久遠の国の領主は再会した初恋の娘を溺愛する

 桜の花が咲き誇る季節、ひとりの少女が小高い丘から国を見渡していた。遠くから草を蹴る音が聞こえる。足音はだんだんと近づき、少女のわずかに後ろで止まった。
「こんなところにいたのか、探したよ」
 少女が振り返ると、いくつか年下の少年が息を切らして立っていた。幼かったはずなのにもうすぐ背を抜かれそうだ。少し声が低くなったからか男らしくなった少年にドキリと心が揺れる。
「槐(えんじゅ)様、なにかありましたか?」
「ふたりのときくらい敬語はやめてくれよ」
 槐と呼ばれた少年は不機嫌そうにつぶやく。
「そういうわけにはいきません、もう幼い子供ではないのですから」
 柊が答えると、槐はどすんと腰を下ろした。
「叔父さんの結婚式に、柊(ひいらぎ)も招待して言われたから伝えに来た」
「私も参加していいのですか?」
「あたりまえだよ、国中のひとが参加するんだ、柊にも来てほしい」
 槐はこの領地を治める領主の息子である。その叔父、領主の弟の結婚式は盛大に行われるようだ。眼下に広がる広大な土地はいずれすべてが槐の統治下となる。
「叔父さんは花嫁に湖の神殿で結婚を申し込んだんだ、素敵だろう?」
 湖のほとりにある神殿は、夏の神を祀る美しい神殿である。水面に満月が映る夜に結婚を申し込むと、その夫婦は子宝と富に恵まれ、幸せな家庭を築くと言われている。
「俺ももう少し年を重ねたら、あの神殿で柊に結婚を申し込むよ」
 槐の言葉に、柊は大きな瞳を丸くする。柊がもう少し幼かったら、嬉しくて嬉しくて、満面の笑み返しただろう。だけど、もうそんなことはできない。ドキドキと鳴る心にそっと蓋をする。
「駄目ですよ、私は……槐様はもっともっとふさわしいひとと結婚しなくちゃいけません。ちゃんと釣り合うひとと……」
「幸せそうな叔父さんを見て決めたんだ、俺は絶対好きになったひとを妻にするって」
「でも……」
「良く晴れた満月の夜に、俺は君に結婚を申し込む。だからそのときは頷いてよ柊」
 柊は困ったような笑顔を浮かべた。本心のままに答えることができたなら、柊は笑顔で頷きたかった。だが、領主の息子と槐の家で使用人として働くみなしごの自分では到底釣り合わない。
 こうして気軽に話すことさえ、周りのひとびとからはよく思われてはいなかった。
「愛してるんだ柊」
「男心と秋の空ですよ、槐様。いずれそのお心にも変化が現れます。今は気安い私のことを気にかけてくださっているだけのことですよ」
「違う、俺は……」
 槐はもどかしそうに唇をかむ。柊にこれ以上なんと伝えたらよいのか、言葉にできずに戸惑っているようだった。遠くから足音が響いてくる。姿を見せたのは、槐の家に仕える家老の息子だった。眉目秀麗な青年は名を楸(ひさぎ)という。楸は柊の姿を見てニコリと笑顔を見せてから、槐に困惑したような視線を向ける。
「槐様、また抜け出してきたのですか、今は歴史を学ぶ時間のはずでしょう?」
「柊を叔父さんの結婚式に招待しに来たんだ」
「見なかったことにして差し上げます。柊、冬の神殿の神官長がおまえを呼んでいましたよ」
「神官長様が私を……いったい何事でしょうか」
 槐の家が治める久遠の国は四季を司る神々を祀っている。国には四方に各々神殿があり、それぞれ四季の神を祀っている。
「私もわからないから自分で聞いておいで」
「わかりました。槐様、失礼いたします」
「待ってくれよ柊……話しはまだ終わってない」
 柊を呼び止めようとする槐を楸が咎める。 
「槐様、あんまり柊と親しくしてはいけません。身分というものがあるでしょう? 槐様が柊を気にかけることは、あってはならないことです」
「なぜ」
「槐様にはいずれ領地内からふさわしい奥方をとっていただかなくてはいけません」
「俺は柊を妻に迎える」
「なんてことを……旦那様が聞いたらなんと仰るか。いいですか、ゆめゆめそんなことは考えてはなりません。柊のためにもなりません。期待させるのは酷ですよ」
「期待していい、俺は絶対に裏切らない」
「槐様……」
「俺は引かないから」
 槐はそう言い放つ丘を駆け下りた。十四の槐は、その願いが近いうちに必ず叶えられるものだと信じてたがわなかった。

***

 冬の神殿にたどり着くまでの間、柊は高鳴る胸を必死に落ち着かせていた。
「槐様が、私を……」
 愛していると言った。胸の奥が熱くなると同時に、苦しい気持ちが生まれる。もしも自分が槐に釣り合う女性だったら、どんなに嬉しかったことか。
 姉弟のように育った槐は、最近ぐんと背が伸びて男らしくなった。時々、こちらが驚くほど大人びた表情をすることもある。そのたびに、心がどきりと波打つのだ。
 孤児(みなしご)の柊には、十分な後ろ盾がない。四季の神の加護もない。何も持たない柊が、夏の神の加護を受ける槐の妻になることは、絶対にあってはならないことだ。
 槐様も、わかっているだろうに。
 それでも自分を妻にと所望してくれた槐の気持ちがたまらなく嬉しい。まだ身分の差など理解できていなかった幼いころの柊ならば、笑顔で頷くことができただろう。
 四季の神々は人間に加護を授ける代わりに対価を求めるそうだ。夏の神の加護を得た槐は、夏の神が満足するだけの供物を用意しなければいけない。そのためには、豊穣を司る春や秋の神から加護を受けた娘を娶るか、十分な供物を用意できる裕福な家の娘を娶る必要がある。柊は、そのどちらも持ち合わせてはいない。
 高鳴る胸をどうにか落ち着かせて神殿に入ると、若い娘に声をかけられる。
「あら柊、そんなに焦ってどうしたの?」
「椿様……」
 久遠の国でもっとも裕福な家の娘である。槐が夏の神の加護を受け継いだ時には多額の祝い金を出していた。
「どうして私がここにいるのかって不思議そうね? 私、槐様の奥方候補に選ばれたの。だから四季の神々にごあいさつに回っているのよ」
 一瞬息が止まる。だが、どうにかして笑顔を取り繕った。
「そうでしたか」
 柊が微笑むと、椿はふんと鼻を鳴らす。
「あなた、槐様に目をかけられていたわね? でもいい気にならないでちょうだい」
「いい気になど……槐様は誰にでも平等に接しておられます」
「なあに、自分が哀れまれてるってことに気がついてないの? でも、これからは槐様に軽々しく話しかけないでちょうだい。私が槐様の許嫁に選ばれたの、いずれ槐様の妻になるのは私なのよ!」
 先ほどの槐の言葉が脳裏に浮かぶ。自分の許嫁のことを槐が知らないはずはない。あれは槐が柊をからかっただけなのだもしれない。いや、槐がそんなことをするとは思えない。ならば、嫁の貰い手のない可哀そうな柊に、花を持たせてくれたのだろう。柊が頷けないことがわかっているから。
 柊が元気を失ったのを見て、椿は気分が良くなったようだった。
「私が槐様と結婚したらあなたのことを私の付き人にしてあげる、じゃあね」
 椿はそう言い残すと鼻歌を歌いながら神殿をあとにする。

 柊が神殿の中にはいると神官たちが顔を突き合わせているところだった。なにか話し合っているらしい。
「神官長様、お呼びでしょうか」
 柊が声をかけると、神官たちがいっせいにこちらを向く。
「柊、冬の神があなたを贄にと所望されました」
「私……ですか?」
「はい。すぐに支度をしなければいけません、幽世に勤めるための支度をしましょう」
 冬の神は人間が加護を与えることはない。贄を欲し、その贄の働きに応えて四季を巡らせてくれるのである。冬の神の贄になる娘の責任は重い。
「あ、あの、せめてお世話なった旦那様やお屋敷のみなさんにご挨拶を……」
「悪いのですが、そんな暇はありません」
「ですが」
 せめて槐様に別れを告げたいのに……。妻にと求めてくれて嬉しかったと、私はあなたのことは好きだったと。もう二度と会えなくなるのなら伝えたかった……。
 心の準備ができないまま、神官たちによって身支度だけが進んでいく。禊を終え、真新しい衣に袖を通すとご神体の前に跪く。
「冬の神よ、贄の準備が整いました」
 神官長が告げると、神殿の中が一気に冷え込む。ハラハラと雪が舞ったかと思うと、柊の体はその場から消えていた。

***

 柊を妻にすると心に決め、息を切らして家に戻った槐に告げられたのは、柊が冬の神に仕えるために幽世に向かうことになったという知らせだった。さっきまで一緒にいたというのに、もう会うことはかなわない。槐は信じられなかった。
「父上、どうして柊がいかなければいけなかったのですか! この何百年も四季の神は贄を必要としなかったのに……」
 槐は父親に今にも掴みかかりそうな勢いで尋ねたが、父は首を横に振った。
「おまえもわかっているだろう。神の意向は人知を超えるものだ」
「柊は帰ってくるのでしょうね! 俺は……」
「わからない。伝承通りなら、務めを終えたら人の世に帰ってくるはずだ。だが、近年神が贄を求めたためしがないのでわからない。ただ、ひとつ言えることには、冬の神が人間の娘を現世に帰したためしはない」
「そんな……」
「柊のことは諦めろ。仮に帰ってきたところで私は認めない。おまえはあれを気に入っていたようだがな、あれはだめだ。おまえにはふさわしい娘を用意する」
 父の言葉は槐の心には届かなかった。少しの沈黙のあと、槐は静かに口を開く。
「決めました、俺は柊を待ちます。この命が尽きるまで」
「馬鹿なことを、おまえは久遠の国を継がねばならないだろう。妻には春や秋の神の加護を受けた娘がいたならば都合がよいのだが……生憎というべきか、幸運というべきか、楸が加護を得ているのでそれは望めない。春の神は気まぐれで人間に加護を与えてくれることはなかなかない」
「必要ありません父上」
 父は槐の言葉が聞こえないかのように言葉を続ける。
「椿という娘がいるだろう? おまえが夏の神の加護を受けた際に多額の祝い金を出してくれた家の娘だ。裕福な家の娘ならばだたの加護なしだがよりはいくらかましだ。向こうから申し出があり、もう話はつけてある。あの娘ならばおまえと年も釣り合う。跡継ぎも必要になるからな、いつ戻ってくるかもわからない娘を待つわけにはいかない。それも何も持たない娘……」
「跡継ぎは……もしも柊が俺の生きている間に戻らなければ叔父上の子を養子に迎えます」
 父はため息をついた。
「こうも愚かであるとは……」
「柊のことは絶対に譲りません」
「私は絶対に認めない」
 それ以上、親子の間に会話はなかった。