神戸モンキーの国、蒸気の記憶

 私はあなたを救うどころか、その崩壊に手を貸してしまったのだ。
 二十年後の私は、あの夜の自分を許すことができない。

 なぜ、あなたの手を取って「逃げよう」と言えなかったのか。なぜ、あなたという一人の人間を、私の「失われた青春の象徴」としてだけ消費してしまったのか。

 記憶の中のあなたは、あの夜を境に、どこか色彩を失ってしまったように見える。

 翌朝、バスの中で見かけたあなたの横顔は、昨夜のことなどなかったかのように、いつもの「明るい二期生」の顔に戻っていた。

 それが、あなたなりの戦い方だったのだと気づくのに、私は二十年もの時間を必要とした。

 旅行から戻った後、会社は急速に瓦解していった。Fは姿を消し、上司たちの権力争いは激化し、一人、また一人と、見知った顔が消えていった。

 そして私も、ついにその場所を去る決意を固めることになる。
 私は、あなたに別れを告げることができなかった。

 ただ、去り際に一度だけ、レンズを通さずにあなたの姿を目に焼き付けた。
 あなたは、客に向かって大きな声で「いらっしゃいませ」と叫んでいた。その声は、あの朝、三宮の駅で別れた時と同じ、張りのある、けれどどこか悲しい響きを湛えていた。

 私は逃げたのだ。

 あなたという光を、あの泥濘の中に残したまま。

 自分だけが、新しい人生という名の、まともな世界へ戻るために。

 二十年経った今、私はあの夜に撮ったはずの写真を一度も現像していない。
 いや、現像するのが怖かったのだ。

 あの時、私が捉えたあなたの表情のなかに、私自身が犯した、言葉にできない罪の証拠が写っているような気がして。

 記憶の中のあなたは、今もあのホテルの暗い部屋で、冷たい指先を震わせている。

 そして私は、こうして文章を書くことで、ようやく、あの夜のあなたに触れようとしているのだ。