愛媛県に日帰り出張とか正気ですか?【出張女子ひとりメシ】



 出張当日。午前六時。私は羽田空港にいた。
 ひたすらに、眠い。眠いというか、外の暗さを見れば一目瞭然だが、人によってはまだ睡眠をとっている時間帯である。普段なら布団の中で幸せに二度目の寝返りを打っているはずの時間に、なぜ私は窮屈な黒いスーツを着込んで空港なんて場所にいるのか。
 それにしても、朝の空港というものは妙に明るい。白々しいほどに煌々と輝く照明から、「ほら、世界はもう元気に活動を始めていますよ。あなたもシャキッとしなさい」と無言で責め立てられている気がして、胃のあたりが重くなる。

「おはようございます!」

 鼓膜を直接揺らすような快活な声に、私はビクッと肩を揺らした。振り返ると、シワひとつないスーツを着こなした井上先輩が、まぶしい笑顔で立っていた。

 なんで?私の頭に真っ先に浮かんだのはそれだった。あなた、昨日いったい何時に寝たの?なぜ午前五時の空港で、フルマラソン完走直後のような爽やかさを放っていられるのか。

「あ、おはようございます……。そういえば、飛行機は各自で取ろうと思って手配しようとしたら、先輩から『取らなくて大丈夫です!』ってチャットが来てましたけど、先輩がまとめて手配してくださったんですか?」

 出張のチケット手配など、普通は各々でやるものだ。同じ便に乗るにしても、座席の好みは人それぞれ違う。私はそう思いながら尋ねたのだが。

「もちろん!!移動中も今日のプレゼンの確認をしましょう!」

 なんで?私は飛行機で爆睡する予定なんですけど?
 しかし、手渡された搭乗券を見た瞬間、私は自分の甘さを呪い、そしてさらに深い絶望の淵へと叩き落とされた。
 田村部長。井上先輩。私。印字された座席番号は、見事なまでに横一列だった。逃げ場のない三列シート。きれいに三人並びである。

「まとめて取っておきましたから!」

 井上先輩が、さも「気が利くでしょう」と言わんばかりの爽やかなドヤ顔を向けてきた。

 なんで?!飛行機なんて各自で取ればよくない?!会社指定の便と時間だけ共有して、あとはバラバラに好きな席を取ればよくない?!私は窓際の席で、首が九十度に折れ曲がって痛めようとも、とにかく壁に頭を預けて泥のように眠りたかったのだ。

 しかし現実は残酷である。窓側に田村部長。中央に井上先輩。そして、通路側に私。完璧なフォーメーションだ。壁にもたれかかることもできない。
 やがて機体は滑走路を走り出し、ふわりと東京の空へ飛び立った。ここから約一時間半。まあいい、目を閉じていれば多少は休めるだろう。私はこっそりとシートを倒すタイミングを窺っていた。

『ポーン』

 機内に軽快な電子音が鳴り響き、シートベルト着用サインが消えた。その、直後だった。

 カタカタカタカタカタカタッ!

 始まった。井上先輩が、ノータイムで膝の上にノートパソコンを開き、猛烈な勢いでキーボードを叩き始めたのだ。隣を見ると、田村部長もまた、諦めたような、しかし手慣れた手つきでノートパソコンを開いている。

 えっ。嘘でしょ。私も?やるの?今?

 カタカタカタカタカタカタ。三列シートに並んだ黒スーツの会社員三名が、一斉にパソコンを開いてキーを叩き続ける異様な光景。怖い。周りの乗客からの「うわぁ……」という視線が痛い。ここは旅客機ではない。完全に「企業戦士輸送機」である。

 しかも、上空は機内Wi-Fiが全く安定しない。ネットに繋がらない以上、やれることは限られているはずなのだ。それでも井上先輩はローカルに落としたExcelを開き、マクロでも組んでいるのかという勢いでセルを埋めていく。田村部長はPowerPointを開き、スライドの微調整を延々と繰り返している。

 私はただ、目を閉じたい。パソコンなど開きたくない。

「あ、加藤さん」

 ふいに、中央席の井上先輩が顔を輝かせてこちらを向いた。

「昨日送っておいた、競合他社製品との比較シート、見ました?」

 見てない。だってあれ、昨日の二十三時十二分に送られてきたやつだろう。普通の人間は寝ている時間だ。私がエナドリを飲んで起きていたとしても、見ない。

「すみません、まだちゃんと確認できてなくて……」

 私が申し訳なさそうに(内心は「寝てたよ!」と叫びながら)答えると、井上先輩はさらにパァッと表情を明るくした。

「ちょうどいいですね!じゃあ、今ここで一緒に見ましょう!」

 ちょうどよくない。ミリ単位もよくない。
 仕事中毒なのは個人の自由だ。好きなだけ、命の炎を燃やして仕事をしてくれればいい。だが。どうか、人に感染させるな。