執務室から戻った小夜の目は涙に濡れていた。それを見た件の先輩女官は勝ち誇った笑みを浮かべる。
しかし別の女官は違った。執務室を覗き見て、「過ちを犯せば宮様に慰めてもらえるのね」と勘違いした。
そんな勘違い女官が、夕刻、運んでいた御膳をあろうことか暁の目の前でわざとらしくぶちまけた。失敗をして暁の気を引こうとしたのだ。
「も、申し訳ございません、私としたことが〜!どんなお仕置きでも受ける覚悟ですわ」
潤んだ瞳で暁を見上げる女官。しかし、暁は怒りに震える。そこに在るのは小夜の知る兄様の姿ではない。
「黙れ! 我が宮にこのような無能は不要だ」
低く、地鳴りのような声に周りにいた女官たちは震え上がる。
「即刻、この者を追放せよ。今後一切、北の地を踏むことは許さん」
「お待ちください、玄武の宮様! なぜあの女は許されて、私は――!」
女官は悲鳴を上げながら、駆けつけた衛兵たちによって引きずられていった。
その様子を見ていた他の女官たちは、恐怖で顔を引き攣らせる。
「皆の者、よく見ておくがいい。無能は問答無用に処分する。弱者を虐めたり、足の引っ張り合いなどは言語道断、各自よく肝に銘じておくように」
小夜は気付いていた。暁の言葉が自分を守るために発せられたものだと。
処罰された女官はとても気の毒で、小夜は複雑な思いを胸に抱いた。
だがこれで明日からは平穏な日常が訪れるーーそう思ったのも束の間。
「……小夜様、お下がりください」
夕刻。仕事を終え後宮へと戻る途中。背後に控えていた護衛の黒曜が、低く短い声を上げた。
月光の中、黒曜の鋭い目が、闇に埋もれた廊下の先を睨みつけている。
ここ数日、小夜は奇妙な視線を感じていた。その正体が、今、牙を剥いたのだ。
黒い装束に身を包んだ数人の刺客が、四方から襲いかかってくる。
「小夜様には、指一本触れさせん」
普段は物静かな黒曜が、地を蹴った。抜刀の音と同時に月光を反射した白刃が弧を描く。次の一瞬で振り下ろされた刀は、先頭の刺客の胸元を正確に切り裂いた。
「ふん、大したことないな」
「ーー黒曜、上だ‼︎」
椿の声とともに屋根からドスンと巨体が降り立つ。戦斧を軽々と振り回し迫りながら武器ごと黒曜を壁へと叩きつけた。
「黒曜! ーーこの化け物め!」
椿は巨体に飛び乗ると毒針で首元を突く。刹那、巨体は土人形へと姿を変えガラガラと崩れ落ちていく。
「傀儡か」
椿は呟く。
「みたいだな。敵は残り五人、一気に片付けるぞ」
「承知した!」
二人の息の合った、攻撃。黒曜の流麗な剣技が次々と刺客を仕留めていく。椿も小夜を護りながら、確実に息の根を止めていく。
ものの数分で、侵入者たちは骸へと変わっていた。
「小夜様、お怪我はありませんか」
刀の血を拭いながら、黒曜が膝をつく。小夜は震えながらも、二人に深く感謝した。
「ありがとうございます。お二人ともお怪我はございませんか?」
二人同時に頷くが、小夜はそれを見逃さなかった。黒曜の左肩の着物が破れ、皮膚が赤黒く腫れ上がり変色している
「黒曜さま、失礼します」
小夜は黒曜の左肩に触れると念じた。暁の傷を癒した時と同じように、慈愛を込めて。
「小夜様、これは……いったい」
黒曜は目を見張った。小夜の手から青白い光が発せられると、みるみる痛みが引いていき、変色した皮膚も砕けた骨も元通りになっていく。
「わたしもよく分からないのですが、玄武の巫女には傷を癒す力があるようです。黒曜様のお傷が治って、よかっ、た……」
小夜は微笑んで、その場に倒れ込む。その身を抱き留めたのは他ならぬ暁だ。
「しっかりしろ、小夜」
「……暁様。来てくださったんですね」
「遅くなってすまない。黒曜、椿、よくやってくれた」
小夜を横に抱き上げて、労いの言葉をかける。そして、刺客の亡骸に視線を落とした。
「……朱雀の手のものか」
「おそらくは」
北辰が刺客の懐を探り、一つの紋章を取り出した。それは、燃え盛る炎を象った、不吉な赤い鳥の紋様だった。
遥か南。朱雀の南の御殿。異国の花を浮かべた湯殿で、一人の男が妖艶に微笑む朱雀の宮・煉。
琥珀色の瞳を退屈そうに閉じて、玄武宮へ放った刺客が全滅したという報告を聞いていた。
「ふん……まあいい。簡単に奪えたらつまらぬからな」
煉は立ち上がり、真紅の浴衣を羽織る。
「護衛を付けていたとなればその娘が巫女なのだろう。上手く隠しているつもりだろうが、僕の目は誤魔化せないよ」
煉の目的は、玄武の力を削ぎ、その巫女を我が手中に収めること。
そのためには、まず邪魔な玄武の武官たちを引き離す必要がある。
「いいことを思いついたぞ。近々、四神の"武闘大会"を開催しようじゃないか。公式な場なら、あの腑抜けも断れまい。玄武自慢の犬どもを、表舞台で叩き潰してあげよう」
煉の唇が、残虐な歓喜に歪む。
「巫女は、それからゆっくり奪うとするか」
小夜に、朱雀の炎が迫ろうとしていた。

