神戸モンキーの国、蒸気の記憶

 グランドオープンを目前に控えたあの頃、私たちは「全社員による施設体験」という名の、今思えば狂気じみた儀式に放り込まれた。
 「自分たちが売る商品を、身をもって知る必要がある」

 上司たちは、さも当然のような顔をしてそう言った。しかし、それは単なる研修ではなかった。男性専用施設として完成したばかりの大浴場に、男女の社員が入り混じって、文字通り「はだか」で入る。湯気の中に浮かび上がるのは、これから共に働く同僚たちの、隠しようのない肉体だった。

 二十代の私は、湯船の縁を握りしめ、ただ視線を泳がせていた。

 そこには、私がそれまで信じていた「公」と「私」の境界線など微塵もなかった。蒸気の向こうで、支配人や副支配人といった権力者たちが、若い女性社員の体を品定めするような、ねっとりとした視線を投げかけている。女性たちは、困惑と羞恥を張り付いたような笑顔で隠し、男たちはそれを当然の特権のように享受していた。

 「ここでは、恥じらいを持つ者こそが異常なのだ」

 その時、私の心に冷たい楔が打ち込まれた。王様たちは、自分たちがはだかであることに気づかないのではない。はだかであることを他人に強いることで、自らの支配力を誇示していたのだ。

 施設が本格的に稼働し始めると、私の日常は「朝勤」という名の苦行に支配されるようになった。