進路の話も終わり終礼を済ませると、皆はいつものように粛々と帰り支度を始めた。
その中で、私は席を立てずに白紙の調査票を前にしたまま固まっていると、小春が覗き込んできた。
「まだ決めてなかったの?夏樹ちゃんがそんなに悩むなんて意外だな」
「……ちょっと考えてるだけだよ」
「ふーん。身体能力スコア、どれも平均より上でしょ。あ、もしかして選び放題で迷ってるとか?」
それは褒め言葉なのに、素直には受け取れなかった。
志織が「そうそう」と、鞄を手に取って立ち上がった。
「建設でも発電でも、物流でも、どこでも必要とされるよ。夏樹ちゃんなら」
「でも、向いてるかっていうと……」
「向いてるだろ。能力があるなら、それを使うのが一番効率いい」
何を迷っているのかというように、首を傾げた。
小春は「ほらね」とばかりに、調査票の“物流”の文字をトントンと叩いた。
「ホントそれだよ。私もここに、とっくに丸つけたよ」
自分の得意なことと進みたい道が、最初から一本の線で繋がっているのだろう。
でも私が迷っている場所は、手にした一覧の中にはなかった。
そう言えばいいだけなのに、自分の道を見据えている二人を前にすると、言葉がつかえてしまう。
小春は同意を求めるように、志織に視線を向けた。
「志織君も、もう決めてるんでしょ。医療とか教育とか、それともまた意味わからん専門?」
志織は、鞄から女子生徒用の調査票を取り出し、こちらに向けた。
「行政だよ。段取りを考えるのが好きだし、そういう役回りが性に合ってるからね」
その言い方があまりにも自然で、胸の奥がきゅっと鳴った気がした。
「俺はさ、“管理職適性あり”って評価されてるの、ありがたかったよ。悩まなくて済む」
「悩まないんだ……」
「向いてる場所に行くだけ。夏樹ちゃんみたいに迷うのは贅沢」
小春が、志織に聞こえるくらいの小声で、私の耳元に囁いてくる。
「志織君、ちょいちょい冷たいよね」
「合理的って言って」
「クールってこと?」
「そう」
「じゃあ、やっぱり冷たいじゃん」
「……あ」
志織はやられた、というように額に手を当てた。
それを見て、私と小春は思わず笑ってしまった。
確かに、体を動かすのは好きだし、現場仕事は社会に必要だと分かっている。
それでも私の頭には、別の進路が浮かんでいた。
『研究職』
すぐに首を振って打ち消した。
男がそんな職業を考えていると知られたら、きっと面倒なことになる。
私はごまかすように、軽い調子を装った。
「でもさ。この中から選ぶだけで、決めた気になっていいのかなって……」
「「贅沢だなあ」」
志織と小春が声を揃えて笑った。
小春が佐藤先生の真似をして、眼鏡を押し上げるような仕草をする。
「それ、そもそも選択肢すら満足に与えられない人の前でも言えますか?」
「……ちゃんと考えてみます」
そのやり取りに志織は笑いをこらえながら、私に向き直った。
「でも、夏樹ちゃんらしいな。考えるの、好きだもんね」
「別に、普通だよ」
反射的に否定してしまったからか、志織は片手を軽く上げ、何かを飲み込むように頷いた。
「……そう。いつも授業の考察、鋭いから。今も、ただ迷ってるだけには見えなかっただけ」
それ以上は言わなかった。
必要以上に人の内側へ踏み込まないところも、志織らしかった。
そんな下校時間の空気を破るように、ガラッと教室の前ドアが開いた。
「大変だよ、みんな!ちょっとテレビつけて!」
すでに帰ったはずのクラスメイトが、息を切らせて教室に駆け戻ってきた。
ただならぬ様子に、近くにいた生徒が急いで教室のテレビの電源を入れた。
画面に映るのは、海沿いの地域を昨年襲った大規模な震災の爪痕だった。
その映像に、何もかもが終わってしまったような、あの日々の混乱と絶望感が生々しく蘇った。
『現在も復興現場では、深刻な人員不足が続いています』
女性キャスターが、淡々と現状を伝えている。
『政府は緊急対策として、医療や物流などの分野へ、東西の区分を越えた異例の人員派遣を決定しました』
「西」という言葉に、教室が静まり返ったかと思うと、次の瞬間にはあちこちから驚きの声が上がった。
志織が、信じられないというように口元に手を当てる。
「うそ、西側から境界を越えてくるってこと!?」
小春も食い入るように画面を見つめている。
「そんなに大変なことになってるんだ……」
境界を越えて、この東側に人がやってくる。
その言葉が、理解できないまま頭の中で何度も響いた。
長い間、この日本は東西に分かれ、それぞれが別々の社会として成り立ってきた。
だからこそ、この場にいる誰もが、その一言に大きな衝撃を受けていた。
それほどまでの非常事態なら、私も男子として、この身体を現場で役立てるのが当然なのかもしれない。
身体能力的にも、向いている仕事なのだということは分かっている。
それなら、迷う理由なんてないはずだった。
それなのに、なぜかすぐには頷けなかった。
そうあるべきだという理由で、このまま流されてしまうのは、少し怖かったのかもしれない。
その中で、私は席を立てずに白紙の調査票を前にしたまま固まっていると、小春が覗き込んできた。
「まだ決めてなかったの?夏樹ちゃんがそんなに悩むなんて意外だな」
「……ちょっと考えてるだけだよ」
「ふーん。身体能力スコア、どれも平均より上でしょ。あ、もしかして選び放題で迷ってるとか?」
それは褒め言葉なのに、素直には受け取れなかった。
志織が「そうそう」と、鞄を手に取って立ち上がった。
「建設でも発電でも、物流でも、どこでも必要とされるよ。夏樹ちゃんなら」
「でも、向いてるかっていうと……」
「向いてるだろ。能力があるなら、それを使うのが一番効率いい」
何を迷っているのかというように、首を傾げた。
小春は「ほらね」とばかりに、調査票の“物流”の文字をトントンと叩いた。
「ホントそれだよ。私もここに、とっくに丸つけたよ」
自分の得意なことと進みたい道が、最初から一本の線で繋がっているのだろう。
でも私が迷っている場所は、手にした一覧の中にはなかった。
そう言えばいいだけなのに、自分の道を見据えている二人を前にすると、言葉がつかえてしまう。
小春は同意を求めるように、志織に視線を向けた。
「志織君も、もう決めてるんでしょ。医療とか教育とか、それともまた意味わからん専門?」
志織は、鞄から女子生徒用の調査票を取り出し、こちらに向けた。
「行政だよ。段取りを考えるのが好きだし、そういう役回りが性に合ってるからね」
その言い方があまりにも自然で、胸の奥がきゅっと鳴った気がした。
「俺はさ、“管理職適性あり”って評価されてるの、ありがたかったよ。悩まなくて済む」
「悩まないんだ……」
「向いてる場所に行くだけ。夏樹ちゃんみたいに迷うのは贅沢」
小春が、志織に聞こえるくらいの小声で、私の耳元に囁いてくる。
「志織君、ちょいちょい冷たいよね」
「合理的って言って」
「クールってこと?」
「そう」
「じゃあ、やっぱり冷たいじゃん」
「……あ」
志織はやられた、というように額に手を当てた。
それを見て、私と小春は思わず笑ってしまった。
確かに、体を動かすのは好きだし、現場仕事は社会に必要だと分かっている。
それでも私の頭には、別の進路が浮かんでいた。
『研究職』
すぐに首を振って打ち消した。
男がそんな職業を考えていると知られたら、きっと面倒なことになる。
私はごまかすように、軽い調子を装った。
「でもさ。この中から選ぶだけで、決めた気になっていいのかなって……」
「「贅沢だなあ」」
志織と小春が声を揃えて笑った。
小春が佐藤先生の真似をして、眼鏡を押し上げるような仕草をする。
「それ、そもそも選択肢すら満足に与えられない人の前でも言えますか?」
「……ちゃんと考えてみます」
そのやり取りに志織は笑いをこらえながら、私に向き直った。
「でも、夏樹ちゃんらしいな。考えるの、好きだもんね」
「別に、普通だよ」
反射的に否定してしまったからか、志織は片手を軽く上げ、何かを飲み込むように頷いた。
「……そう。いつも授業の考察、鋭いから。今も、ただ迷ってるだけには見えなかっただけ」
それ以上は言わなかった。
必要以上に人の内側へ踏み込まないところも、志織らしかった。
そんな下校時間の空気を破るように、ガラッと教室の前ドアが開いた。
「大変だよ、みんな!ちょっとテレビつけて!」
すでに帰ったはずのクラスメイトが、息を切らせて教室に駆け戻ってきた。
ただならぬ様子に、近くにいた生徒が急いで教室のテレビの電源を入れた。
画面に映るのは、海沿いの地域を昨年襲った大規模な震災の爪痕だった。
その映像に、何もかもが終わってしまったような、あの日々の混乱と絶望感が生々しく蘇った。
『現在も復興現場では、深刻な人員不足が続いています』
女性キャスターが、淡々と現状を伝えている。
『政府は緊急対策として、医療や物流などの分野へ、東西の区分を越えた異例の人員派遣を決定しました』
「西」という言葉に、教室が静まり返ったかと思うと、次の瞬間にはあちこちから驚きの声が上がった。
志織が、信じられないというように口元に手を当てる。
「うそ、西側から境界を越えてくるってこと!?」
小春も食い入るように画面を見つめている。
「そんなに大変なことになってるんだ……」
境界を越えて、この東側に人がやってくる。
その言葉が、理解できないまま頭の中で何度も響いた。
長い間、この日本は東西に分かれ、それぞれが別々の社会として成り立ってきた。
だからこそ、この場にいる誰もが、その一言に大きな衝撃を受けていた。
それほどまでの非常事態なら、私も男子として、この身体を現場で役立てるのが当然なのかもしれない。
身体能力的にも、向いている仕事なのだということは分かっている。
それなら、迷う理由なんてないはずだった。
それなのに、なぜかすぐには頷けなかった。
そうあるべきだという理由で、このまま流されてしまうのは、少し怖かったのかもしれない。
