北の暁

 翌朝。暁の部屋で一夜を明かした小夜は女官たちの詰所へと戻された。
「……え?」
 足を踏み入れた瞬間、朝の支度をしていた女官たちの手が止まり驚きに目を見開く。誰もが夕べのうちに処刑され、今頃は冷たくなっていると確信していたのだから当然だ。
場の沈黙を破ったのは昨夜泣きながら小夜に白い薄衣を着せた女中頭だった。持っていた手拭いを床に落とし、目に涙を浮かべ駆け寄ってくる。
「小夜……っ。お前、本当に小夜なのね? 無事だったの⁉︎」
「はい、女中頭様……。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
 申し訳なさそうに頭を下げる小夜の肩を、女中頭は強く抱きしめる。
「本当によかった! 生きて戻れるなんて奇跡だわ」
 涙を流して喜ぶ女中頭の胸の中で、小夜はそっと安堵の息を吐く。
周囲の女官たちは無事で戻ってきた小夜に驚愕しつつも、ある異変に気づいてひそひそと囁き合い始める。
「ねえ、見て……。気のせいかしら?」
「小夜の肌、なんだか昨日より艶があるわ」
「まさか、ご寵愛を受けたんじゃ?」
「それはないわ、絶対に」
 昨夜、暁から吹き込まれた玄武の力で小夜の身体には瑞々しい気が満ち、元の美しさが際立ってしまっている。それは下女の地味な衣服を着ていても隠しきれないほどだった。
そこへ、無骨な声が響く。
「――おい、お前たちいつまで油を売っているつもりだ。さっさと持ち場へ戻れ」
 北辰が突然詰所へ現れたのだ。
昨夜、露わになった胸元を見た男だ。小夜は気まずさに顔を俯かせる。しかし北辰は「小夜」と呼んだ。
「はっ、はい、北辰様」
「殿下からの直命だ。お前はお茶会での不敬の罪の償いとして、今日から殿下の身の回りのお世話を行う"お側仕え(おそばづかえ)"を命ずる。常に殿下の視界の入る場所で、奴隷のように働くんだ」
「ーー奴隷ですって⁉︎」
 周囲の女官たちが息を呑む。やはり宮様は怒っているんだ、一生監視されて酷い扱いを受けるんだわ、と誰もが小夜に同情の目を向けた。
だが、小夜だけは、北辰の瞳の奥にある『真意ではございません』という無言のメッセージを感じ取り、小さく頷いた。
「……かしこまりました。謹んでお受けいたします」
 こうして小夜は"監視下に置かれた可哀想な女官"として玄武の宮の側仕えを命じられることとなった。
「昼過ぎに迎えに来るから支度をととのえておくように」
「はい」
 とは言っても、小夜の荷物など、お寺から持ってきた風呂敷一枚に纏められる程度しかない。北辰はさらに女官たちを見渡して言った。
「ああ、それと。手が空いている者は、後宮の一際立派な一室を整えておくように」
 その一言に、女官たちは一斉に色めき立った。宮の空気が劇的に良くなったのも、きっと新しいお妃様を迎える瑞兆(ずいちょう)だ――と口々に言い合う。
「一体、どこの高貴で美しい姫君がやって来られるのかしら……?」
 盛り上がる女官たちの会話を聞きながら、小夜はポツリと呟く。
(兄様のお妃様……)
胸の奥が針で刺されたようにチクリと痛む。昨夜、兄様はあんなに愛おしそうに自分を抱きしめてくれた。
しかし所詮自分は身寄りのないただの下級女官でしかない。
兄様が本当に欲しいのは、皇帝の座に就くための巫女の力。結婚となれば話は別で、どこかの綺麗な貴族の姫君を正式に迎えるつもりなのだろう。
「……バカだわ。わたし、勘違いしていたのね」
 愛してもらえるのかも知れないと一瞬でも期待した愚かさと、切なさに胸が押しつぶされそうになりながら、小夜は自分の小さくて地味な風呂敷包みを、そっとまとめ始めたのだった。