久遠の国の領主は再会した初恋の娘を溺愛する

 柊、長い間よく勤めてくれた。おまえが献身的に勤めてくれたおかげで私は多くの力を蓄えることができた。贄におまえを選んだのは正解だった。
 幽世で寂しい思いをしたこともあっただろう。おまえは心のどこかでいつも現世のことを気にかけているようだったからね。現世には諦めずにおまえを待つ存在もいるようだ。本来なら命が尽きるまでここで働いてもらうのだが、おまえを帰すことにした。
 ああ、だが手放さなければいけないのはとても残念だ。私はおまえのことを殊の外気に入っていたから。長い年月、おまえのような人間はひとりも現れなかった。
 幽世でのおまえの働きぶりを評価して現世に戻す前に 何かひとつ願い事を叶えてあげよう。

なにかひとつ……なんでもよいのですか?

もちろんだ、さあ、望みを言ってみなさい。

では……

本当にそれで良いのか?

はい。

わかった、その願い叶えてあげよう。さあ、お帰り、柊。おまえが望んだおまえの世界へ。
だが、私のもとに帰ってきたくなったらいつでも願うといい。私はいつでもおまえのことを歓迎するよ。
ただひとり、私の加護を持つものよ。

***

 誰の声だろう。

 私の願いはただひとつ。
 現世に帰る時には……槐様のことを……。

 目を覚ました柊は、自分が神殿のなかにいることに気がついた。懐かしいような、昨日まで過ごしていたような、不思議な気分だ。
「柊、帰ってきたのか。その姿……なるほど、言い伝えのとおりだ」
 視界に神官の姿が映る。なるほど、どうやら神々の住む幽世から現世に戻ってきたらしい。
「神官長様……」
「お帰り、柊。よく勤めを果たしましたね、まさか戻ってくるとは……冬の神はあなたの働きに大変満足したのでしょう」
「そう、ですか……」
 不思議と幽世での生活が全く思い出せない。どのくらいの年月現世を離れていたのだろうか、知った顔が目の前にあるのだからそんなに長い時間ではないだろうが、見知った神官の顔は、わずかに年老いて見える。
「槐様にお知らせしないといけませんね、あなたの帰りをまだかまだかと待たれていたのですよ。一日もかかさずに神殿においでになって」
「槐……様……」
 懐かしいような、耳慣れないようなその名に、わずかに首をかしげる。それは、誰の名だっただろう。少し思案したのち、この国の領主の息子であることを思い出した。
「柊、体に異変はありませんか? 重たかったり、手足が動かしにくかったり」
「いえ、大丈夫です。あの、私はどのくらい現世を離れていたのですか?」
 神官長が口を開きかけたとき、遠くから近づいてくる足音が響いた。足音はどんどん大きくなり、その姿が明らかになる。
「柊!」
 名を呼ばれると同時に、腕の中に抱かれる。大きな手が柊の体を包んだ。
「あの……」
「槐様、柊が困惑しております」
「あ、すまない。柊、よく戻ってきてくれた」
 大きな腕から解放され、柊はゆっくりと顔を上げた。目の前に、精悍な顔つきの男が立っている。どこか見覚えがあるその姿が誰であるのか少し思案してから、柊は目を丸くした。
「槐様……?」
 名前を呼ぶと男はこぼれんばかりの笑顔になる。
「そうだ、俺だよ柊」
「でも、あの、私が知っている槐様よりも……」
 大人びている、柊が知っているあどけない少年の姿ではない。
「あたりまえだ、おまえが幽世に行ってから十年の時が経っているのだから」
「え……」
 槐の言葉を聞いて神官長に抱いた違和感の理由がわかったが、驚きのほうが大きかった。幽世には時間の流れが存在しなかったようだ。現に自分の姿は久遠の国を離れた時と少しも変わっていない。
「毎日毎日おまえが帰ってくることを願っていた」
 目を潤ませる槐を見て、柊は微笑む。
「戻ってまいりました」
「約束を覚えているか?」
「約束、ですか?」
「ああ、おまえを妻に迎えるという約束だ。ようやくそれを果たせる」
「槐様……私は、あなたの妻にふさわしくはありません」
 久遠の国のことは覚えている。夏の神の加護を受けた槐の妻には、四季の神の加護を得た娘でなくてはならない。特段、秋の神や春の神の加護を得た娘が適任だろう。秋の神は楸に加護を与えている。春の神はまだ加護者を決めていない分望みがある。
「おまえは冬の神の加護を得た。俺の妻にふさわしいんだ」
 槐は熱を帯びた瞳で見つめてくるが、柊の心は不思議と凪いだままだった。なんと答えたらよいのかわからない。
「冬の神が、私に加護を?」
「ああ、詳細は神官たちが教えてくれるだろう。冬の神から信託があった。柊に加護を授け、現世に戻すと。おまえは冬の神にいたく気にいられたようだ」
「私が、槐様の奥様に……」
「十年、とても長かった。だがおまえが帰ってきてくれた今、その辛さなど吹き飛んでしまった。さあ、祝言を挙げる準備をしよう柊」
 戸惑う柊を抱きかかえると、槐は神殿を後にする。外は夜だった。どうりで神殿の中も薄暗かったはずだ。空にはわずかにかけた月が輝いている。

「このまま夏の神殿に行こう。満月は二日ほど過ぎてしまったが、次の満月まで待つ時間が惜しい。おまえに結婚の申し込みをしなければ」
「槐様、本当に私などでもよろしいのですか? ご当主様は反対なさると思います」
 槐の父は秋の神の加護を得た娘を探していた。見つからなくとも、春の神の加護を得た娘なら、椿がすでにいたはず。たとえ柊が冬の神の加護を得たからと行って、その加護は未知なもの、歓迎はされないだろう。
「父は亡くなった。今は俺が当主だ。妻はおまえって決めていたんだよ柊」
「槐様……」
 槐の顔を見上げると、優しい眼差しと目が合った。精悍な顔つき十年前よりもずっと大人びており、自分を軽々と抱き抱える腕は驚くほど逞しかった。
 これが、十年前に自分と背丈の変わらなかった槐だろうかと俄には信じられない。
 言葉通り、神の国で過ごした自分は年を取らず、槐だけが十年の時を重ねたようだった。

 湖の上に建つ夏の神殿につき、柊を降ろした槐は真剣な眼差しで柊を見た。
 神殿の中から神官たちが慌てた様子で出迎えてくる。
「これはこれは、槐様。こんな夜更けにどうなされました?」
「柊に結婚を申し込みに来た。叔父上の同じようにな」
「柊……? 柊がもどったのですか……! それはそれは……」
 神官たちは複雑な表情を槐に向けてから、柊を見て驚いた。
「幽世に行く前と寸分も違わない容姿……言い伝えは本当のことだったのか」
 不可思議なものを見るような、不躾な視線に槐は気を悪くしたようだ。柊の肩を抱き、神殿へと入っていく。
 回廊を抜け、湖が見えることろまで来ると、槐は柊を見つめた。
「柊、俺の妻になってくれ。俺にはおまえしかいない」
 これは夢だろうか。十年前の自分が、望んで叶わないと諦めていたことが、現実になっている。
 恋焦がれた槐の妻になれる。それなのに、どうしたことか心が少しも動かなかった。
「はい……喜んで」
 辛うじて言葉を紡ぐが、どうしても心が追いつかない。嬉しいはずの言葉なのに、心は驚くほど凪いでいた。槐に対して笑顔を見せると、槐も笑った。
「そう、か、よかった……ありがとう柊。忙しくなるぞ、婚礼の準備に取り掛かる。帰るぞ柊、俺たちの家に」
「はい」
 槐の馬に一緒に乗り、槐への屋敷へと向かう。懐かしい景色だ。以前も槐馬に乗せてもらったことがあるが、危ないからとすぐに椚に止められた。あの時よりも、槐はずっと体が大きく、逞しくなった。以前は傍にいるだけでドキドキしていたはずだ、触れ合っていたらそれこそ失神してしまっていただろう。それが、少しも心が動かない。
「柊」
「はい」
「俺はこの日をずっと待ち望んでいた」
「私もです……夢のようです」
 そう、夢のようなのだ。少しも実感がわかない。自分のことの用には感じられなかった。槐の屋敷につくと、みんなが迎えてくれた。柊の帰還を喜び、槐との婚約を驚き、それでも困惑しながら祝福してくれた。
「柊は冬の神の加護を得たのだ、俺の妻にふさわしいだろう?」
 槐は自慢げに楸に紹介した。青年だった楸はすっかり大人になっていた。
「柊が……いえ、柊様が、冬の神の加護を……そうですか、天は槐様を応援していたのですね。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
 相変わらず優しい笑顔の中に、未知のものに対する恐怖が畏怖が見て取れる。楸は冬の神を恐れているのかもしれない。あんなにお優しい方なのに。
「楸、すぐに準備に取り掛かれ。柊に白無垢を」
「旦那様、柊は現世に戻ってきたばかりで疲れているのではありませんか? 少し労を労い、ゆっくりさせてあげてください。婚礼の儀は数日遅れたところで何の問題もありません。柊があなたの奥方になられるのは、決まっているのでしょう?」
「そうだな……悪かった柊、浮かれてしまっておまえのことを考えもせず」
「お心遣い痛み入ります」
 夜更けにみんなを働かせるわけにはいかない。楸たちのことを考え、槐の心遣いを受け入れる。
「まずはお部屋に案内されてはいかがですか?」
「そうだな。柊、おまえに一番良い部屋を用意している。南向きでよく日が当たる部屋だ案内しよう」
「ありがとうございます」
 槐は屋敷の中で南向きの日当たりがよい部屋を用意してくれていた。中庭にも面している。朝になれば明るい部屋になるだろう。手入れの行き届いた部屋はとても居心地が良さそうだ。
「調度品はおまえが帰ってきてからおまえの好みに合わせてそろえようと思っていたのだ、簡素な部屋ですまない」
「いいえ、とても素敵なお部屋です。ありがとうございます槐様」
「喜んでもらえてよかった。俺が仕事部屋として使っている部屋からも近い。夜はここで一緒に眠る」
「わかりました」
 頷くと槐はわずかに顔を赤くした。
「夢のようだ……おまえを妻に迎えることができるなんて」
 槐の黒い瞳が揺れる。こんなに近くで見つめあっていると言うのに、柊の心は静かなままだった。
「私を望んでくださってありがとうございます」
「俺を支えてくれ」
「はい、喜んで」
 槐の大きな手が頬に触れる。そうか、口づけされるのだ。そう思ってゆっくりと瞳を閉じた。柔らかな熱が触れて、そっと離れる。
「嫌ではなかったか?」
「はい」
 心配そうな表情をしていた槐はほっとしたように小さく息を吐いた。
「すぐに侍女をよこす」
「自分のことは自分でできますよ、みんな忙しいでしょうから」
「おまえは久遠の国の領主の妻だ、付き人がいるべきだ。安心しろ、いつおまえが帰ってきてもよいようにな人選はすっかり済ませてある」
「そうでしたか……では、お世話になります」
「今夜はよく休め」
 満足そうな顔で部屋を後にする槐を見送る。
 私が槐様の奥様になる日が来るなんて……。
 十年前の自分も、幽世にいた時の自分も少しも想像していなかった。槐の妻には、椿がなるものだと思っていたから。

 翌朝、部屋にやってきたのは見覚えのある顔だった。今の柊よりもいくつか年嵩の女は柊を見て目を丸くする。美しい顔が不快そうに歪む。無理もない、十年前、槐の許嫁であったのは椿だ。
「まあ、本当に少しも姿が変わっていないのね」
「椿様……」
 椿は柊の隣に座ると、ため息を吐く。
「まさか本当に帰ってくるなんて驚いたわ。あなたのせいで私は槐様と結婚できずにいるのよ」
「それは……」
 何と答えたらよいのか悩み、何も言えないでいると椿はふんと鼻を鳴らす。 
「仕方がないからこのお屋敷に勤めることにしたの。もしもあんたが戻ってこなかったら槐様は誰かちょうどいい相手を見つけるしかないでしょう? 槐様は意地になってあんたのことを待つと仰っていたから妻の座は難しい。でもお妾になって子供を産むことくらいできると思って。でも槐様は亡くなられた大旦那様に意地を張ってほかに女を作らないし、結局あんたが帰ってくるしで最悪よ。せめてあと一年遅く帰ってきてくれたら、槐様は私を奥方に迎えることができたのに。律儀に約束を守らされてお可哀そう」
「……」
「奥様、私、それなりに槐様の信頼を得ているから私の文句を言っても無駄よ」
「言いません」
「それはよかった。約束よ、反故にしたら夏の神がお怒りになるわ。私、槐様の許嫁として神殿参りを欠かさずやっていたら夏の神に気に入られたのよ」
 椿は楽しそうに笑うと、柊を見て再びため息を吐いた。
「ねえあなた、槐様から身を引いてくれない? だって、十年も経ったのにあなたの姿は子供のまま。今の槐様と少しも釣り合わないわ、私のほうがふさわしいと思うでしょう?」
「お選びになるのは槐様です」
「だから、槐様はあんたとの約束を律儀に守っているだけなのよ、真面目な方なの。大旦那様は柊が十年経っても戻ってこなかったらいい加減私を妻にするよう忠告してくれていたのに、今更帰ってくるなんて、本当に間の悪い子ね」
「……槐様は椿様を奥様に迎えるおつもりだったのですね」
「物わかりも悪い子だわ、そうだって言ってるじゃない。仕方がないからとりあえずあなたを妻にお迎えになられたけれど、あんたみたいなお子様はひっこんでおいてってことよ」
 槐は自分を待っていたと言ってくれた。その言葉はきっと嘘ではない。椿が言っているのは大旦那様の意向だろう。自分は槐の気持ちを尊重したい。
「槐様が求めてくださっている以上、私は身を引きません」
 きっぱりと答えると、椿は顔を真っ赤にして怒りをあわらにした。
「昔から思っていたけれど本当に生意気ね! 身分が低いものらしく身の程をわきまえなさい。槐様は求めていらっしゃるわけじゃないわ、約束を反故にしないために仕方なく傍に置いているのよ。少し優しくされたからって、調子にのらないでちょうだい」
 調子になどのっていない。のれるものならのってみたいとすら思う。だが、そんなことを口にしたところで椿の神経を逆なでするだけだろう。これ以上の反論は胸にしまって押し黙る。
「せいぜい見限られないように大人しくしていることね、しゃしゃり出たら嫌われるわよ」
 椿はそう言い残して部屋を出て行った。廊下で誰かと話をする声がする。
「あら、椿さん奥様の付き人の仕事はいいの?」
「ええ、奥様、今はひとりになりたいみたいで、私がお世話をしようとしたら嫌がったのですよ」
「あら……現世に戻ってこられたばかりだもの、慣れるのに気を使っておられるのだわ」
「柊はそんな殊勝な子じゃありませんよ、ひとりでダラダラしたかったのだと思います」
「椿さん、奥様を呼び捨てにされてはいけませんよ」
「あ、そうでした。親しいものですからつい……気を付けますね。なにかお手伝いできることはありますか?」
「そうですね……今は間に合っているかと……」
「そうですか、では、私は一度屋敷に戻りますね、旦那様が戻られる頃に私も戻ります」
「え……はい、わかりました」
 どうやら椿は通いで働いているらしい。部屋でゆっくりするのも落ち着かない、現世にいたころも、幽世でもずっと何かしら仕事をしていた。幽世に行く前にはこの屋敷で働いていたのだ、親しい顔がないか探しに行くことにする。
 以前の仕事場だった大飯殿に足を運ぶ。すると、見知った顔を幾人も見つけた。みんな相応に年重ねている。柊に気が付くと、一斉に顔を明るくした。
「柊! あ、今はもう柊様だ、お帰りなさい、帰ってきてくれて嬉しいよ」
「それにあんたが旦那様の奥方になられるなんて、こんなにめでたいことはない」
「お帰り柊様、なんか変な感じだけど、また会えて嬉しい」
 みんな口々にお祝いの言葉や再会の喜びを口にしてくれる。柊は温かな気持ちになり、同時に驚いた。槐と再会したときは、こんな気持ちにはならなかった。あんなに焦がれていたのに、どうして。
「それにしても、あんたの付き人に椿様が選ばれるなんて、旦那様も人を見る目がないよ」
「仕方ないわ、旦那様はお忙しくて屋敷を留守にしがちだし、椿さんは旦那様の前でいい顔をするから」
「ご実家が裕福で多額の寄付金を出しているから特別扱いなんだよ。私たちもちょっと困っているの」
 今度は口々に椿の話を始める。屋敷の使用人たちと椿の関係性はよくないようだった。
「あんたが帰ってくれて本当に良かった、もう少しで椿様が奥様の椅子に座るところだったんだ」
「旦那様は嫌がっておられたよね、柊を待つって言ってさ」
「でも椿様のお父様が強引に話を進めていらっしゃったから困っていたよね」
「すべてが丸く収まってよかったよ」
「あとは跡継ぎ様だ、おふたりに子供が生まれるのが楽しみだよ」
 話しがどんどん膨らんでしまうので、柊は慌てて口をはさむ。
「あ、あの、私にも何かできることはありませんか? 暇を持て余してしまって……」
「疲れてはいないのかい?」
「はい、少しも」
「手伝ってもらえたら嬉しいけれど、こんな場所の仕事を奥様にさせるわけにはいかないし、楸様に相談してごらん」
「そうします」
 みんなと話していると、「にぎやかだね」と丁度よく楸が通りかかった。
「楸様、柊様になにかお仕事をあげてください、暇に耐えられないって。この子、働き者だから」
 楸は驚いたように目を見開き、それから優しく微笑む。
「冬の神がおまえに加護を与えてくださって本当によかった。これで天国の大旦那様も柊と旦那様の結婚に文句は言わないだろうからね。ああ、もう奥様だった、申し訳ありません」
「柊でいいですよ、楸様」
「そう言うわけにはいきません。それにしても何をしていただこうか……」
 悩んだ楸は秋の神を祀る神殿への挨拶に同行してほしいと告げた。

 久遠の国には四季の神を祀る四つの神殿がある。楸は十五歳になる年に秋の神の加護を得た。四の加護を得たものが三人も同じ時代を生きることは珍しい。
 槐の妻となったことを報告すべく柊が秋の神に祈りを捧げていると穏やかな声がした。
「奥様、この度はご結婚おめでとうございます」
 柊を迎えたのは秋の神殿の神官たちだ。
「ありがとうございます。秋の神の加護を田畑に施してくださったと伺いました、今日はそのお礼に参りました。加護は楸様のおかげでもありましたね」
 柊が横を向くと、楸は柔らかく微笑む。
「私は自分の使命を果たしたまで。礼には及びません」
 若い神官が目を輝かせて柊に尋ねる。
「奥様は冬の神の加護を得たと伺いました。冬の神は気難しいお方と聞き及んでおります、奥様の幽世での働きを大きく評価なさっていたようですね。素晴らしいことです」
「いえ……冬の神様はとてもお優しい方です。まるで陽光のような温かな方ですよ」
「そうなのですね、噂に聞いていたものを鵜吞みにしておりました。実際には違うのですね。奥様、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
 神官たちとあいさつを交わしているとこちらに近づいてくる足音がして、慌てた様子の槐が姿を見せる。
「柊、ここにいたのか」
「これはこれは領主様」
 神官たちが一同に頭を下げる。
「楸、俺の妻を連れまわすな」
 槐が楸を軽くにらんだので、柊は慌てて間に入る。
「秋の神にご挨拶に参ったのです。暇を持て余してしまって、楸様に無理やり仕事を作ってもらいました」
 槐が柊が答えると槐はわずかにほっとしたような表情になる。
「そうだったか、俺が一緒に来られたらよかった。改めて秋の神に謝辞を述べに来る」
「それはそれは、ありがたいこと。秋の神もお喜びになることでしょう」
 神官たちが深々と頭を下げる。
「行くぞ柊」
「はい」
柊はちらりと楸を振り返る。楸は何かを会得したように頷いた。
「私は少し神官たちと秋の実りについて話し合ってから戻ります。柊様と一緒に先に戻られてください」
「わかりました」
 そう言って槐の後を追うために歩みだした途端、何かにつまずく。思わず転んでしまいそうになるのを楸が抱き留めてくれた。
「す、すみません……」
 恥ずかしさからか、思わず顔が赤くなる。それから冷静になると、違和感を感じた。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございました」
 神殿に残ると言った楸を残して柊は慌てて槐に追いつき、一緒に神殿を出る。槐は少し不機嫌そうに見えた。
「槐様」
「……屋敷に戻ったらおまえの姿がなかったので迎えに来た」
「ありがとうございます」
「おまえは昔から楸に懐いていた」
「え?」
「楸のことが好きなのか?」
「え!」
 突然なんてことを言いだすのか、思いもよらない言葉に困惑する。
「それはあり得ません」
 真剣な表情できっぱりと否定すると、槐は驚いたように目を丸くした。
「そうか、それならいい……」
 もしかしたら、妬きもちを妬いてくれたのかもしれない。大人になった槐の中に、幼い日の少年の姿を見つけたようで微笑ましくなる。
「私は槐様のものですよ」
「そうか……それならいい」
 気まずい雰囲気を吹き飛ばすようにからりとした夏の空気が頬を撫でる。ふたり連れだって歩く帰り道は心地よかった。
「次は一緒に行こう。まさか楸に先を越されるとは……」
「はい、ご一緒しましょう」 
 答えると槐は子供みたいに嬉しそうに笑った。
 槐様が笑うと嬉しいと思う。だが、かつてのような恋心は感じられなかった。