『ずっと』一緒にいる約束を。

 恋人が置いて行ったシャンプーを使い切った。
 肩を湿らせても乾かす人はいない。
 どんなに思い出して願っても……隣を見ても、笑ってくれる人はいない。
 空になったシャンプーボトルに詰め替えることはないから、ゴミ箱に向かって放り投げた。
 元彼の私物がなくなったのに、頭によぎる。
 ——きっと俺にとって、慶が最初で最後の失恋だ。

 高三の恋に縋り付いていたいと、俺はいつまでも進むことができないでいる。

*

 始業式だからネクタイは必須。
 自分の部屋に絶対あるという確信のもと隅々まで探しても、見つからず諦めようとした時に、ベランダに干されているネクタイを発見できた。
 ——なんで洗濯されてんだよ。
 ようやく家を出れる、と思ってマンションのエレベーターを押したとき今度は上履きを忘れたことに気づいて取りに戻った。背中にチーンという誰も乗らないエレベーターが止まった音がした。
 いつもだったら忘れ物はしない。置いた場所にしっかりと戻す性格だから探すという行為さえもない。
 ——厄日か?
 もう一度家を出る瞬間から遅刻することが確定していた。学校に着いても全校生徒が体育館に集まっていることで賑やかな学校が静まりかえっている。
 クラス表……ない。
 ——やっぱ、厄日だろ。
 昇降口に張り出されているはずのクラス表はもう剥がされた後だったようで、新しいクラスが分からない。ここで、俺のクラスを聞ける友達がいないことが悔やまれる……とは思わなかった。まったく。
 ——職員室行けば聞けるだろ。
 昇降口に方向を変えた時だった。

「あ、マジか」

 真横から声がしたと思ったら同じくクラス表を見損ねた人と思しき男子生徒が、スマホ片手に半笑いしている。
 ——この状況で笑ってるとか、意味わからない。
 すると、その男に突然問われる。

「俺のクラス知ってる?」
「知るわけない」
「そ」
「なんで分かると思ってんの?」

 思わず返した言葉を、みんなは冷たいとかノンデリとか言って不機嫌な顔をする。今回もきっとそうだろう。
 ところが、男は口を開けて声を出して笑った。

「あっはははは‼︎」

 ——何コイツ。
 俺の知っている人ではない。
 黒髪で黒縁メガネにボサっとした印象。前髪も長く、目が隠れるくらいだ。
 ……ほんとに誰だよ。
 自信いっぱいに話しかけられたから、俺でも知っているような一軍男子ならば多少は納得できた。
 ——例えば明日川慶(あすかわけい)とか。
 一軍男子と言えばコイツというレベルだ。
 まぁ、この男が誰だとか、そんなことはどうでもいい。
 とにかく職員室へ急ごう。

 靴箱の場所も知らないまま上履きに履き替えていると、男も同じ動作をした。と、廊下をたくさんの生徒が通過する。
 ——始業式、終わったんだ。
 適当に三年の教室行けば、誰かしらクラスを伝えてくれるだろう。
 俺と話せるからと、うれしそうにする名前も知らない誰かが話しかけてくれる。それだけ、自分の顔と知名度には自信があった。
 すると、廊下に声が響く。通過する生徒の中のひとりだ。

「けーーーい‼︎」

 ——『けい』?
 こちらに向かって来る複数の男子たちと面識はない。俺の名前は『けい』ではない。つまり……『けい』は横にいる男。
 その男は、名前に反応を示し前髪を一気に上げセーターに付けていた大きめのピンで止めた。
 ——うわ。明日川慶だったのかよ。
 メガネまで外して、見たことのある明日川の姿になった。ハッキリとした二重と丸い目は、まるで犬のようだ。いつもの明日川になると、一軍男子たちに混じっていった。
 近くにいたのに一瞬で遠い存在になる。羨ましいとかはない。むしろ遠くにいてほしい。
 少し離れて歩くか。
 
「君も二組だよ。飛鷹渚生(ひだかしょう)くん」
「は……?」

 くるりと振り返り言われ、礼より先に疑問が湧き出た。
 ——俺のことまでなんで知ってんだよ。
 やはり、学年が同じだと俺の名前くらい知っているか。いや、名前だけじゃない。性格だって、俺が名前も知らない人とした会話だって知っていることだろう。
 ——一軍男子だから。
 キャピキャピしてる女子たちが明日川含む一軍男子に、俺に冷たい態度を取られたことを愚痴っている。俺に聞こえるくらい大きな声で。
 俺の性格を知っておきながら話しかけてくる方が悪いんだ。と気にすることはまったくない。

 放課後遊ぼうとか、ちょっと話したいとか。その度に『なんで?』とか『遊ぶ意味ある?』と言っていたら、冷たいと言われるようになった。それなのに校内にいれば廊下でもどこでも、女子が懲りずに話かけてくる。
 愚痴の聞き役である明日川が俺のことを知らないわけないだろう。
 加えて、一度も会話のしたことがないのに話しかけた理由が理解できない。
 ——善意? まさかな。
 前を歩く一軍男子たちの会話の声量はデカく、聞こうとしなくてもすべて聞こえて来る。

「みんな同じクラスだー!」
「俺だけ違うんだけど‼︎」
「隣だったら実質同じ」

 意外にも一番うるさそうな明日川は言葉を発していなかったが、四人中三人が同じクラスらしい。三人の方に明日川がいるということは、必然的に俺もそっちということだ。
 今年のクラスはうるさくなると確信し、うんざりする。

 二組の教室を入ると、注目を浴びた。
 ——コイツらがいるから、余計……
 教室で男女に囲まれている彼らは、四人が三人になったところでうるさいことには変わらない。
 ——厄日どころか、これでは厄年だ。
 勉強でもするか、とリュックを漁り授業もないのに持ってきた参考書を引っ張り出した。

「ひ、飛鷹くん!」

 唐突に隣の席の女子から話しかけられ、顔だけ動かす。俺のことを呼んだのだから、それ相応の理由があると思ったのに頬を赤らめるばかりで続きの言葉を言ってこない。
 ——なんか言えよ。

「何?」
「えっと……友達申請したから承認してもらえない?」

 ようやく聞こえた言葉に対して「めんどくさい」と思った。
 どうやら俺とSNSを通じて友達になりたいらしい。連絡先を交換した覚えのない人だ。そもそも学校の人のメッセなんて持ってないけど、業務連絡のために去年まではクラスメッセだけにはいた。
 ——グルチャから取ったってこと?

「なんで? 俺には承認する理由がない。そもそも勝手に追加してきて何?」
「あ…………」

 傷ついた顔をされても何とも思わない。
 ——勝手に追加して、勝手に浮かれて何がしたいんだ?
 すると、その女子は賑やかなグループへ走っていった。そこには当然、明日川もいる。
 そして数秒もしないで泣き言が聞こえてきた。
 ほらな。毎回これだ。
 自分の顔が良いことは自覚している。だから、男女問わず話しかけて来るのは珍しくなかった。
 『飛鷹がいれば女子が来る』『飛鷹くんと話したい』と、顔だけしか見ていないのが見え透いた言い方をされてきた俺は、誰かと仲良くするつもりはない。
 ——明日川慶のような、“誰とでも仲良くします”という看板を背負うなんてごめんだ。
 すると、グループの中心にいた明日川がこちらに向かってきた。

「直接ならいいの?」
「そういうことでもない。単に勝手に追加されて嬉しいとか思うわけないだろ。話したこともないのに」

 そこら中から「うわ」とか「冷たい」とか聞こえる。けど、俺にとってはどうでもいい。
 ——女子の話を聞いて、わざわざ俺のところまで来たのか?

「話したことないから交換したいんじゃん」
「その話すことがないのに?」

 会話が途切れる。
 話したことないなら話さない。それでいいだろ。
 明日川が黙りこくる。結局は興味本位であり女子たちと同じかと、ため息をついた。また女子を中心とした非難の声が耳に入る。が、今度は非難の中には歓喜の声も混ざっていた。

「二人とも同じクラスなの、最強すぎない?」
「マジで眼福」

 あぁ。これはこれで面倒だ。
 いつもはすれ違うことくらいで、一緒の空間に長時間いることはなかった。
 しかし同じクラスということは明日川と俺の両方を同時に見れるという、俺たちの顔だけが好きな人にとっては嬉しいということか。
 よし。距離を置こう。

「慶ーー!」
「呼ばれてるぞ」

 ちょうどいいタイミングだ。いつもうるさい彼らが、今は助け舟に見えて心の中でガッツポーズをする。
 
「ごめん、無理ーー!」

 ——え? 行けよ。
 「りょうかーい」と、明日川を呼んだ本人から素直な返事をされたことで助け舟はどこかに行ってしまった。
 無理と言った明日川は俺の近くから離れようとしない。
 ——話すことないんだろ?
 否定も肯定もせず俺の質問に答えず明日川は、スマホを突き出してくる。

「交換しよ?」
「なんでだよ」
「仲良くなるため」
「仲良くなるための会話がない」

 今だって、同じことを繰り返して言ってて正直くだらない。
 話している相手に話題があっても俺には興味ないから会話がないんだ。

「話すことあるよ」
「たとえば?」
「飛鷹のこととか」
「俺? 知らなくて良いだろ」
「え。やだ。無理」
「はぁ? なんで」
「好きだから」

 テンポの良い会話に流しそうになる。
 ——今、好きって言ったか?
 ……『好き』?
 つまり、告白?

「なんで……?」
「なんでだと思う?」
「分かるかよ」

 本当に分からない。
 今日が初めて話したのに……いや、初めて話す人に告白されることはあった。
 同じ男に告白されるのは初めてだ。

「告白されても困るんだけど……」
「困る?」

 不思議そうに首を傾ける明日川が、俺は不思議だ。

「じゃあお前は突然告白されて困らないのかよ」
「え? 嬉しいよ? だって、俺のこと見ててくれてたってことだから」
「明日川のこと好きなやつの半分は顔だろ」
「あっはは! 半分どころじゃないって! 九割くらい?」

 ——笑うところか?
 自嘲している明日川に違和感を感じる。顔以外何もないって自分で言ってるようなものだ。
 実際コイツは顔くらいか。
 ——なんかイラッとする。

「なんで笑ってんの?」
「えー? 半分は少ないよー……飛鷹なら分かるでしょー」

 お前も顔で好きになられてることあるだろ? という顔をされる。正直、俺の方が顔しか見てないで告白してくるのは多いだろう。
 明日川とは初めて話したが、この愛嬌があるから性格まで好きと言う人はかなりいてもおかしくない。
 一方で俺は、本当に顔だけの冷たいやつ。時々ノンデリとも言われるくらいだ。
 ——ノンデリってなんだよ。言葉ははっきり言わなきゃ伝わらないだろ。
 客観視してもノンデリとやらは分からない。けど、明日川と性格や顔の造形を比べられてきたから俺の方が性格が良くないことは知っている。
 顔だけだったら、俺の切れ長と言われる目も筋の通った鼻も明日川とは別の良さがあると言われ騒がれている。ただ、クールを通り越しているらしい俺は眺める対象だと誰かが言っていたのを聞いたことある。
 ——そんな俺を、明日川が? 信じられないな。

「はぁ。ほんとに好きなのか?」
「うん。とーぜん」

 自信満々に口角を上げる明日川に、俺は視線をそらした。

「普通に困る」

 「困るくらいには意識してくれてんだ」と、小声で言われ思わず仰ぎ見る。

「意識とか、ありえないから。ほんとにない」

 明日川は「えー」と唇を尖らせた。

 俺はこの数分で距離を置こうとしていたのを忘れるところだった。
 忘れるくらいに、話せてしまったから。
  ——でもまぁめんどいな。距離は置くべきだ。