元彼が置いて行ったシャンプーを使い切った。
髪質に合わず、使うと髪がきしむシャンプー。
濡れた髪に絡みついた残り香が、鼻孔を刺激する。
肩を湿らせても乾かす人はいない。
どんなに思い出して願っても……隣を見上げても、笑ってくれる人はいない。
——きっと俺にとって、慶が最初で最後の失恋だ。
高三の恋に縋り付いていたいと、俺はいつまでも進むことができないでいる。
*
始業式だからネクタイは必須。
それなのに、見つからず諦めようとした時に発見できた。
——なんで洗濯されてんだよ。
ようやく家を出れる、と思ったのに今度は上履きを忘れたことに気づいてせっかく履いたスニーカーを脱いで取りに戻った。
いつもだったら忘れ物はしない。
置いた場所にしっかりと戻す性格だから探すという行為さえもない。
まるで、誰かに引き止められてるみたいだ。
家を出る瞬間から遅刻することが確定していた。
学校に着いても全校生徒が体育館に集まっていることで賑やかな学校が静まりかえっている。
——クラス表……ない。
昇降口に張り出されているはずのクラス表はもう剥がされた後だったようで、新しいクラスが分からない。ここで、俺のクラスを聞ける友達がいないことが悔やまれる……とは思わなかった。まったく。
——職員室行けば聞けるだろう。
「あ、マジか」
真横から声がしたと思ったら同じくクラス表を見損ねた人と思しき男子生徒が、スマホ片手に半笑いしている。
——この状況で笑ってるとか、意味わからない。
「俺のクラス知ってる?」
「知るわけない」
「そ」
——なんで分かると思ってんの?
俺の知っている人ではない。
黒髪で黒縁メガネにボサっとした印象。前髪も長く、目が隠れるくらいだ。
——……ほんとに誰だよ。
自信いっぱいに話しかけられたから学年でも有名な一軍男子とかかと思った。
——例えば明日川慶とか。
一軍男子と言えばコイツというレベルだ。
まぁ、この人が誰だとかそんなことはどうでもいい。
とにかく職員室へ急ごう。
靴箱の場所も知らないまま上履きに履き替えていると、話しかけてきた人も同じ動作をした。と、廊下をたくさんの生徒が通過する。
——始業式終わったんだ。
「けーーーい‼︎」
——『けい』?
こちらに向かって来る複数の男子たちと面識はない。
俺の名前は『けい』ではない。
つまり……『けい』は横にいる男。
すると、その男は前髪を一気に上げセーターに付けていた大きめのピンで止めた。
——うわ。明日川慶だったのかよ。
メガネまで外して、見たことのある明日川の姿になった。
ハッキリとした二重は丸く、まるで犬のようだ。
いつもの明日川になると、一軍男子たちに混じっていった。
近くにいるのに一瞬で遠い存在になる。
——適当に三年の教室行くか。
「君も二組だよ。飛鷹渚生くん」
「は……?」
鮮明に耳に残っていた明日川の声に足を止めた。
——君も?
しかも名乗ってもないのに、なんで名前知ってるんだよ。
……いや、名前くらい知ってるか。
名前どころではない。
俺の性格や名前も知らない誰かと言葉を交わしたことも知っていることだろう。
——一軍男子だから。
キャピキャピしてる女子たちが明日川含む一軍男子に、俺に冷たい態度を取られたことを愚痴っている。それも俺に聞こえるくらい大きな声で。
校内にいれば廊下でもどこでも、女子が懲りずに話かけてくる。
放課後遊ぼうとか、ちょっと話したいとか。その度に無視をしたりハッキリ断ったりしていたら、冷たいと言われるようになった。
それ知っておきながら、一度も会話のしたことがない俺に話しかけた理由が理解できない。
前を歩く一軍男子たちの会話の声量はデカく、聞こうとしなくてもすべて聞こえて来る。
「みんな同じクラスだー!」
「俺だけ違うんだけど‼︎」
「隣だったら実質同じ」
四人中三人が同じクラスらしい。
その三人の方に明日川がいるということは、必然的に俺もそっちということだ。
今年のクラスはうるさくなると確信し、うんざりする。
二組の教室を入ると、注目を浴びた。
——コイツらがいるから、余計……
教室で男女に囲まれている彼らは俺にはうるさいくらい眩しい。
勉強でもするか、とリュックを漁り授業もないのに持ってきた参考書を引っ張り出した。
「ひ、飛鷹くん!」
唐突に隣の席の女子から話しかけられ、顔だけ動かす。
俺のことを呼んだのだから、それ相応の理由があると思ったのに頬を赤らめるばかりで続きの言葉を言ってこない。
——なんか言えよ。
「何?」
「えっと……メッセ承認してもらえない?」
ようやく聞こえた言葉に対して「めんどくさい」と思った。
交換した覚えのない人。
——グルチャから取ったってこと?
「なんで? 俺には承認する理由がない。そもそも勝手に追加してきて何?」
「あ…………」
傷ついた顔をされても何とも思わない。
——勝手に追加して、勝手に浮かれて何がしたいんだ?
すると、その女子は賑やかなグループへ走っていった。そこには当然、明日川もいる。
そして数秒もしないで泣き言が聞こえてきた。
ほらな。
毎回これだ。
自分の顔が良いことは自覚している。だから、男女問わず話しかけて来るのは珍しくなかった。
『飛鷹がいれば女子が来る』『飛鷹くんと話したい』と、顔だけしか見ていないのが見え透いた言い方をされてきた俺は、誰かと仲良くするつもりはない。
——明日川慶のような、『誰とでも仲良くします』という看板を背負うなんてごめんだ。
すると、グループの中心にいた明日川がこちらに向かってきた。
「直接ならいいの?」
「そういうことでもない。単に勝手に追加されて嬉しいとか思うわけないだろ。話したこともないのに」
そこら中から「うわ」とか「冷たい」とか聞こえる。けど、俺にとってはどうでもいい。
——女子の話を聞いて、わざわざ俺のところまで来たのか?
「話したことないから交換したいんじゃん」
「その話すことがないのに?」
会話が途切れる。
話したことないなら話さない。それでいいだろ。
明日川が黙りこくる。結局は興味本位であり女子たちと同じかと、ため息をついた。
また女子を中心とした非難の声が耳に入る。が、今度は非難の中には歓喜の声も混ざっていた。
「二人とも同じクラスなの、最強すぎない?」
「マジで眼福」
あぁ。これはこれで面倒だ。
いつもはすれ違うことくらいで、一緒の空間に長時間いることはなかった。
しかし同じクラスということは明日川と俺の両方を同時に見れるという、俺たちの顔だけが好きな人にとっては嬉しいということか。
よし。距離を置こう。
「慶ーー!」
「呼ばれてるぞ」
ちょうどいいタイミングだ。心の中でガッツポーズをする。
「ごめん、無理ーー!」
——え? 行けよ。
「りょうかーい」と、明日川を呼んだ本人から素直な返事をされたことで助け舟はどこかに行ってしまった。
無理と言った明日川は俺の近くから離れようとしない。
——話すことないんだろ?
否定も肯定もせず俺の質問に答えず明日川は、スマホを突き出してくる。
「交換しよ?」
「なんでだよ」
「仲良くなるため」
「仲良くなるための会話がない」
「話すことあるよ」
「たとえば?」
「飛鷹のこととか」
「俺? 知らなくて良いだろ」
「え。やだ。無理」
「はぁ? なんで」
「好きだから」
テンポの良い会話に流しそうになる。
——今、好きって言ったか?
……『好き』?
つまり、告白?
「なんで……?」
「なんでだと思う?」
「分かるかよ」
本当に分からない。
今日が初めて話したのに……いや、初めて話す人に告白されることはあった。
同じ男に告白されるのは初めてだ。
「告白されても困るんだけど……」
「困る?」
不思議そうに首を傾ける明日川が、俺は不思議だ。
「じゃあお前は突然告白されて困らないのかよ」
「え? 嬉しいよ? だって、俺のこと見ててくれてたってことだから」
「明日川のこと好きなやつの大半は顔だろ」
「あっはは! 大半どころじゃないって! 九割くらい?」
——笑うところか?
自分でキツイ言葉を言った自覚はあるのに自嘲している明日川に違和感を感じる。
顔以外何もないって自分で言ってるようなものだ。
「なんで笑ってんの?」
「えー? 大半は少ないでしょー……飛鷹なら分かるだろ?」
お前も顔で好きになられてるだろ? という顔をされる。
正直、俺の方が顔しか見てないで告白してくるのは多いだろう。
明日川は愛嬌があるから性格まで好きと言う人はかなりいる。
一方で俺は、本当に顔だけの冷たいやつ。時々ノンデリとも言われるくらいだ。
——そんな俺を、明日川が?
「はぁ。ほんとに好きなのか?」
「うん。とーぜん」
自信満々に口角を上げる明日川に、俺は視線を逸らした。
「普通に困る」
「困るくらいには意識してくれてんだ」と、小声で言われ思わず仰ぎ見る。
「意識とか、ありえないから」
明日川は「えー」と唇を尖らせた。
俺はこの数分で距離を置こうとしていたのを忘れるところだった。
忘れるくらいに、話せてしまったから。
——めんどくさいと思わなかったから。
髪質に合わず、使うと髪がきしむシャンプー。
濡れた髪に絡みついた残り香が、鼻孔を刺激する。
肩を湿らせても乾かす人はいない。
どんなに思い出して願っても……隣を見上げても、笑ってくれる人はいない。
——きっと俺にとって、慶が最初で最後の失恋だ。
高三の恋に縋り付いていたいと、俺はいつまでも進むことができないでいる。
*
始業式だからネクタイは必須。
それなのに、見つからず諦めようとした時に発見できた。
——なんで洗濯されてんだよ。
ようやく家を出れる、と思ったのに今度は上履きを忘れたことに気づいてせっかく履いたスニーカーを脱いで取りに戻った。
いつもだったら忘れ物はしない。
置いた場所にしっかりと戻す性格だから探すという行為さえもない。
まるで、誰かに引き止められてるみたいだ。
家を出る瞬間から遅刻することが確定していた。
学校に着いても全校生徒が体育館に集まっていることで賑やかな学校が静まりかえっている。
——クラス表……ない。
昇降口に張り出されているはずのクラス表はもう剥がされた後だったようで、新しいクラスが分からない。ここで、俺のクラスを聞ける友達がいないことが悔やまれる……とは思わなかった。まったく。
——職員室行けば聞けるだろう。
「あ、マジか」
真横から声がしたと思ったら同じくクラス表を見損ねた人と思しき男子生徒が、スマホ片手に半笑いしている。
——この状況で笑ってるとか、意味わからない。
「俺のクラス知ってる?」
「知るわけない」
「そ」
——なんで分かると思ってんの?
俺の知っている人ではない。
黒髪で黒縁メガネにボサっとした印象。前髪も長く、目が隠れるくらいだ。
——……ほんとに誰だよ。
自信いっぱいに話しかけられたから学年でも有名な一軍男子とかかと思った。
——例えば明日川慶とか。
一軍男子と言えばコイツというレベルだ。
まぁ、この人が誰だとかそんなことはどうでもいい。
とにかく職員室へ急ごう。
靴箱の場所も知らないまま上履きに履き替えていると、話しかけてきた人も同じ動作をした。と、廊下をたくさんの生徒が通過する。
——始業式終わったんだ。
「けーーーい‼︎」
——『けい』?
こちらに向かって来る複数の男子たちと面識はない。
俺の名前は『けい』ではない。
つまり……『けい』は横にいる男。
すると、その男は前髪を一気に上げセーターに付けていた大きめのピンで止めた。
——うわ。明日川慶だったのかよ。
メガネまで外して、見たことのある明日川の姿になった。
ハッキリとした二重は丸く、まるで犬のようだ。
いつもの明日川になると、一軍男子たちに混じっていった。
近くにいるのに一瞬で遠い存在になる。
——適当に三年の教室行くか。
「君も二組だよ。飛鷹渚生くん」
「は……?」
鮮明に耳に残っていた明日川の声に足を止めた。
——君も?
しかも名乗ってもないのに、なんで名前知ってるんだよ。
……いや、名前くらい知ってるか。
名前どころではない。
俺の性格や名前も知らない誰かと言葉を交わしたことも知っていることだろう。
——一軍男子だから。
キャピキャピしてる女子たちが明日川含む一軍男子に、俺に冷たい態度を取られたことを愚痴っている。それも俺に聞こえるくらい大きな声で。
校内にいれば廊下でもどこでも、女子が懲りずに話かけてくる。
放課後遊ぼうとか、ちょっと話したいとか。その度に無視をしたりハッキリ断ったりしていたら、冷たいと言われるようになった。
それ知っておきながら、一度も会話のしたことがない俺に話しかけた理由が理解できない。
前を歩く一軍男子たちの会話の声量はデカく、聞こうとしなくてもすべて聞こえて来る。
「みんな同じクラスだー!」
「俺だけ違うんだけど‼︎」
「隣だったら実質同じ」
四人中三人が同じクラスらしい。
その三人の方に明日川がいるということは、必然的に俺もそっちということだ。
今年のクラスはうるさくなると確信し、うんざりする。
二組の教室を入ると、注目を浴びた。
——コイツらがいるから、余計……
教室で男女に囲まれている彼らは俺にはうるさいくらい眩しい。
勉強でもするか、とリュックを漁り授業もないのに持ってきた参考書を引っ張り出した。
「ひ、飛鷹くん!」
唐突に隣の席の女子から話しかけられ、顔だけ動かす。
俺のことを呼んだのだから、それ相応の理由があると思ったのに頬を赤らめるばかりで続きの言葉を言ってこない。
——なんか言えよ。
「何?」
「えっと……メッセ承認してもらえない?」
ようやく聞こえた言葉に対して「めんどくさい」と思った。
交換した覚えのない人。
——グルチャから取ったってこと?
「なんで? 俺には承認する理由がない。そもそも勝手に追加してきて何?」
「あ…………」
傷ついた顔をされても何とも思わない。
——勝手に追加して、勝手に浮かれて何がしたいんだ?
すると、その女子は賑やかなグループへ走っていった。そこには当然、明日川もいる。
そして数秒もしないで泣き言が聞こえてきた。
ほらな。
毎回これだ。
自分の顔が良いことは自覚している。だから、男女問わず話しかけて来るのは珍しくなかった。
『飛鷹がいれば女子が来る』『飛鷹くんと話したい』と、顔だけしか見ていないのが見え透いた言い方をされてきた俺は、誰かと仲良くするつもりはない。
——明日川慶のような、『誰とでも仲良くします』という看板を背負うなんてごめんだ。
すると、グループの中心にいた明日川がこちらに向かってきた。
「直接ならいいの?」
「そういうことでもない。単に勝手に追加されて嬉しいとか思うわけないだろ。話したこともないのに」
そこら中から「うわ」とか「冷たい」とか聞こえる。けど、俺にとってはどうでもいい。
——女子の話を聞いて、わざわざ俺のところまで来たのか?
「話したことないから交換したいんじゃん」
「その話すことがないのに?」
会話が途切れる。
話したことないなら話さない。それでいいだろ。
明日川が黙りこくる。結局は興味本位であり女子たちと同じかと、ため息をついた。
また女子を中心とした非難の声が耳に入る。が、今度は非難の中には歓喜の声も混ざっていた。
「二人とも同じクラスなの、最強すぎない?」
「マジで眼福」
あぁ。これはこれで面倒だ。
いつもはすれ違うことくらいで、一緒の空間に長時間いることはなかった。
しかし同じクラスということは明日川と俺の両方を同時に見れるという、俺たちの顔だけが好きな人にとっては嬉しいということか。
よし。距離を置こう。
「慶ーー!」
「呼ばれてるぞ」
ちょうどいいタイミングだ。心の中でガッツポーズをする。
「ごめん、無理ーー!」
——え? 行けよ。
「りょうかーい」と、明日川を呼んだ本人から素直な返事をされたことで助け舟はどこかに行ってしまった。
無理と言った明日川は俺の近くから離れようとしない。
——話すことないんだろ?
否定も肯定もせず俺の質問に答えず明日川は、スマホを突き出してくる。
「交換しよ?」
「なんでだよ」
「仲良くなるため」
「仲良くなるための会話がない」
「話すことあるよ」
「たとえば?」
「飛鷹のこととか」
「俺? 知らなくて良いだろ」
「え。やだ。無理」
「はぁ? なんで」
「好きだから」
テンポの良い会話に流しそうになる。
——今、好きって言ったか?
……『好き』?
つまり、告白?
「なんで……?」
「なんでだと思う?」
「分かるかよ」
本当に分からない。
今日が初めて話したのに……いや、初めて話す人に告白されることはあった。
同じ男に告白されるのは初めてだ。
「告白されても困るんだけど……」
「困る?」
不思議そうに首を傾ける明日川が、俺は不思議だ。
「じゃあお前は突然告白されて困らないのかよ」
「え? 嬉しいよ? だって、俺のこと見ててくれてたってことだから」
「明日川のこと好きなやつの大半は顔だろ」
「あっはは! 大半どころじゃないって! 九割くらい?」
——笑うところか?
自分でキツイ言葉を言った自覚はあるのに自嘲している明日川に違和感を感じる。
顔以外何もないって自分で言ってるようなものだ。
「なんで笑ってんの?」
「えー? 大半は少ないでしょー……飛鷹なら分かるだろ?」
お前も顔で好きになられてるだろ? という顔をされる。
正直、俺の方が顔しか見てないで告白してくるのは多いだろう。
明日川は愛嬌があるから性格まで好きと言う人はかなりいる。
一方で俺は、本当に顔だけの冷たいやつ。時々ノンデリとも言われるくらいだ。
——そんな俺を、明日川が?
「はぁ。ほんとに好きなのか?」
「うん。とーぜん」
自信満々に口角を上げる明日川に、俺は視線を逸らした。
「普通に困る」
「困るくらいには意識してくれてんだ」と、小声で言われ思わず仰ぎ見る。
「意識とか、ありえないから」
明日川は「えー」と唇を尖らせた。
俺はこの数分で距離を置こうとしていたのを忘れるところだった。
忘れるくらいに、話せてしまったから。
——めんどくさいと思わなかったから。



