僕のキスはニキビを治せる

 昼休み、咲也は市ノ瀬に誘われ購買部に向かっていた。
 今日は週の真ん中、水曜日。なんでも特別なメニューが出るとのことで、その戦力要員だった。
 市ノ瀬からは「すごいぞ~、人がいっぱいで!」という話だけ聞いていたものの、いざ現地に到着してみれば、その人混みは想像以上だった。パンを巡って、押し合いへし合いの争奪戦が繰り広げられる中、何とかお目当てのデラックス・サンドとやらを勝ち取った咲也たちは、この入り乱れる状況から早々に退散したのだった。

「ふう~、今日も散々だった!」
「い、市ノ瀬……これいつも食べてるけど……毎週やってんの……?」
「うん。だってこのデラックス・サンド、めちゃくちゃ美味いから」

 著しい疲労困憊で半グロッキー状態になりながら歩く咲也は、その隣でホクホクしている市ノ瀬を信じられないものを見るかのように見つめる。そんなにこのデラックス・サンドとやらは素晴らしいというのか。半信半疑で手元のそれをまじまじと見つめてみれば、口の中をじわりと唾が溢れるのが分かった。
 エネルギッシュなカツレツにエビフライ。鮮やかな黄色の炒り卵に、さらに彩りを添える新鮮なトマトとサニーレタス。それらをまとめるオーロラソース。……名前通りのデラックスだ。これが美味しくないはずがない。

「……やっぱり、頑張って良かったかも」
「だろ。まあ、今日はいつもと比べたら楽な方だったと思うけど」
「え?」

 あれが? と首を傾げれば、市ノ瀬はこくこくと頷いてみせる。曰く、普段はもっと混雑しているのだとか。それこそ押し合いへし合いどころか、掴みかかっての取っ組み合いになりかねないほどには。

「でも理由はなんとなく分かる」

 市ノ瀬が「あれ」と指差す方へ視線を向ける。渡り廊下の向かい側、そこには友人たちと話しながら歩いている未散の姿が見えた。凡庸なデザインの制服を、まっすぐな姿勢と丁寧な歩き方とで着こなす未散は、周囲の視線を自然に集めていた。
 咲也は思わずその光景に目を留める。ともすれば、未散を取り巻く生徒たちのうっとりとした嘆息が聞こえてきそうだと思っていれば、不意にその目がこちらを向いた。
 多分、たまたま。けれどほんの一瞬、視線が交錯する。咲也は反射的に顔をそらした。昨日、今朝と色々あって、どんな顔をすればいいか分からなかったからだ。それに色々と、思い出す気もないことまで思い出してしまう。
 未散の頬に触れた感触。
 唇が触れた瞬間の、あの小さな息。
 綺麗な、綺麗な、あの顔立ち──。

「……百川?」

 様子を窺う市ノ瀬に、咲也ははたと意識を現実に戻す。にへらと笑って「早く教室戻ろう?」とその場をごまかせば、市ノ瀬は「お、おう……」と言われるままに首を縦に振ってみせた。

「デラックス・サンド、食べてみたいな」
「急に興味持ち始めるじゃん」

 市ノ瀬の冷静なツッコミは気にせず、咲也はさっさとクラスへ向かう。
 未散がいないせいか、いつにも増して静かな教室で頬張るデラックス・サンドは、市ノ瀬のお墨付きもあって美味しかったのだが、印象に残るほどではなかった。


 ◇ ◇ ◇



「百川君、ちょっといい?」

 その日の放課後。つつがなく一日の授業を終えた咲也は、珍しい人物に捕まっていた。
 外はあいにくの曇天模様。天気予報では雨は降らないという話だったが、特に予定もないため、そのまま帰るつもりだった咲也には思いがけない展開だった。なぜなら相手は志島(しじま)という、未散のいつメンだったから。
 ……つまり、このクラスの一軍である。

「ど、どうしたの?」

 志島の派手な染め髪とピアスに気後れしつつ、咲也は尋ねる。ほとんど話したこともなければ、今後関わることもないだろうと思っていた人物と話すのは緊張した。が、当の本人はまるで気にする様子もなく、「用ってほどじゃないんだけどね」と小さく笑ってみせて。

「千葉から伝言預かってんだよ」
「……未散から?」

 志島の肩越しに席を確認すると、未散は既に席を外していた。終礼が終わって一、二分も経っていないというのに、ずいぶんせっかちだ。

「そう。これから三階のワークルームに来て、って」
「……えっ」

 咲也はつい顔を曇らせる。呼び出しなんてどういうことだろう。それもこちらの都合を一切考えていない、一方的なものだ。

「あっ。もしかして、予定入ってる?」
「ううん、大丈夫。ただちょっと、急だなって思っただけ」

 咲也の答えに、志島は少し驚いたようだった。「てっきり何か聞いているんだと思ってた」と言うが、咲也にしてみれば聞くも何もないのが本音だった。直近を除き、未散とは話すどころか、関わってすらいなかったからだ。

「千葉からは、『幼馴染だから大丈夫』って聞いてたんだけど」

 それもなかなかヘンな話だ。幼馴染だからといって通じ合っているわけではないし、相手の都合を無視していい理由にもならない。でも、未散は咲也の幼馴染ゆえに知っているのだ。こうして間に第三者を挟まれると、咲也が断れないことを。そして咲也も知っているのだ。未散は何かあったとき、こうして咲也の気を引くことを。

「……わかった。大丈夫だから、志島君は気にしないで」
「そう、なら良かった。千葉はなんか、うーん……普通に、話したいことがあるだけだと思う」

 むしろ用なんてそれくらいだろう。わざわざ別室で待っているのも、人に捕まりたくないのと、周囲に話を聞かれたくないからだ。

「伝言ありがとう、志島君」
「どういたしまして。それじゃ、また明日ね」
「うん。また明日」

 用を終えると、志島はくるりと背中を振り返り、いつもの面子の輪の中へと戻って行く。それを見送る中、「告白されんの?」というふざけた物言いが耳に入れば、咲也は視線を前に戻した。ジトリとした目で「その程度で済んだらいいんだけどね」と返すと、市ノ瀬はあからさまにぎょっとしてみせる。

「じょ、冗談だぞ?」

 もちろんそんなことは分かっている。ただ、この期に及んで自分を呼び出すなんて、未散はいったい何を考えているのだろうかと思っただけだ。しかもわざわざ、人を挟んでまで。
 何を言われても──それこそ告白されたとしても、おかしくなかった。