女ー男じゃない!

 地面が、このまま抜け落ちてしまうのではないかと思うほど波打っているようだった。

 一歩踏み出すたび、錯覚だと分かっていても足は重かった。

 重い丸太をチームで担ぎ、斜面を駆け上がるこのリレーは、単純明快だけど今日一番きついメイン種目だ。

「衣装が衣装ならお祭りみたいな種目だね」

 菜月はそう言って目を丸くしていたが、これを競技として担いでいる私たちにとっては、ちょっと笑えない。

 私たちのチームは、その先頭集団の中にいた。

 視線の先には、コース途中に設けられた小高い斜面が見える。
 登って、越えて、そのまま下る構成になっている。

 もしこれを「それほどの傾斜ではない」と言い切れる人がいるのなら、ぜひ一度エントリーしてみてほしい。
 たぶん、後悔のほうが先に来る。

 ただ勢い任せに突っ込めば良いと言う競技ではない。

 歩幅、体重の乗せ方、隣との間合い。
 そのどれか一つでもずれると、すぐに全体の動きが崩れてしまう。

「イチ、ニ!イチ、ニ!」

 周囲のペースに合わせ、掛け声を出しながら足を動かす。

 ​そのとき、無理に突っ込みすぎているのではないかと、思考がわずかにブレーキをかけようとしてしまった。

 その迷いが身体の動きと噛み合わず、視界がぐらりと揺れる。
 気づいたときには、地面に叩きつけられていた。

「――っ!?」

 こういう時、映画なんかではスローモーションで地面が近くなっていくものなのだろうが。

 果たして現実では一瞬の出来事だった。

 共に走っていた仲間たちは、下り斜面の勢いに乗ったまま先へと消えていく。

 ――頭が真っ白になる。

 小説的な比喩だと思っていたが、こちらは本当らしい。

 音も気配も遠ざかり、自分の鼓動だけがやけに大きく響いている。

「ああ、行かないと」

 私は土を掴んで立ち上がろうとした。

 でも、足首に体重をかけた瞬間、鋭い痛みが走った。

「……っ!」

 足に力が入らず、膝から崩れ落ちてしまった。

 足からは血が滲み、砂と土が混ざってひどい色になっていた。

 それでも動こうと、もう一度立ち上がろうとするが思うように力が入らない。

 そのとき、遠くから聞き慣れた声が響いた。

「夏樹ちゃん、何やってんの!!」

 応援席の空気を割るような鋭い声だった。
 顔を上げると、観客席から飛び出すようにしてこちらへ走ってくる影が見えた。

「え、菜月ちゃん!?」

 菜月はそのまま勢いを緩めずに駆け寄ってくると、迷いなく私のそばに滑り込んだ。

「無茶しないでよ。今は歩ける状態じゃないでしょ!」

 そう言うなり、強く手を引く。

「ほら、肩に掴まって。立てる?」

「でも、服とか……汚れちゃうよ」

 砂と血で汚れた手を見て一瞬ためらったその瞬間、手はさらに強く引かれた。

「知るかそんなの! 行くよ!!」

 菜月が、感情をむき出しに叫んだ。

 その勢いに押され、私の体は反射的に従った。

 遅れて、周囲には数人の男子たちも駆けつけてくれたが、やはり菜月の迫力にのまれている。

 菜月の肩に腕を回し、体重を預けた瞬間、私は息を呑んだ。

 一喝したときの強さとは裏腹に、私を支える指先から微かな振動が伝わってきたからだ。

 気のせいかもしれないほど小さな揺れだったが、それが妙に胸に残った。

 その違和感ごと、私は支えられて救護テントへと運ばれていく。

 振り返った時、菜月のジャージは、もう見る影もなく土埃で汚れていた。

 テントに着いて椅子に座ると、保健の先生がすぐに足の状態を確認してくれた。

「動かさないようにね」

 先生の指示に従いながら、菜月がそっと足首を支えてくれる。

 その手は思った以上に落ち着いていて、不思議な安心感があった。

 処置は手際よく進み、消毒液がしみるたびに息が詰まる。

「ほら、見ない方がいいよ。すぐ終わるから」

 菜月の声はいつもより近く、心を和らげてくれた。

 絆創膏を貼り、包帯を軽く巻いて、「大事にはなってないね」と先生は救急箱を閉じた。

「大した怪我じゃなさそうで良かったよ」

 菜月の安堵の表情を見て、ようやくテント内に漂う消毒液の匂いに気づくくらいには、私の頭も落ち着いてきた。

「うん、ありがとう」
 気恥ずかしさを隠すように短くお礼を言うと、菜月はそれで十分というように頷いて立ち上がった。

「後は休んでたほうがいいよ。先生や皆には私から言っておくから」

 それだけ言うと、返事を待たずに駆け出していった。

 ふと気づくと、グラウンドを満たしていた喧騒は、すっかり静まり返っていた。

 最終競技の押し合い綱引きの準備が進む中、男子たちがチアたちの前に集まっている。

「いい?大事なのは、力任せに押すことじゃないからね」

 先頭に立った女子が、真剣な表情で指示をだす。

「左右の動きを揃えて。誰か一人が崩れたら、全体が崩れるから」

 男子たちは黙って頷いていた。

 小春が前に出て、手を叩く。

「よし、いくよ!」

「おー!」

 男子たちの声に重なるように、女子たちから拍手が起こった。

 やがて、太い綱を挟んで二つのクラスが向かい合う。

 力と持久、そして連携の勝負だ。

 開始を告げる笛の音が、乾いた空気を切り裂いた。

 綱が低く唸り、互いに一歩も譲らない押し合いが続く。

 土が削れ、前列の肩が震え、歯を食いしばる顔が並ぶ。

 応援席の空気が、目に見えるほど張り詰めていく。

「中央、押し返せ!」
「タイミングずれてる!」

 チアたちの掛け声にも、さっきまでとは違う必死さが混じっている。

 拮抗状態のまま動けず、どちらも決定打を欠いたまま、重さだけが積もっていく。

 何人かがその勢いに耐えきれず弾かれ、それでもすぐに戻る。

 しかし少しずつ、流れは相手側に傾き始めていた。

 じわじわと、押され始めている。

 足首にそっと体重をかけてみると、鈍い痛みはあるがさっきのような鋭さはない。

 いつもならこんな無理はしようとしないはずなのに、それでも踏ん張ればいける、という考えがよぎった。

 その瞬間、綱がわずかにこちら側へ傾いた。

「ライン迫ってる!重心戻せ!」

 その声が響いた刹那、胸の奥で何かが弾けて、考えるより先に身体が動いていた。

 テントの幕を押しのけ、私はグラウンドへと駆け出した。