「ごめん、加藤君。愛媛宿泊、許可下りなかったわ」
そう言いながら、ハンカチで額の脂汗を重そうに拭いているのは、弊社ミライベバレッジ社営業企画部部長、田村である。
齢三十五。部長という重々しい肩書きが、異様にしっくりくる男だ。
本来、三十五歳で部長ともなれば周囲から「お若いのにすごいですね!」と持て囃される側のはずである。しかし田村部長の場合、そのまんまるとした体型と丸顔、やや後退の兆しを見せる生え際、そして全身からほんのり滲み出る「中間管理職」という名の濃厚な疲労感が、年齢という概念をいい具合に曖昧にしていた。
四十歳と言われても信じるし、三十二歳と言われても「まあ、ご苦労されているんだな」と納得してしまう。年齢不詳というより、役職と苦労が肉体を追い越しているのだ。
そんなことより。
この男、今なんと言った?
「愛媛の宿泊許可が下りなかった」?
私は自分の耳を疑い、聞き間違いであってくれと願いながら、ゆっくりと瞬きをした。
「ええと……部長。今週の出張って」
「愛媛」
「ですよね」
「愛媛」
二回言った。
東京から電車で一時間半、といった距離ではない。四国である。瀬戸内海を越えた向こう側だ。みかんの国であり、道後温泉があり、揚げたてのじゃこ天があり、肌触りの良い今治タオルがある。そこへ行けと言われて、私が密かに「一泊できるなら、仕事が終わったあと道後温泉に浸かって日頃の垢を落とせるのでは?」と淡い期待を抱いていたとしても、誰が責められようか。
もちろん出張は仕事だ。断じて物見遊山の旅行ではない。そんなことは社会人として重々承知している。だが人間、出張先が愛媛なら道後温泉くらい夢見てもいいじゃないか。会社員にだって人権とささやかなロマンはあるはずだ。
「大丈夫ですよ、部長!」
その時、横から快活で恐ろしく通る声が飛んできた。一瞬で胃がキュッと縮む。嫌な予感しかしない。
「愛媛なんて日帰り余裕です!飛行機ありますし!」
黙ってくれ。
危うく喉から飛び出しそうになった叫びを、私は社会人として培ってきた全理性を総動員して胃の奥底へ押し戻した。そして、貼り付けたような笑顔を浮かべる。
「はは、まぁ、可能ではありますが……」
社会人とは、思っていることと言っていることが何一つ一致しないように出来ている生き物なのだ。
今、信じられない角度から追い風を吹かせたのは井上先輩。私より一年早くミライベバレッジに入社した、中途採用の先輩である。
仕事はできる。恐ろしいほどにできる。資料作成は目にも留まらぬ速さで、数字の分析には滅法強い。プレゼンをやらせれば右に出る者はおらず、取引先からのメールへのレスポンスは数分以内。会議で誰も発言せず重い空気になれば真っ先に口を開き、議事録は会議終了からわずか十五分後には全社共有されている。まさに隙のない完璧超人だ。
ただし、一つだけ壊滅的な問題がある。
この男、仕事が好きすぎるのだ。
昨年度、営業企画部で最も残業時間が多かった人間は、間違いなく井上先輩だった。しかもタチが悪いことに、会社や上司から残業を命じられていたわけではない。すべて自発的残業。スポーツ選手でいうところの「自主練」ならぬ「自主残業」なのだ。
二十一時。
「キリが悪いんで、ここまでやって帰ります!」
二十二時。
「せっかくなんで来週分までやっちゃいます!」
二十三時。
「ここまで来たら、明日の朝がラクになるように――」
そして翌朝九時。
「昨日かなり進めたんで、今日めっちゃ余裕ありますね!」
そう爽やかに宣言しておきながら、その日もきっちり二十二時まで残業する。余裕とは一体なんなのか、国語辞典を作り直してほしいレベルである。
結果として、人事部から田村部長のもとへ『井上さんの労働時間について、至急面談をお願いします』という厳しい通知が飛んだ。その面談の直後、田村部長が魂の抜けた顔で、「井上君……頼むから帰ってくれ。君が働くと俺が怒られるんだ」と本気で懇願していたのを私は知っている。
仕事ができないせいで残業してしまう人はいる。仕事の量が多すぎて残業せざるを得ない人もいる。だがこの世には、「仕事ができるうえに自分で仕事を無限に増やして残業する」という恐ろしいモンスターが存在するのだ。それが井上先輩だった。
そんな井上先輩は、前職が有名コンサルティングファームである。そして、自分がコンサル出身であることに並々ならぬ誇りを持っていた。雑談の端々に、自然な動作で毒を仕込むようにコンサル臭を漂わせてくる。
「前職のコンサル時代だとですね」
「コンサルではこれが普通なんですけど」
「これ、コンサル的な思考で整理すると――」
コンサルにあらずんば人にあらず。平家も驚くほどの選民思想である。もっとも、人事部もそういった同類の匂いを敏感に嗅ぎ取ってペアリングしたのか、井上先輩の直属の上司である田村部長もまた、かの有名な外資系コンサル出身だった。
この二人が仕事の話を始めると、オフィスには一気に横文字が乱舞する。
「この施策のイシューとしてはどこにある?」
「一度、論点を綺麗に構造化しましょう」
「それってファクトですか?それともオピニオン?」
「KPIとの整合性が取れていないよね」
頼むから普通に日本語を喋ってほしい、と平社員の私は心の中で白目を剥く。
――ちなみに。
かくいう私も、一応コンサル出身だったりする。
ただし、この華々しいキャリアを歩んできた二人とは、だいぶ事情が違っていた。
二人がミライベバレッジに転職してきた理由は、おそらく「事業会社で実際のプロダクトに関わりたい」だとか「戦略を提案するだけの立場から、自ら実行する側へ回りたい」といった、採用面接で言えば満点どころか加点をもらえるような高尚なものだろう。
私?
ただ単に、死ぬほど疲れたからだ。
前職も名目上はコンサルティング会社を名乗っていた。しかし実際の仕事内容といえば、海外製の複雑な業務システムを国内企業へ強引に導入し、顧客と海外の開発チームとの板挟みになりながら駆け回る泥臭い泥沼作業だった。
手持ちの武器は三枚のカードだけ。
「仕様です」
「本国に確認します」
「次期アップデートで対応予定です」
この三枚を切りくり回しながら、怒号の飛び交う現場を必死に収める。繁忙期になれば連日の終電。システム障害が起きれば当然のように休日出勤。さらにタチが悪いのは海外チームとの打ち合わせで、時差の都合上、会議は決まって深夜や早朝に行われた。
朝九時に日本のお客様と打ち合わせをして進捗を詰められ、夜十一時からアメリカの本国チームと英語で会議をする。地球が丸いことに対して、これほど殺意を抱いた時期はない。
そんな極限状態の生活の中で、ボロボロの私を唯一支えてくれていたもの。それこそが、缶入りのエナジードリンクだった。
強烈な眠気が襲ってくれば飲み。深夜作業に入る前にゾーンに入るために飲み。理不尽な資料の締め切りが迫れば現実逃避のように飲む。もはや栄養補給というより、一緒に戦ってくれる液体の同僚だった。
ある日の午前三時。静まり返ったオフィスの休憩スペースで、自動販売機から出てきた冷たい缶をぼんやりと見つめながら、私は思った。
(……この会社に転職したら、このエナドリを社員割引で安く買えたりするのかな)
気がついた時には、スマホでその企業の採用ページを開いていた。それが、現在の職場である「ミライベバレッジ」だったのだ。
志望動機は、極度の疲労。
キャリアプランは、地獄からの逃亡。
人生の転機なんて、案外そんな適当なものである。
そう言いながら、ハンカチで額の脂汗を重そうに拭いているのは、弊社ミライベバレッジ社営業企画部部長、田村である。
齢三十五。部長という重々しい肩書きが、異様にしっくりくる男だ。
本来、三十五歳で部長ともなれば周囲から「お若いのにすごいですね!」と持て囃される側のはずである。しかし田村部長の場合、そのまんまるとした体型と丸顔、やや後退の兆しを見せる生え際、そして全身からほんのり滲み出る「中間管理職」という名の濃厚な疲労感が、年齢という概念をいい具合に曖昧にしていた。
四十歳と言われても信じるし、三十二歳と言われても「まあ、ご苦労されているんだな」と納得してしまう。年齢不詳というより、役職と苦労が肉体を追い越しているのだ。
そんなことより。
この男、今なんと言った?
「愛媛の宿泊許可が下りなかった」?
私は自分の耳を疑い、聞き間違いであってくれと願いながら、ゆっくりと瞬きをした。
「ええと……部長。今週の出張って」
「愛媛」
「ですよね」
「愛媛」
二回言った。
東京から電車で一時間半、といった距離ではない。四国である。瀬戸内海を越えた向こう側だ。みかんの国であり、道後温泉があり、揚げたてのじゃこ天があり、肌触りの良い今治タオルがある。そこへ行けと言われて、私が密かに「一泊できるなら、仕事が終わったあと道後温泉に浸かって日頃の垢を落とせるのでは?」と淡い期待を抱いていたとしても、誰が責められようか。
もちろん出張は仕事だ。断じて物見遊山の旅行ではない。そんなことは社会人として重々承知している。だが人間、出張先が愛媛なら道後温泉くらい夢見てもいいじゃないか。会社員にだって人権とささやかなロマンはあるはずだ。
「大丈夫ですよ、部長!」
その時、横から快活で恐ろしく通る声が飛んできた。一瞬で胃がキュッと縮む。嫌な予感しかしない。
「愛媛なんて日帰り余裕です!飛行機ありますし!」
黙ってくれ。
危うく喉から飛び出しそうになった叫びを、私は社会人として培ってきた全理性を総動員して胃の奥底へ押し戻した。そして、貼り付けたような笑顔を浮かべる。
「はは、まぁ、可能ではありますが……」
社会人とは、思っていることと言っていることが何一つ一致しないように出来ている生き物なのだ。
今、信じられない角度から追い風を吹かせたのは井上先輩。私より一年早くミライベバレッジに入社した、中途採用の先輩である。
仕事はできる。恐ろしいほどにできる。資料作成は目にも留まらぬ速さで、数字の分析には滅法強い。プレゼンをやらせれば右に出る者はおらず、取引先からのメールへのレスポンスは数分以内。会議で誰も発言せず重い空気になれば真っ先に口を開き、議事録は会議終了からわずか十五分後には全社共有されている。まさに隙のない完璧超人だ。
ただし、一つだけ壊滅的な問題がある。
この男、仕事が好きすぎるのだ。
昨年度、営業企画部で最も残業時間が多かった人間は、間違いなく井上先輩だった。しかもタチが悪いことに、会社や上司から残業を命じられていたわけではない。すべて自発的残業。スポーツ選手でいうところの「自主練」ならぬ「自主残業」なのだ。
二十一時。
「キリが悪いんで、ここまでやって帰ります!」
二十二時。
「せっかくなんで来週分までやっちゃいます!」
二十三時。
「ここまで来たら、明日の朝がラクになるように――」
そして翌朝九時。
「昨日かなり進めたんで、今日めっちゃ余裕ありますね!」
そう爽やかに宣言しておきながら、その日もきっちり二十二時まで残業する。余裕とは一体なんなのか、国語辞典を作り直してほしいレベルである。
結果として、人事部から田村部長のもとへ『井上さんの労働時間について、至急面談をお願いします』という厳しい通知が飛んだ。その面談の直後、田村部長が魂の抜けた顔で、「井上君……頼むから帰ってくれ。君が働くと俺が怒られるんだ」と本気で懇願していたのを私は知っている。
仕事ができないせいで残業してしまう人はいる。仕事の量が多すぎて残業せざるを得ない人もいる。だがこの世には、「仕事ができるうえに自分で仕事を無限に増やして残業する」という恐ろしいモンスターが存在するのだ。それが井上先輩だった。
そんな井上先輩は、前職が有名コンサルティングファームである。そして、自分がコンサル出身であることに並々ならぬ誇りを持っていた。雑談の端々に、自然な動作で毒を仕込むようにコンサル臭を漂わせてくる。
「前職のコンサル時代だとですね」
「コンサルではこれが普通なんですけど」
「これ、コンサル的な思考で整理すると――」
コンサルにあらずんば人にあらず。平家も驚くほどの選民思想である。もっとも、人事部もそういった同類の匂いを敏感に嗅ぎ取ってペアリングしたのか、井上先輩の直属の上司である田村部長もまた、かの有名な外資系コンサル出身だった。
この二人が仕事の話を始めると、オフィスには一気に横文字が乱舞する。
「この施策のイシューとしてはどこにある?」
「一度、論点を綺麗に構造化しましょう」
「それってファクトですか?それともオピニオン?」
「KPIとの整合性が取れていないよね」
頼むから普通に日本語を喋ってほしい、と平社員の私は心の中で白目を剥く。
――ちなみに。
かくいう私も、一応コンサル出身だったりする。
ただし、この華々しいキャリアを歩んできた二人とは、だいぶ事情が違っていた。
二人がミライベバレッジに転職してきた理由は、おそらく「事業会社で実際のプロダクトに関わりたい」だとか「戦略を提案するだけの立場から、自ら実行する側へ回りたい」といった、採用面接で言えば満点どころか加点をもらえるような高尚なものだろう。
私?
ただ単に、死ぬほど疲れたからだ。
前職も名目上はコンサルティング会社を名乗っていた。しかし実際の仕事内容といえば、海外製の複雑な業務システムを国内企業へ強引に導入し、顧客と海外の開発チームとの板挟みになりながら駆け回る泥臭い泥沼作業だった。
手持ちの武器は三枚のカードだけ。
「仕様です」
「本国に確認します」
「次期アップデートで対応予定です」
この三枚を切りくり回しながら、怒号の飛び交う現場を必死に収める。繁忙期になれば連日の終電。システム障害が起きれば当然のように休日出勤。さらにタチが悪いのは海外チームとの打ち合わせで、時差の都合上、会議は決まって深夜や早朝に行われた。
朝九時に日本のお客様と打ち合わせをして進捗を詰められ、夜十一時からアメリカの本国チームと英語で会議をする。地球が丸いことに対して、これほど殺意を抱いた時期はない。
そんな極限状態の生活の中で、ボロボロの私を唯一支えてくれていたもの。それこそが、缶入りのエナジードリンクだった。
強烈な眠気が襲ってくれば飲み。深夜作業に入る前にゾーンに入るために飲み。理不尽な資料の締め切りが迫れば現実逃避のように飲む。もはや栄養補給というより、一緒に戦ってくれる液体の同僚だった。
ある日の午前三時。静まり返ったオフィスの休憩スペースで、自動販売機から出てきた冷たい缶をぼんやりと見つめながら、私は思った。
(……この会社に転職したら、このエナドリを社員割引で安く買えたりするのかな)
気がついた時には、スマホでその企業の採用ページを開いていた。それが、現在の職場である「ミライベバレッジ」だったのだ。
志望動機は、極度の疲労。
キャリアプランは、地獄からの逃亡。
人生の転機なんて、案外そんな適当なものである。

