僕のキスはニキビを治せる

 見覚えのある光景だった。けれど、自分の記憶ではない──そう気づくまでに、少し時間がかかった。
 そこは白い煙がゆらゆらと昇り、甘くも涼しい白檀の焼香が匂い立っていた。人々のすすり泣く声が聞こえてくるのもあり、空気はずいぶんと厳粛で、骨を焼く炉の前には小さな背中がひとつ見える。
 後ろ姿でもすぐに分かった。あれは……幼い頃の咲也自身だった。

「咲也。大丈夫?」

 声をかけられた小学生の咲也が、ゆっくり振り向く。涙に濡れて真っ赤な顔。その瞳には、声をかけた相手が映っていた。
 白いポロシャツに黒のネクタイ。そいつは、その頃から背が高かった。

「み、未散……」

 咲也はやっと氷解する。
 これは未散の記憶だ。未散が見ていた「あの日」の光景──咲也の母の葬式に、参列者の一人として参加したときのこと。
 斎場の一角で、小さな咲也は火葬炉を見つめながら、必死に涙を堪えていた。

「……ママは、自分にできることをしたんだよ。だいすきな人を守ったんだ」

 幼い声がわなわなと震えている。それでも自分なりに、一生懸命、言葉を紡いでいた。

「ママ、すごいんだよ。かっこいいんだ。僕、ママみたいな優しい人になりたい」

 眦からぽろりと涙が落ちる。溢れ出す悲しみを必死に拭って、何とか前を向こうとする幼い咲也。未散は、その顔を見つめていた。何がすごいのか、何がかっこいいのか──その意味も分からないまま、ただ「……そっか」と小さく呟いて。
 未散の態度は淡泊なものだったが、冷たいとは思わなかった。なぜなら未散は、咲也の母が死んだ理由も、咲也と母の間に何があったのかも、何も知らないからだ。
 咲也の母の死因は、焼死だった。当時、平屋の一軒家だった百川家で火事が発生し、母と咲也をかばって逃げ遅れた父が火だるまになった。その場に駆けつけた救急医によれば、全身にやけどを負う致命傷だったらしい。しかし、母はそんな父を救うためにキスをした。父の痛みをすべて引き受け、そのまま命を落としたのだ。
 亡くなった今、なぜ父の身代わりになったのかは母のみぞ知ることだ。でも咲也は何となく分かっていた。

 ──いい? これは咲也が、自分にしかできないって思ったときにするのよ。そのときが来たら、きっと分かるから。

 母は咲也が小学校に上がってすぐ、自分たちに特別な力が備わっていることを明かした。魔法や特殊能力にしてはパッとしないそれを、咲也の指にできたささくれにキスしながら教えてくれたのだ。
 もちろん、幼い咲也はその意味をすべて理解していたわけではない。それでも母の指先へ移ったささくれを見れば、幼心にそれをすごいと思った。ささくれのような小さなものでも、「他者の痛みを請け負う」という優しさに憧れたのだ。そしてそんな中で、愛する人のために身を差し出した母の最期を見届けた。
 未散は、そんな咲也の姿を見ていたのだ。

(よりにもよって、あの日からか)

 不甲斐なさに恥ずかしくなる。今の自分は、とても母には及んでいなかったからだ。優しくもなければ、すごくもない、ただの凡庸な人間。幼い頃の自分が今を見たら、きっとがっかりしてため息を吐いてしまうに違いない。
 線香の匂いが強く香る。上品で、どこかもの悲しい煙は、世界をだんだんと曇らせていくと、記憶の景色を塗り替えていった。
 ……気づくと、そこは昼休みの廊下だった。
 懐かしく感じたのは、そこがかつて通っていた中学校だったからだ。見慣れた教室に、見慣れた制服。そして、やけに騒がしい女子生徒の声。
 未散は囲われていた。女子たちが数人、未散を捕まえるみたいに集まっていたのだ。「今日もかっこいいね」、「また背伸びた?」、「新しい髪型も似合ってる」──そんな黄色い声が飛び交っている。
 当時はわりとよく見る光景だった。思春期を迎え、恋やら青春やらを意識し始める年頃に、未散のような存在は魅力的だろう。中学に上がってすぐの頃から、未散はこの学校の有名人で、二年や三年の先輩たちからも頻繁に声をかけられていた。……もっとも、その内容はかならずしもポジティブなものとは限らなかったが。
 少し離れた場所では、男子生徒たちが嫉妬混じりの視線をこちらに向けている。「また女子に囲まれてる」、「調子乗ってんじゃね?」という声に、未散は密かにため息をついた。
 どう振る舞っても、誰かの機嫌を損ねてしまう──この頃ずっと、そんな空気が続いていたからだ。
 咲也は悟る。この記憶は、中学生の未散が周りとの付き合い方に悩んでいたときのものだ、と。まっすぐで芯のある未散だったからこそ、周囲のことに責任感を覚えるばかりだった苦々しい日々。そんな中で、当時の自分は素知らぬ顔でこちらへと歩み寄ってきて。

「未散、ちょっと来て」

 女子たちの輪の中に割って入るでもなく、男子たちの視線を気にするでもなく、ただ自然と未散の腕を引いた。

「……え?」
「いいから」

 そのまま廊下の端まで未散を連れていく。廊下にいた生徒すべての注目が集まっても意に介さずにいれば、未散は困惑したように眉を寄せた。

「咲也……何してんの?」

 当時の自分は、それに淡々と答える。

「ああいうの、しんどいだろ」
「……別に」
「別にじゃない」

 未散はぱちぱちと目を瞬く。咲也はその動揺の意味を、この記憶を通して初めて理解した。なぜならそのとき、自分が未散に向けたその目は、まるですべてを見通しているかのようだったからだ。

「女子に囲まれても、男子に嫉妬されても……未散はどっちも困るタイプだろ」

 他人のことは気にしなくていい、ただ平然としていればいい。それだけのことかもしれないが、それすらできないのが思春期というもの。当時の自分は、未散のそんな「折り合いを付けられずにいる部分」を正確に見抜いていたのだ。

「だから……僕が悪者になる」
「は?」

 未散が発言に目を見開く。しかし気にも留めず、当時の自分はさらに続けた。

「女子には『未散、今日機嫌悪いから話しかけんな』って言っといた」
「はあ!?」
「それと、男子には『未散が女子に囲まれてるの、僕が呼んだからだ』って言っといた」
「なんで!?」

 未散は頭を抱える。「咲也……何してんだよ……」という声には、驚きと戸惑いとが滲んでいた。けれど当の咲也は真面目も大真面目だった。

「未散が傷つかない方法を選んだだけだよ。こうすれば、女子も男子も未散を責めない」
「そういうことじゃないだろ」
「そういうことだよ。未散がみんなのために気を病む必要なんてないんだから」

 咲也は本気で言っていた。冗談でも、やせ我慢でもない。ただ淡々と、当たり前のように。

「……なんで」

 未散は声を絞り出した。

「なんでそんなことできるんだよ」
「未散は良いやつだから。それが伝われば何でもいいよ」

 その言葉を聞いた瞬間、未散の中で何かが静かに弾ける。いや、落下したのか。線香花火みたいにぱちぱち光って、熱の粒がぽとりと落ちる。落ちたのはそんな、ただの感情にしては熱すぎるもの。
 記憶の中の未散は、その気持ちを胸にしまい込む。そうして「なんだそれ」と咲也の言葉を笑う裏で、「俺は良いやつじゃないよ」と独り言ちたのを、咲也は聞き逃さなかった。
 再び景色が塗り変わる。……オレンジ色が広がると、そこは放課後の帰り道だった。
 世界が夕陽の色に染まる中で、二人の影が長く伸びる。記憶の中の未散は、どこか緊張した面持ちで、当時の咲也をまっすぐ見つめていた。

(これは……)

 この場面がいつのものか、咲也はすぐに察した。
 これは、未散が咲也に告白したときの記憶だ。未散がどんな気持ちでその言葉を口にしたのか知らない、今後知ることもないと思っていた部分だった。

「咲也のことが好きだ。俺と付き合ってほしい」

 その声は思っていたよりも震えていた。あの未散が、そのときはそれなりに緊張していたらしい。でも、驚いて言葉を失っている記憶の中の咲也を見て、未散はほんの少しだけ笑った。まるで安心したみたいに、いつもの調子を取り戻しながら。

「咲也はさ……優しいよね。周りのこと見て、気配って」

 その言葉は、咲也が当時聞いたものよりずっと柔らかく感じられた。今になって気づいたからだろうか。未散があのとき言った「優しい」には、咲也が評価されるに値しないと「優しい」も含まれていたことを。
 未散は咲也の「優しさ」が歪んでいることを知っていた。母の死から「優しさ」に取り憑かれた咲也は、「優しさ」を義務的なものだと思っていたし、自己犠牲を肯定する理由として捉えていた。けれど未散は、そのいびつさをきちんと理解していてなお、受け止めてくれていたのだ。

「そういうところ……俺、好きなんだ」

 記憶の中の咲也は、その告白に戸惑いを見せる。不安の色を顔に浮かべ、答えを躊躇する咲也に、未散は小さく息を吐いた。

「じゃあ……俺とは付き合えない?」

 その問いを口にする未散の心情を、咲也は記憶越しに初めて正しく知る。……未散は、息を殺してこちら見つめていた。告白に自信があったわけではないからだ。でも、咲也に拒まれるのが怖くて、だからこそ確かめようとして尋ねた。
 当時の自分は知りもしなかった。未散がこのとき、どれほど勇気を振り絞っていたのか。どれほど不安を抱えていたのか。どれほど真剣に、自分を想ってくれていたのか。こんなまっすぐに向き合ってくれていたことに、咲也は息を飲んだ。
 記憶の中で、当時の咲也がようやく言葉を返す。

「つ、付き合う。僕も……未散のことが好きだから」

 未散の表情がふっと緩む。瞬間、安堵と喜びの感情がぶわりと溢れだせば、未散の世界はその幸福感できらきらと輝いて見えた。
 何気ない日常が、まるでひとつ上の特別なものになる感じ。このときの未散の「嬉しい」という素直な気持ちが、咲也の胸を締めつけるようだった。

(……未散は、こんな気持ちだったんだ)

 あの日、未散はただ自分を好きだと言ったわけではなかった。ずっと自分を見てきて、理解して、受け止めてくれていた。そしてその先で「好きだ」と伝えてくれていたのだ。その事実が、咲也の胸に深く刺さる。

(待って……やだ。見たくない)

 また、景色が塗り替えられていく。今度の記憶は、これまでの流れからある程度予想がついていた。だから見たくない。目をそらしたくて、けれどそらせなくて、咲也は再度あの日を迎える。

「や、やっぱり……無理だ」
「待って、咲也──」

 学校の帰り道。未散に伝えられたのは、不条理な別れだった。
 未散は咲也を引き止めようとするが、それは叶わない。未散の手が伸びる前に、咲也が未散を拒んだからだ。

「ごめん。もう、別れる。……未散とは、これ以上付き合えない」

 その言葉に別れの理由は含まれていなかった。だから何が不満だったのか、咲也がそのとき何を思っていたのか、未散には分からない。それはつくづく一方的で、理不尽な別れだった。
 背中を向け、自ら去って行くあの日の咲也を、未散はじっと見つめる。悲しみや寂しさに泣くわけでも、不合理さに怒るわけでもなく、ただ色々な感情が渦巻く中で、未散は必死に言葉を探しているようだった。今、自分が一番に思っていること──自身の元から去ってしまった咲也に、一番言いたかったことを。

「……ごめん、咲也」

 呟かれた未散の言葉に、咲也は息を潰す。未散が謝る必要はどこにもない。けれど、そのときの未散が考えたこと、感じただろう失意を思えば、たまらない気持ちだった。
 自分のせいで咲也は傷ついた──未散は、あの別れをそのように受け取ったのだ。

(もういい。もう、分かったから……)

 咲也はこれ以上、未散の記憶を辿るのを拒もうとする。未散がどう考えていたのか、自分が未散にどれだけ冷たかったのか、思い知らされるのが怖かったのだ。けれどもやはり、景色は勝手に塗り潰されていってしまう。そうして次に見えたのは、教室の片隅だった。
 窓際の席に座る未散が、机に突っ伏している。周りのざわめきから切り離されたその姿は、まるでみんなに忘れ去られたかのようだった。
 これは、咲也と別れた直後の頃だろうか。記憶の中の未散は誰とも目を合わせず、休み時間になっても席を立たないで、ぼんやりと窓の外を眺めていた。視線の先には、校庭を歩くかつての咲也の姿。話しかけることも、近づくこともできないまま、「そこにいる」ことを確かめるみたいに、遠くから咲也を見ていた。
 胸の奥がきゅっと締めつけられたのは、咲也の感情だろうか? それとも……。
 答えを出す間もなく、時間が少し進み、場面が変わる。今度は撮影スタジオの、白い空間だった。
 ライトの光が強く当たり、未散はモデルとして立っていた。ポーズを取り、指示に応え、スタッフさんたちと調整を加えながら、真剣な顔でカメラを見つめている。未散の思考は仕事のことでいっぱい、なのにときどき咲也が浮かぶ。未散の胸の内にあるものが、言葉にならないまま伝わってきた。

(「見ててくれるかな」って……)

 未散は仕事に真摯に打ち込んでいた。でも、それはただ「プロとして」ではなく、どこかで咲也が自分の活躍を見ていることを願うかのようだった。
 撮影の合間、未散はふと目を伏せる。視線の先はスマートフォンの画面。そこには、昔のメッセージがひとつだけ開かれている。

 ──もっとかっこいい未散の姿が見たい。

 咲也が付き合っていた頃に送った言葉。未散はそれを何度も読み返していた。視線を細めて、息を整えて、少しだけ背筋を伸ばす。そうしてまた、カメラの前に立ち直る。
 場面がまた変わる。次は、高校の教室だった。中学の頃とは違い、未散は男女問わずクラスの中心にいた。笑い声の輪の中にいて、友達に肩を叩かれ、冗談を言い合っている。けれどふとした瞬間、未散の視線が教室の後方へと流れると、そこには静かに授業の復習をしている咲也が見えた。高校に上がって環境ががらりと変わり、一から交友関係を作っている最中だった当時の自分は、その場に一人きりだった。
 未散はほんの一瞬だけ笑顔を止めると、その姿をじっと見つめ続けていた。それこそ周りに話しかけられるまで、ずっと、ずっと。

「未散ってさ。写真、どんなの撮んの?」
「ん? ああ、写真? あんまり撮らないかな。カメラ下手だし、マネージャーからSNSやるなって言われてるし」

 そう言いつつ、未散はスマートフォンの写真フォルダを開ける。最終更新は、一年以上前。

「えっ、遊園地の写真とかあんじゃん! カノジョ?」
「カノジョ、ではない。……男じゃん、写ってんの」
「あっ、じゃあ友達?」
「……今は。たぶん」

 詮索してこられる前にスリープする。そうしてまた、視線を咲也の方へ。がやがや騒がしい周囲をよそに、未散の興味はひとつだけだった。
 場面が再び切り替わる。そこは廊下。咲也の隣には、市ノ瀬がいた。
 市ノ瀬が何か冗談を言ったのか、咲也は楽しげに笑っていて、その雰囲気は和気藹々としたものだった。そしてその様子を、未散は少し離れたところから見ている。表情こそ穏やかに見えるが、その手は固く握られていた。
 すぐそばにいた志島や奥村が声をかけるも、どこか反応が薄い。不愉快なのか、モヤモヤとした気持ちが記憶を通じて感じられた。
 未散は、市ノ瀬にちょくちょく声をかけていたようだった。すれ違っては「あれ、咲也は?」と尋ねたり、「咲也、昔から俺の友達だから」とか「前から一緒にいるから知ってるんだよね」とか、さりげなく距離を示す言葉を挟んだり。

 ──ちょっとお近づきしようとしたらこれだ。油断なんねーな、ほんと。

 以前、市ノ瀬はそんなことを言っていたか。こういうことだったのかと、今ようやく気づいた。
 場面がまた変わる。これは……あの日の放課後だろうか。二ヶ月ほど前のことだが、咲也自身もよく覚えている。
 机に腰をもたれる未散は、一人でコンパクトミラーをじっと覗き込んでいた。頬には小さなニキビがひとつ。未散はそれを気にして、指で触ってはため息をついていた。と、そこへ足音が近づいてくる。
 手にしていた鏡をしまうのと同時に、教室の扉が開く。そこに見えた記憶の中の咲也は、少しだけ困ったような顔をしていた。

「どうしたの、こんな時間まで」

 仕事前にニキビができてしまい、困っているという未散に咲也は声をかけた。

「じゃあさ、そのニキビ……僕が治してあげようか?」
「……え?」

 未散は驚きのあまりに目を見開く。やはり未散も、それを突拍子のない提案だと思ったらしい。が、それでも未散は受け入れた。久々に咲也と話せたことに心躍らせて、「じゃあ……お願いしようかな」と目を伏せたのだ。
 咲也はそっと背伸びをし、未散の頬にキスをする。するとたちまちニキビは消えて無くなった。

「……治った」

 驚きと、信じられないという感情が未散の表情に浮かぶ。しかしその一方で、心臓はばくばくと忙しない鼓動を打っていた。隠しきれない喜びが、未散の中にこみ上げる。

「……ねえ。今……俺にキスした?」

 咲也は今になって理解する。あのとき、未散はただニキビが治ったことに驚いていたわけではないのだ。「咲也が自分にキスしてくれた」ことが、心の底から嬉しかったのだ。けれど、不安は拭えない。そのキスがどういう意味のものなのか、未散はずっと判断しかねていた。
 ある日の教室の一角。未散はいつもの友達に囲まれていた。
 話のトピックは、雑誌の取材アンケート。プライベート事情や恋愛観など、パーソナルな情報を深掘りする名目で回ってきた仕事だったが、数あるクエスチョンの中、あるひとつが未散の目に止まった。

「好きな子に告白するならどうするか、か……みんなならどうする?」

 未散は何てことないふりをして尋ねる。その声にはわずかな緊張が混じっていたが、指摘する者はいなかった。

「そりゃあ、『直接』・『はっきり』・『堂々と!』でしょ」
「変に回りくどいと伝わんない気ぃする」
「上手く言えなくても、何度も諦めずに言ってくれたら嬉しいかも」
「それお前のただの願望だろ」

 友達の答えに、未散は「そっか」と笑って頷いてみせる。しかしその笑顔の奥で、何かを決意するような気配があった。
 未散はその日、家に帰ると洗面所に立てこもった。大きな三面鏡を前にしながら、クローゼットから引っ張り出した様々な服を着回し、いたく本気な顔つきで咲也の名前を呼んだ。

「『咲也、話がある』……違うな。『咲也、俺さ』……これも違う」

 繰り返される告白の練習は、壮大なものから細やかなものであらゆるパターンが試される。そして最後の予行演習の言葉は、咲也も聞いたことがあった。

 ──でも俺、まだ咲也のことが好きだ。

 咲也は、体の奥が温かくなるのを感じた。未散は別れた後もずっと、仕事でも、私生活でも、自分ともう一度向き合うために動いていたのだ。
 モデルとしての自分を磨き、人間関係を整え、やきもきしながらも咲也を見続けては、告白の仕方を真剣に考え──その全部が、咲也への気持ちから始まっていた。

(……ずっと、僕のことを好きでいてくれたんだ)

 記憶の中の未散は、誰に口にすることもないまま、咲也への想いを抱え続けていた。その一途さが、そのひたむきさが、咲也の胸を強く打った。

(会いたい、な)

 そう思って、咲也は動き出そうとする。けれどそのとき、ある違和感に気づいた。

(……あれ? そういえば、なんで僕は未散の記憶を見てるんだっけ?)

 不意に、そもそもの疑問が浮かぶ。どうしてこうなったのか、これまで何があったのかを思い出そうとするも、なぜか曖昧で難しかった。うーんと唸っていれば、足元に何かが転がってくる。

(……スーパーボール?)

 しかもなんだか、やたらと大きい。
 拾い上げてみると、ラメとグリッターでキラキラしているのが分かった。見ようによっては綺麗、かもしれない。それに何だか見覚えがある。……これはたしか──。

 ──好きな子からのプレゼントじゃん。

「あっ」と口端から声が漏れる。咲也はそれを握りしめると、すぐにその場から走り出した。だって……このままではきっと、未散が悲しんでしまう。自分をあんなに大切にしてくれた人を、泣かせてしまう。

「未散っ!」

 咲也は急ぐ。不思議と下駄の靴擦れが痛まなかったため、いくらでも走れるような気がした。だからその勢いのまま、一生懸命、全力で駆け抜ける。
 だって、少しでも早く、今の自分の気持ちを伝えたかったから。