体育祭から数日が経った昼休みだ。
俺は中庭の、テーブルの真ん中の席にいる。
「ほら大河、これおまえ好きだろ」
チョコミント味のパックジュースを差し出してくるのは隣に座る修二だ。
「先輩、見てくださいこれ。昨日ゲーセンにいたから取っちゃった」
恐竜のゆるキャラのチャームマスコットを差し出す金子も反対側の隣にいる。
「赤星、それだけで足りるのか」
俺がおにぎりを一つだけ食べ終えたことに気付いた黒岩先輩が尋ねてくる。黒岩先輩は対面に座っている。
「大河、口開けろ」
弁当のおかずの唐揚げを俺の口許に差し出してくるのは対面に座る藍川さんだ。
なにこれ。
俺に告白??? をして来た人たちが、俺を囲んで、昼飯を食べている。
いや、それは前もあったけれど、なんか、すごく。
「なにあれ」「濃いよなー」「つか、近くね?」
そう。通り過ぎていく男子生徒たちが噂するように、距離が、近い。近すぎる。
「み、みんなどうしたの、なんか」
俺が声を出すと、四人の視線が一斉に俺に向く。
(こ、こわいです……)
なんて、言えない……。
修二はいつも通りに世話を焼いてくれるし、金子は懐いてくれるし、黒岩先輩も見守ってくれるし、藍川さんは強引なんだけれども。
なんか、なんか。
(ば、バチバチしている……?!)
藍川さんが俺に唐揚げを差し出した腕をさりげなく黒岩先輩が抑えている。
俺の後ろで、肩を抱こうとする修二の手を金子が抓っているのは俺には見えないんだけれども、異様な雰囲気は伝わってくる。
「大河、おまえさあ」
黒岩先輩に制された藍川さんが、肩を竦めてその唐揚げを自分で頬張り、もぐもぐと咀嚼する。
咀嚼しながら、箸を俺に向けてきた。行儀が悪い。
「告白されても今まで通りお友達、なかよしこよしでいよーね、なんて思ってねえだろうな」
「は?」「え」「おい」
修二と金子、黒岩先輩が、俺より先に藍川さんの言葉に反応した。
「そんな都合のいい話ねえからな。いいか、付き合うか付き合わねえか、どっちかだ」
「いや、俺はそんなこと思ってないからな」
「俺も、今まで通りでいいですよ」
「赤星に負担はかけない」
藍川さんの声に被さるように、修二と金子、黒岩先輩が俺を見つめて伝えてくる。うっ。
藍川さんはそんな三人をじろりと見て、大きな息を吐き出した。
「本気で言ってんのかそれ、もし白州じゃなくて俺がコイツと付き合ってもそう思えるわけ」
「え」「う」「……」
修二と金子が目を丸め、黒岩先輩は黙って眉を寄せた。
「俺だけじゃねえ、そいつか、そいつか、そいつかもしれねえってわけだ」
藍川さんが、修二、金子、黒岩先輩を順に指さした。
三人も、箸を追いかけるように順番に視線を流す。
「結局、おまえらも、大河も、恋愛に夢見すぎ。好きなヤツなんか、奪って自分のもんにしてなんぼだろ」
藍川さんは欠伸をして、弁当のゴミを拾い上げて立ち上がった。
「そーいうわけで、愛されたかったらいつでも俺んとこ来いよ」
そしてそんな言葉を言い残して、ひらりと手を振ってひと足早く去って行ったのだ。
うわー……。
どうすんの、この空気……。
「た、大河はさ」
沈黙を破ったのは、修二だった。
視線を持ち上げると、修二にしては珍しく、俺と目を合わせずに、チョコミントのパックを見ている。
「白州以外と付き合う気とか、あんの。実際のところ」
「え」
「あー、それ、気になりますよねー」
金子も頷いている。
黒岩先輩は何も言わない。
りんちゃん以外と、付き合う可能性。
修二、金子、黒岩先輩、藍川さん。
それぞれが自分の想いを伝えてくれたときの顔が、頭をよぎる。
「そもそもさ」
じゅ、と、パックジュースのストローに口をつけて俺は小さく声を出した。
チョコミントのすーっとした感覚と甘さが口に広がる。
「俺、りんちゃんとも、ほんとに付き合えるとか思ってなかったから」
そうだ。
俺は、付き合うために告白したんじゃなくて、好きって伝えたくて告白した。
「だから、わかんない」
今の正直な気持ちを伝えると、三人は顔を見合わせたあと、同時に息を吐き出した。
「藍川さんの言うことも、わかんねーわけじゃないけどさ」
修二が、自分の髪をかき上げて言う。
「俺は、おまえが笑ってるのがいいって思ってるよ」
「俺もです」
「ああ、そうだな」
修二が言い切る言葉に、金子が頷いて、黒岩先輩も強く頷いている。
それを聞いて、俺は、緩く笑った。
なんだか、三人が変わってなくて、安心した気になったんだ。
相変わらず俺は、りんちゃんの顔を見ることができなくて、声をかけることもできないでいる。
一体俺は、りんちゃんとどうなりたいんだろう。
いやでも、俺がどうしたいとか、どうなりたいとか以前に、りんちゃんを困らせていたら、もう本末転倒だもんな……。
――修二が、俺に笑ってほしいって言うみたいに、俺も、りんちゃんには幸せになってほしいって思う。
あんな風に、怒らせる俺は、きっと近くにいたらいけないんだ。
体育祭が終わってから、俺の思考はずっとネガティブ一直線だ。
みんなからの好意を受け取る度に、俺がりんちゃんに向けていた好意についても考えてしまって、もう、ぐるぐるの悪循環に入っている。
あんまり食欲もなくて、夜も眠れていなくて、授業なんか集中できるわけがなくて。
昼休みが終わった後のこの時間なんか、特に、何も考えられない。
ああ、頭がぼんやりしてきた。
身体もぞくぞくする。
うーん、これはちょっと、ヤバいかもしれない、と思った直後、バタン、と音がして、身体に衝撃が走った。
「赤星!?」「え、大丈夫か?」「え、なになに」
先生の声や、隣の席の滝くんの声、後ろの席の南さんの声が一斉に重なって降ってくる。
ああ、俺、倒れたんだ。
そう理解する前に、ふ、と身体が持ち上がった。持ち上げられた?
「先生。保健室に連れて行っていいですか」
「え、あ、ああ。頼む」
凛とした声の持ち主が誰かハッキリとする前に、俺の意識は、ぷつんと途絶えた。
◇◇◇
授業中に倒れた赤星を抱えて、保健室まで連れて行った。赤星の方が背は高かったが、白州の方が鍛えている。横抱きで重心を捉えれば、それほど重く感じない。
保健室は、養護教諭が不在だった。
小さく息を吐いて、ベッドに寝かせる。上靴を脱がせ、タオルケットを掛けてやった。
呼吸の荒さに気付いて、手を伸ばして額に触れると、熱かった。
熱があるのかもしれない。
カーテンを閉め、白州はベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛けた。
苦しそうに眉を寄せている赤星の顔を見つめ、白州は微かに瞳を細める。
「――変わらねえな、おまえは」
呟いた声は、柔らかかった。
「初めて会ったときも、すげえうるさかった」
幼い頃の面影があり、高校で見かけたときも、すぐに気付くことができた。
――赤星の方は、一切わかっていないようだけれど。
「でも、そのうるささに、俺は――」
救われたんだ、と。
白州は微かな声で、小さくこぼした。
◇◇◇
俺は、夢を見ていた。
それは小さい頃、両親に連れて行かれた、会社の懇親会だ。
ホテルの一室で行われた立食パーティーに、子どもの居場所はない。
結婚式でも七五三でもないのに、子ども用のフォーマルなジャケットと半ズボンを着せられて、窮屈で仕方なくて、早く家に帰りたかったのをよく覚えている。ガマンできずに駄々をこねて母親を困らせていたら、「あちらに遊び場がありますので」と見かねた大人が案内してくれた場所が、子ども用の小さなスペースだった。
十畳ほどの部屋で、柔らかいマットが敷かれ、ぬいぐるみや絵本、おもちゃが置いてあった。
何より、そこには、同じ年頃の子どもが何人か既に遊んでいたんだ。
自分だけじゃなかったことが嬉しくて、「ねえねえ! おれたいが! いっしょにあそぼー!」と、母親の制止も聞かずに飛び込んでいった。
そしたら、そこにいた、同じようにフォーマルな衣装を着た、黒髪がきれいな女の子が、にこっと笑ってくれたんだ。
後から考えると半ズボンを履いていたような気もするけれど、とにかく、その笑顔がきれいで、俺は一目でその子のことが好きになった。
他にも、目が細い子と、やっぱり女の子がいたような気もする。
あっという間にも、すごく長い時間にも思えるぐらい、とても楽しくて、特別な時間になった。
あれほど嫌だった『こんしんかい』が、俺にとって初めて価値のあるものになり、両親に「つぎはいつ?」と聞いて驚かれたものだ。
ふわふわとした意識の中、昔の記憶が蘇ってきた頃、不意に頬に何かが触ったのをきっかけに、徐々に目が醒めていく。
なんだっけ、確か俺は授業中、うっかりばったり倒れて……。
ふ、と、目を開けたら、そこには、りんちゃんの顔があった。
「起きたか」
そしてりんちゃんが俺にそう声を掛けて、ふ、と笑ったんだ。
とても、やさしく。
触れた手が、頬を撫でてくる。
「うえ、え」
あっ!
夢!
これは、夢の続きですね!!
俺は理解して、もう一度目を閉じて、ついでに布団を頭から被ることにする。
どきどきと、夢であったとしても、心臓がめちゃくちゃ煩く脈打っている。
だって、りんちゃんの、笑顔を間近で見ることができたんだ、当然だ!!
「おい、起きてんだろ」
「いや、ねてる、だって夢だもん」
「夢じゃねえ、起きろ」
「ゆ、夢でしょ、だって、りんちゃんが」
俺の夢、随分リアルになったな……。
りんちゃんが布団を剥がして覗き込もうとしてくるから、俺は布団をぐっと掴んで剥がされないようにする。攻防だ。
少しの時間それが続いて、りんちゃんが、「ちっ」と舌打ちをして手を離した。
ほっとするのも束の間、ぎし、と音がしたと思ったら、ベッドに乗り上げてきたんだ。
誰がって、りんちゃんが!!
「おい」
「ひえ」
「顔見せろ」
「ひや」
「ああ?」
「い、いやです」
「なんで」
な、なんでって!!
今の俺、めちゃくちゃ情けない顔をしている。
絶対耳まで赤いしなんならちょっと目が潤んでいるかもしれない。
こんな、こんなの、いくら夢とはいえ、りんちゃんに見せるわけには……。
「うぜえ」
「あっ」
そう思っていたら、ばっと布団が剥ぎ取られ、りんちゃんに真っ赤な顔が晒されてしまった。
りんちゃんが、僅かに瞳を丸めて息を呑んでいる。
そして、両手で、俺の頬を掴んで無理矢理顔を上げさせた。
「赤星大河」
「ひゃ、い」
な、なんでフルネーム。
頬を挟まれているので間の抜けた声が出る。
「おまえ、俺が好きなんだろ」
「うえ、」
「どうなんだ」
「すき、です」
ゆ、夢だからいいか。
真っ直ぐとりんちゃんから尋ねられて、促されてしまえば、頷くことしかできない。
そうするとりんちゃんは、ふっと口角を持ち上げて笑った。
ああ、いいな。
やっぱり俺はりんちゃんの笑顔が、何より一番、大好きだ。
「だったら、」
頬から手を離したりんちゃんが、今度は、俺の頭を枕に沈めて、その枕の横に手をついてくる。
俺の顔に影が出来た。
ち、近いです。
「俺以外見るんじゃねえよ」
切れ長の黒い瞳が、俺を見つめる。
瞳の中に、俺の驚いた顔が映っている。
「こ、こんなリアルな夢、ある?」
「っは、まだ言ってんのか。夢かどうか確かめてみるか?」
りんちゃんが鼻で笑って、俺の顎に指を掛けて距離を詰めてくるので、慌てて顔を逸らす。
「ゆ、夢だよ、夢、だって」
「んだよ」
「だって、りんちゃんが俺を見るとか、ないし」
「あ?」
「りんちゃんの迷惑なら、俺、大人しくするって決めて、」
「ああ?」
りんちゃんのガラがどんどん悪くなっていく……。
もしかしたら、夢ではないのかもしれない……。
りんちゃんは、俺の胸倉を掴んで、無理矢理顔を上げさせる。
「誰が迷惑っつったんだよ」
「し、信用できないって」
言ったじゃん……、というのは、すごく小さい声になる。
りんちゃんはそれを聞いて少しだけ目を丸め、胸倉を掴む手の力を緩めた。
そして、大分躊躇う間を作ったあとに、両腕を伸ばして、俺のことを抱き締めてきた。
――や、やっぱりこれ、夢かもしれない。
「おまえが、」
絞り出したような声が聞こえる。
「おまえが、誰にでも尻尾振るからだろ」
「ふ、振ってないよ」
「振ってる」
「俺が好きなのは、りんちゃんだけ、」
ぎゅう、と、抱き締められる力が強くなる。
「顔だけじゃねえのかよ、女だと思ってただろ」
「ちが、ぜんぶだよ、全部――りんちゃんの、全部が好き」
りんちゃんが何も言わずに、俺の肩口に顔を埋めた。
ど、どうしよう。
これって俺も抱き締め返すべき!?
いやでもそれで嫌がられたらもう落ち込む。
俺が腕の行き場をなくして慌てていると、顔を上げたりんちゃんが、「ばーか」と言って、笑った。
そう。
俺を真っ直ぐ見て、笑ったんだ。
その笑顔を見て、俺の心臓は、射抜かれる。
最初に弓道場で、横顔を見つけたときのように。
「も、もう、だめ」
「あ?」
「しぬ、しにます、しんだ」
「はあ? あ、おい、」
完全に、キャパオーバーだ。
俺は再びベッドに沈み込み、今度こそ、ぷしゅうと熱が上がってしまった。
りんちゃんがそれを見て大きく息を吐き出して、今度は丁寧にタオルケットを掛けてくれ、養護教諭が戻って来るまでずっと傍にいてくれたことなんて、知る由もなかった。
◇◇◇
養護教諭が保健室に戻って赤星の様子を見て、保健室で寝かせるからもう授業に戻って良いというので白州はクラスに戻った。
その後の放課後だ。
気になって、部活の前に保健室に立ち寄ると、ちょうど、二人の男子生徒が保健室から出て来て足を止める。
ぐったりとした赤星の肩を支えているのは、青木だった。
「しゅうじい、ありがとお」
「いいから喋んなって」
「うんー」
赤星は、すっかり高熱が出ている様子だ。
立ち尽くす白州に気付いた青木が、一度足を止めた。
「――こいつのこと、あんまり追い詰めないでやって」
それは確かに、白州に向けた言葉だ。
「繊細なんだよ、これでも」
「しゅうじ、だれとはなしてんの」
「いや、行こう」
「んー」
意識が朦朧としている赤星は、白州の存在に気付いていない。
白州は、言葉が出なかった。
唇を噛み締め、拳を握り締めた。
いつの間にか二人の背中は、小さくなっている。
◇◇◇



