「……落日」
「どうした!」
「太陽が沈む方角……つまり『西』です!」
「西だと……?」
最前列の郷田が鋭く身を乗り出した。
その表情が、みるみる変わっていく。
「内藤新宿……つまり新宿。その西……」
一瞬。郷田の目が煌めく。
「そうか! 新宿駅の『西口』だ!」
郷田は立ち上がると、壁に貼られた巨大な路線図へ歩み寄った。
「そして『最初に戻る』。出発した場所へ戻る交通機関……循環バスだ!」
道場にどよめきが走る。
「新宿駅西口を出発し、再び西口へ戻ってくる路線!」
篠塚が慌てて端末を操作し、プロジェクターへ西口バスターミナルの見取り図を映し出した。
「……間違いありません」
郷田の顔に確信が浮かぶ。
篠塚が何か言いかけた。
「ですが――」
「本部長!」
郷田はそれを遮り、高山へ向き直った。
「奴が言っているのは西口バスターミナルです! 第六の領域は『六番乗り場』、二番目の配列は、そこから発車する『循環二番系統』を示しているに違いありません!」
そして、畳みかけるように続けた。
「直ちに西口バスターミナルを封鎖し、該当車両を制圧する許可を!」
上座の高山本部長は数秒考え、重々しく頷いた。
「よかろう。郷田管理官、直ちに部隊を動かせ。バスターミナルを完全封鎖しろ!」
「はっ!」
郷田が振り返った。
「お前ら、聞いたな! 今すぐ西口へ向かえ!」
百五十名の捜査員が一斉に動き出す。
だが。
最後尾に立つ私の頭には、どうしても消えない違和感が残っていた。
(……内藤の新たな宿。第六の領域、二番目の配列。落日を望む。最初に戻る)
本当に。
それだけなのか?
こんなに綺麗に『西口の循環バス』へ着地するような、単純ななぞなぞなのか。
あの犯人は、言葉を一つ一つ意図的に選んでいる。
語順。
響き。
意味。
そこには、もっと深い罠が隠されているような気がしてならなかった。
だが、その違和感を掘り下げる暇もない。
私にも出動命令が下った。
十月の空は重苦しい鉛色に沈み、駅前のロータリーには排気ガスと、行き交う何万人もの群衆の熱気、そして警察官たちが放つ張り詰めた殺気が充満していた。
高山から全権を委任された郷田の指揮のもと、警察の包囲網は迅速かつ徹底的に敷かれた。
「該当する車両はすべて止めろ! 乗客を全員降ろせ!」
郷田の怒声がトランシーバーから飛ぶ。
「シートの下、網棚、ゴミ箱まで徹底的に探れ! 優先席の周辺は特に念入りにだ!」
防弾ベストを着込んだ機動隊員たちが、空になったバスへ次々と突入していく。
私も循環バスへ乗り込み、床へ膝をつきながら、懐中電灯で座席の下を一つずつ照らした。
(……おかしい)
違和感は消えない。
(わざわざ『内藤』なんて旧称を持ち出し、『落日を望む』なんて文学的な言い方までした男が、答えをただの『六番乗り場』で終わらせるか?)
その時だった。
『――ビンゴだ! 本部、こちら第三班!』
無線から緊迫した声が飛び込んだ。
『循環二番系統の車内、後方優先席の下に不審物を発見! 黒いボストンバッグ、中からリード線とタイマーらしきものを確認!』
ターミナル全体が一瞬にして凍りついた。
直後、本庁の特殊犯捜査係と爆発物処理班が現場へ入り、規制線の外まで全員が退避させられる。
息の詰まるような時間が流れた。
午後五時三十分。
ようやく無線が鳴った。
『……処理完了。信管を抜きました。爆発の危険はありません』
その瞬間、現場を覆っていた極限の緊張が一気に緩んだ。
「……ふん。所詮は素人の脅かしだ。これで、あのふざけた『今日の掃除』も終わりだな」
新宿署の特捜本部へ戻った郷田は、冷めた缶コーヒーを勝利の美酒のように飲み干した。
高山本部長へは、すでに、「見事、爆弾を未然に回収しました」と誇らしげに報告を済ませている。
その顔には、自身の出世がまた一歩近づいたとでも言いたげな満足感が浮かんでいた。
だが、私だけは笑えなかった。
壁際のパイプ椅子へ腰掛け、押収された「爆弾」の写真を睨みつける。
むき出しの配線。
黒いバッグ。
いかにも「素人が作りました」と言わんばかりの雑な作り。
(……違う)
昨日。
十数路線でほぼ同時に。
狙った人間だけを正確に殺した。
あれほど精密なシステムを構築した犯人と、同じ人間が仕掛けたものとは思えない。
(まるで……『見つけてください』と言っているみたいだ)
私は写真を見つめた。
(犯人は、わざと我々に見つけさせた?)
もし。
バスそのものが答えではなかったとしたら。
警察が暗号を解き。
循環バスへ向かい。
偽の爆弾を発見し。
安心する。
そこまで全部が、犯人の計算だったとしたら。
この爆弾は、警察を特定の場所へ誘導するための巨大な『撒き餌』だ。
私はスマートフォンを取り出し、篠塚が文字起こしした犯人の言葉を表示した。
『内藤の新たな宿。その第六の領域、二番目の配列だ。落日を望む。最初に戻る』
一語ずつ、ゆっくり読み直す。
(『内藤の新たな宿』)
内藤新宿。
新宿。
(これは場所そのものじゃない。『新宿』という言葉を示しているんじゃないか)
次。
『落日を望む』
太陽が沈む。
西。
(……『西』)
そして。
『最初に戻る』
私は画面を凝視した。
(『西』を『新宿』の最初へ戻す)
西。
新宿。
西新宿。
「……!」
全身に電流が走った。
『第六の領域』
六丁目。
『二番目の配列』
二番地。
私は地図ソフトを開き、検索窓へ入力した。
【東京都 新宿区 西新宿6丁目2番地】
検索結果が表示される。
そこに建っているのは、日本を代表する超高級ホテル――『グランドホテル東京』。
さらに検索結果を追う。
本日。
十月十五日。
巨大ゼネコン、天楽建設。
創立百二十周年記念日。
毎年、そのホテルの大宴会場を貸し切り、政財界のVIPを集めて盛大な祝賀パーティーを開いている。
(『今日は記念すべき日だ』……!)
犯人の声が、脳内で鮮明に蘇った。
あれは警察への挑発ではない。
天楽建設の創立記念日そのものを指していた。
そして。
(『盛大な拍手と、おめでとうさんです』……!)
拍手。
祝福。
祝賀パーティー。
(全部、天楽建設の創立百二十周年を指している)
私はパイプ椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。
もう一つ。
『乗客自らが「座る」意志を示す、あの黄色い灯火の下』
黄色い灯火。
バスの降車ボタン。
そう思わせるための罠。
ホテルの大宴会場を検索する。
写真。
天井を埋め尽くす巨大な琥珀色のシャンデリア。
(……黄色い灯火)
さらに。
『座る意志を示すボタン』
私は震える指で、天楽建設のパーティーの式次第を検索した。
『午後六時。社長挨拶の後、招待客への【ご着席の合図(チャイム)】のボタンを、社長自らが壇上で押下し、開宴となります』
「……っ!」
脳裏を電撃が貫いた。
『落日を望む』
西。
場所。
だけではない。
十月の日没。
午後六時。
(犯行時刻まで……!)
犯人は。
場所も。
時間も。
標的も。
すべて、最初から暗号の中へ書き込んでいた。
私は壁の時計を見上げた。
午後五時五十九分。
「……郷田管理官! 高山本部長!」
二人が振り返った。
「騙されました! バスの爆弾は囮です!」
「何だと?」
「真の標的は――!」
その時だった。
午後六時の時報と重なるように、緊急指令のサイレンが道場へ鳴り響いた。
『緊急事態発生! 新宿区、西新宿6丁目2番地にて爆発事件が発生!!』
「……!」
郷田が激昂してパイプ椅子を蹴り倒した。
「馬鹿な! まだバスに爆弾が残っていたというのか!」
『違います!』
無線の向こうの声が震えていた。
『現場は西新宿6―2……グランドホテル東京の大宴会場です!』
道場の空気が凍る。
『しかも……爆発したのは、主賓席のみです! ピンポイントで、天楽建設の社長一人だけが……即死です!!』
百五十名の捜査員が、誰一人として言葉を発しなかった。
「……ホテル?」
私は手元の暗号文へ視線を落とした。
『落日を望む』
『おめでとうさん』
『ピンポーン』
胃の奥が冷たくなった。
バスは――最初から、答えではなかった。
