になるが、やっぱり藤門にあんなセリフ言うのは緊張するのかー。

 恋人に言うようなセリフをあんな美人に言うのは演技でも緊張するのは分かる。けどそれなら……

「それなら練習の時から慣れていた方がいいんじゃないかなー。本番で初めて桜子の顔面拝んでたら、演技できないんじゃない?」

 俺が思っていたことを桜子が全部言ってくれた。
 本番一発で通すなら、やっぱり事前に二人で練習をしていた方がいい気がするが……

 梅浦君は不服そうに俺のことをじっと見つめていた。
 そんなに藤門とやるのが嫌なのかなぁ……
 むしろ男子からしたら嬉しかったりするもんじゃない?

「緋色さんと練習できないなら、俺は主人公おります」
「えぇぇ! それはダメ!」

 桜子が食い気味に首を振る。
 彼女にとって主人公を失うことは何よりも苦しいことだろう。

「分かったよ梅浦君。君は小栗と演技の練習をしなさい。いいね小栗!」

 無駄に大きい声が部屋中に響いた。

「俺はいいけど、藤門は大丈夫?」

「えぇ大丈夫よ」

 ふんわり微笑みながらそう言うが、やっぱりどこかオーラが怖い。
 この人基本的に笑顔だから、不機嫌な時の笑顔とかが分かりやすいんだよなー……

「先輩、さっそく今日から練習いいっすか」
「え、あぁいいよ」
「帰りましょ」
「あ、えっと、泉水―俺いなくても大丈夫?」
「うんー、小栗いなくても全然平気」
「言い方が辛辣だなー……」

 そうぼやいていると、梅浦君はもう荷物をまとめて廊下に出て行った。

「はやっ、じゃあまた連絡する」
「うん。演技頑張ってね」

 泉水の冷やかすような口調にもやっとしつつもすぐに梅浦君を追いかける。

「梅浦君っ出るの早いよ」
「すんません。早く練習したかったので」

 まさかこんなに真剣に取り組んでくれるとは思ってもいなかった。
 演技に集中したいならやっぱり藤門とやった方がいいと思うんだけどなー。

「藤門とやりたくないのって緊張するからなんだよね」
「いや別に」
「え!」

 さっき緊張するって言ったよね?
 さらっと矛盾したことを言われたんだけど。

 俺は驚きを隠せないのに梅浦君はなんともないように歩き続けた。

「俺は先輩と練習したかったんです」
「演者でもない俺だけど本当にいいの?」
「演者とかヒロインとかそういうんじゃなくて、俺が先輩とやりたいんです」
「そっかー、まあ男子同士のほうがやりやすいよね」

 普通に返事をしていると、突然梅浦君が足を止める。
 なぜ止まる? やっぱり彼の行動や言動はちょっと独特というか分かりにくいな。

「先輩って恋愛経験ありますか?」
「え、めっちゃ急じゃん。ないよ」
「ですよね」
「え、なんで?」
「いや、なんかムカついたんで」
「え、え、まってなんかした?」

 今度は早歩きで俺を追い越してしまった。
 急いで彼の隣に追いつくと速さをゆっくりにしてくれる。

「俺、一人暮らしで大学から近いので、そこで練習でもいいっすか?」
「え、突然お邪魔しちゃって大丈夫?」
「大丈夫です、行きましょ」

 梅浦君は嬉しそうに笑ってから俺のすそを握って歩き出す。
 不思議な子だな、というのが今日の印象。

 言っていることやっていることの理由がよくわからないし、さっきの笑顔も無邪気な子供みたいだ。
 見た目と違って礼儀正しいとか思っていたけど、ちょっと態度が悪い時もある。

 気まぐれなんだろうなー。

 俺は深く考えずに彼の家に向かった。「ここの三回が俺の家っす」
「へー随分綺麗だね。新築?」
「らしいっす」

 梅浦君が住むアパートは、白い壁のすっきりとしたものだった。
 新築だから壁も汚れも全くない。

 俺は大学の近くの寮に住んでいるが、梅浦君とは真逆の方向だった。
 静かで一人の生活は怖いから寮を選んだけれど、このアパートの目の前には遊具が揃った小さな公園があり、きっと昼間は子供たちが集まり賑やかになるのだろう。

 オートロックの扉を慣れた手つきで開き、すたすたと歩いていく梅浦に少し距離を空けてついていく。

 裾を握っていたのは最初の五分くらいだけだった。

 狭い歩道を歩いていた時に、後ろから自転車がきてとっさに手を離した。
 なぜ握っていたかはよく分からないが、裾を放してから彼の態度は少し暗くなっている。

 やっぱりよくわからないんだよなこの子……

「部屋片づけてくるので、少しここで待っていてください」
「おっけー」

 彼は扉を開けて中に入るが、なぜか扉が開いて隙間から彼の眼光が暗闇の中で光る。

「ぜっったいに、開けないでください」
「お、わかった」

 ゆっくり扉が閉められていく。

 何か見られたらまずいものでもあったのかなー。
 例えば卒アルとか?

「緋色さん、入っていいですよ」
「あ、うん。早かったね」
「……意外と散らかっていなかったんですよ」

 玄関はやっぱり狭くて、梅浦君の大きな靴と俺の靴だけで他の靴は置けなくなってしまった。

 廊下を抜けて奥のリビングに案内される。

「めっちゃ、綺麗な部屋、だね」

 新築で入居したばかりだろうか。
 圧倒的に物が少ない。

 ベッドと机とタンスが置いてあるだけで、整っているが寂しい部屋だった。

「座布団とかないんで、ベッドの上に座っちゃってください」
「え、いいの?」
「はい、緋色さんはお客さんですから。何飲みます? BOSSの微糖はたくさんあるんですけど、水とかのほうがいいですか? 一応もう夜なので」

 時計を見るとすでに時刻は19:00を過ぎていた。
 この後練習をするとなると、夜ご飯はそのあとか……

 それにしてもBOSSの微糖が家にあるんだ。あんまりそれを家に常備している人っていないような気がする。

「水でお願いします」
「わかりました」

 コップに水を注ぐ音が部屋に響く。

 この部屋は異常なくらいに何もない。

 少し部屋を見渡すと、タンスの大きさに少し驚いた。
 もしかしたら散らかっていたものをここに閉まっていたのかもしれない。

 梅浦君が必死に物をタンスの中に詰めているのを想像して、ちょっと可愛いなと感じる。

「どうぞ」
「あ、ありがと……」

 彼は両手でしっかりコップの底を支え、俺の目を見て深々とお辞儀しながら差し出していた。

「すっごい丁寧だね。儀式みたい」

 そう言うと焦った様子で首を横に振る。

「ちが、癖です」
「癖?」
「あっとー、俺の親が礼儀とかしつけが厳しかったので、多分それです……」
「そっか、だからしっかりしてるのか。梅浦君が礼儀良すぎて俺驚いたよ。大学生だと上下関係緩くなりがちだから、久々に俺って先輩だったわって実感した」
「俺は、先輩は絶対に敬います」
「まぁ緩くて全然いいよ」
「そういう訳にはいきません!」

 はっきりと強く彼はそう言った。
 少しだけ怒ったような声に俺は驚いて何も言えなかった。

 俺の表情を見て、何かを察した彼も無言になってしまった。

 テレビがない一人暮らしの部屋は、誰もしゃべらないと怖いくらいに静かだった。
 時計の秒針が徐々に大きく鳴っていく。

「俺、先輩に助けてもらったので、ちゃんといい後輩でいたいんです。先輩が緩くていいって言っても、俺はちゃんと……」
「助けたって、いつ?」

 すっと梅浦君の表情が無になる。

 ゆっくりこちらに顔を向けて、少しだけ震える唇をゆっくり動かした。

「お、覚えて、いないいいんですか?」
「えっと、いつだろう。新入生歓迎会のとき?」

 拳でも食らったかのように、梅浦君はベッドに倒れこんだ。

「え、え、どうしたの!? どっか痛い?」
「……自分ばっかじゃねぇの」

 腕で顔を隠したまま彼はそう呟いた。
 何が馬鹿なのか、主語がないからよくわからない。

 いったい彼はどうしたのだろう。
 この子の行動原理を理解するのが本当に難しい。

「梅浦君?」
「……いいっすよ、緩くいきます」
「うん、いいよ」
「……あんたって、何考えてるんすか」
「え、どういうこと?」

 梅浦君はゆっくり体を起こして、俺の両肩に手を置いて真正面から見つめてくる。
 しばらく彼は何も言わない。何かを言いたそうにしているように見えるけど、一体何を迷っているのだろう。

「好きだ」
「もう演技の練習?」
「………………くっそがぁぁぁぁぁぁ!?!?」

 突然の怒号に俺はさすがに言葉が出てこなかった。
 えまって、まってまってなんで怒ってるの? くそがってなに? めっちゃ顔面怖いんだけど、本当にこの子どうしたの?

「落ち着いて梅浦君!」
「落ち着いてられっかァ。なんなんだよあんたよォ! 鈍感なのか? 馬鹿なのか?」
「え、よく鈍感とは言われるけど……」
「じゃあそういうことだな鈍感先輩!」

 なんか言い方荒くなってない? あんなに丁寧だったのに、急に言葉遣い荒すぎない?
 情緒が不安定なのこの子……さすがに心配になるレベルなんだけど……

「いったん水を飲もう!」
「うるせぇぇ、俺はBOSSしか飲まねぇんだよォ!」
「いや夜だし、水のほうが……」
「うっせぇわ、てめぇは黙ってろ、いったん何も言うなァァ」

 この子と演技の練習しなきゃいけないの……?
 結構俺しんどいんだけど、大丈夫かなぁ……