神戸モンキーの国、蒸気の記憶

 その夜、私たちは初めて職場の外で落ち合った。

 制服を脱ぎ、塩素の匂いを石鹸で洗い流し、普通の男女として街の灯りの中に立つ。それだけで、背負っていた重苦しい外套を脱ぎ捨てたような、奇妙な解放感があった。

 一軒目に選んだのは、十人も入れば満席になるような、古びた小さな居酒屋だった。

 カウンターの隅に座り、私は瓶ビールを注文した。あなたは「ダメですよ」と、いつものように茶目っ気のある口調で笑いながら、それでも自分のコップに半分だけビールを注がせてくれた。

 出された料理は、どれも無骨だった。大根は皮も剥かず、面取りもされずに輪切りにされていたが、出汁が芯まで染み込んでいて、驚くほど柔らかかった。

 「皮ごと食べられる。こういうのが、いいんだ」

 私がそう言うと、あなたは「そうですね」と静かに頷いた。

 あの頃、私たちの職場には「何にでもネギを散らせばいい」と考えるような、雑な自称料理長が何人もいた。盛り付けという言葉さえ知らないようなその場所と、目の前の不器用だが潔い大根。私たちは、その対比を言葉にせずとも分かち合っていた。

 二軒目、三軒目は、あなたが選んだ店だった。

 それまで私が一人では決して足を踏み入れることのなかった、小洒落たバーや、彩りにこだわったダイニング。そこは、私たちが働く「あの場所」とは正反対の、清潔で、静謐で、一品一品が大切に扱われる世界だった。

 三軒目の店は、黒くて薄いカウンターに暗めの照明が落ちる、大人の隠れ家のような場所だった。流れる有線のゆったりとした音楽が、私の緊張を煽った。

 あなたは、丁寧に盛り付けられた小皿の上の、ひとかけらの柚子皮を見つめていた。

 「私、もうちょっといい環境で働きたいんですよ」

 ショットワインに少し酔ったのか、あなたの頬は赤らんでいた。

 「せめて、普通の喫茶店のような。……ウチの会社って、平気で相手を替えて簡単にセックスしちゃうでしょ」

 あなたは視線を落とし、消え入りそうな小さな声で続けた。