神戸モンキーの国、蒸気の記憶

「私、まだ処女なんです……」

 二十年経った今でも、その言葉が耳の奥でリフレインする。

 あの職場の、泥濘のような性的な混乱の中で、あなたがどれほどの覚悟を持ってその「聖域」を守り抜いていたか。それは単なる肉体的な純潔の話ではない。人間としての尊厳がゴミのように扱われるあの王国で、自分だけは自分の所有者であり続けるという、あなたの最後の抵抗だったのだ。

 当時の私は、ただ内心でオロオロとするばかりだった。

 何を言っていいか分からず、ただワインをもう一杯頼んで一気に飲み干した。

 後年、あなたがもう処女でないことを知ったとき、私は自分でも驚くほどの衝撃と苦しみを感じることになるのだが、あの夜の私に、それを予感する力はなかった。

 ただ、あなたの震えるような告白を、真っ当に受け止めることさえできなかった自分の未熟さが、今も情けない。あの時、私はあなたの手を取るべきだったのか。それとも、もっと強引にあなたを外の世界へ連れ出すべきだったのか。

 答えは二十年経っても出ない。

 「行こう。最後は僕の好きな店に案内するよ」

 締め括りに選んだのは、「酔得(よいとく)」という名の、場末の大衆居酒屋だった。

 それまでの洒落た店とは違い、そこには生活の垢にまみれた騒がしさと、おかみさんの元気な声があった。

 「ここの軟骨入りつくねが好きなんだ」

 出されたつくねは、つゆが少し濁っていたが、軟骨を噛み砕く感触が心地よく、鼻に抜けるからしの刺激が、私たちの麻痺しかけた感覚を呼び覚ましてくれるようだった。

 熱燗を回し飲みしながら、私たちはようやく、心からの笑顔を浮かべることができた。3
 隣の席の酔客が「よう、若いの、頑張れよ!」と冷やかしてきた。
 私たちは顔を見合わせて笑った。
 その瞬間、私たちは確かに「仲間」だった。
 職場の同僚という言葉では足りない、過酷な戦場を生き抜くための、たった二人の同盟軍のような連帯感。
 
 駅の改札で、私は「途中まで送ろうか」と言った。
 深夜の三宮。酔いも回っていた。けれどあなたは「大丈夫ですから」と、いつもの明るい声で断り、一人で階段を降りていった。
 遠ざかっていくあなたの背中を見送りながら、私は祈っていた。
 あなたが守ろうとしているものが、いつか報われる日が来るように。
 あなたがいつか、この塩素の匂いのしない場所で、誰かに心から愛される日が来るように。
 二十年後の私は、駅のホームに一人残された当時の自分の肩を叩き、こう言ってやりたい。
 ――その時、君が送らなかったのは、優しさだったのか、それとも臆病だったのか。
 そして、その背中が消えていくのを見ていたあの瞬間が、君たちの人生が最も重なり合っていた絶頂だったのだと。
 あの日、あなたが口にした「処女」という言葉は、あの異常な王国に対する、もっとも気高く、そしてもっとも悲しい宣戦布告だったのだと、私は今になってようやく気づくのだ。