椅子に座りますか

 私は喉を鳴らした。
 
 冷や汗が額を伝う。

 それでも拭わずに、どうにか声を絞り出した。
「……犯人の『動機』の話です」
 ヒラ刑事という身分でありながら、私は上層部全員の視線を真正面から受け止めた。
「狂人の戯言として片付けるのは簡単です。ですが、この声明文には異常なほどの『熱』がある。奴は本気で、自分を正義だと信じている」

 誰も口を挟まない。

「この歪んだルールの根底にある怨嗟を理解しなければ、奴の思考には追いつけません。次は……必ずまた起こります」
 詭弁だった。

 自分の不用意な発言を、「プロファイリングの一環」として誤魔化したに過ぎない。

 だが、百戦錬磨の幹部たちの目は、そんな言葉で簡単に誤魔化せるものではなかった。

「……心理学者気取りか」
 高山が手元の資料を乱暴に机へ叩きつけた。
「我々の仕事は犯人に同情することではない。排除することだ」
 そして、隣に座る郷田へ冷ややかな視線を向ける。
「郷田管理官。部下の管理には気を配れ。あの男がまた変な戯言を吐くようなら、特捜本部から即刻叩き出し、所轄の掃き溜めへ送還せよ」
「承知いたしました。……昔から情に脆い男でして。私が責任を持って手綱を握ります」

 郷田は口元に微かな笑みを浮かべ、高山へ向けて恭しく頭を下げた。
 彼が私の大失態をそれ以上咎めなかった理由は明白だった。
 利用価値があるからだ。
 郷田は、私という存在を、犯人の異常心理を読むための手駒として最大限に利用するつもりなのだ。
 私に犯人の考えを読ませる。
 私に泥をすすらせる。
 そして、結果だけを自分の手柄にする。

 今回もまた、昔と同じように、私は壁際で拳をきつく握り締めた。
 二十名の冷ややかな視線に晒されながら、プロジェクターに映し出された、まるで血文字のような声明文を静かに睨みつける。

『――あなたは椅子に座りますか』

 その問いだけが、まるで私自身へ投げかけられているかのように、いつまでも胸の奥に残り続けていた。

*  *  *
 
 特捜本部のコア会議が終わるや否や、郷田は私を廊下へ呼び出した。
「真下。身元確認に訪れた遺族や関係者の対応はお前がやれ。被害者の交友関係から、犯人に繋がるトラブルの糸口でも拾ってこい」
「……分かりました」

 郷田はそれだけ言うと、興味を失ったように背を向け、そのまま廊下の奥へ歩いていった。

 昔と同じだ。
 面倒な聞き込みも。
 人間関係の泥臭い洗い出しも。
 すべて私にやらせる。
 首輪だけは、まだ私につながっているらしい。

 だが。

 あてがわれた仮設の聴取室で私を待っていたのは――涙にくれる遺族でも、悲痛な表情を浮かべる友人でもなかった。

 事件から数時間。
 警察からの知らせを受けて駆けつけた彼らは、一様にひどく冷めた表情をしていた。

 ある者は無表情。
 ある者は、長年背負っていた重荷をようやく下ろしたかのような顔。
 まるで、憑き物が落ちたようだった。

 最初に入ってきたのは、最初の爆発で死んだ広告代理店社員の部下だった男だ。
 男は私の正面に置かれたパイプ椅子へ腰を下ろすなり、大きく息を吐いた。
 悲しみを堪えるためではない。
 明らかに、疲れ切った人間の溜息だった。
「……正直、葬儀の準備をするのも馬鹿馬鹿しいくらいです」

 私はペンを止めずに、男の顔を見る。

「あの男、社内では『自分だけが絶対的に正しい』と信じ込んでいて、少しでも意見する部下がいれば、大勢の前で徹底的に人格を否定して、精神を潰すのを楽しんでいましたから」

 男の声には、亡くなった上司への悲しみなど微塵もなかった。

「『お前らのような無能は、俺の踏み台になれて光栄だと思え』が口癖でした」
 男の口元が僅かに歪む。
「彼が肉片になったと聞いて……職場からは、むしろ安堵の声しか上がっていません」

 私は何も答えられず、黙って調書へペンを走らせた。

 次に現れたのは、別の電車で犠牲になった高校生の同級生だという女子生徒だった。

 制服姿。

 まだ十代だ。

 だが、その瞳にも悲しみはなかった。

「あいつが死んで、教室がやっと息をできるようになりました」
「……息を?」
「あいつ、自分がクラスの『王様』だと勘違いしてたんです。他人の尊厳なんて平気で踏みにじるクズでした」

 女子生徒は、吐き出すように続けた。

「遊び半分でターゲットを決めて、私物を奪って、土下座させて……。注意した教師には、親の権力を盾に逆ギレするような、醜いエゴの塊です」
 膝の上で握られた拳が震えている。
 恐怖ではない。
 長年押し殺してきた怒りだ。
「死んだって聞いた時……みんな『やっと呪縛が解けた』って、笑って、泣いたくらいです」

 私は黙って彼女を見つめた。
「犯人が誰かなんて、どうでもいい」
 少女は言った。
「私たちは……犯人に感謝したいくらいです」

 そして最後。

 三つ目の現場で爆死した中年男の、実の弟だという人物が入ってきた。
 椅子へ腰を下ろす前から、明らかな苛立ちを隠そうともしていない。
 男は私の前で、忌々しげに舌打ちした。

「あのアニキは、死んで当然の人間です」
「……実の兄ですよね」
「だからですよ」

 即答だった。

「昔から、自分を特別な人間だと思い込んでいた。親の遺産を独り占めしては、私たち家族を奴隷のように見下していました。金の無心に来て、断れば暴力を振るう」

 男は唇を噛んだ。

「あいつにとっては、自分が一番優先されて当然なんです。他人が苦しもうが、家族が泣こうが関係ない。他人の痛みなんて、微塵も想像できない男でした」
 そして、淡々とした声で言った。
「死ぬのが少し早かったか、遅かったかの違いですよ。これでやっと……私たち家族は、怯えずに夜眠れます」

 私のペンが止まった。

 目の前に並べられた調書。
 そこに記された数々の証言。
 彼らの口から溢れてくるのは、故人への愛惜ではなかった。
 死を悼む言葉でもない。

 自分を特権階級だと錯覚し、他者の痛みの上で傲慢にふんぞり返り、周囲の人間を苦しめ続けていた「害悪」が、この世界から消えた。

 その事実に対する、
『清々した』
 という歪んだ解放感だけだった。

 私は調書を閉じ、聴取室を出た。
 すると、扉のすぐ外で郷田が待ち構えていた。
 壁へ背を預け、腕を組んでいる。
 最初から、私が出てくるのを待っていたのだろう。

「どうだ。何か収穫はあったか? 犯人がターゲットを選ぶ『基準』が分かったか?」

 私は手にしていたノートを開いた。
 そこには、被害者たちの傲慢さを呪う言葉が、何ページにもわたって書き連ねられている。

 郷田はそれを受け取り、ざっと目を通した。
 そして、ニヤリと口元を歪める。
 そこには嫌悪感も、悲しみもなかった。
「……なるほど。犯人は、周囲の誰もが内心では『死ねばいい』と願っているゴミばかりを選別して始末しているのか」

 楽しむようにページをめくる。

「これほど掃除が捗る犯人も珍しいな」
「……彼らは、悲劇の被害者じゃありません」

 私は低く言った。

「犯人の『掃除』を、世間が暗黙のうちに肯定しているんです」

 郷田の手が止まった。
「肯定?」
 そして、私を見る。
「違うな、真下」

 郷田はノートを閉じた。

「世間はただ、面倒な厄介者が排除されたことを喜んでいるだけだ。犯人は、大衆が口にできない『殺人衝動』を代行しているに過ぎん」

 一歩、私へ近づく。

 そのまま郷田は私の肩を強く掴み、指を食い込ませるようにして耳元へ顔を寄せた。

「面白い。次のターゲットを探せ」
「……何?」
「周囲の人間が『死ねばいい』と思っているような奴なら、絞り込みは容易い。犯人の動機がお前の言う通りなら、次の獲物もすぐに見つかる」

 郷田の声には、僅かな興奮すら混じっていた。

「……お前のおかげで、俺の手柄がまた一つ増えそうだ」
 そう言い残すと、郷田は満足げな笑みを浮かべたまま、廊下の奥へ歩き去っていった。

 私はその場から動けなかった。
 残された廊下で一人、手元のノートへ視線を落とす。
 そこには、死んだ者たちを憎む、生々しい言葉が並んでいた。
 私が拾い上げた、犯人へ近づくための異常心理の欠片。
 郷田はこれから、その一つ一つを自分の出世のための盤上(ボード)へ並べていくのだろう。

 昔と同じように。
 私に駒を拾わせ。
 自分は――最も安全な「特等席」に座ったまま。



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