椅子に座りますか

 設置役も。
 監視役も。
 実行役も。

 すべて金で雇われた使い捨ての駒。

 しかも殺人という極限の行為すら、
『指定の席に座る』
『一つの席だけをスマートフォンで監視する』
『態度が悪ければボタンを押す』
 そんなゲームのチュートリアルのように細分化された単純な作業へ変換し、素人たちに実行させている。

 これでは、末端を何十人捕まえようと、真の首謀者には辿り着けない。

 奴は安全な場所に身を潜めたまま、社会の底辺で喘ぐ者たちの欲望を一つのシステムとして組み上げ、東京の大動脈を完全に機能不全へ陥れたのだ。

 私は最後尾の壁際で拳を強く握り締め、プロジェクターへ映し出された無機質な募集文を見つめた。

(お前は……一体どこから、この狂った世界を見下ろしているんだ)

 警察という巨大な組織が、威信を懸けて姿の見えない敵を追い、空回りしている。
 その中で、私の胸の奥に巣食うどろどろとした怨嗟だけが、首謀者の異常な論理と、狂おしいほど静かに共鳴し始めていた。

 道場には、百五十名もの捜査員が発する熱気と、徹夜明けの男たちが纏う汗、煙草、缶コーヒーの匂いが混ざり合い、ひどい悪臭が充満していた。

 怒号が飛び交う。
 固定電話が絶え間なく鳴る。
 何十台ものキーボードを叩く乾いた音が重なる。
 だが、私にはその喧騒さえ、どこか遠い世界の出来事のように感じられていた。
 私は壁際に寄りかかりながら、スマートフォンの画面をゆっくりとスクロールした。

 SNSのトレンドタイムラインは、もはや狂気の沙汰だった。
 上位十個のワードのうち、八個までが昨日の事件に関するものだ。

『#優先席爆破』
『#今日の掃除』
『#正義の執行』

 そこまではまだいい。

 だが、その下には、
『#人間花火』
『#害虫駆除完了』
『#特等席の黒焦げ豚』
 といった、血の匂いに塗れたハッシュタグが並んでいた。

 そこへ、毎秒数百件という凄まじい速度で、無数の書き込みが雪崩れ込んでいる。

『パズルゲームに夢中の豚リーマン、爆発した瞬間リアルに「肉片のパズル」になっててクソワロタwww
 画面から消し飛ぶスピード神すぎだろ』

『優先席でふんぞり返ってる奴らの顔面が、爆風でぐちゃぐちゃに引きつる瞬間マジでたまらん!
 ざまぁみろって叫びながらご飯三杯食ったわw
 犯人様、明日の掃除はどこの路線ですか?
 特等席の黒焦げ死体、生で見学したいです!』

『てか、我が物顔で座席占領して、ちょっと肩がぶつかっただけで殺すような目で見る連中なんなの?
 ああいう生きてる価値のないゴミが炭になっただけで、なんで警察は血眼になってんの?
 税金の無駄。死体はそのまま線路の肥料にでもしとけ』

『優先席に座る権利があるのは弱者だけ。
 そうじゃないのに平気な顔して座ってる傲慢な奴らは、殺されても文句言えない「サンドバッグ」だろ。
 命乞いする暇も与えずに爆破するとか、犯人マジで有能。
 次はもっと苦しむ爆弾でよろしく!』

 だが、その身勝手な熱狂はすぐに方向を変えた。
 本来、その席を必要としているはずの人々にまで、どす黒い悪意の牙を剥き始めたのだ。

『でもぶっちゃけ、その「弱者」とやらも大概じゃない?
 障がい者アピールして「譲ってもらって当然」ってツラで座る奴。
 わざわざ「座らせてください」って声かけてきて、いざ代わってやったら勝ち誇った顔でスマホいじり出す奴。
 あれマジでむかつくから、ついでに掃除してくれないかなw』

『わかる。
 年寄りだからって無言で杖で足小突いて退かせようとするジジイとか、自分が神様だとでも思ってんの?
 弱者なら何しても許されるって勘違いしてるあっちの傲慢さも同罪だろ』

『マタニティマーク水戸黄門みたいに振りかざして、座ってる奴にわざとらしくため息ついたり舌打ちして威嚇する妊婦も同類な。
 譲られて当然って態度の奴らは、弱者の皮を被った特権階級だからまとめて爆破でいいよ』

『結局、優先席に座る奴も譲らせる奴も、どいつもこいつも自己中のクズばっか。
 犯人様、次は「譲られて当然」って顔してる勘違い弱者どもにも平等に天罰を下してください!』

 画面をスクロールするたび、指先から全身の血の気が引いていく。

 彼らは、何十人もの人間が乗る電車の中で爆弾が爆発したという異常事態を、ほとんど恐れていなかった。
 自分たちの日常に潜む「不満」や「苛立ち」を、他人の死という極上の刺激で発散させている。

 そこには、命を奪われた者に対する哀悼など微塵も存在しなかった。

 そして何より私を戦慄させたのは、犯人が自らの宣言を裏付けるかのようにアップロードしていた「処刑動画」の数々だった。

 昨日のラッシュアワー。
 爆破される直前の車内。
 画面に映っているのは、三十代半ばと思われる肥満体の男だった。

 男の目の前には、マタニティマークを付けた妊婦が立っている。押し潰されそうなほどの混雑の中、膨らんだ腹を庇いながら必死に耐えている。

 それでも男は、優先席へ深く腰掛けたまま、ワイヤレスイヤホンを付け、スマートフォンの画面へ没頭していた。