神戸モンキーの国、蒸気の記憶

 私は、自分自身の情けなさに打ちひしがれながらも、もう一度だけ、言葉の世界に戻ろうと思った。

 大学時代、私が何よりも愛していた、けれどあの会社に入ることで捨ててしまった、文学の世界へ。

 書くこと。それだけが、私の人生を、そしてあの時見捨ててしまったあなたとの記憶を、正当なものにする唯一の手段だと思えたからだ。

 二十年経った今、私はようやく、あの日の別れを「必然」だったと受け入れ始めている。
 もしあの時、私があなたを強引に連れ出していたら。もし私たちが、あの後も二人で人生を歩んでいたら。

 きっと私たちは、お互いを見るたびに、あの塩素の匂いと、屈辱的な夜のことを思い出してしまい、やがて憎み合っていただろう。

 私たちは、別々になるしかなかったのだ。

 お互いが、自分自身の人生を取り戻すために。

 今の私は、あのサウナの建物の正確な色さえ思い出せない。

 けれど、最後に駅のホームで見た、夕暮れ時の三宮の空の、吸い込まれるような紫色の深さだけは、不思議と鮮明に覚えている。

 その空のどこかに、あなたの呼吸が混ざっているような気がして、私は一人、静かに頭を下げたのだ。