「ねえ、志織君。今日ちょっと暑すぎない?まだ四月だよ」
私――小泉夏樹は、職員室から運んできた段ボール箱を教卓の横に下ろすと、学級委員の風間志織に声をかけた。
「西側なんてもう夏日らしいよ。俺も詰襟じゃなくてベストを着てくるべきだったな」
そう言いながらも詰襟の首元はきっちり締めたまま、その段ボール箱から進路希望調査票を取り出して、教卓の上に並べていく。
華奢な体つきだけれど、少し切れ長の大きな目は力強く、凛としていつも涼しげだ。
志織の言うように、この陽気ではいつもの詰襟姿の女子は少ない。
それでも、ベストをワイシャツに重ねた姿は暑苦しかった。
その点、セーラー服を着ている私たち男子は、まだましだ。
通気性はいいし、動きやすい。
もともと男性の正装として受け継がれてきたものだと聞いていたけど、こういうときばかりは妙に納得してしまう。
私は席に戻ると、ロングスカートの裾を両手でつかんで軽く持ち上げた。
こもっていた熱が逃げてはいくけれど、この程度では焼け石に水だった。
「あっつい……」
思わず顔をしかめていると、この暑さには不釣り合いなくらい軽やかな堺小春の声が飛んできた。
「はいはい、夏樹ちゃん。私がもっと涼しくなるやり方、知ってるよ」
小柄ながらも引き締まった体つきに、短く整えた髪。
いつものいたずらっぽい目つきを浮かべると、ハンディファンのスイッチを入れた。
そして、ためらいもなく、自分のスカートの中に向けた。
「ちょ、小春ちゃん。流石にそれは……」
私が苦笑いで止めようとしたところで、
「ちょっと、だらしなさすぎだろ」
隣の席から、志織の呆れた声が降ってきた。
「何見てんの、じょし~」
小春はそう言って、ますます楽しそうに風を送っている。
「汗臭男子キモいんですけどー」
志織は冷ややかな目を向けながら、長い髪をまとめてポニーテールにすると、涼しくなって満足したのか、もう興味なさそうに前を向いた。
「 さすが、志織君は言葉も涼しいねー」
「寒い寒い」と、小春は腕までさすってみせた。
いつもの容赦ない応酬に、私は思わず吹き出してしまった。
大きな声でにやにやしながら言うあたり、小春は人目を気にしない性格だ。
思ったことは、だいたいそのまま口から出る。
まだ短い付き合いではあるけれど、つくづく思う。
そういう気軽さは、まるで西側の人みたいだな、と。
やがてチャイムが鳴り、放課後のホームルームが始まった。
教壇に立った担任の佐藤先生が、教室全体を見渡す。
パンツスーツを隙なく着こなし、後ろでまとめた髪を指先で整える。
薄く引かれた口紅が、その知的な表情をいっそう引き締めていた。
「これは提出用です。仮の希望で構いません」
先生が配った進路希望調査票は、ちょっとした小冊子ほどの厚みがある。
受け取った表紙には、名前や出席番号とともに、事務的なフォントでこう印字されている。
進路適性・希望調査票(高等第二学年・男子用・第一次)
表紙をめくると、昨年度の学業成績が簡単にまとめられていた。
さらに一枚めくる。
今度は、身体能力に関する項目がずらりと並んでいた。
持久力や反応速度、瞬発力といった身体能力だけではなく、重量物の運搬や精密動作などの作業遂行能力まで。
一つ一つの項目に細かな数値や判定、評価が記され、びっしりと埋まっている。
整然と並ぶその査定結果のようなものを眺めていると、自分の存在価値を一方的に決めつけられているような気がした。
そして、身体能力のページを何枚かめくった先で、ようやく次の項目が現れた。
〈希望進路選択〉
最初に並んでいるのは、建設、土木、物流、発電施設、機械保守――。
いずれも男子の進路として用意された大きな分野だ。
その先のページには、それぞれの分野に応じた、さらに細かな職種が並んでいた。
どれも力仕事という一言では片づけられない、専門性の高いものばかりだ。
必要な知識も技術も、この国を支えているのは分かる。
でも、どこか息苦しさを覚えてしまう。
ちらりと、隣の席に座る志織の調査票を盗み見る。
研究、行政、医療、教育、起業――。
同じ進路調査なのに、書かれている内容はまるで別物だった。
最初から住む世界も、果たすべき役割も違うのだと突きつけられているようだった。
そんな私の思考を遮るように、先生の声が響いた。
「女子諸君」
低く落ち着いた声に、教室の空気が引き締まる。
「皆さんは将来のリーダーです。どの学問で社会に貢献したいのか、高い志を持って考えなさい」
タブレットに一度目を落とし、それから教室を見渡した。
「力や体力ではありません。知性と判断力、そして好奇心こそが、皆さんの武器です。社会に影響を与える舞台は、あらゆる分野に広がっています」
志織の背中が、少しだけ伸びたのが分かった。
続いて、先生の視線が男子の列へと向けられる。
「男子諸君」
今度は、はっきりと。
「自分の身体能力スコアと実務適性を、よく確認しておくように。君たちのリボンは、単なる飾りではありません」
私は、反射的に胸元に結ばれたリボンに指を触れた。
「この国を物理的に支える『誇り高い労働者』のしるしです。時に重荷と感じるかもしれませんが、それは精神的な誇りの象徴でもあります」
そんな大げさな言い方に、教室のあちこちで控えめな笑いが漏れる。
けれど、皆は当然のこととして受け入れていた。
でも私は、なぜか……
私――小泉夏樹は、職員室から運んできた段ボール箱を教卓の横に下ろすと、学級委員の風間志織に声をかけた。
「西側なんてもう夏日らしいよ。俺も詰襟じゃなくてベストを着てくるべきだったな」
そう言いながらも詰襟の首元はきっちり締めたまま、その段ボール箱から進路希望調査票を取り出して、教卓の上に並べていく。
華奢な体つきだけれど、少し切れ長の大きな目は力強く、凛としていつも涼しげだ。
志織の言うように、この陽気ではいつもの詰襟姿の女子は少ない。
それでも、ベストをワイシャツに重ねた姿は暑苦しかった。
その点、セーラー服を着ている私たち男子は、まだましだ。
通気性はいいし、動きやすい。
もともと男性の正装として受け継がれてきたものだと聞いていたけど、こういうときばかりは妙に納得してしまう。
私は席に戻ると、ロングスカートの裾を両手でつかんで軽く持ち上げた。
こもっていた熱が逃げてはいくけれど、この程度では焼け石に水だった。
「あっつい……」
思わず顔をしかめていると、この暑さには不釣り合いなくらい軽やかな堺小春の声が飛んできた。
「はいはい、夏樹ちゃん。私がもっと涼しくなるやり方、知ってるよ」
小柄ながらも引き締まった体つきに、短く整えた髪。
いつものいたずらっぽい目つきを浮かべると、ハンディファンのスイッチを入れた。
そして、ためらいもなく、自分のスカートの中に向けた。
「ちょ、小春ちゃん。流石にそれは……」
私が苦笑いで止めようとしたところで、
「ちょっと、だらしなさすぎだろ」
隣の席から、志織の呆れた声が降ってきた。
「何見てんの、じょし~」
小春はそう言って、ますます楽しそうに風を送っている。
「汗臭男子キモいんですけどー」
志織は冷ややかな目を向けながら、長い髪をまとめてポニーテールにすると、涼しくなって満足したのか、もう興味なさそうに前を向いた。
「 さすが、志織君は言葉も涼しいねー」
「寒い寒い」と、小春は腕までさすってみせた。
いつもの容赦ない応酬に、私は思わず吹き出してしまった。
大きな声でにやにやしながら言うあたり、小春は人目を気にしない性格だ。
思ったことは、だいたいそのまま口から出る。
まだ短い付き合いではあるけれど、つくづく思う。
そういう気軽さは、まるで西側の人みたいだな、と。
やがてチャイムが鳴り、放課後のホームルームが始まった。
教壇に立った担任の佐藤先生が、教室全体を見渡す。
パンツスーツを隙なく着こなし、後ろでまとめた髪を指先で整える。
薄く引かれた口紅が、その知的な表情をいっそう引き締めていた。
「これは提出用です。仮の希望で構いません」
先生が配った進路希望調査票は、ちょっとした小冊子ほどの厚みがある。
受け取った表紙には、名前や出席番号とともに、事務的なフォントでこう印字されている。
進路適性・希望調査票(高等第二学年・男子用・第一次)
表紙をめくると、昨年度の学業成績が簡単にまとめられていた。
さらに一枚めくる。
今度は、身体能力に関する項目がずらりと並んでいた。
持久力や反応速度、瞬発力といった身体能力だけではなく、重量物の運搬や精密動作などの作業遂行能力まで。
一つ一つの項目に細かな数値や判定、評価が記され、びっしりと埋まっている。
整然と並ぶその査定結果のようなものを眺めていると、自分の存在価値を一方的に決めつけられているような気がした。
そして、身体能力のページを何枚かめくった先で、ようやく次の項目が現れた。
〈希望進路選択〉
最初に並んでいるのは、建設、土木、物流、発電施設、機械保守――。
いずれも男子の進路として用意された大きな分野だ。
その先のページには、それぞれの分野に応じた、さらに細かな職種が並んでいた。
どれも力仕事という一言では片づけられない、専門性の高いものばかりだ。
必要な知識も技術も、この国を支えているのは分かる。
でも、どこか息苦しさを覚えてしまう。
ちらりと、隣の席に座る志織の調査票を盗み見る。
研究、行政、医療、教育、起業――。
同じ進路調査なのに、書かれている内容はまるで別物だった。
最初から住む世界も、果たすべき役割も違うのだと突きつけられているようだった。
そんな私の思考を遮るように、先生の声が響いた。
「女子諸君」
低く落ち着いた声に、教室の空気が引き締まる。
「皆さんは将来のリーダーです。どの学問で社会に貢献したいのか、高い志を持って考えなさい」
タブレットに一度目を落とし、それから教室を見渡した。
「力や体力ではありません。知性と判断力、そして好奇心こそが、皆さんの武器です。社会に影響を与える舞台は、あらゆる分野に広がっています」
志織の背中が、少しだけ伸びたのが分かった。
続いて、先生の視線が男子の列へと向けられる。
「男子諸君」
今度は、はっきりと。
「自分の身体能力スコアと実務適性を、よく確認しておくように。君たちのリボンは、単なる飾りではありません」
私は、反射的に胸元に結ばれたリボンに指を触れた。
「この国を物理的に支える『誇り高い労働者』のしるしです。時に重荷と感じるかもしれませんが、それは精神的な誇りの象徴でもあります」
そんな大げさな言い方に、教室のあちこちで控えめな笑いが漏れる。
けれど、皆は当然のこととして受け入れていた。
でも私は、なぜか……
