神戸モンキーの国、蒸気の記憶

 十五年前、私は一度だけ、インターネットの検索窓にあなたの名前を打ち込んだ。

 何の意味もない。ただの気まぐれだった。

 驚いたことに、あるサウナ関連の企業の役職者リストに、あなたと同姓同名の名前を見つけた。

 「あなたはまだ、あの世界で戦っているのか」

 私は、パソコンの画面を凝視した。
 けれど、そのページも数ヶ月後には消えていた。会社の情報は更新され、あなたの名前はデジタルという大海原の底へと沈んでいった。

 今のあなたを知る術は、もう何ひとつ残っていない。

 今の私は、かつての私のように、あの会社を単純に「ひどい場所だった」と断罪することはできない。

 確かに、あそこは異常だった。セクハラが横行し、人間の尊厳が軽んじられる、泥濘のような場所だった。

 けれど、その泥濘のなかで、私はあなたと出会い、共に笑い、そして共に傷ついた。あの場所があったからこそ、私は「人間として守り抜くべきもの」の重さを知ることができたのだ。

 今、私は自分自身に問いかける。

 私は、あなたを愛していたのだろうか。

 答えは、二十年経っても出ないままだ。

 それは恋愛という甘い言葉で括るには、あまりにも泥臭く、あまりにも痛ましい感情だった。

 私はただ、あなたという存在を、自分自身の「まともさ」の証として握りしめていただけなのかもしれない。あるいは、守れなかったあなたを思い出すことで、自分を永遠の「敗北者」として繋ぎ止めようとしているだけなのかもしれない。

 けれど、それでいいと思っている。

 記憶が不確かでも、あなたが今どこで何をしていようとも、私の心臓の片隅には、あの夜、焼きそばの青のりを歯につけて笑った、二十歳のあなたの残像が棲みついている。