大好きなツンデレ美少年に告白して振られたら急にモテ出した件について ※ただし、男に




 体育祭が、終わった。
 俺は、りんちゃんから言われた言葉が衝撃的すぎて、それからのことはほとんど覚えていない。
 修二や金子が心配してくれて、黒岩先輩や藍川先輩も何か声を掛けてくれていた。
 クラスメイトやサッカー部の友達も気にしてくれていたけれど、俺は、なんて返したっけ。
 声も出ないから、少し笑うことしか出来なかったかもしれない。
 今年は僅差で、紅組の勝ちだった。それまでは白組がリードしていたけれど、紅白対抗リレーの結果が大きく影響したみたいだ。
 紅組が大喜びしている横で、俺は、呆然と立ち尽くしていた。

 りんちゃんが、怒っていた。誰にって、俺にだ。

 俺は今まで、りんちゃんが好きなことは疑っていなかったけれど、りんちゃんはそれが、信用できなかった。
 信用できないヤツに告白されたら、そりゃ、嫌だよな。
 りんちゃんは優しいから拒否しなかっただけで、本当はずっと、迷惑だった?
 りんちゃんを好きでいることすら、やめた方がいいのかな。
 でも、人を好きでいることをやめるって、どうしたらいいんだ。
 そんなこと、無理じゃね???
 そんなことをぐるぐる考えている間に下校の時間になり、教室を出て、家に帰る道を歩いていた。
 いつも教室ではりんちゃんを一番に探すし、答えが返って来なくてもりんちゃんに声を掛けてから帰るんだけど、今日は初めて、りんちゃんの姿を探すことができなかった。だって、どんな顔をしたらいいのかわからない。
 うっ。
 明日が休みでよかった……。
 なんなら、席替えもしてよかった……。
 あれだけ地獄の席替えが、こんな風に救いになるなんて、考えもしなかった。
 あーあ。
 どうしよっかなあ。
 どうすればいいんだろ。
 一面の青空だった空が、夕焼けと夜の藍色のグラデーションになっている。
 障害物競争で、りんちゃんが俺を選んでくれたのは、嬉しかったなあ……。
「大河!」
 りんちゃんが掴んでくれた腕の感触がまだ残っている気がして、自分の左腕に触りながら歩道を歩いていると、後ろから声を掛けられて足を止める。
 はあはあと荒く呼吸をしている、修二だった。
「しゅう、じ」
 俺の喉はまだ復活しない。
 掠れた声で名前を呼ぶと、修二が、眉を下げて笑った。
「一緒に帰ろう」
 あ、やめて。
 いつもと変わらない声で言われると、泣きそうになるから。






 俺も修二も、高校までは、電車通学だ。修二とは家もそう遠くないから、最寄りが一緒だ。ジャージ姿の高校生が多い電車でも、「めっちゃいい勝負だったね」「あれ伝説の人じゃね」「大声の人だろ」とちらちらこっちを見ながらの噂話が聞こえてきたが、反応する気にはならなかった。いつも修二と帰るときにはくだらない話をするのに、今日は、お互い何も言わない。
 壁に横向きに立って、窓の外の見慣れた景色を見ていた。
「大河、手出して」
 不意に修二が声を掛けてそう促すから、反射的に右手をパーにして見せる。そしたら、その上に、個包装の飴が置かれた。
「のど飴。すげー効くやつ」
「う、さんきゅ」
 ガラガラの声で礼を言って、早速袋を開けて飴玉を口の中に放り込んだ。
 はちみつ味の甘さが、やさしくて、心地良い。
 修二のこういうところが、モテるんだよな、と思う。
「俺も枯らすとき多いからさ」
 ここで初めて、ギターボーカルのバンドマンの苦労を知る俺であった。
 修二はそれ以上何も言わず、俺と一緒に、静かに電車に揺られた。




 最寄り駅に着いて少し歩いたら、お互い家の方向は別々だ。
 駅から出て分かれ道に差し掛かり、じゃここで、って別れようとしたら、ぐ、と腕を掴まれた。
「?」
「ちょ、っとさ、寄っていかね」
「いいけど」
 あ。声が少しだけ、治った。
 まだ掠れているが、ちゃんと出る。
 修二の飴玉効果かもしれない。
 修二の誘いに頷いて、歩き出した。
 向かった先は、駅のすぐ近くにある公園だ。
 もうすっかり、オレンジ色が藍色に侵食される時間帯で、公園の中には誰もいなかった。
 修二に促されてベンチに座ると、修二は自販機で飲み物を買って来た。
「どっちがいい?」
 スポーツドリンクと赤いラベルの炭酸飲料のペットボトルを差し出され、俺は炭酸の方を取った。
「あざす」
「どいたま」
 ぺこっと頭を下げて、早速キャップを外して一口飲む。
 しゅわしゅわとした炭酸の刺激が、今日使いすぎた喉に、心地よく染み渡る。
「はあー」
 大きな息を吐いて、ベンチの背もたれに深く腰掛けた。
 キャップを戻してペットボトルをベンチに置いて、俺は空を見上げた。
 藍色の空に、星がチカチカと瞬き始めている。
「おつかれ」
 修二もスポーツドリンクを飲んで、そう声を掛けてくれた。
「あのさあ」
 だから俺は、さっきから胸に燻り続けている疑問を、修二にぶつけてみることにする。
「修二さ、人を好きになったことある?」
 ちらりと視線を向けて尋ねると、修二は小さく息を呑んだ。
 俺たちは中学から一緒にいるけれど、修二の恋バナは聞いたことがない。
 修二が女の子から告白されているのを何度も見かけたが、修二は一度も、それに応えなかった。
 修二はペットボトルの中身を飲んでから、小さく呼吸をした。
 そして、頷く。
「あるよ」
「そっか」
 俺も頷いた。
 姿勢を戻して、修二に向き合う。
「じゃあさ、やめろって言われて、その人を好きな気持ち、なくすことできる?」
 俺は、りんちゃんを好きでいない方がいいのかもしれない。
 そのほうが、りんちゃんのためなのかもしれない。
 でも、じゃあ、「好き」な気持ちって、コントロールできるものなのか。
 修二は、俺の質問に、目を丸めてから、少しだけ目を逸らした。
 そして、首を振る。
「無理だな」
「だよなあー」
 聞こえたその答えは、納得しかない。
 ため息混じりに頷いて、俺はまた、身体の力を抜いた。
「――そいつがさ」
「うん?」
「他の誰かを好きでも、全力で恋してる姿が輝いてて、それを近くで見てるだけで幸せだって思ってた」
 修二が、ぽつぽつと話をし始める。
 もう一度改めて、修二に身体を向けた。
 真剣に話してくれるから、きちんと受け止めないとと思ったんだ。
「でも」
 修二も、俺を真っ直ぐと見据える。
「好きなヤツが傷つけられるのを黙って見てられるほど、出来た男じゃない」
 ――ん?
「俺にしろよ、大河。俺のほうが、ずっとおまえのこと、大事にできる」
 ――んん??
「おまえが好きだよ。中学の頃から、ずっと」
 ――んんんん!!!???

 驚きすぎて、目ん玉が飛び出るかもしれないと思った。
 何も言えないでいると、修二が、ふ、と笑った。
「全然気付いてなかっただろ」
「え、いや、ていうか、え?」
「まだわかってねーのかよ」
「うん?? え??」
「俺が伝えたかっただけで、付き合う付き合わないとかの返事はいらないから」
「うん?????」
「好きでいるなとは、おまえなら言わねーだろ」
 混乱の最中にいる俺に対して、修二は片目を細めて額をこつんと指先で突いてきた。
 いや、そりゃあ、好きでいるななんて言う権利、俺にはないけれども。
 え? ええ? えええ???
「じゃあ、そーいうわけで」
 修二は、大混乱している俺を残して立ち上がって、片手を振って歩き出してしまった。
 ひとり取り残された俺は、まだわかっていなかった。
 これが俺の、大混乱の序章でしかないということを――……。







 体育祭の翌日だっていうのに、無情にもサッカー部の練習があった。次の週末に地区大会の予選があるから仕方がないとはいえ、なかなかハードな日程だ。
 体育祭で全力で応援して喉を潰した俺は、大好きな人から怒られた後に中学時代の親友から告白されるっていう大イベントが続いて、夜もあんまり眠れなかった。
 悩みがあっても、一晩寝たら忘れてスッキリするタイプだったのに、こんなことは初めてだ……。人生って奥が深い。
 ふらふらになりながらシュート練とかミニゲーム形式の練習とかを終えて、やっと部活の時間が終わった。午前中でよかった。
「大丈夫か」
 タオルで汗を拭きながら部室に戻ろうとしたら、ぬっと影ができる。
 黒岩先輩が声を掛けてくれたのだと気付いて、顔を上げた。
「先輩」
「本調子じゃないだろ」
「あー、まあ」
 でも、声は少しずつ戻って来ている。
 黒岩先輩は小さく息を吐いて、俺の背中を軽く叩いた。
「無理はするなよ」
「あざす」
 礼を言って顔を上げると、いつもよりも真剣な眼差しの黒岩先輩の顔があった。
「先輩?」
「赤星」
「うす」
「帰り、少し待っててくれないか」
「? はい」
 何か用があるみたいだ。なんだろう。
 首を捻りながらも頷いて部室に入り、ユニフォームから制服に着替える。
「大河ー、気にすんなよ」
「え、なにが」
「そうそう、気にしない気にしない」
「だからなにが」
 俺よりひと足早く着替え終えた部活仲間たちが、口々に言ってくる。
 意図がわからなくて尋ねると、そのうちの一人が、声を潜めた。
「怒らせたんだろ、白州」
「あー」
 りんちゃんに言われたとこ、大勢の人が見てたもんなあ。
 伝説の告白で大きな噂になるぐらいだ、あの話も出回ってるんだろう。
「俺としてはさ」
「うん?」
「好きな人と両思いになる確率ってめちゃくちゃ低いと思うわけ」
「なにそれ」
「だから、まあ、どんまいってことで」
「何が言いたかったんだよおまえ」
 恋愛論を語ったヤツ(大野くんだ)が、他のヤツから後頭部を強めに叩かれている。
「ごめんな大河、俺たちさ、おまえの真っ直ぐなとこ、いいと思ってっから!」
「あんま凹むなよー」
 もう一人も横から背中を押さえつけ、大野くんが余計なことを言わないようにしてくれながら、慰めてくれる。
 心の中が、じんわり温かくなった気がする。
「うん、ありがと」
 部室を出て行く三人に、小さく礼を言った。もっと声が出る状態なら、大きい声で言えたのにな。




 着替えが終わって部室を出て、扉の前で待っていると、少ししてから黒岩先輩が部室から出て来た。
 黒岩先輩はガタイが良いのに、白い学ランなんて変わった制服もちゃんと似合うからすごい。
 俺みたいに中にフード付きパーカーを着て誤魔化すことなく、第一ボタンを外すだけで様になっている。
「悪い、待たせたな」
「いーえー」
「少し歩くか」
「はい」
 実は黒岩先輩は部活のキャプテンでもある。色んな雑務もあるんだろう。
 部室の鍵を閉めてそう促されるのに頷いて、黒岩先輩と並んで歩き出した。
 もうサッカー部員はみんな帰って、広いグラウンドにも誰もいない。
 黒岩先輩は、人のいない裏庭に俺を連れて来た。
「赤星が来てから、部活の雰囲気が良くなった」
「うえ?」
 立ち止まった黒岩先輩が、不意に俺を見て柔らかく笑う。
「それまでは、緩すぎるところがあってな。俺もサッカーを楽しめていなかった」
 いやいや、俺も、緩いから決めたみたいなところはあるんですけれども。
 でも、確かに、入部当初は、練習も何もほとんどしていなかった気がする。
 やるなら楽しくやりましょー、って言って、同級生チームで真剣に試合をするようになってから、徐々に先輩たちも一緒にやってくれるようになって、今まで「どうせ無理でしょ」って参加していなかった地区大会の予選にもエントリーをするようになったんだ。
 黒岩先輩は寡黙で何も言わない。でも、誰よりも一生懸命部活に参加していたから、まさかそんなことを思っていたなんて知らなかった。
「それに、おまえがいると、場が明るくなる」
「そっすかね」
「ああ」
 黒岩先輩がしっかり頷いた。
 そう真っ直ぐ褒められると、照れる。
「だから、――おまえが傷ついた姿を見たときに、すごくもどかしかった」
 ――ん?
「どうして俺じゃないんだと」
 ――んん??
「赤星、おまえが好きだ。俺なら、おまえを傷つけない」
 ――んんんんん!!???
 なにこれ、デジャヴュ!!?!?
 黒岩先輩が試合中に見せるような真剣な顔で俺を見つめてきて、真面目な声色で真っ直ぐとそう告げてくる。
「え、ええと」
「べつに、返事がほしいわけじゃない」
 俺が困っているのに気付いている黒岩先輩が、ふっと笑った。
 先輩は、笑うと、いつもよりも更に優しい雰囲気になる。
「好きでいるのは、自由なんだろ」
「う、えー」
「それに、伝えないと、先を越されそうだしな」
「それってどういう」
「じゃあな、赤星。無理するなよ」
 俺の質問に答えないまま、黒岩先輩は、大きい手をぽんと俺の頭の上に置いてから、歩き出してしまった。
 大きな背中が遠ざかって行く中で、俺は思わず、しゃがみ込む。
 修二も、黒岩先輩も、いい人だけど、趣味が悪い。
 大きな息を吐き出して、頭をぐしゃぐしゃ掻いた。
 りんちゃん、
 りんちゃんも、こんな気持ちだったの?






 部活のあとは、午後からバイトが入っている。
 シフトを入れたのは自分なんだけど、さすがに忙しすぎる。
 いやでも、この状態だったら、何かしていた方がまだ気が紛れるかな。
 大好きな人に怒られる。
 親友から告白される。
 部活の先輩から告白される。
 っていう、三段構えの強烈なイベントは、ひとりの時間では処理しきれない。
 だったら、バイトで忙しくしていたほうがまだマシだ。
 声がカスカスに掠れていることにみんなに驚かれて、「今日はレジじゃなくて洗い場回っていいよ」と配慮までしてもらえたのは本当に有難かった。ホワイトな職場です。
 なんとか決まった時間をこなしてバイトを上がり、控え室で制服から私服に着替えていると、同じ時間にシフトが入っていた金子もやって来た。
「先輩、大丈夫ですか」
「うん? 声? 治ってきたよ、サンキュな」
 金子も、大分フォローしてくれた。
 礼を言うと、金子はきゅっと眉を寄せて何か言いたそうな顔をしている。
「先輩、今日、一緒に帰りませんか」
「お? おお、いいよ」
 頷きながらも、ちょっとだけ嫌な予感がする。
 修二と黒岩先輩の、あの真面目な眼差しと、今の金子の顔が、少しだけ重なったからだ。
 いや、いやいやいや。
 自意識過剰にもほどがあるだろ。
 金子はただの、バイトの後輩だって。

「俺、先輩のことが好きです」

 ――バイト先のカフェを出て、駅まで向かう途中のことだ。
 まだ雑踏で人が行き来する往来の道で、金子は、俺を振り向いてそう言った。
「ええー……?」
 自意識過剰だろって、言い聞かせていたんですけれども。
 金子は戸惑う俺を見透かしたように笑って、カフェの入っているビルを見上げる。
「覚えてますか、俺、中学の頃から通ってたんですよ」
「ああ、受験勉強くんな」
「そう」
 いつも、ひとりで甘い飲み物を頼んでは、一生懸命勉強している黒い学ランの少年がいた。
 長時間の占領はお断りすることになっているのだが、受験勉強くんは、空いている時間帯を選び、混んできたらちゃんと退席する良識がある子だった。だから、つい、「いつも頑張っててえらいっすね」とか「大丈夫大丈夫絶対受かるって」とか、気さくに声を掛けたような気がする。
「最初はめっちゃ話しかけてくる人いるなってちょっと引いてたんですけど」
「引いてたのかよ!」
「でも、いつの間にかそれが俺の支えになってて」
 そうだ、いつからか、受験勉強くんからも、話しかけてくれるようになった。高校どこですか、とか、いつからバイトしてるんですか、とか。
「先輩のこと追いかけて、ここのバイト入ったんですよ」
 そう言って、金子は笑った。
 駅に向かう人、駅から離れて行く人、色々な人が通り過ぎて行く中で、金子は立ち止まって真っ直ぐと俺を見つめている。
「最初は、見てるだけでよかったんです。だけど、やっぱり、あんな瞬間見ちゃったら放っておけないでしょ」
 りんちゃんに、怒られたときのことだ。
 俺が、なにも言えなかったとき。
「ねえ、先輩」
 金子が一歩近付いて、俺の顔を覗き込んでくる。
 黙っていても女の子が寄ってくる、整った顔立ちをしている。
「俺にしませんか」
 金子の声が、少し震えていた。
 きっとこいつは、緊張している。
 俺は小さく、息を呑んだ。
「なんで俺なの」
 考える前に、聞いていた。
 金子だけじゃない。
 修二の顔も、黒岩先輩の顔も、頭に浮かんでいる。
 みんなかっこよくて、優しくて、いいところがいっぱいある。
 女の子からもモテている。
 そんな人たちが、どうして俺を。
「最初は、笑顔が素敵だなって」
 金子はふっと目を細めて言った。
「でも、今はあなたの全部が好き。――先輩も、そう言ってたでしょ」

 りんちゃんの全てが最高だ、って。

 ボウリング場で、藍川さんにりんちゃんのことを聞かれたときに、俺は迷わずそう答えた。
 ぎゅ、と、小さく拳を握る。
「だから、先輩には、明るく笑っててほしいんです。バカみたいに」
 金子は俺を見て、眉を下げて笑った。
「困らせてごめんなさい。でも、どうしても伝えたくて」
「んーん」
「先輩なら、受け止めてくれると思った」
 謝る金子に首を振ると、安堵した様子で言われて、ほんの少し瞳が揺れる。
 そう。人を好きになるのは自由で、その気持ちは、誰にも止められない。
 だけど。
 相手が、困っていたら?
 その答えは、未だに、出せないでいた。
「じゃ、また。ありがとうございました」
 金子も俺の答えを待たずに、ひらりと手を振って歩き出す。
 待たれたって、答えなんか、出せないんだけど。
 相変わらず、駅前の景色は、止まることなく動いている。
 動き出せないのは、俺だけだ。






 うわー……。
 学校、行きたく、ねえー…………。
 俺は生まれて初めて、学校への拒否感を抱いている。
 金子から告白された次の日は、体育祭の代休で、部活もバイトもない一日だった。
 寝不足もあって、気付いたら布団でうとうとゴロゴロしてあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。
 そして朝が来て、カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、率直にそう思う。
 修二にも、黒岩先輩にも、金子にも、会うのが気まずい。
 何より、りんちゃんだ。
 りんちゃんからまたあの絶対零度の眼差しを向けられたら俺は、どうしたらいいんだ……。
 でも時間は待ってくれなくて、「大河、遅刻するわよー」という母の声に促され、渋々と制服に袖を通して、朝飯を食べ、朝練に顔を出した。
 黒岩先輩は驚くほどいつも通りで、心底ほっとした。
 教室に行く途中に会った修二も、いつも通りだ。よかった。
 そして教室に入るんだけれども、俺は初めて、りんちゃんに「おはよう」をしなかった。いや、できなかった。
 廊下側の一番後ろの席で音楽を聴いているのはわかったけど、声を掛ける勇気が出ない。
 うっ。
 うう。
 好きでいるのを抑えるのって、こんなにしんどいんだなあ。
 修二は、中学から、こんな気持ちを抱えていたのかな。
 黒岩先輩と金子は、去年から?
 全然、気付かなかった……。
 なんだか今の俺は、全世界にやさしく出来そうです。
「滝くん、そのメガネ似合ってるね……」
 机に突っ伏して、隣の席になった滝くんにそう言ったら、滝くんは目を丸めた。
「え、なに、赤星大丈夫?」
 そして心底心配してくれる。
 うん、多分、大丈夫じゃねーかも。






 ぼーっとしていたらあっという間に午前の授業が終わった。チャイムが鳴ると同時に、みんなが動き出す。俺も購買に、パンを買いに行かないと。わかっているのになんだか身体が重くて動けないでいたら、「赤星ー、客ー」と扉の方から林くんが声を掛けてきた。
 仕方なく重たい腰を上げて教室の入り口に向かう。りんちゃんは、まだ教室にいた。もちろん俺から声なんて掛けられなくて、そのまま廊下に出ると、突然首根っこを掴まれた。
「わっ、なに!?」
「よーっす、ツラ貸せや伝説ちゃん」
「なになに誘拐! 誘拐でーす!!」
 ニヤリと笑うのは、長身イケメンパーマの藍川さんだ。
 拒否権はなく、そのまま藍川さんは、俺を肩に担いだ!!
 こんなのアリですか!?
 俺が廊下で叫んでも、「あーまた赤星ね」「元気になってよかったじゃん」って、総スルーだ。なにこの学校!!
「ちょっと、まじでなんなんすか」
「ここならいいだろ」
「ええ!?」
 そう言って藍川さんが俺を下ろしたのは、非常階段の踊り場だ。
 ざわざわとした昼休みの喧騒からは切り離された、静かな場所で、誰もいない。
 俺が逃げようとしたら、どん、と壁に手をついて、逃げ場をなくされる。
 背中には壁。目の前には、藍川さん。
「おまえさ」
「なんすか」
「俺のもんになれよ」
「はあ?」
 それ、初対面のときにも言われた。
 じっと俺の瞳を覗き込んでくる重たい二重を見返して、俺は眉を寄せる。
「俺は物じゃありませーん」
「じゃあ、俺と付き合え」
「はあ???」
 言葉を変えられて、更に眉間の皺が深くなった。
「今、冗談に付き合う気分じゃないんすけど」
「冗談じゃねえよ」
「じゃあなに」
「本気」
「は?」
 やっぱり藍川さんは、俺にとって新人類だ。
 言われる言葉の全部、意味がわからない。
「俺なら教えてやれるぜ」
「何を」
「愛されるってこと」
「はあ?」
 心底怪訝な声が出た。
 愛だって。愛。愛ってなんだ。
 俺と目が合うと、藍川さんは片目を細めて笑って見せる。
「あんだけ全身全霊で好きを表現してんのに、ミリも伝わらねえの、惨めだと思わねえか」
「う」
 りんちゃんのことだ。
 痛いところを突かれて、俺は目を背けた。
 藍川さんが、もう片方の手で俺の頬に触れてくる。
 硬くて大きい、男の手だ。
「俺は、もったいねえと思った」
 囁く声がくすぐったい。
「俺なら、倍か、それ以上、返してやれるぜ?」
 わざと耳元で囁くの、やめてくんないかな。
 肩を竦めて顔を逸らして、目を合わせないでいると、藍川さんが喉を震わせて笑う。
「ま、考えとけよ。おまえは、おまえが思うより、価値があるってこと」
 頬に触れていた手がそのまま、俺の頭に乗せられて、くしゃくしゃと髪をかき混ぜられる。
 その後、手が離された。
「なんなんすか」
「ああ?」
「もー、みんな、わけわかんねえー」
 壁に背をつけたまま、力が抜けて、ずるずるとしゃがみ込む。
「俺はりんちゃんが好きで、りんちゃんのことが好きなだけでしあわせだったはずで」
 でも、その『好き』まで、信じてもらえなかったら、どうしたらいいんだ。
 藍川さんは俺を見下ろして、ふ、と笑った。
「今はしあわせじゃねえのかよ」
「う」
「つーかさ」
「う?」
「好きなヤツには少しは気持ち返してほしいって思うの、健全だろ。好きなだけでいいとか、見てるだけで幸せとか、偽善抜かしてんじゃねえよって話。ましてあんだけ全身で表してんだからな。――ま、俺なら百倍にして返すけど」
 ――百倍。
 俺の『好き』、を、百倍で返されたら、俺はどうなっちゃうんだ一体……。
 そこまで考えて、そんなことは有り得ないと頭を振る。
 藍川さんは俺のつむじをじっと見つめて、また、頭を撫でてきた。
「仕方ねえからメシ奢ってやる」
「え」
「来い」
「ええ」
 そして腕を引っ張られて、食堂に連行されるのだった。なんでだ。


◇◇◇

 赤星が、藍川に連れられて階段を降りて食堂に向かい出す頃。
「あ、燐さん見ーっけ!」
「こんなところで何をしているんです」
 非常階段前の死角で、壁に寄りかかっているところを千里と千鳥に見つかって声を掛けられ、白州ははっと我を取り戻す。
「別に……」
「早くお昼食べよーよ」
「ああ、そういえば」
 壁から身体を離したところで、千鳥が思い出したように話し始める。
「体育祭の時、赤星さんに言われましたよ。いっぱい玉が入ったらお昼ご飯に入れて、と」
「玉入れ、白組が勝ってたよねえ」
「ふふ、そうですね。どうしますか、燐さん」
「――うるせえ。さっさと行くぞ」
 どん、と、白州は壁を拳で殴った。
 低い声で促され、その気迫に顔を見合わせて肩を竦める双子だった。

◇◇◇